鈴の音の芥
ガタゴト、ガタゴト。
揺れる車体、流れ行く車窓の景色。
走り抜ける青々しい木々の合間から覗く、キラキラと仄かに暗く輝く黒い水面。
ぱちり、瞬きをひとつ。
あの色を、あまり観てはいけない。吸われ、吸い込まれる。意識を刈り取られてしまう。
私はもう一度だけ瞬きをして、前に向き直った。ボックス型の席の真向かいに、相席者はない。
そもそも、この列車と呼ぶにもおこがましいモノに乗り合わせる者などの数は知れていて、対外が顔見知りであり、赤の他人である。
「やあ、隣、いいかい」
訂正、一部を除いて、赤の他人である。
静かにつぶやいたのは、良く見知った黒髪の青年だった。
私は「どうぞ」とつぶやいて、席をすこし左にずれる。彼は「どうも」と言いながらすばやく隣の席に座った。ふわりと薫る彼の香り、末香。私は顔を意識してしかめた。
「そんなに纏わせて、今回のは大物か何か?」
「まさか。僕はこれでも、身の丈にあった仕事しかしないよ」
彼は飄々とのたまって「数がね、尋常じゃあなかった」と声を潜める。小物の大量発生、いやな響きだ。
私は瞬きひとつを相槌代わりに、車窓からの景色をちらりと望む。
相変わらず木々は青々と走りぬけ、合間に見える水面は黒く輝いていた。
この黒い水面に消え逝く、数多の煌きを看た。観てきた。
私はいつだって部外者で、観客だ。主役に上ることはない。
数多の煌き。淡く青く碧く輝く生命の息吹き。
多くの人々はそれを、魂と呼ぶ。
***
「いやだ・・・こないで」
チリリン、チリリン、チリリン。
涼やかで不気味な鈴の音が、そこら中に響き反響し、少女を混乱の渦中に叩き込んでいた。
こんなことなら、こんな事になるのなら、あんなこと、言わなきゃ良かった。嫌だ、いやだ。
彼女の頭の中はそんな意味のない皮算用でいっぱいで、後悔と懺悔と、それから憎悪の水面に沈んでいた。
だって、だって、仕方なかった。友人は、女の子は、流行り廃りに敏感なのだ。
立夏が過ぎて昼の日差しが長く長く残る今のころ、半そでの制服に腕を通した友人たちはこぞって言う。
「今日ねー、私、見ちゃった・・・かも?」
「えー!?ほんとにー!?どこどこどこ!?」
「ほら保健室の・・・一番奥の奴がさあ」
キャアキャアとはしゃぐ友人たちの興味を引きたくて、話に混ざりたくて、分かち合えるものなら何でも良かった。ソレが笑いの種に、話の種になるのなら、それで花が咲いてくれるのだったら、些細な嘘はついてしまっても許されるはず。そうして彼女は「ねえ、知ってる?」と口を開いた。
ありもしない怪談話。でっち上げ。話の始まりは怪談話のお決まり「小学校のときの友達に聞いたんだけどさあ」みんなの顔は半信半疑で、けれど怖い話は転じて面白い話である。
この場が白けないことを少女は確信していた。
「夜にね、不気味な鈴の音が聞こえるんだって。ちりりん、ちりりんって。外かな、自転車かなって思うんだけど、窓の外を確認しても自転車どころか人影もないの。それで、気のせいかなあ、って振り向いた瞬間に」
たべられちゃうんだって。
チリリン、チリリン、チリリン。
少女はハッとして、息を呑んだ。
今一瞬、意識がなかった、気がする。
彼女はいまだ聞こえてくる不気味な鈴の音に身震いしながら、頭を振った。いけない、現実逃避をしている場合じゃない。けれどどうしたらいいのだ。本当に嘘だった。ただ面白おかしくみんなとキャアキャア言いたくて、適当なことをソレっぽく怖く仕立て上げた、よくある怪談話。
ソレが今現実に目の前で、起こっている。
彼女はギュッと目を瞑った。心の中でよく覚えてもいない念仏を唱えてみる。
般若はら、みた、ええと、はんにゃはらみた、それから、ええと、ガンジーざい、ガンジー・・・サイコー。
彼女は自分のぽんこつな頭を呪った。
自前コントを脳内で繰り広げている間に、不気味な鈴の音はどんどんと大きくなる。
もはや鼓膜が弾けるんじゃないかと彼女は思ったが、その前に自分は食われてしまうのじゃないかとも思った。振り向いた瞬間に。
たべられちゃうんだって。
瞬間、鈴の音が掻き消えた。
「みつけた」
お寺のようなにおいが急にして、耳元で、知らない男の人の声を聞いた。
***
「それで一体一体がチリンチリンうるさいの何の」
女の子は気失っちゃうしもう大変、主に僕が。と黒髪の青年はおどけて見せた。
私は特に興味もないので「ふうん」と気のない返事を唇に乗せる。彼の話は特別に面白いわけではないが、つまらない話でもない。兎角、よくある話であった。
人はしばしば、無意識に言霊を操る。
無意識であるがゆえにそれは暴走しがちであって、時には魂をも蝕むものだ。
その、黒髪の青年がいう少女がみた、もしくは聞いた鈴の音の怪異は、彼女が無意識下で言霊を操り具現化したものであると推測できる。あるいは邪推できる。
私は瞬きひとつして、青年をじっと見据えた。
あるいは、この青年が、言霊を使った可能性を邪推できる。
彼の仕事は小物の掃除。
小物とは得てして塵であり、風に飛ばされやすく、空気にも満たない存在だ。
つまり、ある程度集積しなければ掃除をするのも面倒なのだ。
そこで彼は取るに足らない嘘の怪談話が本物になる様、彼女の言葉に言霊を仕掛けた。
何のことはない、そうすることで掃除をしやすくしたのだ。
彼が、楽をしたいがために。
まあ、それらは全て邪推であるのだけれど。私はもう一度ぱちりと瞬きをした。
瞬間、彼の緑を帯びた黒い瞳と視線が交わる。
まるであの黒い水面のようだ。そうしてきっと、私も同じ眼の色をしているのだろう。
それは証だ。この列車と呼ぶのもおこがましいモノに乗車する者の、証の色。
「やあなんだい、僕の顔になにかついてるかい」
「胡散臭い笑みが張り付いてるわ。もっと上手に笑ったらどう」
「いやいや、相変わらず手厳しいねえ」
私は白けた眼で彼を見やったが、彼の笑みは逆に深まっただけだった。
言霊:言葉に宿る力。力のある言葉。作中では言った事が現実になってしまう事を指す場合が多い。
末香:主にお焼香などで使うお香。
私:主人公である。
黒髪の青年:主人公と顔見知り以上友人未満。