3 仲裁に来た者
声に釣られて二人は呼びかけてきた男へと向き直る。
無精髭を生やした中年のおっさんが手当たり次第に通る人々に声をかけていた。
どうやらただの客引きのようだ。
「気を取り直して街の案内をしてくれ。じゃなきゃ帰るぞ」
そう言ってシグレは歩き出そうとしたが、リアがある一点を見つめてその場から動こうとしない。
「金剛鉄 ……!」
リアは目をキラキラと輝かせるという言葉を誰よりも体現していると言っても過言ではなかった。
そしてふらふらと何かに取り憑かれたように金剛鉄のほうへ歩いていく。
「お、なんだいお嬢ちゃん? 金剛鉄が欲しいならまずそこの亜人と──って近い、近いよお嬢ちゃん!」
シグレはリアの首根っこを引っ張って金剛鉄から遠ざける。
「何してんだお前は」
「あぅ〜……金剛鉄……」
それでも置いてある金剛鉄から目を離さない。
恋する乙女、にしては味気ないがリアの食いつきようはそれとあまり変わらない。
「それとも馬鹿なだけか……」
そう呟きながらリアを引っ張り入れ替わるように客引きのおっさんの前に出た。
「おっさん、あの亜人に勝てばこの場で金剛鉄を無償でくれるんだな?」
「お、おうともよ! あそこにいる亜人に勝てばタダでくれてやるよ」
ただしと、おっさんは付け加える。
「負けたら十万ギルだ。金剛鉄への挑戦代にしちゃ安いだろ?」
おっさんは薄気味悪い笑みを浮かべながらこちらを見る。
それに一瞥をくれたシグレは亜人のほうへと向き、腰に収めた剣に手をかける。
「おい、そいやルールはあんのか?」
「ねーよ、と言いたいとこだが殺すのは禁止だ。それ以外の怪我は自己責任。勝敗は相手が気絶するか、降参するかだ」
シグレはそれだけ聞くと迷いなく腰の剣を抜いた。
亜人はそれに応じシグレの前に立つと喉を震わせ、右手に持ったサーベルを光らせ二メートル強はあるその体でシグレを脅す。
それを見てシグレは溜息を吐いた。
「我を恐れぬのか人間?」
「亜人なんか監獄で見飽きたよ蜥蜴人 」
「監獄だと……? 面白い法螺を吐く男よ」
思わず口が滑ったシグレだがどうやら蜥蜴人はそれを法螺だと勘違いしてくれたらしい。
好都合だと、シグレは思った。
「だがそうではない。実力差に恐れを抱かぬのか?」
「……は?」
何を思ったのか蜥蜴人はそんな事を言ってきた。
冗談かと思ったが蜥蜴人の表情は真剣だ。
その姿にシグレは再び溜息を吐く。
「三流だな……」
見たままの感想をシグレは述べる。
その一言が蜥蜴人の怒りを買ったとは知らずに。
「死にたいらしいな」と蜥蜴人は呟きそれ以降は何も語らなかった。
そんな一連の流れを見ていたリアが我に返り慌ててシグレに話しかける。
「ダ、ダメだよ! 危ないからダメッ!」
「金剛鉄とやらに心惹かれて案内を放棄したのはどこの誰だ」
「そ、それはそうだけど……いいの?」
「いいも何もそうしなきゃ話が進まんだろ」
そう言い放ったシグレは両の手から力を抜きぶらぶらと投げ出した。
「おっさん、始めていいか?」
「あ、ああ……いいぞ」
おっさんがそういうが否や蜥蜴人は駆け出した。
シグレの腕に狙いをつけ、的確にそして素早くサーベルを振り抜いた。
不意打ち気味に放たれた蜥蜴人の一撃。
(つくづく馬鹿は物で釣れる。金剛鉄に釣られ勝てもしない俺に挑んできやがる。雑魚を蹴散らすだけで十万ギルなんて楽な仕事だ)
最初からこのおっさんと蜥蜴人に金剛鉄を客に渡す気なんてなかった。
高価な物で客を釣り、勝てぬ相手に挑ませ、金を毟り取る。
払えなかった客の末路など言う必要もないだろう。
口元を笑みで歪ませた蜥蜴人にはシグレの腕を斬り裂いた未来が見えた。
勝ったという慢心からの歪んだ笑み。
そんな彼らの笑みは、
「……は?」
たった一振りで砕け散った。
「マジで折れやがった……」
場違いな声が蜥蜴人の耳に聞こえた。
おかしい、なぜ目の前の男はそんな余裕そう声を出せるのだろうと蜥蜴人の思考が止まる。
その瞬間、甲高い金属音が蜥蜴人の耳に遅れて響いた。
手元を見るとシグレの剣は折れ、蜥蜴人のサーベルはどこにもなかった。
カラン、という音が後方から聞こえ振り向くとサーベルが地面に落ちたと理解できた。
「貴様、なぜ!?」
「テメェのサーベルを弾いたからに決まってんだろ」
折れた剣を見せびらかすよう蜥蜴人の目の前で振った。
(あんな脱力した体勢から反応できるわけがない! 不意打ちは完璧だったはず!)
「前見ろ、前」
そう言われ前を向いたその時だった。
シグレの姿が消えた、と思った時には全てが終わっていた。
消えたと錯覚するぐらいの速度で蜥蜴人の懐に潜り込んだシグレは体を回転させ顎に目掛けて蹴りを加える。
脳を衝撃で揺さぶられた蜥蜴人の意識はプツリと消え、力なく地面へと倒れこむ。
「終わりだ。おっさん、景品の金剛鉄は貰ってくぞ」
そう言って飾ってあった金剛鉄に手をかけた瞬間、おっさんが慌てて間に入る。
「ま、待ってくれッ! 後でこの金剛鉄は渡す約束しよう」
「……もう少しまともな言い訳はできないのか?」
シグレは呆れて三度目の溜息を吐いた。
その目は酷く冷めていて暗黒に染まっている。
「こ、この場で今すぐ渡すとは言っていない! 必ず後日渡すことを──」
「俺は最初に言ったはずだ」
言葉を重ね、重圧をかけるよう静かにシグレは言葉を吐く。
「そこで寝てる|蜥蜴人を倒せば、この場で金剛鉄を無償でくれるのかと。お前はそれに肯定で返した」
気絶したままの蜥蜴人を指差し、淡々と事実を伝える。
「……その手はなんだ?」
それでもおっさんはシグレの前に立ちはだかり、腕を掴んで放さない。
「クソガキ、死にたくなかったら言うこと聞こうや」
そう言いながら懐からナイフを取り出したおっさんはシグルの脇腹にそれを突き立てる。
ナイフはシグレの薄皮一枚を剥いだところで止まり、あともうひと押しすれば体内へと侵入するだろう。
「腕に自信のある蜥蜴人を使って商売とも言えないようなチンケな事してたお前がナイフを突き立てて何になる?」
シグレはいとも容易く掴まれた腕を振りほどき、ナイフを握っているおっさんの手首を強引に掴んだ。
「お前の負けだ。急いでるからから早く渡せ」
その瞬間だった。
後ろで倒れていた蜥蜴人が起き上がり激昂したのは。
「やれッ! このクソガキを殺せ!」
それを見たおっさんがそう叫び散らす。
爪を立てた蜥蜴人は完全に理性を失い怒りだけでシグレに突進する。
「気絶してもまた立ち上がって負けを認めないのなら」
暗黒に染まったシグレの目がつまらなそうに蜥蜴人を見据える。
もはや溜息もでなかった。
代わりに酷く冷たく静かに言葉が吐かれた。
「殺すしかないな」
その瞬間、シグレは消えた。
比喩はない。蜥蜴人の視界からシグレが消えたのだ。
まるで時間でも飛んだかのようにシグレは蜥蜴人の目の前へと出現する。
蜥蜴人の顔の前には折れた剣があった。
神速の域で蜥蜴人の視界から消えて見せたシグレがそこに構えたのだ。
蜥蜴人は気付かない。否、気付けない。
視認できていないのだから。
例え折れた剣だろうとそこに顔から突進すればどうなるかなど明らかだ。
そしてその時が訪れ蜥蜴人の顔と折れた剣が激突する。
「──そこまでだ」
凛とした声が響く。
その声は人混みの喧騒の中でも澄み渡り、場の空気を切り裂いた。
たった一言の重圧に見て見ぬフリをしていた通行人や今頃騒ぎに気付いた野次馬が一斉に同じところに振り向いた。
シグレも例外なくそちらへと視線が釣られた。
そこにはその時に割って入った一人の青年が立っていた。
「双方、喧嘩の域を超えている。そのまま続けていればそちらの蜥蜴人の命が奪われていた」
蜥蜴人の顔に突き刺さるはずだった折れた剣は、青年がいつの間にか懐から抜いた剣で弾き飛ばされた。
蜥蜴人は立ち尽くし、シグレは訝しげに青年を見つめる。
「私は王国騎士団所属、ジョッドジャイク・バルフレア。穏便に済ませたいんだ、あまり睨まないでくれると助かるよ」
名乗りをあげシグレのほうを見てそう言った。
透き通るような白髪をなびかせるジョッドからはただ言葉を発しているだけにもかかわらず圧倒的なプレッシャーで場を支配する。
「け、剣聖……」
剣聖と呼ばれたジョッドに酷く怯えたおっさんは後ずさりし、冷汗を流している。
「この状況を説明をして貰えるかな?」
その目はシグレに向けられている。
「当事者に聞くか普通?」
「君なら問題ないと判断したまでだよ」
「俺は初対面の人間に信頼を置かれるほどの人徳は持ち合わせてないな」
戯けながらシグレは言った。
その姿を見てジョッドは苦笑する。
「凡才な私だが、人を見る目には自信があってね」
「茶化すなよ。まあ、このおっさんがそこに立ち尽くしてる蜥蜴人に勝てば金剛鉄ってのをこの場で無償でくれるらしいから勝負したんだよ」
「それで君が勝利した後に揉め事が起きたんだね?」
「なんで俺が勝利したと断定する?」
「言ったはずだよ。人を見る目には自信があるってね」
「……おかしな奴だ」
ジョッドとの会話は意外にも滞りなく進む。
話が縺れ加害者側にされると想定していたシグレにとっては予想外だ。
「金剛鉄は希少価値が高く採掘場所の危険度も高い。民間の方が所持できる代物ではない。貴方はこれをどちらで入手されたのかお聞きしても?」
ジョッドはシグレから視線を外しおっさんへと向いた。
「そ、それは……その」
「それに亜人と一般人を戦わせるなど危険すぎる。王国から許可が下りるとは思えない」
言い訳をする暇もなくジョッドが詰め寄る。
「蜥蜴人と共に王宮に同行を願おう」
「なッ!? このクソガキはどうなるんだよ!?」
「勿論、彼にも同行してもらう」
ジョッドは突然そんな事を言い出した。
面倒なことに巻き込まれシグレは舌打ちをした。
「すまない、だが君だけ同行しないわけにはいかないんだ。面倒をかけることを許してほしい」
「……まあいい。だったら早くしてくれ、ここで話してても意味はない」
「ああ、そうしよう。君もそれでいいかい?」
未だ立ち尽くす蜥蜴人に放たれたジョッドの言葉に、蜥蜴人は力無くうなづいた。
ジョッドが歩き出し、その後ろをおっさんと蜥蜴人がついていく。
無防備に見せたジョッドの背中だったが、剣聖と呼ばれていた男相手に不意打ちをする勇気はないらしい。
さらにその後ろをシグレが付いて行こうとしてシグレはある事を思い出す。
「ああ、悪いな。時間かかりそうだからここでお別れだ。金剛鉄については悪かったな」
後ろを振り返り、今まで一連の流れを唖然と見ていたリアに言った。
「え、あちょっと……!」
リアを一瞥し、再びジョッドのほうへとシグレは歩みを進めた。
我に返ったリアはそんなシグレの態度に声をかけようとするが咄嗟のことで上手く言葉が出ない。
シグレがもう振り向くことはなかった。
「……ッ!」
だから気付いた時には走り出していた。
振り返らない相手に上手く言葉が出ないのなら、行動で示すしかないとリアの体が駆け出したのだ。
シグレの手をリアの小さな手で握る。
「……私も、私も行くよッ!」
そこでやっと振り返ったシグレにリアは出来る限りの笑顔で答えた。