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「シロツカさんは、『帰還者』のことをご存知ですか?」

「『帰還者』というと、異世界から戻ったとかいう、あのキカンシャのことでしょうか」

「ええ、その帰還者のことです」

 ぼくは宙を見据え、記憶を辿った。

 『帰還者』というのは、ひと昔前から流行りだした精神病かなにかだったはずだ。たしかその変わった名は通称で、正式な病名もあったと思うが、よく知らない。あいにくぼくは、世事や流行事への関心が薄く、『帰還者』に関する知識も、そのほとんどがうずらからの受け売りだった。

 うずらは一時期この病気に妙に関心をもっていて、食事のときとかによく話をされたことを覚えている。ぼくは、そのときのことを思い起こしながら、覚えている知識を村雲に伝えた。

「……とまあ、知っているのはこれぐらいで、あまり詳しくはわかりません」

 村雲はうなずいた。

「いえ、ありがとうございます。世間一般での理解も、だいたいそれと似たようなものです。要約すれば、彼らは異世界に転生し異世界から帰還したと妄想を抱く残念な人たちの集まりだ、ということになるでしょう」

「そこまで悪くはいいませんが……。たしかに、そのような印象を持っていることは認めます。それで、その『帰還者』が、どうしたのですか」

「じつはわたしも、『帰還者』のひとりなのです」

「あなたが?」

 ぼくはすこし驚いた。あらためて村雲を見るが、とてもそうは思えなかった。村雲は微笑を浮かべた。

「誤解されがちなのですが、『帰還者』の多くは、私同様、一見してごく普通の人たちなのですよ」

「そうなのですか」

「ええ。ですが、私たちに普通でない部分があることもまた、たしかなことです。それは、私たちが異世界に抱く感情です。私たちは(私は、といったほうがいいかもしれません)自分が異世界に転生していたことを深く確信しています。医者や周りの人たちに、いかに諭されようと、私は彼らの言い分を(それはまがいものの記憶であるといった説明です)受け入れることができません。私はかつて体験した異世界での出来事を、いまでもありありと思い起こすことができるのです。向こうで食べた美味しい食事や素敵な出会い、モンスターと闘ったあの興奮を、ありありと。その記憶が嘘であったなどと信じることは、不可能なことです」

 ぼくは話の展開に、すこし嫌な予感を感じた。

「今年で六十八になる私は、『帰還者』のいわゆる第一世代です。私が異世界から戻ったのは二十歳のときで、いまから半世紀近くも昔のこと。当時はこの病に対する認知はまったくの皆無で(というより『帰還者』という言葉すらありません)、世間からの目はいま以上に冷たいものでした。

 そのような状況で生活を送っていくには、自分が『帰還者』である事実を隠すということが、不可欠の選択でした。私は生きるためやむなく、自分に嘘をつき、暮らしてきました。そして長い時が過ぎました。

 ですが、そのような生活は、もうやめようと思ったのです。あと何年生きられるかわからない老人になり、身寄りもありません。仕事も退職し、世間の目を気にする必要もなくなりました。ですから、これからは、自分に嘘をつくことをやめよう、そう思ったのです」

 村雲はそこでいったん話すのを止め、ひと息ついた。ぼくは無言で話のつづきを待った。

「じつはそう決心したのは、歳のせいだけではありません。もうひとつ、きっかけとなる出来事がありました。ある友人からの電話でした。

 すこし前のことです。夜中に突然電話が鳴りました。その友人からでした。彼は『帰還者』の友人で、私とは古い付き合いです。電話のやりとりはよくしていましたが、夜中に来たのははじめてでした。彼は興奮した様子で言いました。「向こうへの入口を見つけた」と。それから一方的に、まくしたてるように彼は話しました。ですが、私は彼のいうことをうまく理解することはできませんでした。寝起きで、しかも彼の話の内容が支離滅裂だったからです。 

 異世界への入口を見つけ、これからそこに向かうのだ、そう彼が言っているのだと、私がようやく理解できたのは、彼との通話を終え、彼が添付してよこした写真を見たときでした。

 そこには見覚えのある風景や建物が、写っていました。私は驚き、すぐに彼に折り返し電話をかけました。ですが、電話はつながりませんでした。そしてその後も、いまにいたるまで、彼との電話はつながらないままです」

 村雲は、その写真のファイルを転送してくれた。ぼくはファイルを開き、三枚の写真を順に眺めた。どれもぼくには、ごく普通の写真にしか見えなかった。

「つまり村雲さんは、この写真が、異世界のものだと考えているわけですか?」

「ええ。そのとおりです。といいますより、それ以外に考えられないのです。たとえばこの写真を見てください」

 ぼくはいわれた写真に目をやった。

「それは、向こうの世界で『はじまりの街』と呼ばれる場所にある時計台です。見た目が瓜二つなのです。それに、時計の数字を見てください。14分割になっています。これは異世界の一日の時間と同じです」

 たしかにその時計台の時計は14時間周期になっていた。けれどだからといって、これだけで異世界の存在を受け入れろというのは、すこし無理な話だった。建物自体はありふれたものだったし、すこし探せばこのような変わった時計の画像はいくらでも出てくるだろう。『帰還者』の証言をもとにつくった合成写真ということも考えられる。ぼくはそう思ったのだけど、あえて口にはしなかった。「なるほど」と適当に相槌をうった。

「わかりました。それで具体的には、ぼくに何を依頼したいとお考えなのでしょう。いなくなった友人の捜索ですか?」

「異世界へ帰る方法を見つけてほしいのです」

「異世界へ帰る方法……ですか」

 嫌な予感が当たったようだ。ぼくはどうしたものかと思案した。

 どん、と重い音がした。

 アタッシュケースが、テーブルのうえに置かれた音だった。

 村雲はそれを開いて、なかのものをぼくに見せた。

「……これは?」

 札束がぎっしりと詰まっていた。見たことのない大金だった。

「前金です。面倒な依頼であることは理解しております。ですので、すこしばかり多めにご用意させていただきました」

 ぼくは、すっと血の気が引くのを感じた。

「困ります、こんな大金。それに受けるかどうかはまだ……」

 そのとき、電話が鳴った。うずらからだった。

 こんなときに、とぼくは心中で毒づいた。間が悪いにもほどがある。

「どうかなさいましたか?」

「すみません、電話がかかってきたものですから。いま、切ります」

「いえいえ、どうぞ、私にかまわず出てください。大事な用かもしれませんし」

「ありがとうございます。すぐ戻ります」

 ぼくは席をはずし隣室に向かった。

 電話に出ると、「出るの遅い!」とうずらが叫んだ。

 ぼくはカチンときて言い返した。

 不毛な口論となった。

 しばらくして冷静になり、あらためて電話の理由を聞いてみると、今日の夕食がどうとかいう話だったので、電話を終えたときには、あまりのばかばかしさにため息がでた。

 重い足取りで事務所にもどると、村雲の姿が消えていた。

 ケースの札束はそのままだった。

 そのうえに、紙が一枚のっていた。

 紙にはこう書かれていた。


>>>


急用ができましたので、今日はこれで失礼いたします。

後日またお伺いしますので、進展状況等は、そのときにお聞かせください。

前金はお受け取りください。お仕事の成功をお祈りしております。

                               村雲八代

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