通路開放 その五
通路開放 その五 です。
よろしくお願いします。
話も纏まったので、僕は二人と別れて帰宅することにした。昨日とは逆で、今度は僕が見送られる立場になったのだけれど、高橋さんは最後まで「絶対に見つけてくださいよ」と念を押し続けた。
新宿にいた時間は三十分程度だったけれど、得られるものもあったし、なんだかんだいって楽しい時間を過ごせた。
ゴールデンウィーク前の僕だったら、仕事終わりに誰かと約束をして会ったりはしなかった。職場と自宅の往復、移動時間は読書、自宅にいてもやっぱり読書。休みの日もそんな感じだ。寂しい奴と言われればそれまでかもしれないけど、僕は僕なりにあの生活を楽しんでいた。学生時代の友人とはたまに連絡は取るけれど、お互いに社会人となったいまでは時間を見つけて遊ぶなんてことはしない。
もし、誰かと一緒に楽しい時間を共有する時間のことを、充実しているというのであれば、僕は該当していなかった。
学生時代から、社会人となった今でも言われることがある。一人で居ることは異常だとか、寂しくないのか、孤独が格好いいと勘違いしていないか、とかとか。悪いけれど、本人はそんなことを微塵も考えたことはない。僕は一人で過ごせる楽しみ方を知っている。孤独が格好いいとも思わないし、何より孤独だなんて思ったことがない。そう思うのは他人の主観であり、誰かと一緒に過ごさないと辛いと思うからだ。
そんな風に反論をしたら、やせ我慢だ、本当は寂しいくせに、などと弄られることもあった。どんなに話しても分かってくれないと諦めて、なるべく自分のプライベートは話さないようにしている。人間嫌いではなくて、自分一人でいる時間を優先したかった。朝起きてから、寝るまで大勢の人と話して、絡んですごくなんて息が詰まる。
小田急線の改札口を通り抜けると、急行電車待ちのホームには大勢の人が整列待機している。鮨詰め状態で帰りたくもないので、僕は各駅電車が停車している地下ホームに階段を使って降りる。
一人でいることは気が楽だ。
誰かの気を使わなくてもいい、自分の判断で何処だって行ける。何をしても、咎められることもない。僕は、つまり、協調性がほとんどないのだ。小さい頃から、野球やサッカーといった団体競技がどうしても苦手であり、また協力しあうというのが面倒だった。
それは成人を迎え、大人と呼ばれるようになった今でも根本は変わっていない。
階段を降りて、ホームに降り立つと二車線ある内の一車線はすでに各駅電車が止まっていた。最後尾はさすがに人が多かったけれど、先頭車両に向かえば向かうほど、空いている座席が目に留まる。
どの車両も角の座席には誰かが座っているけれど、座席シートの中央は空いている。僕はチノパンの後ろポケットに入れておいた文庫を取り出して、席に着く。
いま読んでいる小説は不倫を題材とした作品で、男女共に肉体面や精神面で浮気、不倫をしている人達が描かれていた。これも一つの誰かと繋がりを持ちたいという心の隙間が産んだ感情と行為なのだろう。
今一度、中途半端に考えていたことを再思考する。一人で居ること、そしてゴールデンウィーク以降の自分を見つめなおす。
そう、僕の根本は変わっていない。
誰もいないアパートに戻って風呂に入り、誰かと話をすることもなく、一人分の食事を作って、食べて片付けて、風呂に入り、一時間ほど読書をして寝るだけ。
退屈とも思わず、自分を変えようともしない日々でも良かった、はずなんだ。
ゴールデンウィークで小冊子を受け取り、桜子ちゃんと共に小さな冒険をしたことが、僕の内面に小さな変化を与えた。
少しずつだけど、僕は変わりつつある。一人の時間を楽しんでいる僕はまだいるけれど、視野と行動範囲を広げているのは間違いなかった。
僕が嬢指している車両はどんどん人が入ってきて、座るところはなくなり立っている人がちらほら出始めた。
一人でいる時間、誰かと居る時間、どちらが大切かなんて、ない。
どちらも大切でいいと、無理やり結論を付けて手にしていた文庫を開いて読みかけの所に視線を落とした。
次の休みまで普通に仕事をこなしていった。僕に掛けられている呪いもどきともようやく折り合いがつくようになった。正しくは使い方がわかってきたと言ったほうがいい。
掛けられた呪いを使うという表現は間違っているかもしれないけど、適切なはずだった。
切欠は天見さんから教えてもらった『意識してフキダシを見る』が出来るのなら『意識して見ない』ということも可能ではないかと予想した。
職場でも、道端でも感情的になっている人の近くに居ると受動的にフキダシはみえていたのだけれど『意識してフキダシを見ない』を行った所、見事に見えなくなった。
もちろん、すべてが見えなくなったわけじゃない。僕が意識するよりも強い感情がぶつけられると、フキダシが見えてしまった。これが他人と他人の言い争いならまだいいけれど、僕自身に向けられた言葉だともう駄目だった。
その日、自分でも考えられないような仕事中のミスをして動揺していたのもある。
本の支払いは現金払いの他に、図書カード、クレジット、電子マネーとあるのだが、僕が犯したミスはクレジットカードの本人確認によるサインのもらい忘れだった。
サインをもらい忘れると、クレジット会社から支払が無効とされてうちの書店に支払金がクレジット会社から貰えないのだ。つまり、お客はクレジット払いをしたと思っているのだけれど、その実はただで本を持っていったことになる。当然、サインを貰わなかった書店側のミスなのでお客に非はない。
このサインもらい忘れをクレジット会社に連絡し、再申請と書類を提出してようやくクレジット会社から支払金が貰えるという仕組みだ。この支払金をもらう手続きがかなり面倒で、責任者の店長がすべて受け持つことになる。
すべての処理を終えた後に待っていたのは店長からの叱責。僕は僕で店長に余計な仕事を増やしてしまった罪悪感、自分のミスに対する怒りでフキダシを見ない、なんて意識することなんて不可能だった。
フキダシは視認できるし、店長の感情を直接受け止めたので、気分は最悪で涙こそ流さなかったけれど心にくる負担は半端ではなかった。
失意のどん底に落ちたまま帰宅しても気分は優れず、熱いシャワーを浴びて食事も取らずに寝てしまった。
呪いもどきの実害を体感した日から二日後の日曜日。
相変わらず来客の少ない休日なのでレジに立っていても接客することもなく雑務処理が捗った。
バイトの雨野さんは休憩に入っているので店内に居るスタッフは僕と午後出勤でコミック担当の不動峰さんの二人だけ。
今日の売上を気にし始めていると、入り口から女性客が一人来店した。
普段通りの来客用の声で「いらっしゃいませ」と口に出してから女性客を改めてみると、桜子ちゃんで思わず驚いてしまった。
「井上さん、めっけ」
レジの前で立ち止まり桜子ちゃんが気さくに話しかけてくる。
一応勤務中だから私語はあまりできない。それに、彼女いない歴年齢の不動峰さんが、女の子と話している僕を見たら後で何を言われるか分からない。
「どうしたの?」
不動峰さんが近くにいないことを確認して小声で返事をする。
「ちょいと近くに寄ったけん、なにしとらいかなーって思ってな」
見れば分かる通り仕事中だ、とは言わない。そして、暇だということも言わない。
店内にある天井鏡で不動峰さんの位置を確認する。コミック文庫のコーナーで棚整理と品出しをしている。バレていないよな。
「どげした、きょろきょろさいて」
「仕事中だからあまり話せないからさ。あと三十分もしたら休憩なんだ。それまで待てる?」
「うん、適当に時間つぶしてくーわ。ごめんな。仕事中に。あとでなー」
拍子抜けするくらい素直に僕の要望を受け入れてくれた。桜子ちゃんのことだから、駄々を捏ねたりするのかと思っていた。さすがにそこまで子供ではないか。
「井上くんさ」
桜子ちゃんが立ち去って数秒と経たない内に、僕の隣には不動峰さんが立っていた。
「なんですか」
「さっきの子、うちの客じゃないよね。むしろ井上くん個人のお客だよね?」
この粘着した物の言い方。こうなると分かっていたから桜子ちゃんには店から出て行ってもらったのに。
「可愛い子だよね。あの子でしょ? 今月頭に井上くんを訪ねてきた女子高生って」
桜子ちゃんが失踪した兄、春生を探すため僕を探しにうちの店に来た日のことだ。たしか、あの日は不動峰さん、非番だったよな。スタッフ内で噂になるとは思っていたけど、まさか今頃、聞かれるとは予想外だ。
「名前はなんていうの?」
「石田さんです。えっと、僕の友人の妹さんでして。地方から出たばかりでないかと頼りにされているといいますか、なんといいますか」
「女子大生?」
条件反射みたいにそうですと答えてしまったけれど、なんでそこまで聞きたがるのだろう。
「ふーん、いいね。若い子と話せて、しかも仲良さそうだったよね?」
動揺したせいでまた意識するのを忘れてしまっていた。不動峰さんのフキダシとなった言葉に乗せられた感情が伝わる。
嫉妬と羨望と、小さな殺意がある。この程度で殺意はないだろ。
「紹介してよ」
「え?」
「だから、紹介してよ。同じ職場の人間ってことで俺を紹介してくれてもよくないかな」
不動峰さんの理屈が理解の範囲を超えた。
「別にあの子じゃなくてもいいよ。揉めたくないからさ。いくら上京したてでも大学の友達いるでしょう? その子でもいいからさ。なんなら合コンでもいいよ、俺、金ならあるし」
同じ書店員でもこの人は金だけは持っている。書店で得た給料は競馬や競艇に使い、そして勝っている。僕が小説を読むことが趣味だとしたら、この人はギャンブルで勝ち続けることが趣味なのだ。聞いた話では、ギャンブルで手に入れたあぶく銭は風俗に溶かしているとのこと。
「それで、紹介してくれるの? くれないの?」
職場の先輩ではあるけれど、ここまで高圧的に言われると腹が立つ。
「不動峰さんに紹介するような女性は居ません。さっさと仕事に戻ったらどうですか?」
強気な発言をしてしまったけれど、後悔はしてない。職場内でぎくしゃくはしたくないけれど、こんな男の為にストレスを感じることすら嫌だ。
不動峰は突然の暴言で口を開けたまま呆けていた。何を言われたのか自分なりに処理をしているのだろう。さて、怒り狂うか? もうそうなればそうなったらで無視を決め込んでやる。
「いや、無理だったらいいんだ。悪い」
そういって背中を丸めてコミック文庫のコーナーへと戻っていった。なるほど、実は気の弱い男だったわけだ。年齢だとか先輩後輩だとか、そこにこだわらず言うべきことを言えば良かった。
変なストレスとなりそうな男が立ち去ってから、休憩から上がった雨野さんとレジを代わる。
バックヤードでエプロンを脱ぎ、携帯電話を片手に店の外にでると、桜子ちゃんの携帯番号にコールボタンを押した。
最後まで読んで頂きありがとうござます。
通路開放 その五 は如何でしたでしょうか。
楽しんでもらえたのなら嬉しい限りです。
明日も投稿します。
よろしくお願いします。




