彼女のいない生活
雪村が引っ越してすぐに、俺の母さんが経営していた花屋は人手に渡って、コインパーキングになった。
俺の父さんは普通の勤め人だったから花屋を続けることは出来なかった。
花屋は母さんのお父さん、つまり俺のお祖父さんの代にできたので、俺は生まれてからずっと花屋の息子だった。小さい頃から店番もやらされて花の名前や値段、花言葉なんかも覚えさせられ、時には簡単な花束も作った。
学校から帰るときは家ではなく花屋に寄った。家に帰っても両親はまだ仕事中なのでおらず、花屋に行くようにと躾られていた。
その花屋が少しずつ壊され、気づいた時にはその名残はなかった。
雪村がくれた「花屋」という名前までとられるような気がして怖かった。
雪村は引っ越して半月ほどしたら手紙をくれた。行き先が落ち着いて学校にも通い始めたらしい。
手紙の中で雪村は俺を相変わらず「花屋」と呼んだ。それがひどく俺を安心させた。
俺は手紙の返事を書かなかった。父さんに雪村から来た手紙を見つけられる度に手紙を捨てられたので返事を書くのが怖かった。
父さんにまで捨てられたら俺はどうやって生きていけばいいのかわからなかった。ウサギを撲殺した雪村と自分の子供が仲良くしているのが父さんも怖かったのだと思う。
だけどね、父さん。ウサギを殺したのは俺だったんだよ。雪村は俺が矢面に立たぬように庇ってくれただけなんだ。
なんて残酷な子供だろうと陰口をたたかれるのも、気を病んでいたと噂されるのも本当は俺だったんだ。
雪村が引っ越してからも雪村の悪口はしばらく続いた。
飼育小屋にはウサギが戻ってくることはなかった。
俺は出来るだけ普通の生活をしようとした。あの日、ウサギの帰り血を浴びた金属バットが錆びぬように小まめに手入れをした。学校生活も部活も続けた。花の名前の代わりに簡単な家事を覚えた。
雪村は最初のうち、俺が手紙の返事を書かないのを怒っていた。だけど、そのうちそれが普通になり雪村は返事については何も言わなくなった。
その代わりに手紙の内容が変わった。最初のうちは俺が元気かどうか、学校の様子はどうか、部活はどうかと俺の話ばっかり聞いてきた。だけど、そんなことを書いても俺が全然返事を書かないので諦めたように俺のことは聞かなくなった。
手紙の内容は雪村の日記のようになった。転校先の学校の先生がイケメンだとか、新しいクラスは女子に3つも派閥があるとか、年上の友達ができたとか、新しい家族のことも。日常のことを出来るだけ面白おかしく、少し脚色して手紙に書いているようだった。
雪村が楽しそうで良かった。心からそう思った。
雪村の手紙は不定期にそれでも途切れることなく続いた。
俺は学校に行く前と、学校から帰ってすぐに郵便受けを見る癖がついた。父さんに手紙が見つかると捨てられてしまうから。そんな理由よりも雪村の手紙がただただ楽しみだった。
俺と雪村は小学校を卒業し、中学生になった。
そして、高校受験のために学校を選ぼうというときに雪村から手紙が届いた。