進入不可 その五
進入不可 その五 です。
よろしくお願いします。
番茶を一口飲んで口の中を潤してから話しだした。
「さっき言葉が漫画のフキダシのように見えると言ったよね。これは口にした言葉がすべてフキダシで見えるわけではないんだ」
「じゃあ、うちが今喋っとる言葉もフキダシみたく見えとらんということか」
「そう。全部ではなくて言葉に発した中の一部分だけが見える。さっき桜子ちゃんがいった言葉の中で文字字として見えたのは『見えとらん』だった。何故、これだけが文字として見えたのか。それはその言葉にある感情が込められているからだと思う」
桜子ちゃんが首を傾げる。
「うちは別になんも特別なことは思っとらんで」
「感情が込められたことだだったから見えたと言ったほうがいいのかな。『見えとらん』という文字から感じ取れたのは『見えないことによる安心』と『半信半疑』だった」
「うん、まぁ、そんな風に思ったかもしれんけど、そんなんゆったらどんな言葉も感情が込められたばかりになーで。それに、言葉なんて意識して言うことなんてまず無いが」
「言葉というのは、何かを伝えるために考えるわけだけど、考える前にまず無意識に働く感情があると思うんだ。その感情や気持ちを具体的な言葉で表現をするときは意識なんてできないよ。人はどの言葉も意味を持って口にする。これは多分だけど、その人が一番強く思っていた感情の言葉がフキダシという形になったんじゃないかな」
うーんと言いながら桜子ちゃんは首を傾げた。
「井上さんの話を聞いて、うちなりの解釈なんだけどな。めっちゃ簡単にゆったらいっちゃん気持ちがこもった言葉だけがフキダシみたく空中に浮かんで見える。これであっちょる?」
「今わかっていることはそれくらいだから、合っているかな。春生の言っていた通り無害な呪いではあるけれど、感情のこもった言葉を直接体感してしまうのは厳しいかな」
桜子ちゃんが顔を伏せて湯のみを口元に当てる。
「あんな。うちが井上さんに思っとることも、もう分かっとるってことだーか」
わかっていると正直に打ち明けたとして、その後に待っているのは今後の僕らの関係をどのような間柄にするのかになるはずだ。
五つも年の離れた女の子が僕に興味を持ってくれたのは嬉しいけれど反面は怖いと思っている。話題も合わないだろうし、僕には容姿の良さなんて皆無と言っていいほどだ。渡辺依里子や由里子に襲われた時、僕が桜子ちゃんの盾となり守ったから一時的に気持ちが昂っただけだと思う。目の前にいる彼女が抱いている感情は、勘違いかもしれないのだ。
「呪いのせいで知られてしまったのは、気に入らんけど。うちはちゃんと自分の言葉で伝えたい」
桜子ちゃんの性格からすればそうくるだろうとも予想はしていた。
「うちは、うちはな? 井上さんのこと好きになったかもしれん」
彼女の告白に対して、僕は先ほど思っていた言葉を口にすることが出来なかった。相手の好意を台無しにするような、深く傷つけてしまうような言葉を僕には言えることができなかった。
「また黙っとらいな。あんな、言わんでもわかるで。井上さんはうちが一時的な感情に流されて好きになったとか、そんなこと思っとらいでしょ」
図星だった。言葉はなくとも見透かされるものだ。
「その通りかもしれん。だって、あんな危険な目にあったんだで? バイクに引かれそうになったし、攫われそうにもなった。でも、井上さんは体を張って助けてくれた。普通に歩くことができんくなるくらい、ボロボロになって」
冷めつつある番茶を桜子ちゃんがすする。僕もつられてお茶を飲んでしまった。
ぬるくなったお茶は飲みやすかったけれど、香ばしさが失われ旨味が半減していた。
料理も、お茶も、そして人間関係も冷めてしまっては駄目なのだ。
目の前にいる女の子の熱はどれくらい冷めたのだろう。
くだらない自問だった冷めてないから、この状況なのだと自答する。
「うちと今日会ったばっかりの人が、しかもうちよりも弱い人がだで? 必死になって守ってくれる姿みたら、好きにもなるわ」
「僕も、桜子ちゃんのことは可愛いと思う。その方言を喋る君も、僕の知らない知識を持っている君も、一緒にいたら楽しいかなって思うよ」
「うん」
「だから、余計にこう思うんだ。年の離れた僕よりも、もっと容姿も良くて強い人がいるんじゃないかって」
最後のほうは尻窄みするように声が小さくなってしまった。
「ほんにダラズな人だね」
出雲弁では人を罵るための言葉のはずなのに、彼女が口にした「ダラズ」という言葉から感じられたのは僕に対する愛おしさだった。
どうしてそこまで僕を思ってくれるのだろうと不思議だった。
「井上さんは格好いいで。そして強い男だけんね。だけん、自信を持ちんしゃい。自分に自信を持てんような男はすぐに見限られるで?」
とても力強い言葉を贈られた。その言葉と気持ちにきちんと応えないといけない。
「僕は」
「待って!」
桜子ちゃんがテーブルから上半身を乗り上げるよにして僕の目の前に右手をかざした。
「え?」
「ほんにちょっと待って」
いやいや、ここはもう僕が言わないといけないところじゃないの。しかも、タイミングもベストでしょう。
違うの?
「いまな。めっちゃドキドキしとーに。うち、生まれてはじめて男の人に好きとか言ったけん、もう恥ずかしくて逃げ出したいくらいだに」
さっきまで普通に話していたのに、僕の顔を見ることが出来ないのか顔を下に向けている。うん、あのね。この呪いのせいでなくてもわかる。恥ずかしいという気持ちがものすごく大きくなったわけなのね。
「こげな状態で、井上さんに告白されたら。うち、心臓が破裂して死ぬかもしれん。そしたら、井上さん、困るが?」
気迫の乗った言葉に僕の体が圧倒され後ろの方へと仰け反ってしまう。呪いがかかっていない状態であれば、どんなに気持ちの言葉であっても体までも反応することは無いと思う。しかも、彼女の言った「困る」というフキダシが僕の精神にまで侵食していく。なんだか僕までもが死ぬかもしれないという羞恥と恐怖が紛れた感情が襲ってくる。
ここは桜子ちゃんの意向を無視してでも、強引に告白するところなのだが、思っていることと、口に出た言葉は比例しなかった。
「それは、困る……かな?」
「だが! そげだが!」
ようやく僕と目を合わせてくれた桜子ちゃんは顔を真っ赤にして今にも泣きそうだった。どういう思考が働いて感情が動いているのか全く読めない。これまで、恋愛経験は少ないけれども、ここまでわからないと思った女の子は初めてだ。見栄を張るのは止めよう、過去に付き合った女性は一人だけなので、経験値なんてほとんどない。だが、僕の決意した言葉はどうなる。もやもやとした感情がこみ上げてくる。少しばかり、意地悪をしてやろう。
「えっと、じゃあ、この話はなかったことにする?」
「それも駄目!」
半開きになった僕の口から出たのは無声音の「えー」という嘆息だった。もう逆らうことすらできなくなった。
「うちの心の準備ができた頃に、言ってください。お願いします」
桜子ちゃんがテーブルに両手を付いて頭を深々と下げた。この願いを無下にすることは出来ない。これは厄介な呪いだ。まず死なないかもしれないけど、感情の込められた言葉に抗うことがまずできない。
「はい、そのときが来るまで待ちます」
僕の返事を聞いて、桜子ちゃんは花を咲かせたようににこりとした。この顔が見られただけでも良しとしようじゃないかと、自分に言い聞かせた。
心境としてはテレビで面白くもない茶番劇を見せられた様な気分だ。別の意味で気持ちが冷めてしまった。もちろん、お茶も冷えていたが美味しく最後の一滴まで頂くことにした。
空になった湯のみをテーブルに置くと、桜子ちゃんが小冊子手記『白紙双紙』を差し出してきた。
「じゃあ、次はこっちな。さっさ読んで。次の小冊子探そうで」
「切り替え早くない?」
「それだけが、うちの取り柄だわ」
胸を張って応えてくれたが、こちらとしては複雑すぎて追求もできない。
渋々というわけでもないが、桜子ちゃんがから受け取った小冊子を開いた。
表紙を捲り、二ページ目に書かれていた、著者の呪いを掛ける文章が綺麗さっぱりと消えて白紙となっていた。
他の人間に呪いを掛けることができない理由はこのせいかと納得して、次のページを開いた。
書かれていた文面を読み始める。創作話かと思っていたが、内容は著者の「私」なる人物の実体験が綴られていた。ちなみに本文の中には「私」の名は明かされなかった。春生が書いた『音読解読』と違って一人称で書かれていて、読みやすくまたわかりやすいストーリー仕立てになっていた。言葉遣いからして男性だと思うので「私」のことを彼と呼ぶことにする。
彼が体験した出来事の冒頭は知り合いの骨董店で見つけた自鳴琴を手にしたことが切欠となっている。自鳴琴は洋名でいえばオルゴールだ。素人目でみても工場で作られた物ではなく、手作りの自鳴琴はある種の呪いが掛かっていた。オルゴールを手にして製作者のサインは見つからなかったが、買い取った店主が言うには呪術師の円城了だと名乗ったらしい。呪術師の名は小説に使われそうな変わった苗字と名前ではあるけれど本名らしい。
円城了という名は非日常の世界では有名人であると記されていた。その有名人が自分の作品を売りに来るのはどういうことかと、店主に問いただしたが、売り手の都合は聞かないのがうちのやり方だと告げられた。
ただ、と店主が呟く。
「そのオルゴールを売りに来た円城了は、あんたがそれを手にすると予言していたよ」
呪いの自鳴琴を売りに来た人物は彼がここへ訪れることを知っていたらしい。そして、思惑通り彼は自鳴琴を手にしてしまった。
この仕組まれた一連の流れを気に入った彼は、円城了を探すことを決意し、自鳴琴を購入して手がかりを見つけ出そうとする。
彼も呪術を使う一人であるため、呪いの発動条件などはそれなりに把握していた。発動条件が満たされない限り呪いに掛かることはない。自鳴琴の場合はドラムのネジを回さなければ良かった。
呪いの効果は、自鳴琴のメロディを聞くと激しい睡魔に襲われ、なにも思う暇もなく眠りに落ちることだった。
なぜ呪いの種類までわかったかというと、同じ呪術師であれば簡単な呪いであれば見破るのも容易いらしい。
自鳴琴の表面を触れながら彼は自分の思惑を語る。呪術師であり道具の製作者でもある円城了という人物を追い詰め、彼は自分の仲間として迎え入れようと企んでいた。
円城了を見つけることができたのか否かは、次の小冊子に書いたと残されてあった。
二冊目の小冊子は丁寧に『まほろば骨董店』の店主に渡したと書かれていて、詳しい住所までもが記されていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
進入不可 その五 は如何でしたでしょうか。
楽しんで貰えたのなら、うれしいです。
会話中心となってしまいました。
明日も投稿予定としています。
よろしくお願いいたします。