禁書読書 その三
禁書読書 その三 です。
よろしくお願いします。
あの笑みの意味する所はなんだ。こいつは呼び出された時から余裕を持っていた。言霊を持っていないこともそうだけれど、こいつは初めから僕が言霊を使わないと踏んでいるふしがある。
この立場を逆転する方法は簡単で、僕が円城を撃退するような言霊を一言でも口にすれば済む話なのだ。
万能であるはずの言霊を口にすることが出来ないのは、円城の笑みから危険信号を読み取ってしまっている。記憶の改竄をすればとも思ったが、何の対策もせずに僕の前に現れるわけがない。言霊使いとして誰よりも優れていると言われた男が、無防備なはずがないのだ。
「俺に対して攻撃的な、もしくは記憶改竄を行わないのは懸命な判断だ。俺は誰よりも言霊を熟知している。君がどれだけ優れた言霊を身につけていようとも、元言霊遣いと張り合うことは無謀の極み」
僕の腕に抱かれていた桜子がもう大丈夫と小声で言った後、でもと零した。
「うちは、こいつと話したくない。無理だわ。優太さん、ごめん。うちは力になれん」
「いいよ。これは僕の問題だ。僕が片付ける」
「威勢とその心意気も素晴らしい。が、何時まで続くのか見ものだな」
いい加減、見下されるのが嫌になった僕は上半身を起こした桜子をそのままにして、立ち上がった。
「攻撃的、または俺をこの場から遠ざけたとしても、俺は君の存在を知ってしまった。直接、井上くんに何かをしようとは思わない。周りを潰していく。職場でもいい、君の数すくない友人でもいい、または君の愛しい石田さんでもいい、俺は井上優太と関わった人間全てに何かしらの制裁を与える。脅しではなく、実行すると宣言しよう。君を脅迫する方法はいくつでもある。そして君は自分の行為に苦悩し、心を痛め、傷つき、取り返しの付かないことをしてしまったと後悔する。その後悔は俺に対しての憎悪となり殺意となる。そうなることくらい俺もわかっている。しかし、残念かな。井上くんは俺を潰そうとする前に、自滅する。君がその言霊を手に入れてから二十日と数日だな?」
円城の問いに僕は無言で返した。こんな脅迫をされて何かを言える図太い神経を持っている人がいたら、是が非でも変わっていただきたい。
円城は饒舌なまま語り続ける。
「一週間後、君は自滅する。何故か? 教えてやる。俺の中に僅かに、微かに、そして密かに隠れていた良心が何も知らない君に教えてやるというのだ。君はこの円城了が持っていた言霊を手に入れてしまった。そして言霊を使い続けた。言霊遣いでもない人間が、身の程も弁えず使い続ければどうなるか、君も知っているだろう。思い出すんだ、姿を見ていればなおのこといいが、見ていなければ誰かから聴いた、教えてもらった舟渡の末路を思い出すといい。想像してみるといい。彼はどうなった?」
「呪術師として終わった、とは聞いている」
「そう、彼は呪術師として終わったが、人として終わったわけではない。これが答えだ。君は呪術師でもなければ、絵読術を扱う末裔でもない。普通の、ごく一般的で平凡な一般人が強力な能力を得たとして無事で済むと思うか?」
心臓が猛禽類の鋭い爪で掴まれたような痛みが走る。
フィジカルな痛みなどないのに、言葉だけで僕は圧倒されている。しかし、円城から言霊らしきものは見えない。言霊がなくとも、彼は人を簡単に支配することできている。
「井上くん。君が言霊をどのような力か把握していない。理解していない。言霊に対して君はあまりにも無知だ。その教養も、鍛錬も、知識もなにも持たないまま言霊を手に入れてしまった。使い古された交換条件のことを覚えているかい? 何かを得るには何かを捨てなければいけない。これは真理だ。誰にも変えられない世の中の理だ。井上くん、君は言霊を遣う度に何かを失っている。寿命といったありきたりな等価交換ではないぞ。悪魔と契約しているわけではないのだ」
人間を模した悪魔なら目の前にいると言ってやりたかったが、言えない。なんと言い返していいのか見当も付かない。
「言霊は言葉。言葉とは人の思考だ。著しく思考が鈍くなっていたことがあったはずだ。言霊を使った直後には感じられないが、言霊の反動は遅れてやってくる。日常生活に支障を来すようなことはまずない。ただ、一週間後には言霊を使わなくとも、君は全てを失う。物理的に何かを失うのではない。君という人格が、人間性が、失われ生きた屍となる。指南書は言霊遣いにとっては禁書ではあるが、しかしこんな恐ろしい呪いはない。当然、普通の人間が読んでも呪われることはない。君は俺が作った本物の禁書を読んでしまったのだ」
後悔があるとすれば、興味本位で自分の生き方が変わるかもしれないと、淡い期待をもって円城了が書いた小冊子を読んでしまったことだ。こんなことに巻き込まれてしまうとわかっていたら、などと考えても遅い。僕は悪魔みたいな人間に操られていた。
僕は絶対に勝てることのない詰将棋に付き合わされていた。
僕がこの言霊に不服を持たなかった場合があったとしても、彼は僕の前に現れて同じようなことを告げて、事象を操る言霊を取り戻そうとしていたはずだ。
「俺にその言霊を返す以外、君の残された道などないのだ」
本当にないのか。活路となる道は残されていないのかと、思考を始めようとした矢先、僕の足を掴む柔らかい手の感触がした。
「優太さん、もういいがね。もうこれ以上、関わらんほうがいい。色んな人に迷惑をかけるかもしれんけど、うちは優太さんがおらん生活なんて嫌だで」
一人にしないでと、桜子の本音が伝わる。
言霊を返せば、僕も助かる。桜子も僕と近しい人さえも、何事なく生活が送ることが出来る。知らない誰かのために自己犠牲なんて、御免だ。そんな正義感なんて僕にはない。
嫌悪感が積み重なり、この場の空気に耐え切れなくなりそうだ。
僕の中で色んな物が混ざり合う。自分への罵り、円城への怒り、桜子への想い、そしてこの小冊子探しに関わってきた人達への懺悔と見ず知らず人たちへの謝罪。言霊遣いの三人は許してくれるかもしれないが、僕は僕を許すことができそうにない。
「世の中、なるようにしかならないのだ。何度も同じことを言いたくないから、これが最後だ。君に与えていた言霊を返してもらおうか」
短い溜息が漏れる。諦めるしかない。事象を操る言霊を消すことができないことはもうわかっている。仮に消せたとしても、円城は僕に恨みを持って仕返しをするだろう。
笑えるくらい八方ふさがりだ。こんな完璧な筋書きを考えている奴に勝てるわけもない。
「円城了に全ての言霊を返す」
言霊を発すると僕の中にあった不可思議な物が消え去っていく。
もう僕には、フキダシを見ることも、相手の感情を読み取ることさえもできなくなった。こうして、僕の願いと円城了の願いは成就された。
こんな結末を望んでいたのは、円城だけだ。彼にとってはハッピーエンドかもしれないが、僕からするとバッドエンドでしかない。
目から涙が溢れる。自分の不甲斐なさ、未熟さ、稚拙さといった負の感情がとめどなく溢れ、それが涙として流れ出てきた。
僕は声を殺すことも出来ず、その場に泣き崩れた。両手で顔を覆って、恥ずかしげもなく泣いた。
「井上くん。君には悪いことをしたと思っている」
こんな奴に慰められても嬉しくはなかった。僕は俯いたまま叫んだ。
「全部、あんたが仕組んだことだろう? ふざけるな。あんたがその言霊を使って何をしでかそうとしているのか知らない。でも、あんたはそれを使って他人を不幸にする。僕は、それを止めることが出来なかった」
僕は自分を守りたかった。僕と親しい人間を傷つけたくなかった。そして、誰よりも、僕は桜子を傷つけられたくなかった。桜子を救いたかった。
丸めた背中に桜子の体が押し付けられた。その温もりが、余計に涙を誘った。
「大丈夫だで。優太さんはなんも悪くない。うちが知っちょるけんね。安心すーだわ。うちがちゃんと話したる。井上さんがどんだけ辛い思いをしたんか、きちんと話しちゃる。だけん、泣かんでよ」
桜子も最後の方は涙声に変わっていた。
「すまなかった」
謝罪の言葉に、言霊が使われていないとなぜか分かった。三週間近く持ち続けていた言霊の名残のせいかのか、円城の言葉には特別な力など感じられなかった。彼は本気で謝罪をしている。
冷静さを取り戻したせいで、滝のように流れていた涙が止まる。
顔を上げると、僕らを見下していた目は、そこにはなかった。苦しそうな、申し訳無さそうな、そんな目をした円城がいた。
「迷惑を掛けた君たちに、俺からは何も言えない。きっと信じてもらえないだろう。だが、これだけは伝えておく。君は守るべきものを守った。それは誇っていい」
そんな、彼らしくもない言葉を最後にして、僕らの前から消えた。
僕と桜子は涙を流すこともなく、五月とは思えないほど肌寒い井の頭公園でしばらく抱き合って、慰め合った。
その後。僕は恥を忍んで天見さんと月森さんに連絡を取って会うことにした。彼女たちに事の顛末を話すことが最優先だったからだ。
吉祥寺駅にあるロータリーで天見さんが運転している車が停車し、僕と桜子は後部座席に乗り込んだ。僕が話をする前に、天見さんが一言呟いた。
「二人共、無事でよかったよ」と。
年下の女の子に説教をされる覚悟はしていたけれど、やはりというか、彼女たちはまず僕らが無事であることを喜んでくれた。僕の言霊で操られたことに関しては、責められたが微々たるものだった。
「井上さんの境遇を思えば、致し方ありません。たしかに、私達を信用して欲しいという気持ちはありました。でも、本来は私達が関わることがなかった出来事です。了さんを逃したことは、致し方ありません」
天見さんの運転で国道を走っていたけれど、僕らに気を使ってか荒っぽい運転はしていなかった。
僕は円城とのやり取りを覚えている限りで話すと、天見さんと月森さんが同時に驚いた。
「言霊を失くす? そんなことありえません。風鈴さん、聞いたことがありますか?」
「私だって知らねーよ。生まれ持った言霊の力を封印して別な物に移すなんて芸当、聞いたことがない。それに、具現化と精神を操る以外の言霊があるなんて聞いたこともないぞ」
「それは指南書という本があって、円城はその本の知識を元にしたと」
「その有名な陰陽師ってのも、指南書なんて呼ばれる本が存在していたことにも驚いているんだ。でも、そんな本があったら、円城家だけでなく、うちや小町の家だって動くはずだろう?」
「仮に指南書なる本が存在していたとしても、言霊を失くす、なんてことは不可能なはずです」
前席にいる二人が押し黙ると桜子が話し掛けた。
「円城って人な。うちらと別れる前に、謝ったに。すまなかったて」
前席から悲鳴に似た声が上がる。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
禁書読書 その三 如何でしたでしょうか。
楽しんで貰えたのなら嬉しい限りです。
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