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× × ×
翌朝。ラーメン店『いとう』江坂本店には多くのお客さんが詰めかけていた。
進駐軍に営業停止処分を下されたという噂は、すでに多くの常連客に伝わっており、彼らは愛する名店の味を忘れないために最後の一杯を求めて来ていた。
真面目な吹田町の役人たちは「進駐軍に歯向かうと殺されるぞ」と彼らに解散を命じたが、そもそも「敵」を見たことのない者が過半だったために、現実味の欠如から聞き入れられなかった。
また、店の前には心強いボディーガードがついていたことも、常連客を安心させる材料となっていた。
「なんだありゃ」
「昨日、円盤に負けていた兵隊じゃねえか?」
お店の近くの公園にやってきた孝介と明日菜は、重火器と装甲歩兵で防備を固める旧共和国軍に目を丸くする。
共和国軍は『いとう』の駐器場(客の飛行器を停める場所)に土嚢袋で陣地を作り、対装甲歩兵砲と四機の千年式装甲歩兵で道路方面に睨みを効かせていた。加えて軽装備の歩兵数名が傍らについており、暇なのかお客さんの交通整理を行っている。
孝介はこれだけ守っていれば「敵」も近づいてこないんじゃないかと考えたが、昨日の負けっぷりを思えば安心できない。
やがて当の「敵」が、光学迷彩を排して姿を現すと、彼の不安は現実のものとなった。
まるで昨日の戦いを再放送するかのように、装甲歩兵たちが巨大な円盤に捕らえられていく。虎の子の対装甲歩兵砲も、円盤から伸びるブームによりあっさり奪われてしまった。土嚢に隠れていた共和国兵は逃げ惑うばかり。
当然ながら、共和国軍も無策ではなく、史跡として保存されている旧時代の高速道路の残骸やビルの影に隠れていた装甲歩兵たちが、手持ちのレールガンで円盤を傷つけるのだが、威力不足で撃ち抜くには至らない。
結局、見つかり次第、捕らえられていくばかりであった。
「ええい! お前ら、それでも我が二二八装甲連隊の精鋭か!」
お店の中から大佐の階級章を付けた男が出てくる。
どうやら敵を待っている間に幕僚たちとラーメンを食べていたら、いつのまにか戦闘が始まっていたようで、左手にはラーメン鉢を持ったままだった。
返却口に返してください、と孝介は言いたくなるが、明日菜に無言で制止されたのでやめておく。
お店の前では、大佐の叱咤激励も虚しく、その場にいた共和国軍の装甲歩兵が全て捕らえられてしまっている。
「国軍の残党を用心棒にするとは、いやはやお上手だなあ」
戦いの終わりを待っていたのか、紫色の軍帽を被った将校と兵士たちが光学迷彩を外して店の前に姿を見せた。
独特なデザインの軍服には、右腕に緑色の腕章が付いている。文化憲兵という文字が読み取れた。
同じ日本語を話し、同じ文字を使う「敵」という存在に、孝介は奇妙な感覚を抱かざるをえない。
平塚博士は「北から来た」と話し、日本人を称する者たちの企てを知っていると自己紹介していた。となると、ジパング列島の北方に、古き時代の住人・日本人の末裔が生きているのだろうか。
ジパング以外の土地には住めないという話は嘘だったの?
「だが、無益なことだ。我々に勝利するだけの技術力がお前らにはない。この『フィラテン』が本気になれば街ひとつ燃やすことも容易いのだぞ」
日本人の将校は頭上に浮かぶ例の円盤を指さして、いやらしい笑みを浮かべた。
いじわるを人生の目的とする人物が、今が楽しくて仕方ないと叫んでいるような笑顔だった。
彼の脅しを受け、また円盤兵器の威圧感もあってか、常連たちはぞろぞろと店から逃げ始めている。手持ちのテレスクリーンで写真を撮っている者がいるあたり、本気で不安を感じている者ばかりでもなさそうだ。
孝介は小さく息を吸ってから、右手に携えていた杖を地面に据えた。
透明の卵を杖の先端のソケットにはめ込み、周囲に展開されているホログラムのガイダンスを参考にして照準をつける。
目標は『フィラテン』と呼ばれた円盤兵器。
「孝介、早まるなよ。どんな威力があるかわからないんだから」
「お店に手を出した時を狙えってことでしょ?」
「おじさんとおばさんを巻き添えにしたくなければ」
二人は草陰から上空のフィラテンを狙っていた。植え込みの大きさは十分だったため、見つかる可能性は低いように思えた。
だが、二人の姿を捉えきれないほどフィラテンの探知能力が低いはずはなく、パイロットは彼らを民間人だと思って手を出していないだけだった。杖から照準器の光波が放たれるまで、パイロットは心優しい男であった。
「……マズイ、気づかれた!」
円盤からブームが伸びてくるのを視認した孝介は、明日菜が叫ぶのとほぼ同時に『プラズマ擲弾』を放った。
慣性誘導で弧を描いた透明の卵は、フィラテンの近接防御装備を物ともせず、円盤の中央に着弾する。
弾頭から解き放たれたプラズマが、円盤を喰い破る。
直径八センチの貫通孔はフィラテンの動力部分と弾薬庫の一部を経由しており、すなわち誘爆が発生する条件は整っていた。
パイロットが問答無用で排出される。
爆発自体は搭乗者防衛機構により機体内で抑えられたが、それでも凄まじい威力であり、漏れ出た爆風が孝介と明日菜を二メートルほど後ろに吹き飛ばした。
「あいたたた……」
「孝介、パンツ見えてる!」
「知らないよ、そんなの!」
孝介は急いで立ち上がり、倒れたままだった明日菜の手を取った。
お店に目を向ければ、黄色い『いとう』の看板が下に落ちてしまっている。爆風のせいなのだろう。その直下にいた極東軍の将校は拙い足取りで、耳を抑えながら、孝介たちを指さしていた。
「なんだ貴様らは! なんだ今の攻撃は!」
拳銃を片手に問うてくる将校に、孝介はあらかじめ決めていた台詞を返してやる。
自分が伊藤孝介だと悟られないためのキャラクター付けを目的とした、親友が作ったとっておきの文句。
「……わたしはエクレア! 天に代わってジパングを守る者! 混乱をもたらす兵隊どもよ! 己の田舎に帰るがいい!」
「我々の田舎はここだ! 俺の故郷は千里中央なのだよ!」
「えっ」
思わぬ反応に孝介は面食らう。千里中央は吹田町の中心街であり、彼にとっても明日菜にとっても身近な地名だった。
女の子っぽい話し方の微妙な恥ずかしさと、文化憲兵の奇妙なバックボーンの相乗効果により、孝介の脳内は何ともいえない気分で満たされる。モジモジしてしまい、ちょっと逃げ出したい感じ。
だが明日菜に背中を押されたので、仕方なくまた相手と対峙することにした。
「お、お前の故郷が千中なら、なぜ吹田町を攻める!」
「貴様らジパング人が、俺の故郷で勝手に暮らしているからだ。千年間、留守にしていたら住みつきやがって。盗人どもめが!」
将校はホルスターから拳銃を抜いた。
反射的に孝介も杖を相手に向ける。明日菜がすかさず先端に透明の卵を据えつければ、再びホログラムが周囲に浮かび上がってきた。
互いに筒先を向け合う形となり、場には緊張感が走る。
それを打ち破ったのは、孝介でも明日菜でも将校でもなく、先ほど円盤から落ちてきたパイロットだった。
「ひ、広沢大尉! あれは魔法少女ではありませんか!」
「なにぃ!?」
パイロットの発言に将校は口元を歪ませる。
「魔法少女だと! ……たしかにそのように見えなくもない。強いていえば、露出が少なすぎる気はするが」
将校の露出という言葉に孝介は強い嫌悪感を覚えた。たしかに顔の他にはスカートとブーツの間くらいしか肌を出していないが、文句を言われる筋合いはないし、人に見せるために少女の格好をしているわけでもない。明日菜に「そのまま行け」と押されたから帽子とマント以外も魔法少女の格好で揃えているのである。
思わず相手をにらんでしまう孝介だったが、将校とパイロットは意に介していない様子だった。
むしろ会話が弾んでおり、
「小生が思うに、西暦六千年代の新古典主義をモチーフにしているのではないでしょうか」
「西村中尉は良い目をしているな、なるほど……」
「あのような日本文化が列島に残っていることを思うと、小生は少し泣きそうになってきます」
「あれは本部に報告せねばなるまい。できれば、捕らえたいところだ」
広沢と呼ばれた将校と、西村と呼ばれたパイロットは、それぞれ後ろで腰を抜かしていた兵士たちに立ち上がるように指示を出した。
だが、兵士たちは立ち上がろうとしない。彼らの顔には明らかな恐怖が刻まれていた。
孝介には知りようのないことだが、彼ら日本人は千年以上の時間を仮想空間で生きている。その中で「死」はいわば克服されたものであり、今まで仮想空間で車にぶつかってバーチャルな痛みを感じたことはあっても、本気に死ぬかもしれないという恐怖を感じることはなかった。
仮に経験があったとしても、それこそ十世紀ぶりの感覚であった。
もちろん、彼らなりに「死」の可能性を覚悟して日本列島に戻ってきているし、その先駆けたる極東軍にも志願したわけだが――その結果が今の立ち上がることすらできない哀れな姿であったことは、彼ら自身にとっても想定の範囲外だった。
その点でいえば、広沢は冷凍睡眠施設の維持管理員「守り人」出身であったし、西村はパイロットの訓練課程で現実における死の恐怖を克服していた。
「……あの杖を相手に二人では敵わん。撤退する」
広沢がパチンと指を鳴らすと、兵士たちはみんな光学迷彩に包まれた。
明日菜は隠れて撃ってくることを警戒してか、孝介を植え込みまで引っ張っていく。それから五分ほど経って、二人は小さくハイタッチした。
× × ×
ジパング人が初めて極東軍を下した“江坂の戦い”を近くで見ていた者は決して少なくない。
常連客の一部は店の中で猛烈な爆風を浴びていたし、孝介の両親はボロボロになった店の中をテキパキと掃除していた。
通行人、付近に住んでいる者は言うに及ばず。
彼らはそれぞれなりに感想を持ち、それぞれ友人や家族に話してみせた。その話はテレスクリーンが不能であるにも関わらず、加速度的な広まりをみせ、翌日にはほぼ全吹田町民がことの顛末を知るに至った。
一方で戦いの光景から得たものを外に出さず、あえて内に秘めた少年もいた。
萩原友郎は早朝から出かけていった姉を追いかけて江坂に来ていた。そこで彼が見たのは魔法少女が巨大な円盤兵器を打ち倒す様であった。
彼は敵が姿をくらましてから、己の胸が高鳴っていることに気づいた。
そして可憐な魔法少女が自分の姉と楽しそうに話しているのを見て、彼は自分が初めて、姉以外の女性に好意を抱いたことを悟ったのだった。