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禁書読書  作者: アサクラ サトシ
第一章 進入不可
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進入不可 その四

進入不可 その四 です。


朝食のお時間です。

 しばらくの間、桜子ちゃんは僕が話しかけても返事すらしてくれなかった。怒っているわけではなくこれ以上、料理の失敗をしたくないからだと思いたい。甘い願望だとは僕だってわかっている。

 桜子ちゃんがキッチンに篭ってどれくらい経ったのかわからないけれど、一人残された身としては一分が十分、いやそれ以上の長さに感じられた。腕時計で時間経過を確認するのも憚られた。このままだと二度寝してしまうかもしれないと思い始めた頃、ようやく引き戸が開く音が耳に届いた。

 上半身をゆっくりと起こすと、桜子ちゃんが大きめの白い皿を両手に持っていた。

 変わらずベッドから動けない僕に対しては何も言わず、さらに見ようともせず、テーブルに持っていた二皿を置いて残りのおかずを取りにキッチンへ戻る。すると、電子レンジの音が聞こえた。冷凍食品でも使ったのかと思ったが、手にしていたお椀を見て納得した。白い湯気を上げたご飯だ。

 まとめ炊きをしてご飯を冷凍していたのか。

「ご飯の冷凍はしたことがないんだよね」

 感心している僕に桜子ちゃんが睨む。あれ、また何かを間違えたのか。

「ズボラで悪かったね。お兄ちゃんはご飯とか作らんし、かといって白い飯が食いたいとかいうけん、こうやって冷凍にしとーわね。本当は炊きたてほうが美味しいくらい知っとるわ」

 冷凍することが手抜きと思われたことに腹を立てたらしい。桜子ちゃんはテーブルの前にしゃがんでお椀を置いてまた立ち上がった。

「違うよ。僕は冷凍のご飯が悪いなんて言ってない。ご飯の冷凍ができないだよ」

「はいはい、どうせ冷凍なんて邪道だけんね。そう何度も言わんでもいいがね。腹立つわ」

「だから、誤解だって。僕の家には電子レンジがないからご飯の冷凍なんてしないんだ」

 桜子ちゃんの足がピタリと止まる。

「それ本気でゆっとる? 電子レンジだで? どうやって調理とかしとらいの。そんなんめっちゃ不便だがね」

「不便。不便といわれてもな」

「だって、井上さんって毎日お弁当作っとるんだが?」

「なんで知っているの?」

「それも、お兄ちゃんの置き手紙に」

 春生が行方をくらます前に桜子ちゃん宛に残していた書き置きか。僕の個人情報はどこまで漏洩されているのだろうか。というか、行方をくらますという書き置きのはずなのに、緊張感ゼロだ。あの男はとことんふざけているな。

 僕はうなだれながら、桜子ちゃんの問に答える。

「弁当のおかずは寝る前に作りおきを作って、冷蔵庫で保存できそうな常備菜とかも用意しているよ」

「なんそれ、完璧主婦だがね」

「それはもう、一人暮らしが長いから。知らない間に身についたというか。もう何の話をしていたのかわからなくなるから纏めるけど! 電子レンジがなくても料理はできるし、面倒なことはないよ。それに電子レンジがあったほうが便利なのもわかるし、それを使っている人を下にみたりとかしない」

「ほんに?」

 テーブルの前に座って、お椀に盛られた白いご飯を見ながら聞いてくる。伝わる気持ちは不安だった。これはある種のテレパシーみたいなものかもしれない。相手が思っていること考えていることなど詳しくはわからないけど、断片的な「想い」が伝わるというのは、精神的にきついものがある。

「本当だよ。それに」

 僕はベッドから降りて、四足で歩きながらテーブルの前でぺたりと座り込んで、良いされた朝食を眺めた。

「とても美味しそうだ」

 見事の一言につきる。卵焼きは綺麗に丸まっていて、みじん切りにされた万能ねぎが入っていて色鮮やかだ。箸休めの白菜の漬物に大粒の梅干し。主菜となる大きめの白い皿には短冊に切られた大根とほうれん草の煮浸し(上には白ごまがふりかけてある)で、見るからに美味しそうだ。食べなくてもわかる、絶対に美味い。そして、メインの魚は、アジだ。アジの開きが食べてくださいと言わんばかりに中身を晒している。これも美味しそう、と言いたいけれど桜子ちゃんのお皿にあるアジの開きと比べると所々、黒焦げているところがある。

「酷く焦げたところはちゃんととったけん。癌になる心配はないけんな。安心しんさいや」

 家庭の医学みたいなもので、焦げた所を食べると癌になるとかならないとか。

「なんだで。魚焦がしたんは井上さんが要らんこと言ったせいだけんな。だけん、そのアジは責任もって井上さんが食んさいや」

「わ、わかりました」

 お箸はご飯が盛られているお椀に置かれていた。箸置きはないようだが、そんなのなくたっていい。食べることができればいいのだ。

 今すぐにでも食べたかったが、口の中が気持ちが悪い。かと言って、歯ブラシを借りるわけにもいかない。

「洗面台はどこかな? せめて口を濯ぎたいんだ」

「しゃんもんキッチンで済ませばいいがね。ほら」

 動くこともままならない僕に桜子ちゃんが手を差し出してくれたので、お言葉に甘えた。

 牛の歩みでたどり着いたキッチンは、人が二人ぐらい立てるほどの広さがあって、シンクは大きくコンロは二口あるタイプだった。二つある内の一つのコンロに蓋をした手持ち鍋があった。

「ごめん。味噌汁わせとったわ。井上さん、はやうがいしんさい。その間に味噌汁用意しとーけん」

 桜子ちゃんは僕から離れて、食器棚から茶色いお椀ふたつを出して味噌汁を注いだ。

 いい匂いだ。

 僕が味噌汁の香りに感心していると桜子ちゃんが「ほら、呆けとらんで、さっさうがいしんさいや」

 僕は言われるがまま流し台にある水道の蛇口をひねって流れ出る水道水を両手ですくって口の中を洗った。

 部屋に戻る時、桜子ちゃんは一人で歩く僕を心配していたが、いつまでも甘えるわけにも行かないので一人で戻って元の席に付いた。

 遅れて両手に持った味噌汁をテーブルに置いて桜子ちゃんも僕の向かい側へと座る。

 ここまで徹底した和の朝食を食べるのは実家にいたころ以来だ。表情には出さないようにしているけど、心の中では小躍りをしている。

 こんな短時間で味噌汁までも作ったなんて驚きだ。彼女は僕の手料理も食べたいと言っていたけれど、ここまで完璧な朝食を作るような女の子に男の手料理なんて食べさせられない。

 テーブルに置かれた味噌汁からとてもいい匂いが鼻孔をついた。味噌の匂いを嗅ぎ取るだけで、日本人でよかったと思うし食欲が増す。もうウダウダと考えるのはやめて、食べよう。

 いただきますと言い直して、熱い味噌汁をすすると「はぁー」と美味しい溜息が漏れる。味噌の香りに包まれた口の中に一摘みした白いご飯を放り込む。さっきまで冷凍だったご飯とは思えないくらいお米の甘み広がる。

「おいしい! なにこれ、どこのお米なの?」

 普段、安い無洗米しか食べていない僕からすると、この美味しさは異常だった。

「お米は実家から送ってごさいに。おじいちゃんがお米作っちょらいて。奥出雲の仁多米っつーお米だで。ちゃんと精米機で精米しちょーけん、どこぞのスーパーで売っちょるお米とは二味くらい違うわ」

 奥出雲といわれても、いまいちピンとこない。島根県がどういう所なのかも想像すらできないので田んぼや畑がたくさんあるところかなといい加減に想像してみる。

「アジの開きも送ってごさいたやつだけん。食べてみんさいや。太平洋の魚も美味いかもしれんけど、日本海の魚も美味いで」

 僕は作ったり食べたりすることは好きだけれど、舌が肥えているわけじゃないから味の違いなんてわからないと思うけど、ひとまずアジに箸を入れて骨と身を綺麗に取り分けてほぐす。摘んだアジの身はほんのりと脂が残っていて、身はぷりっとしていて照りがある。

 口の中に入れて数回噛み締めただけなのに魚独特の旨味が溢れ出てくる。これは、白いご飯を急いで入れないと駄目だ。少量のほぐした身を口の中に放り込んだだけなのに、白いご飯が進む。多少焦げてはいたけれど、ほとんど気にならない。

 美味しい、魚ってこんなに美味しいなんて知らなかった。

「井上さんは美味しそうに食べらいね。作った甲斐があったわ。うちも食べーかな」

 桜子ちゃんも味噌汁をすすって、アジの開きを食べて、短冊切りにした大根を摘む。

 僕はというと、口直しに白菜の漬物を食べて、ふたたびアジを食べる、そして味噌汁。美味しいご飯を食べると、どうしてこんなにも幸せな気分になれるのだろう。昨日の出来事が嘘みたいに吹き飛んでいく。

「美味しい?」

 桜子ちゃんが箸を置いて僕に聞いてくる。

「美味しいよ。こんなに美味しい朝ごはん久しぶりに食べた。やっぱり手料理っていいよね。作った人の人柄とか、そういうの出てると思う」

「そんだったら、これも食べて」

 桜子ちゃんは僕の皿に盛られている黄色と不揃いの斑点模様をした卵焼きを指さした。

 アジの開きに伸ばしていた箸を卵焼きに軌道修正する。切り口のない卵焼きに箸を乗せると、箸先から伝わる柔らかな弾力。押し負けないように卵焼きを割ると中に閉じ込められていた万能ねぎの香りが拡散した。

 完全に食欲を取り戻した僕の胃が、食わせろと叫んでいるのがわかる。うっすらと焦げ目を付けている卵焼きを食べる。

 僕は思わず笑った。ははっと短く笑った。

これまで食べてきた卵焼きの中で最高の味だった。薄い塩味に万能ねぎの食感と香りがいい仕事をしている。

 お椀に盛られていた白いご飯は瞬く間になくなった。普段ならご飯とおかずの分量を見定めながら同時に食べつくすのに、おかずがまだ残っている。

「桜子ちゃん、おかわりしてもいいかな?」

「冷凍のご飯でもいいんかいな?」

 まだ根に持っているのか意地悪なことを言う。でも、それは嘘だとわかっている。僕にもっと食べてほしいと願っている。

「食べるよ。桜子ちゃんが作ったんだから、もっと食べたい」

「ちょい待っとってね」

 僕が手にしていた空のお椀を受け取る桜子ちゃんの頬はほんのりと赤くなっていた。

 二杯目のご飯と共に、残りのおかずを食べた。その合間に「美味しい、美味しい」と口ずさむと、合いの手を入れるように桜子ちゃんが「褒めすぎだで」とか「だんだん」と言って嬉しそうに微笑んだ。

 空になった食器にごちそうさまと頭を下げた。桜子ちゃんも食べ終えて自分の皿と僕の皿も同時に片付けてキッチンに入っていく。手伝うよと立ち上がろうとしたが、お腹が満たされすぎて立つことが億劫だった。

「井上さんはお客さんだけん。そこでジッとしときんしゃい」

 そのお言葉に甘えて動くことを放棄して朝食の余韻に浸った。

 食器を洗い終えた桜子ちゃんが部屋に戻ると、今度は両手に湯のみを持っていた。テーブルに置かれた二杯の湯のみはお茶で色は茶色かった。ほうじ茶だろうか。

「番茶だで。こっちの人はあんま飲まんかもしれんけど。食後にはちょうどいいけんな」

 ずずーっと音を立てながら桜子ちゃんがお茶を飲み始める。見た目は茶色くほうじ茶かと思ったけれど飲んでみて違いが分かった。香ばしくて飲みやすい。

「そんで、さっきの話」

「うん」

「呪いのこと」

「あー、唐突に言ってごめん。どのタイミングで言えばいいのかわからなくて。怒らせたら、ごめんね」

「いや、それはいいに。あんま良くないけど」

 困ったような、恥ずかしそうな、なんとも言えない表情をしながら桜子ちゃんは体をくねらせる。

「うちにも、わかるように教えてごさんか。今後、うちも気をつけて喋らんといけんような気がするけん」

 恥じらっていると視認できる言葉の文字が僕の体に染みこんでくる。

 わかるようにと言われても実際問題どのように説明していいのか僕もわからない。食事の支度をしている桜子ちゃんを怒らせてしまったが、あの告白で全てだと思っている。

 とりあえず、いま僕がどのように『見えている』のかを話したほうが良さそうだ。説明していく内に、この呪いについて理解を深めていくかもしれない。 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

進入不可 その四 いかがでしたでしょうか。

楽しんでもらえたら嬉しい限りです。


今回の回は、食事と会話がメインとなっているため、

物足りないかもしれません。


明日も投稿する予定です。


よろしくお願いします。

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