第二話 コキョウ(子京)
身体にかかる圧迫感からすれば、それほどゆっくりと走っているようには見えない。見た目と裏腹にエンジンの振動も走行の音も目立つほど聞こえない。
「移動してるんですか?」
言葉を選ばずに聞いたために、馬鹿な質問をしたな…と思ったが、平野は意図を汲みとってくれた。
「まあ、この四輪は高いからね」
値段の高さが、性能を左右するのはどこの世界でも一緒だ。
車内はリムジンのそのままだ。平野と二人で向かい合うように座り、僕は進行方向を向いて、彼はその逆を向いている。もしこれで手元にグラスなんかがあり、チビチビとウィスキーを飲んでいたら映画のワンシーンに見える。
「この四輪はね。叔父のものを借りてきたんだ。車体は九式弾丸までは防いでくれるし、窓だって八式までなら多分大丈夫だよ」
苦笑を浮かべながら話しているのは、「叔父」に自慢でもされたのだろうか。しかし、「きゅうしき」も「はちしき」も聞き覚えが無い。「だんがん」を「ふせぐ」のだから物騒な話だということは理解できる。
「ま、そのうちね」
平野がそうやって話を打ち切る。
車の中に沈黙が続いた。僕は何を聞くべきかじっくり考え、慎重に答えを導くつもりで黙っていたが、彼はやや違ったらしい。
「もう少しでコキョウにつくよ」
「故郷?」
「巨大な街さ。平原の殆どは土地の権力者が人を雇って作物を作っているからね。雇われなかった人たちが住む場所があるんだ。それがコキョウ」
「こきょう・・・」
平野の言葉に呼応したわけでは無いだろうが、まるで登場を待っていたように巨大な明かりの群れが限られた窓枠から見えた。あまりにも強い光が今は眩しい。
車は一度止まると、何やら検問の様なものに黒服が紙を渡す。陰りで見えないその誰かは紙を受け取ると、そのまま通せと合図を黒服に伝え、車は再び滑るように走りだした。
中に入ったのだろう。明らかな雰囲気の違いを感じる。まさに荒野から街に戻った気分だった。しかし光量はやや抑えられている。中に入る前に感じた攻撃的な明るさではなく、単に生活を過ごしやすくするための明るさが車を包んだ。
「中央通りは避けて、あそこは遠距離用の四輪大型とか六輪しか通れないからね」
「はい」
無愛想なのか、単にそのように教育されているのか…
(違うかな。無駄口を叩けるような職業では無いってことかも)
「さて、少し説明しようか。このコキョウの街はさっきも言ったけど、平原に住めない人たちが作ったのが始まりなんだけど、今は経済の中心になってる場所の一つでもある。主に取引先で大きいのはお隣の蓬族なんだけど、今は良いかな」
何を言うべきかの趣旨選択がされているのか。平野は少し考え、
「街の中心は仕切っているカズマって地主。だいたい中心地は家を十個重ねた様な建物が多いよ。そこからどんどん下がっていく。九個重ねた建物、八個重ねた建物…」
「えっと、それは十階建てって事ですか?」
僕の言葉に平野は一瞬眼を丸くした。何か驚かせたのか?
「君の世界にもそんな大きな建物があるのかい…?」
(十階建てのレベルじゃないけどね…)
最近建設された名物の建物は、六十何階か忘れたけどツリーの名を冠した巨大なタワーだった。
「僕は十階?以上の建物を見たこと無いよ」
ひとしきり感心して、彼は少し体の位置を変えた。
「それで、まず君が此処に来た理由なんだけどね…」
「平野さん。着きました」
開きかけた口を閉じると、平野は黒服の方をチラッた見て扉を開けた。先ほどと反対にまず自分が先に出ると、どうぞっと言わんばかりに腰を少し曲げる。
車から出てみると、まずビルの壁が見えた。同じような四角の建物が立ち並び、その殆どが五階か四階は有る。中小企業のテナントが並んでいる感じだ。
「ここが君がしばらく身を置く場所になるよ」
平野の声で視線を彼の先にやると、2階建てのビルが見えた。暗くて正確には見えないが、雰囲気はボロいビルで一階はシャッターが付いているのか、今は大きく開いていた。
ビルの中からは煌々と明かりが周囲を照らして、その中に二人の女性が立っている。一人はこっちに挑むようなキツイ視線を持ち、両手を腰に当てて胸を張って立ち向かうような姿勢で出迎えてくれた。褪せたピンクのエプロンになにやら文字が刺繍してあり、エプロンはひどく汚れているように思える。手足がスラリと長く、身長も高い。メリハリの効いた腰つきと、やや平坦かなっと思わせる胸、やや茶色めの髪は後ろで一括りにしてあった。
もう一人は対照的に小柄。こちらも褪せたエプロンの裾からスカートのようにヒザ下の脚が見えた。手足はスラリとして、細身なのだが女性としてはどうだと言われれば平均的な体型と表現せざる得ない。髪は黒く肩に触れるような長さで揃えてある。やや小動物感が有るのは隣の女性に隠れるように立っているからだろう。
「一応、店の従業員って形で紹介するね」
双方の沈黙を気まずく思った平野が気を効かせて紹介に入った。
「背の高い方が老竹博美。背の低い方が籠之森風草」
老竹と紹介された女性は、頭を下げなかったが、籠之森と紹介された女性は僅かに頭を下げたのを見た。
「そして僕は伊勢平野。こちらはヲルザさんの紹介でしばらく世話することになった…」
平野はそこでゆっくりと僕の方へと顔を向けた。何やら困ったような顔を見て、「あっ」と思い出す。自己紹介をしていなかった。
「僕は…」
不意に、平野と老竹さんが眉を潜める。平野はやや驚いたように、老竹さんはやや不快そうに
「僕は…山城。山城カツミです」
二人の女性への第一印象は「嫌われている」だった。