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過去編2

俺がウサギを殺した前の晩、母さんが男と家を出ていった。


母さんがいない初めての朝、俺は普通に学校に行って、授業を受けて、友達と遊んで、部活に励み、家に帰ろうとしていた。校門を出る途中、鍵が開いたままのウサギ小屋を発見した。ウサギ小屋の扉は固くて、鍵が閉まっていなくても扉は閉まったままにしておくことが出来る。ウサギの力はもちろん、小学校低学年の人間の力でも開けることは難しいだろう。


俺は野球少年で、部活帰りだった。


手には金属バットを持っていた。


金網で仕切られた小屋の中、ウサギの小さな骨格をバットで砕く音だけが響いた。ウサギは悲鳴をあげることなく静かに死んでいった。ウサギには声帯が無いことを後で知った。

ウサギの震える目とか、涙とかはあまり見ていない。だって、辺りはもう暗かったから。

突発的で衝動的過ぎる行動だったせいか、現実感が全くなく、俺はその後、普通に家に帰り、一人でカップうどんをすすった。


学校から電話があったのはそのときだった。


次の日、俺は雪村の家に行った。

「花屋、どうかした?」

雪村の態度はいつもと変わらなかったが、あまり寝ていないのか、目の下には大きな隈があった。

雪村の保護者は家にいなかった。俺らは二人きりだった。

「雪村……、お前はウサギを殺してないよな……?」

雪村の家のリビングで俺の足は小さく震えた。何度か訪れたこの家でこんなに緊張したのは初めてだった。

「あれは私がやったんだよ。」

「違うだろ、あれは……」

雪村はまっすぐ俺の目を見た。

「あれは私がやったんだ。花屋じゃないよ。」

硬直した俺の心に雪村の言葉が深く鈍く刺さる。

「やめてくれよ……。やめてくれ……。何で……。」

昨日のことは全て夢の中の出来事のような気がした。いや、違う。全て夢であって欲しかった。


母さんが俺のことを捨てて出ていったなんて絶対信じない。信じたくない。

「雪村違う、ウサギは死んでない。俺もお前も何も知らない。何もしてない。」

泣きながら叫んでる俺を雪村は冷静に眺めてる。それが俺の感情をさらに苛立たせた。

「あんなの全部悪い夢だ!」

悲鳴混じりに俺は叫んで、そのまま床に崩れ落ちた。座り込んだ俺の頬に雪村がそっと手を添える。

「雪村……」

喉に絡んだ涙のせいで声がくぐもる。かすれた声で俺は続けた。

「母さんが出ていったんだ。」

「……うん。」

全て既知であるかのように雪村は静かに頷く。

「花屋は母さんのこと嫌い?」


どうしてだろう?


「母さんのこと好き?」


雪村の声が遠くに聞こえる。頭の芯で重く鉛が響いたような音がする。言葉は聞こえるのに意味が全然届かない。


どうしよう。雪村が憎くて憎くて仕方がない。このまま雪村の首絞めて殺して埋めて無かったことにしてしまいたい。何もかも無かったことにして全て夢にしてしまいたい。


「花屋……?」


やめて雪村……。俺に触れないで……。現実に引き戻さないで……。


雪村の手が俺の涙が皮膚に伝わり、鼓動が大きく聞こえる。足元から急に冷たい風が吹き付けるような感覚に襲われた。


どうしよう……。悲しくて寂しくて仕方がない。

母さんお願い、どこにも行かないで……。お願い、俺の傍にいて……。

店の手伝いちゃんとする。重いものは持つし、薔薇の棘だってちゃんと取るよ。休みの日だって朝に起きるし、わがままなんて言わないよ。宿題だって勉強だって毎日するし、忘れ物はもうしない。部活ももっと頑張るから……。


記憶の中で母さんが笑っていた。優しく優しく笑っている。

頭の奥が鈍く痛んだ。

むせかえるほどの花の匂いの中、母さんの笑顔があまりにも鮮やかで、俺の心を喪失感が埋め尽くす。


母さんどうして……、俺のことを選んでくれなかったの?

選ばなかったの?選べなかったの?

行かないでと叫んでいれば、俺を選んでくれていた?


「雪村……俺寂しいよ……。」


無かったことにはもうならない。

ここは現実、夢じゃない。

俺は母さんに捨てられて、俺はウサギを殺したんだ。

おかしいな。俺はついこの間まで、ただの幸せなガキだったのに。

嗚咽で喉が痛んで、涙と鼻水で服の袖がグショグショになった。


その日、泣き疲れて俺が寝てしまうまで、雪村はずっと傍にいてくれた。


雪村は初めて、俺に寂しいと言わせてくれた人だった。







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