終章
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
主人公たちがアホすぎて、犯人が自分から名乗り出るという、超残念な解決編です。
終章
ひとり池田屋事件から、二週間後。
事件の噂があまり騒がれなくなり、ハムも犯人究明を諦めた頃。部室に控え目なノックの音が響いた。習慣のように、部長が答える。
「入っちょります」
「失礼します」
ドアの向こうから、可愛い声で返事が聞こえた。部長のボケに驚かなかったということは、二回以降の訪問者だろう。ドアを開けると、そこには目が大きくて、小柄で可愛らしい女の子が立っていた。部長とは違ったタイプの美少女で、セミロングヘアーが良く似合っている。
「ご相談ですか? それともコーロギ先生にご用ですか?」
「あのっ! ごめんなさい!」
ぼくの顔を見るなり、彼女はいきなり頭を下げてきた。突然のことで、思考が止まる。
「はぃ?」
「あの、これ、かやしします(あの、これ、お返しします)……」
彼女が差し出してきたのは、フランス語版の「ファーブルの昆虫記」第十巻だった。フランス語が読めた訳ではない。以前、甲斐さんから手渡された本と、全く同じものだったからだ。
「えっ? これ、貴女が?」
「えっと、あの、その、なんと言えばいいか……」
彼女はしどろもどろで、顔を真っ赤にして目の動きも落ち着かない。
「まぁとりあえず、中へどうぞ」
煮え切らない彼女に、中へ入るように案内した。人の顔を覚えられないぼくの代わりに、妹が教えてくれる。
「あれ? 前に、恋愛相談に来た子?」
「はい、そうです」
彼女は、大きく頷いた。
左胸には、岩切と書かれた名札がついている。名前と妹の説明で、思い出す。
「ああ、そうだ。確か告白したくても勇気がなくて出来ないと、言っていた女の子がいたな」
岩切さんは、妹が入れたココアを飲んで一息吐くと、後ろめたそうに口を開く。
「あの。わば突きあえて、本を盗んだのはわちですが(あの。貴方を突き落として、本を盗んだのは私です)」
「わねっ! あいやんば殺そうとした犯人は!(貴女だったのね! お兄ちゃんを殺そうとした犯人は!)」
「きゃーっ! ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」
怒り心頭の妹に、岩切さんは悲鳴を上げて、小さな身体をますます小さくして怯えてしまった。今にも跳びかからんとする妹の額を、軽くはたく。
「こらっ! せっかく自首しに来てくれたんだから、黙って聞けって」
「だってっ!」
「だって、じゃない! すみません、うちの妹が失礼しました」
慌てて謝ると、岩切さんは顔をこわばらせて、頭を何度も横に振った。
「ワリぃのはわちなんじゃかい、怒られて当然ですが(悪いのは私なんですから、怒られて当然です)」
岩切さんは大きくため息を吐くと、決心したように語り始める。
「実はあの本には、大学の生物学の研究員ばしよんなる、甲斐先輩へのラブレターば挟まっちょったとです(実はあの本には、大医学の生物学の研究員をしていらっしゃる甲斐先輩へのラブレターが挟まっていたんです)」
「はぁ? ラブレター? クリボーに?」
どこが良いの? と言わんばかりの口調で、部長は言った。それはいくらなんでも、甲斐さんに失礼だ。
「クリボー?」
首を傾げる岩切さんに、ごまかすように手を大きく横に振って、慌てて先をうながす。
「あー、いえいえ。お気になさらず、続けて下さいっ」
「あ、はい。甲斐先輩に渡したくて、本に挟んだとです(あ、はい。甲斐先輩に渡したくて、本に挟んだんです)」
そして岩切さんにとって、予想外のことが起きた。
「じゃけんど、気付いて貰えんでから。甲斐先輩はそんまま本ごと、わば渡してしもたとです(だけれど、気付いて貰えなくって。甲斐先輩はそのまま本ごと、貴方に渡してしまったんです)」
直接渡せないくらい臆病な彼女のことだ、相当焦ったに違いない。それより、その様子をずっと見ていたのか? ストーカー?
「どんげしょーかとオロオロしちょったら、階段にそいらしきもんば見つけたとです。そいでかい拾おうと思っちょったら、先にわば拾おうとしちょって(どうしようかとオロオロしていたら、階段にそれらしきものを見つけたんです。それで拾おうと思っていたら、先に貴方が拾おうとしていて)」
「そいで、突きあえたとかっ!(それで、突き落としたのかっ!)」
烈火のごとく妹が怒鳴りつけると、岩切さんは驚いて、手と首を何度も勢いよく横に振る。
「そいは違いますっ! もし読まれたらげんねかい、急いで駆けつけたとですっ。そしたら、勢いあまって……(それは違いますっ! もし読まれたら恥ずかしいから、急いで駆けつけたんですっ。そうしたら、勢いあまって……)」
ぼくにボディアタックをかまして、突き落としてしまったのか。
「びっくりして立ち尽くしよったら、科学部の扉が開いてから。こわなって、封筒ば拾って逃げたとです。でもそいは、封筒に入った図書カードで……(びっくりして立ち尽くしていたら、科学部の扉が開いて。怖くなって、封筒を拾って逃げたんです。でもそれは、封筒に入った図書カードで……)」
部長が聞いたところによると、甲斐さんは「図書カードは本に挟んだ」と、言っていたそうだ。そうか、手の平サイズの白いものの正体は、図書カードだったのか。
「そんうち騒ぎば、どんどんごたましなってしもてから。そしたら、こん部屋んドアば開いて、誰もおらんくなったっとです(そのうち騒ぎは、どんどん大きくなってしまって。そうしたら、この部屋のドアが開いて、誰もいなくなったんです)」
きっと騒ぎを聞きつけた妹と部長が、飛び出していったのだろう。そして無用心なことに、鍵も掛けずにいなくなった。緊急事態だったとはいえ、『昆虫記』以外のものが盗まれていたら、どうするんだ? といっても、ここに盗まれるような貴重品は何もない。というか、部長の私物がごちゃごちゃしていて、泥棒に入られても分からないかもしれない。むしろあまりに散らかっていて、泥棒もドン引きするかもしれない。
「誰もおらんうちに本ば回収して、ラブレターも無事戻ってきたっちゃけど。予想以上に、ことばごたましなり過ぎてから……(誰もいないうちに本を回収して、ラブレターも無事戻ってきたんだけど。予想以上に、ことが大きくなり過ぎて……)」
で、騒ぎが収まる今日まで返せなかった、というワケだろう。
「申し訳ありませんでした!」
岩切さんは立ち上がって、屈伸するくらい深く頭を下げた。あまりの仰々しさに驚いて、ぼくも立ち上がってしまう。
「いえいえ、ちゃんと本が返ってくればそれで良いんです。それに、白状して下さって良かった」
優しく笑みを浮かべながら許すと、岩切さんはついに声を上げて泣き出した。
「ご迷惑をお掛けして、すみませんでした! こんげらこつじゃったら、はよ謝りにくれば良かったですがーっ!(ご迷惑をお掛けして、すみませんでした! こんなことなら、早く謝りにくれば良かったですーっ!)」
岩切さんは泣きながら、何度も謝り続けた。その様子を見て、さすがに妹も拍子抜けしたようだ。気まずそうに黙って、そっぽを向いた。
「聞いて下さって、まっこつおおきんね。ラブレターは今度こそ、甲斐先輩に渡しますが(聞いて下さって、本当にありがとう。ラブレターは今度こそ、甲斐先輩に渡します)」
「はい。頑張って下さいね」
「はい……っ!」
岩切さんは鼻をすすりながらも、笑顔で帰っていった。小さく肩を竦めて笑いながら、彼女を見送った。ドアを閉めると、部長が呆れた口調で言う。
「まこぅちハタ迷惑な子じゃねぇ(本当にハタ迷惑な子ねぇ)」
「仕方がありませんよ。奥手な子なんでしょう」
苦笑交じりに言うと、部長は腕を組んで鼻で「はっ」と笑う。
「あたしじゃったら、ラブレターごた回りくどいことはせんね。直接『好きです!』って、言うた方がいいじゃろが(あたしだったら、ラブレターなんて回りくどいことはしないわね。直接『好きです!』って、言った方が良いじゃないの)」
「部長は、そうなんでしょうけど。さっきの彼女に、見習わせたいようですよ」
「そいにしてん、あいやんは人ば良すぎっがっ。怪我ば負わされたとに、わろて許すじゃなんて!(それにしても、お兄ちゃんは人が良すぎるわよっ。怪我を負わされたのに、笑って許すだなんて!)」
妹は相変わらず怒っているが、真相が分かって安心した様子だ。しかもあんな女の子が犯人で、悪気があってやった訳でもない。しかたないので、妹の頭を優しく撫でてやる。
「岩切さんには、色々と振り回されたけど、ぼくひとりが怪我した程度で済んで、良かったじゃないか。こうして、本も無事戻ってきたんだし」
「じゃけんど、あいやんが……(だけど、お兄ちゃんが……)」
妹はまだ腑に落ちない様子で、口の中で文句を呟いている。こうなると時間が掛かるので、放っておくことにした。
ことの真相に、笑いながら部長に話し掛ける。
「分かってみたら、大したことありませんでしたね」
「要は、手紙に気付かんでマリオに渡した、クリボーがワリかったっちゃろが(要は、手紙に気付かないで利夫に渡した、甲斐さんが悪かったんじゃない)」
部長が頬を膨らませながら言ったので、肩を竦めて苦笑する。
「それを言ったら、ラブレター作戦を提案したぼくが悪いですよ」
「あいやんは、ワリくねぇがっ!(お兄ちゃんは、悪くないっ!)」
すかさず、妹が口を挟んできた。ぼくは声を立てて笑いながら、続ける。
「つまり、誰も悪くなかったんだよ。おかしな偶然が重なったというだけで」
まさか、善因悪果を招く(ぜんいんあっかをまねく=良いことが原因で、悪い結果を招くの意味)とは、思わなかった。
「今後は、こういうことがないように、気を付けなければいけませんね。でも、何をどう気を付ければいいのか分からないんですよね。どうしたらいいんだろう?」
腕組みをしながら呟くと、部長が軽く肩を竦めて笑う。
「気を付けようがねぇがー、こんげらこつ。マリオはマリオんまんまでよか(気を付けようがないわよ、こんなこと。利夫は利夫のままで良いのよ)」
「そうですか?」
「お兄ちゃんは、そのままで充分」
「そっか」
ぼくらは、顔を見合わせて笑った。
ぼくは、人の役に立っているのだろうか。まだ、確信が持てていない。でも、誰かに「ありがとう」と言われたい。喜ぶ笑顔が見たい。ただ、それだけなんだ。お節介や、エゴかもしれないけれど。
最初は、人に言われて無理矢理やらされただけだった。でも今は、少なくとも自分の意思で相談員をやっている。いつか、これが天職になったらいいな、なんてちょっと贅沢だろうか。
そして今日もまた、ノックの音が聞こえる。
「入っちょります」
了
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
並びに、お疲れ様でした。
もし、不快な気持ちになられましたら、申し訳ございませんでした。