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禁書読書  作者: アサクラ サトシ
第一章 進入不可
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進入不可 その二

進入不可 その二 です。


よろしくお願いします。

 上野公園に設けられた小さなレジャー施設のベンチで、春生から受け取った小冊子をまじまじと眺めた。汚れも本の表題もない真新しく綺麗に製本されている。

「俺の手作りよりも綺麗な小冊子だろ。それを手に入れたから、俺は小冊子を作ろうと思ったんだ。中身はまったくの別物だけどな」

 春生は新たに煙草を取り出して口元に咥えると、フィルターの端を上下の前歯で軽く噛んだ。

「結局のところ、これはどんな本なんだ? 渡辺姉妹はこの本を手に入れるため、他人を犠牲にしてまで躍起になって求めていた。その理由は一体何なんだ?」

 三ヶ月前、本に書かれていた動物の絵を音読することで巨大動物を出現させることができた絵読術書。その特殊な本を所有していた渡辺依里子と由里子の双子の姉妹がいた。彼女たちは春生と中村千弦という女泥棒の手により絵読術書を失った。そして、巨大動物の事件から三ヶ月後になって、春生が手に入れた絵読術書とは異なる力をもった本を狙い僕と桜子ちゃんを付け狙っていた。

 幸い、春生と中村さんのおかげで渡辺姉妹を撃退することは出来たが、しかしこの本がどれだけ貴重で危険な物なのか、いまだにわからないままだ。

 中村さん曰く、春生が手に入れたこの小冊子は絵読術とは異なる本であり、また本を所有する人によっては災いをもたらす力を持っているという。

「その本に描かれている内容自体はただの物語だ」

 身の危険を体感してきたのに、与えられた解答があまりにも普通のことだったので怒るどころか拍子抜けしてしまった。そんな誰が書いたかわからない小説の為に僕は人として終わっていたかもしれないのだ。

「じゃあ、渡辺姉妹はなにか勘違いをしてこの本を奪おうとしたのか?」

 手にした小冊子を春生に見せつけながら問いただす。

「いいや、そうじゃない」

 春生はようやく口に咥えていた煙草に火を付けて煙を体内に染み込ませ、残りの煙を素早く吐き出した。

 そいつはな、と煙草を挟んだ指で小冊子をさした。

「読んだ人間を呪う本だ」

 呪われると分かっていて欲しがる渡辺姉妹もおかしいが、そんな本を僕に託そうとするこいつの考え方もおかしい。自分が危険な目に遭いたくないから、無関係の僕に呪われる本を託そうとした、とここまで考えて小さく笑った。

 いいや、違う。目の前にいる石田春生という男は確かに普通の人とは違った思考の持ち主だ。他人の厄介事に自ら首を突っ込んだ上に、状況が悪化してもそれを楽しむという稀有な悪癖を持っている。傍からみれば迷惑この上ない人物かも知れないけれど、これは本人が楽しむためであって他人が不幸になることを望んだりはしない。

 僕の手元にある呪われる本を再び眺めた。春生はこう考えたのだ。僕が呪われると分かっていても、この本を読むと踏んで託そうとした。

 自分が読むよりもきっと面白い結果が起こると。

「昨日までの僕だったらこの本は絶対に読まなかった」

「そうだろうな」

 春生は愉快に笑いながら煙草の煙を吐き出した。

 僕の日常は勤め先の書店で相手にもしたくない客に笑顔を向けて、店舗の売上を上げたとしても給料に反映されない職場にいた。金銭面での不満はあったが質素でも生活が出来たのは、本の中にある物語で満足してしまうような人間だったからだ。

 創作された物語の中で、僕は活字の中に描かれている登場人物たちに自己投影をして目の前にある日常を諦めていた。

 でも、それは昨日までの僕だ。

 目の前で起きている出来事を楽しめることが、いまの僕には出来る。こんな厄介なことにしかならないような本を、僕は受け取ってしまったのがその証拠だ。

「具体的にどんな呪いなんだ?」

「知らん。が、命を落としたり不幸のどん底に落とされるようなことはない。それは保証するってよ」

 春生の口ぶりだと、この読者を呪う本の著者ないし呪われたことがある人物を知っているようだ。具体的なことが言えない理由があるのなら聞かないほうがいい。自分が危険な目にあっても構わないのに回りにいる連中は義理堅く守るような男だ。人が死ぬような物を僕に渡すことは初めから考えてはいなかった。

「死なないからといって安心なんてするなよ? なんたって呪いは呪いだからな。私生活にどんな影響が出ても知らん。今なら、読まないという選択肢だってあるが、どうする?」

「今更引き下がろうなんて思ってもいない。望んで呪われるよ」

 僕の返答が気に入ったらしく春生は実に面白そうに、愉快に笑った。

「良い答えだ。色々と決意をしているみたいだが、安心しろ。この呪いを解く方法は簡単だ」

 僕は春生の続く言葉を遮って「それは」と口にする。

「小冊子を集めて読み終えること」

 春生は僕の言葉に面食らった様子で思わず指に挟んでいた煙草を落としてしまった。驚くというリアクションとしてとても明確でわかりやすいが、その仕草は古臭い。

「言い当てることが出来たのはお前の一言だ」

「何を?」

 本当に自分の発言には無自覚な奴だ。

「この小冊子を手に入れたから、お前は音読解読なる小説を描いてそれを小冊子にしたんだ。この小冊子の中身こそ違うが、やり方は同じ」

「水平思考の時は突飛な発想も出来なかったくせに。抜け目がないというか、揚げ足を取るというか、そういうところはよく気がつくんだよな」

 春生は火種を残している煙草を靴底で踏みつけて消した。チェーンスモーカーである春生なら続けて煙草を取り出すはずだが、そうしなかったのは真剣に話をする兆候の一つだ。春生と出会って数年経つが、僕なりに彼の癖に気づいている。

「もう一つの質問、なぜ渡辺姉妹がその本を求めていたのかだ。さきほど教えたとおり、あの姉妹も絵読術者の末裔であり、術者としても名家といわれている。実際、姉の渡辺依里子は術者としては歴代の中でも随一と言われるほどの才能と実力の持ち主だった。由里子も相当の腕だったそうだが、詳しくは調べていない。実力の差は別にして、二人が似ている点は双子以外にもうひとつ合った。傲慢と嫉妬の高さだ」

 ゆっくりと丁寧に説明してくれるのはありがたいのだが、話が長い。

 前置きを長くして本題を中々きりださないのも悪い癖だと知っている。急かしても人の意見を聞き入れないので黙って春生の話に耳を傾けた。

「音読解読にも軽く書いたが、あの二人は渡辺家から追放された。その理由は、歴代一の実力を持っているはずの依里子が自分と同年代の相手と勝負して負けたことが起因している。自分は誰よりも優れていると思っていた依里子は負けたことを恥じ、より強い力を求め、術書の乱用悪用により追放された」

「そして三ヶ月前、加藤家の術書と力の根源である術式原画さえも手に入れようとして、失敗に終わる。でも、この小冊子は術書ではなくて全く別の本なんだろう?」

「依里子はより強い力を求めているってな。その本には絵読術よりも強力な力が秘められている」

 呪いを掛けられることが、依里子が求めていた力に直結するというのならわかるけれど呪いとは負の方向に働きかけるものだと認識している。もしかすると、僕の知識にはない力の作用がある、のか?

 方向が違うのは僕が頭の中で巡らせている思考の方だ。

「井上ってさ。なにか物事を考える時って必ず口元を隠して視線を下に向けるよな。そんなに深く考えることはない。まぁ、俺がすぐに言わないのも悪いんだけどな」

「自覚しているのなら、早く言えよ」

 僕は慌てて口元を抑えていた手を下げて少しだけ刺のある口調で反論に転じた。自分の癖を他人に指摘されることほど恥ずかしいことはない。

「この小冊子で重要なのは呪いを解いた後に得られる報酬だ。渡辺依里子が欲していたのはまさにそれのことだ」

「呪いという負荷が報酬の対価となるわけか」

 報酬はもちろん、金銀財宝ではなく絵読術とは異なる力だ。絵読術書は確かに興味を持っていたけれど特殊な能力を持ちたくはない。十代の好奇心旺盛でこの先、なにが起こるのか楽しみにしていた子供の僕だったら違うかもしれないが、社会に出てしまった大人からすると、そのような特殊な力は邪魔にしかならない気がする。

 夢を見ることが子供の特権だとすれば、安定した生活を築くことが大人の役目だ。

「千弦もあの渡辺依里子も所有者という意味を履き違えていたようだが」

 何も言わない僕に春生が話しかけてきた。口元には煙草が咥えられている。

「所有者というのは本を所持しているという意味ではない。報酬を受け取った人間のことを指している。だから受け取らない自由もあるってことだ」

「それで、渡辺依里子が欲していた呪いを解いた後の報酬とは何だ?」

「俺が何のために回りくどい説明をしたと思っている」

 僕は空いていた左手で頭を掻いた。なるほどね、そういうことですか。

「報酬こそが今回のオチということになるわけか」

 物語を読む前にネタバレは厳禁だ。そうと分かれば後は小冊子を読んで呪われるだけか。身を持って体験しないといけないのは、随分な話だけれども。

「これは純粋な質問なのだけれど。この本を読めば誰でも呪いに掛かってしまうのか?」

「はじめに読んだ人間ただ一人だけしか呪わない。それに俺の小冊子と違って誰かが読んでしまうと、他人には小冊子の文章は白紙にしか見えないという使用だ。故に、その本の表題は『白紙双紙』だ」

 双紙は物語が書かれている本という意味だったはずだ。しかし、待てよ。そうなると矛盾というか、少しおかしな話になる。

「初めに読んだ人間だけしか読むことが出来ないということは、それこそ本の所有者となったということにならないか?」

 僕の素朴な疑問に春生は「ああー」と小さな感嘆の声を上げた。

「説明をするのならちゃんとこの本の仕組みを理解してから話してくれよ」

「うるせぇな。俺だって細かく聞いたわけじゃないんだよ。呪いと報酬を与えようとした作者とその本を作った製作者は別なんだから少しくらいの食い違いがあってもいいじゃねーか」

 そちらの都合を僕が知るわけもないのに、なぜか怒られてしまった。不条理な気もするけれど口論するつもりはない。

「呪われるのが僕だけになるなら良かった。この小冊子を読んで呪われたことを知ったら桜子ちゃんも読みかねないだろうからな」

「桜子がいたとしても意味はないし、俺も今回ばかりは協力の仕様がない。呪われるのも、またその呪いを解くのも井上自身の問題だ。ただ、その本を持っていることで何かしらの危険な目にあっても、それは井上が決めたことだ。後になって俺を恨むようなことはするなよ」

「僕だっていい大人だ。きっかけはお前でも読むと決めたのは僕だ。責任転嫁なんてしないよ」

 僕一人で片がつくのならそれでいい。桜子ちゃんにまで迷惑を掛けたくはないのだ。

 改めて、僕は白紙双紙という名の小冊子を眺めた。

 僕の視界には小冊子だけでなく、春生の姿も見える。春生は手にしていた短くなってフィルターまで焦がし始めた煙草を一瞥してから地面に落とした。

 それが、合図というわけでもないが小冊子を読む切欠とした。

 表紙を捲って表紙裏には何も書かれておらず、二ページには読者へ向けた文章が綴られていた。


『名も知らぬ読者へ。

 早速だが読者である君には呪いを掛けさせてもらった。

 君はこのページに書かれた文章を読み終わる頃、高熱を出して意識を失う。

 安心してくれ。命は奪われない。

 およそ三時間と経たない内に熱は下がり意識を取り戻す。

 目を覚まして間もなく、君は私が掛けた呪いに気付く。

 体感する。

 実感する。

 君は再びこの小冊子を読むことになる。

 なぜなら、君はこの文章を読み終えて気を失うのだから』


 すでに高熱を出していた僕は意識を保つ限界に達し、最後の一文を読み終えた直後に意識を失った。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

進入不可 その二 はいかがでしたでしょうか。

楽しんでいただけたのなら、嬉しい限りです。


明日も投稿予定です。

よろしくお願いいたします。

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