表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

第四章

ここまでついてきて下さった方、誠にありがとうございます。

ひとり池田屋事件後、病院で目覚めるところから、始まります。

 身体中が、疼くように痛い。痛みで目を覚ました。気を失う前に見たのとは違う、白い天井が見える。どうやら、まだ生きているようだ。

「痛っ」

 思わず痛みを訴えると、妹が顔を覗き込んでくる。妹の顔が鮮明に見えないのは、眼鏡をかけていないからだ。妹は、安堵のため息を吐く。

「お兄ちゃん、やっと気が付いた。良かったーっ!」

「あれ? ぼくは?」

「階段から落ちた。全身打撲と擦り傷、それに軽い脳震盪だって」

「ああ、そうだった。まさか、王道の階段落ちをすることになろうとは、思わなかったよ」

 起き上がろうとすると、妹がぼくの身体をベッドへ戻そうとする。

「まだ、無理しちゃダメ。気が付いても安静にさせなさいって、看護士さん言ってた」

「看護士? じゃあここは、病院か」

 あたりを見回すと、世界が白かった。部屋もベッドも、置いてあるほとんどが白一色だ。病院特有の臭いと、雰囲気が漂っている。窓が開いているのか、夕日に照らされて緋色に染まったカーテンは、風を張らんで揺れている。団体部屋の為、ぼくが寝ている分を含めてベッドが六つあり、それぞれ患者さんが横たわっていた。

 その中で一際目立っているのが、部長だった。病院に白衣は珍しくないが、金髪の長い髪と超絶美形は目を惹いた。部屋の入り口には、部長見たさに何人もの男性患者達が顔を覗かせている。

「おい、あっきおんの誰じゃー?(おい、あそこにいるのは誰だよ?)」

「芸能人じゃろか?(芸能人だろうか?)」

「うんにゃ、あんげ芸能人見たこつねぇが(いいや、あんな芸能人見たことない)」

「えれぇいい女じゃのー(凄く良い女だな)」

「いやぁ、わしゃあ、あっちの女ん子ん方が好みじゃが(いや、わしは、あちらの女の子の方が好みだ)」

「おいはあん子がええ(俺はあの子が良い)」

「僕もそん子がタイプじゃー(僕もその子がタイプだ)」

 あん子だの、そん子だの、誰が誰だか分からない。部長はそんな騒ぎを気にする様子もなく、パイプ椅子に腰掛けて綺麗な足を組んでいる。

「全く、意識不明ばいうから、心配したがよ。大体、なんしけ階段からあえたりしたと? 踏み外すごつ、急な階段じゃねぇじゃろが(全く、意識不明だっていうから、心配したじゃないの。大体、なんで階段から落ちたりしたのよ? 踏み外すような、急な階段じゃないでしょうに)」

 呆れた口調で言われて、思い出した。

「違う。誰かから、突き落とされたんだ」

「誰ね! そんげヒデぇこつするヤツばっ! 打ち所ばワリかったら、あいやんけしぬとこじゃったとぞっ!(誰よ! そんな酷いことをする人はっ! 打ち所が悪かったら、お兄ちゃんは死んでいたのよっ!)」

 ぼくの話を聞くなり、妹が怒りをあらわにした。妹は温厚なので、普段あまり怒らないのだが。家族が関わると、怒り、泣く。家族思いな優しい子だ。

 ちなみに妹は感情が高ぶると、ぼくを「あいやん」と呼び、方言丸出しになる。普段喋り方が不自然なのは、方言を使うのが恥ずかしいからだそうだ。まわりはみんな方言で喋っているのに、何を今更恥ずかしがる必要があるんだろう?

 妹を宥めるように、笑って見せる。

「誰って、後ろから突き飛ばされたから見てないよ」

「犯人ば分かったら、殺人罪で逮捕しちやる!(犯人が分かったら、殺人罪で逮捕してやる!)」

 妹は悔しそうに、奥歯を噛み締めた。そんな妹に呆れて、頭を撫でてやる。

「逮捕ってお前、警察官でもあるまいに。それにぼく、まだ死んでいないし。あ、そうだ。ベッドの頭の方、上げてくれるか? このままだと話しづらい」

「分かった」

 妹が、ベッドのリモコンを操作した。すると、ベッドの頭から腰までの部分が上に向かって傾斜し、斜め四十五度くらいの位置で止まった。おかげで、ふたりの顔が見やすくなった。眼鏡を掛けていないので、視界はぼんやりしているけど。

 何か面白いことでも思いついたのか、部長が笑みを浮かべながら言う。

「さしずめ、『ひとり池田屋事件』ゆうたとこじゃね(さしずめ『ひとり池田屋事件』といったところね)」

「『池田屋事件』って確か、新撰組が浪士を討った事件ですよね?」

「それとお兄ちゃんに、なんの関係が?」

 首をひねるぼくと妹に、部長は人差し指を立てて「ちっちっち」と、左右に振った。不敵な笑みを浮かべながら、部長は高らかに言う。

「分かってねぇね。『池田屋事件』ゆうたら、階段あえじゃが(分かってないわね。『池田屋事件』っていったら、階段落ちじゃないの)」

「なるほど、それで『ひとり池田屋事件』ですか。それで?」

「なんね?(何よ?)」

「その心は?」

 尋ねると、部長は何でもないような口調で答える。

「ねぇが(ないわよ)」

「分かっても、大した意味はないんですね。たぶん、言いたかっただけでしょう?」

「うん」

「うんって……」

 疲れている時に、部長とやりとりするのは正直とても辛い。深々とため息を吐いた後、部長に質問する。

「あれから、どれくらい時間が経ったんですか?」

「まる一日ってとこじゃね(まる一日ってところね)」

「そんなにっ?」

 それを聞いて、驚いて目を見開いた。

「別に昨日は、睡眠不足って訳でもなかったはずなのに。まぁ、相談客がたくさん来て、疲れてはいたけど」

 自分の身体を確認してみれば、包帯やガーゼだらけだ。幸い、骨折はしていないようだが。そういえば、さっき妹が「全身打撲と擦り傷、軽い脳震盪」って、言っていたな。

「ふたり共、ぼくの為に学校を休んだんですか?」

 はたと気が付いてぼくが問うと、部長は首を横に振りながら答える。

「んにゃ。授業はちゃんと出たが。でも部活は、マリオばおらんとどうもならんかい、休みにしたと(いいえ、授業はちゃんと出たわよ。でも部活は、利夫がいないとどうにもならないから、休みにしたの)」

「わたしも、そう」

 部長の横に座っている妹も、小さく頷いた。

「ああ、良かった。ぼくなんかの為に、学校を休ませてしまったら悪いですから」

 胸を撫で下ろすと、妹は顔をしかめて訴えてくる。

「全然良くないっ。お兄ちゃんのことが心配で、授業に身が入らなかった!」

 良く見れば、妹の目の下には黒々とした隈が出来ている。どうやら、ずいぶん心配をかけてしまったようだ。痛む腕をなんとか持ち上げて、妹の頭を撫でてやった。すると、妹の顔が益々悲しそうに歪んだ。

「ごめんな。今日はちゃんと、寝るんだぞ?」

 出来るだけ柔らかい口調で言い聞かせると、妹の目から涙が零れ落ちた。

 その時突然、騒がしかった病室の入り口が、一層騒がしくなる。

「なんしょっとか、わっどんー? みんな、自分んとこ戻りねのっ(何しているんだ、貴方達は? みんな、自分の病室へ戻りなさいっ)」

「ええーっ、こんくれぇいいじゃねけーっ!(ええーっ、このくらい良いじゃないかーっ!)」

「つまらーんっ」

「先生、ケチじゃー!(先生、ケチだー!)」

「つべこべ言わんと、はよ戻らんねっ(つべこべ言わずに、早く戻りなさいっ)」

 回診に来た中年の医師が、入り口に群がっていた男性患者達を追い払った。そうしてようやく、医師はぼくが目を覚ましたことに気付いたようだ。近付いてきて、ぼくの顔色を伺う。

「長木さん、気付かれましたか。気分はいかがですか? 気持ち悪かったり、吐き気はありませんか?」

「いえ。今のところは、特に」

「びんた打っちょりますけ、念の為MRI(磁気共鳴画像診断=身体を輪切りにレントゲン撮影する検査)ばしましょう(頭を打っていますから、念の為MRIをしましょう)」

「頭?」

 言われて頭を触ってみると、頭にはコブが出来ていて包帯が巻かれていた。額には、大きなガーゼが当てられているようだ。意識し出したら、鈍く痛み始めた。痛みに顔を歪ませると、妹が心配そうに声を掛けてくる。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「あ、うん、大丈夫大丈夫」

 妹を安心させるべく、無理矢理笑顔を作った。でもたぶん、引きつった笑みだったのだろう。妹は笑わなかった。

「なんも問題なければ、明日ん昼でん退院出来ますが(何も問題がなければ、明日の昼頃にでも退院出来ますよ)」

 ぼくらのやりとりを見ていた医師は、そう言って優しく微笑んだ。

 医師が立ち去った後、スピーカーから「蛍の光」が流れた。どうやら、面会時間の終了を告げているようだ。それにしても、閉店や終了を知らせる曲は、なんで「蛍の光」なんだろう? あれは学び舎や教師との、別れの歌のはずなのに。ぼくの予想としては、卒業式=終わりの連想によるものだと思う。

 最近では、卒業式で歌われる機会は少なくなった。実際にぼくも、小中学校の卒業式で歌うことはなかった。やっぱり、時代なんだろうな。

 部長が音楽に気が付いて、パイプ椅子から立ち上がる。

「もう終わりね? じゃああたしらはもういぬっかい、安静にしちょきね(もう終わりなの? じゃああたし達はもう帰るから、安静にしておきなさいね)」

「はい、お見舞いありがとうございました」

 ベッドの上から軽くお辞儀をすると、部長は軽く頷いて笑った。妹も後ろ髪を引かれる(思いが断ち切れない)様子で、ゆっくりと立ち上がる。

「お兄ちゃん、また明日も面会にくるから。何かあったら連絡して」

「分かった」

 軽く手を振って、二人を見送った。

 帰っていく部長と妹を見て、男性患者達が名残り惜しげに騒ぎ出す。

「ええ~っ、もういぬっとけ~?(ええ~っ、もう帰るのか~?)」

「アンタら、もちっとおらんね(君達、もうちょっといなよ)」

「こらっ、わっどん、ま~だこきにおったっとか! はよ部屋に戻らんねっ!(こらっ、貴方達、まだここにいたの! 早く病室に戻りなさいっ!)」

「すんませーん」

「分かりましたよ~」

 婦長らしい中年女性に怒られて、男性患者達は口々に文句を言いながら、自分の病室へと戻っていった。

「はは……。どこへ行っても、部長はモテるなぁ」

 そんな光景に、力なく笑うしかなかった。


 翌日。MRIの結果は、異常なし。退院が分かった時は、まだ授業中だったので、妹にはなんの連絡もしなかった。これを知ったら、妹は怒るかもしれない。

 無事退院し、その足で学校へ行った。学校の門を通る時、ちょうど昼休みのチャイムが鳴るところだった。授業から開放された生徒達の声で、学校中が一気に賑やかになる。騒がしい教室へ入ると、クラスメイト達がぼくに注目する。

「おっ、長木ばきよったぞ(おっ、長木が来たぞ)」

「ほんまじゃ(本当だ)」

「うわぁ、なんじゃそい。痛々しいが(うわぁ、なんだよそれ。痛々しいな)」

 包帯や絆創膏だらけのぼくの姿を見た女子達が、顔を歪めて悲鳴を上げた。

「いや~、もぞなぎ~っ(いや~、可哀想~っ)」

「聞いたがよ。突きあえされたんじゃってー?(聞いたわよ。突き落とされたんですって?)」

「大丈夫? 痛くねぇと?(大丈夫? 痛くないの?)」

「学校ごつもん、そんげ無理してこんでいいとぞ?(学校なんてものは、そんなに無理して来なくて良いんだぞ?)」

 クラスメイト達がぼくを取り囲み、次々と心配そうな声を掛けてきた。笑みを作って、答える。

「大丈夫だよ。打撲と擦り傷、脳震盪を起こしただけだから。脳検査の結果も、問題なかったし」

 ぼくの返事を聞いて、クラスメイト達は心底安心した表情を浮かべる。

「そうねぇ、良かったねぇー(そうなの、良かったわね)」

「昨日と今日のノートば取っちょるけぇ、かしたげるが(昨日と今日の分のノートを取っているから、貸してやるよ)」

「くれぐれも、無理せんでよ?(くれぐれも、無理しないでよ?)」

「うん、ありがとう。心配掛けてゴメン」

 安否が確認出来るやいなや、二年とも同じクラスになった黒木公子ことハムが、目を輝かせて質問してくる。

「そいでー? 犯人ば分からんとけー?(それで? 犯人は分からないの?)」

「いや。後ろからドンッ! だったから。何も見てないんだ」

 首を横に振りながら答えると、ハムは明らかに残念そうな顔をする。

「なんけー。じゃったら、なんの手掛かりにもならんじゃねけー(何よ。それだったら、何の手掛かりにもならないじゃないの)」

「そんなこと言ったって、しょうがないじゃないか」

 顔をしかめながら言うと、ハムは薄笑いを浮かべて、急に張り切りだした。

「よしっ! じゃったら、ワタシが犯人ば見つけて、カタキばとっちやるがー!(よしっ! だったら、ワタシが犯人を見つけて、仇をとってあげるわ!)」

「仇って、ぼくまだ死んでないし」

「そうとなったら、さっそく聞き込みじゃけー!(そうとなったら、さっそく聞き込みよ!)」

 言うが早いか、ハムはぼくの腕を掴んで歩き出す。必死に抵抗するものの、空しくそのまま引き摺られていく。

「おいっ、どこ行くんだよ?」

「ゆうたじゃねけー。聞き込みじゃが、聞き込み! ああ、いんまこそワタシの手腕が試されっ時じゃわーっ(言ったじゃない。聞き込みよ、聞き込み! ああ、今こそワタシの手腕が試される時だわっ)」

 まるで歌うような口調で、ハムが心底嬉しそうに言った。呆れて、ハムを見る。

「手腕って、なんだよ」

「いんままで観てきたサスペンスミステリードラマが、生かされっちゃがーっ!(今まで観てきたサスペンスミステリーが、生かされるのよっ!)」

「ドラマのように、いくかなぁ?」

 呆れてボヤくと、ハムは自信満々の笑みを向けてくる。

「大丈夫じゃが。ワタシに任せちょきー(大丈夫よ。ワタシに任せておきなさい)」

 ハムに手を引かれて、運動部兼理系部棟に着いた。ハムは通りすがりの生徒に、手当たり次第に声を掛け始める。

「こないだ、こん子が突きあえされたっちゃけど、なんか見ませんでしたかねー?(この間、この子が突き落とされたんだけど、何か見ませんでしたか?)」

 すると、生徒達は皆、一様に首を横に振る。

「オイが見た時には、もうあえた後じゃったね。人だかりが出来ちょったくらいしか、見ちょらんねぇ(オレが見た時には、もう落ちた後だったな。人だかりが出来ていたくらいしか、見ていないんだ)」

「ボクも、みんなばおごりよったんを、見かけただけじゃもん(ボクも、みんなが騒いでいたのを見ただけだよ)」

「アタシも人が集まっちょったから、なんかあったっちゃろかって思っただけじゃし(アタシも人が集まっていたから、何かあったんだろうかって思っただけだし)」

 その後、何人も聞き込みをしたが、大体似通った証言しか得られなかった。何ひとつはかどらない状況に、苛立ったハムが腕組みをして唸った。

「うーん。テレビドラマんごつ、いかんもんじゃねぇー(うーん。テレビドラマのようには、いかないものね)」

「まぁ、そりゃそうだろう」

 気のない返事をすると、ハムが不服そうに顔をしかめる。

「なんけー、まるで他人ごとみてぇな言い方じゃねけー(何よ、まるで他人ごとみたいな言い方じゃないの)」

「いや~。なんだかもう、どうでもよくなってきちゃって」

 頭を掻きながら苦笑すると、ハムが怒ってぼくの額にデコピンをかました。

「あいてっ!」

「いけんっ。そんげなあんべじゃ、正義ば貫けんぞ!(ダメよっ。そんな調子では、正義は貫けないわよ!)」

 ハムが意気揚々と足を踏み出した時、午後の始業チャイムが鳴り始めた。

「っと、ヤバッ! 授業が始まる!」

「急がなっ!(急がなくちゃっ!)」

 ぼくらは急いで、教室へ戻った。


 放課後、ハムがぼくに向かって両手を合わせて謝る。

「すまんねー、トシぃ。ワタシこん後バイトじゃけー(ごめんね、利夫。ワタシこの後バイトだから)」

「いいよ、別に。気にしないで行きなよ」

 苦笑しながら言うと、ハムは悔しそうに地団太を踏む。

「もうっ、しんきなよっ! こんげらこつなら、今日シフトなんこまんかったのにーっ! 続きは、また明日やろやー(もうっ、忌々しい! こんなことなら、今日はシフトを入れなかったのにっ! 続きは、明日やろうね)」 

「はいはい。また明日ね」

 正直面倒臭かったので、追っ払うように手を振った。そんなぼくを睨むと、ハムは忙しなく学校を後にした。ハムを見送った後、携帯電話を取り出して妹に電話を掛ける。妹は電話に出るなり、心配そうな声を出す。

『お兄ちゃん? 具合はどう?』

「もう大丈夫。今は退院して、学校に来てるんだ」

『えっ?』

 妹が虚を付かれたような声を出した。予想通りの反応をする妹に、思わず笑ってしまいそうになる。それを堪えて、もう一度繰り返す。

「だから、もう学校に来ているんだよ」

『なんで、退院する時に連絡しなかった?』

 妹の声のトーンが下がった。やっぱり、怒っている。取り繕うように、あえて明るい口調で言う。

「退院する時は、まだ授業中だったからさ。終わってから、連絡しようと思って」

『そんなこと気にしないで。電話してくれたら、すぐ迎えに行ったのに』

 妹の声が焦れた声に変わった。さっきから声の調子が何度も変わって、聞いている分には面白い。こんなこと言ったら、間違いなく怒るだろうけど。笑いを堪えていると、今度は心配そうな声色に変わる。

『そのまま帰る?』

「いや、部室へ行くつもりだ」

『大丈夫? 無理しないで』

「大丈夫だってば」

『じゃあ、部室で待ってる』

「うん、また後で」

 電話を切ると、いつも通り心理学研究部へ向かう。その途中、何人もの人に好奇の目で見られて、どうにも気まずい。昨日の事件が、相当広まっているようだ。まぁ実際、ぼくとハムが広めたようなものだけど。居たたたまれなくなって、部室へ逃げ込んだ。

「お兄ちゃんっ! 顔色悪い、大丈夫?」

 中へ入るなり、妹が駆け寄ってきた。昨日から妹は、いやに心配性だ。小さな子供の面倒を見るお母さんみたいで、どうにもこそばゆい。

「ああ、平気だ。ちょっと、人に見られて気まずか――」

「とにかく座って。なんだったら、横になってて。今、温かいもの用意するから」

 ぼくの言葉を遮って、あわただしく妹がミニ冷蔵庫を開けた。苦笑しながら、大人しくパイプ椅子に腰掛ける。

「はいはい、分かったよ」

 一方、いつものように椅子に深々と座り、机の上にしなやかな足を乗せた部長が、薄笑いを浮かべながら訊ねてくる。

「聞いたがよ、相棒と探偵ゴッコしちょるげなね(聞いたわよ、相棒と探偵ゴッコをしているそうじゃない)」

「一体、どこから情報を得たんですか?」

 驚いて聞き返すと、部長は楽しそうに笑いながら答える。

「そんげらこつ、どきでんいいじゃろが。そいでどうね? なんか掴めたっと?(そんなこと、どこでもいいじゃない。それでどうなの? 何か掴めたの?)」

 部長が話をうながしたので、苦笑しながら首を横に振る。

「いえ、全然。誰に訊いても『見た時には、落ちていた』の一点張りですよ。突き落とされる瞬間を見た人や、犯人を見た人はいないみたいです」

 部長は「ふーん」と、つまらなそうに言うと、何かを思い出すかのような表情で、顎に手をやりながら口を開く。

「そじゃねぇ。あたしんらが見た時も、あえた後じゃったね。外がほたゆなってから、出てったっかい。人だかりば出来ちょって、おごっちょったがよ。そんうち、誰かが呼んだ救急車ば来て、運ばれてったっと(そうねぇ。あたし達が見た時も、落ちた後だったわね。外が騒がしくなってから、出て行ったから。人だかりが出来ていて、大騒ぎだったわよ。そのうち、誰かが呼んだ救急車が来て、運ばれて行ったってところね)」

「大体、みんなと同じ証言ですね」

 軽くため息を吐くと、部長はぼくを指差す。

「そいで、マリオはどうね?(それで、利夫はどうなの?)」 

「ぼくですか?」

「あえた時の状況は、なんか覚えちょらんと?(落ちた時の状況は、何か覚えていないの?)」

 部長に訊かれて、初めて気が付く。

「そういえば、聞き込みにばかり気を取られていて、自分のことは疎かでした。うーんと、確かトイレに行った後部室に戻ろうとした時、階段に何かが落ちているのを見つけたんです」

「なんが?(何が?)」

「ええっと……」

 懸命に思い出そうと、考えをめぐらせる。が、思い出せない。目を伏せて、首を横に振る。

「分かりません。思い出せないんです」

「びんた打ったショックで、忘れてしもうたっちゃないと? 思い出せんのじゃったら、無理せんでいいとぞ?(頭を打ったショックで、忘れてしまったんじゃないの? 思い出せないのであれば、無理しなくていいのよ?)」

 部長がぼくをなだめる様に、優しい口調で言った。後頭部にあるたんこぶに触れると、鈍い痛みを感じる。部長が言うように、本当に忘れてしまったのだろうか? ん? いや、待てよ? そうだ! それを確認する前に、突き落とされたんだ。

「確か、白いものだったと思うんです。手の平サイズで長方形の」

「手ん平サイズで、長方形のシリぃもん? なんじゃろか? ハンカチじゃろか? そいとも財布?(手の平サイズで、長方形の白いもの? 何かしら? ハンカチかしら? それとも財布?)」

 部長は自分の手の平を見ながら、あれかもしれない、これかもしれないと、呟いている。状況を思い出しながら、口を開く。

「まぁとにかく、それを取ろうと屈んだ時、後ろから突き落とされたんです」

「犯人の狙いは、そいじゃったんじゃなかろか?(犯人の狙いは、それだったんじゃないかしら?)」

「その白いものですか? もしかしたら、誰かに拾われたらマズいものだったのかもしれませんね。例えば、煙草とかケイタイとか?」

「ヤクかんしれんよ?(麻薬かもしれないわよ?)」

 突然、物騒なものが出てきて、飛び上がりそうなほど驚く。

「ヤクって、そんなっ! ここは高校ですよっ?」

「いやぁ、分からんよ? 意外と身近んとこで、流しちょるって噂じゃし。粉じゃったらシリぃし、袋ん大きさじゃて手ん平サイズらしいがよ?(いえ、分からないわよ? 意外と身近なところで、流しているって噂だって聞くしね。粉だったら白いし、袋の大きさだって手の平サイズらしいわよ?)」

「ええっ? 本当ですかっ?」

「こん前なんか、夜中に駅前で売っちょんの見たし(この前なんか、夜中に駅前で売っているのを見たしね)」

 悪い笑みを浮かべた部長が、怖過ぎる。ムダに顔が整っているだけに、恐ろしい。背筋が寒くなるのを感じて、激しく首を横に振る。

「いやいや、勘弁して下さいっ。この手の話は一旦止めましょうよっ!」

「もしかすっと、マリオばあえた手掛かりかんしれんよ?(もしかすると、利夫が落とされた手掛かりかもしれないわよ?)」

「はい、お兄ちゃん。お待たせ」

 どうにか話を終わらせたいと思った時、ドアが閉まる音がした。そちらへ視線を向けると、妹からカップを手渡された。中には、温められた白い液体が入っている。うっすら白い膜が張っていて、懐かしい匂いがする。それを受け取って、首をひねる。

「ホットミルク? コーヒーでも、紅茶でもなく?」

「コーヒーや紅茶だと、カフェインが入っているから。ホットミルクなら、身体が温まって良く眠れる」

「まぁそうだけど。でもここには、電子レンジはなかったよな?」

「向かいの化学研究部で借りてきた」

「あ、そっか。ありがとな」

 そういえば科学研究部には、実験用の電子レンジがあるって聞いたことがある。電球を入れてプラズマを発生させたり、加熱による物質変化を観察するそうだ。

 考えてみれば、電子レンジってスゴいよな。電子を振動させることによって発生した摩擦熱で加熱するって、その発想がスゴい。実は、偶然の産物だったらしい。何かの実験をしていた時、たまたま研究員のポケットに入れていたチョコレートが溶けたことから、思い付いたのだとかなんとか。閑話休題。

「んだまー。ヨッシーったら、お母さんみてぇじゃね(あらまぁ。芳恵ったら、お母さんみたいじゃない)」

 部長は声を立てて笑った。ぼくも釣られて笑う。

「そうなんですよ。昨日からぼくにべったりで、スゴい心配性なんですよ」

 すると妹が、真剣そのものの顔と声で言う。

「じゃって、あいやんば殺されかけたっとぞ? どんげ心配したこつかっ! 授業休んで、ずっと一緒におりたかったくれぇじゃったがっ!(だって、お兄ちゃんが殺されかけたのよ? どれだけ心配したことかっ! 授業休んで、ずっと一緒にいたかったくらいなんだからっ!)」

 こいつ、ブラコンだったのか? お兄ちゃんは、お前の将来が心配です。

「そんなことくらいで休むなよ」

「あいやんは、自分ばどんげな状況じゃったか知らんから、そう言えっとよっ!(お兄ちゃんは、自分がどんな状況だったか知らないから、そう言えるのよっ!)」

「えっ? ぼく、そんなにヤバイ状況だったの?」

 妹の剣幕とその内容に驚きながら訊ねると、部長が面白そうに語り始める。

「そじゃねぇ。顔面蒼白で、瞳孔開いちょったね。ビンタ切って、顔中血塗れ。おまけに、ピクリとも動かんかったしね。しばらくすると、白目剥いてから。野次馬が、悲鳴上げちょったわ。いやー、あいはちょつとしたホラーじゃったね(そうねぇ。顔面蒼白で、瞳孔が開いていたわね。頭を切って、顔中血塗れ。おまけに、ピクリとも動かなかったしね。しばらくすると、白目剥いちゃって。野次馬が、悲鳴上げていたわよ。いやー、あれはちょっとしたホラーだったわ)」

 自分がそんな状況になっていたなんて、知らなかった。想像して恐ろしくなる。

「うっ、それは怖いですね」

「じゃろ? そいを見た時、心臓ばワシ掴みされたみてぇにいてなって。もしかしたら、あいやんはけしぬんじゃなかろかって。目の前が、真っ暗になったっとよ(でしょう? それを見た時、心臓をワシ掴みされたみたいに痛くなって。もしかしたら、お兄ちゃんは死ぬんじゃないかって。目の前が真っ暗になったのよ)」

 もし妹が同じ状況になったら、きっと自分も同じ気持ちになるだろう。胸が詰まって、うっすら涙まで浮かんできた。感極まって、辛そうな妹の頭を撫でる。

「心配掛けたね」

「でも大した怪我じゃなくて、本当に良かった」

 妹はぼくに胸にしがみ付いて、とうとう泣き出した。手を妹の背に回し、赤子をあやすように軽く叩く。

「ゴメンな」

「うん。だから、犯人探しなんて危ないことしないで欲しい」

「そうだな。これからは、自重するよ」

「でも、犯人が見つからんと、安心出来んね(でも、犯人が見つからないと、安心できないわね)」

 しんみりとした空気を打ち破ったのは、例によって部長だった。せっかくの感動シーンが、台無しだ。相変わらずのKY(空気読めない)っぷりだ。

 ぼくと妹は離れて、椅子に座る。少し冷めたホットミルクを飲みながら、一昨日あったことを思い出すことにした。

「ええっと。確か一昨日は、告白したくても勇気がない女の子が、相談に来たんでしたね。で、その次は、死にたいと言った不良みたいな女の子」

「けしにたがっちょったあん子、あいかいどんげしたっちゃろかい?(死にたがっていたあの子、あれからどうしたのかしら?)」

 珍しく真剣な面持ちで、部長が言った。部長も部長なりに、彼女のことが気になっていたようだ。目を伏せて、派手な格好をした彼女を思い出す。

「物騒な噂を聞かないところをみると、自殺をした訳ではないとは思いますけど……。生きていて欲しいですよね」

「彼女なら生きてる」

 妹がぼくを労わるように、微笑んできた。それを聞いて、驚いて目を見開く。

「えっ? 本当に?」

「うん。お兄ちゃんが、心配してると思って調べておいた。一年の教室を一通り探して、見つけた。毎日観察しているけど、ちゃんと登校している」

「よしっ、でかしたっ!」

「お兄ちゃんの役に立てて、良かった」

 妹の気配りが嬉しくて、思わず妹を抱きしめた。妹はぼくの腕の中で、嬉しそうに笑った。

「じゃあ、彼女は安心だな。えっと、その次に来たのは司書さんだったっけ?」

 間違いを訂正するように、妹が口を開く。

「違う。その前に『鼻』の話をしているところへ、失恋相談の人が来た」

「ああ、暑苦しいデカブツか。あのノロケっぷりと、彼女の口調をマネたと思われる女の子喋りは、正直気持ちが悪かったな」

 今思い出しただけでも、身の毛がよだつ。

 部長が足を机の上で組み替え、音を立てながらコーヒーをすする。

「そいかい司書ば来よって、マナーがワリぃ女の話ばしよったね(それから司書が来て、マナーが悪い女の話をしたわね)」

「それは、部長には言われたくありませんよ」

 ツッコむと、部長は意外そうな顔をする。

「なーんがよ。あたしは、図書館で煙草吸うたりせんよ?(何よ。あたしは、図書館で煙草を吸ったりしないわよ?)」

「マナーっていうのは、煙草のことばかりではありませんから。いや、今はそんなことはどうでもいいんですけどっ」

 少し顔をしかめつつ、唇を尖らせながら部長に言い聞かせた。妹は軽く肩を竦めると、続きを話し始める。

「司書さんの次には、部長のファンクラブが来た」

 それについて、補足。

「正確には部長に告白に来た人を、ファンクラブの会員達が連れ去ったんだよ」

「『女神井崎芽久美様を崇拝する紳士同盟』じゃが」

 さらに部長が、自慢するように補足した。苦笑しながら頷き、続ける。

「ああ、そうでしたね。で、その後、研究員の甲斐さんが書籍と論文を持ってきたんでしたね」

 その論文は部長からボロクソにけなされて、ダンボールの中へ放り込まれた。

 それを聞くなり、部長は手をひとつ打ち鳴らして、背もたれから身体を起こす。

「じゃがじゃが! クリボーが、ケイちゃんに本を持ってきてくれたっちゃが。どきやったっちゃろかい?(そうそう! 甲斐さんが、興梠先生に本を持ってきてくれたんだったわ。どこへやったかしら?)」

「ちゃんと管理しといて下さいよ、図書館の本なんですから」

 呆れて言うと、部長は「あれ~?」と、言いながら探している。数秒後。

「ねなったっちゃけど(なくなったんだけど)」

「ええっ? 昨日の今日で、もう失くしたんですか? しっかり探して下さいよ?」

 驚いて叱り付けると、部長は頬を膨らませる。

「まこぅち見つからんとよ。昨日は確かに、『こきに』あったっちゃけど(本当に見つからないのよ。昨日は確かに、『ここに』あったんだけど)」

「こきに」を強調ながら、部長は机の上を何度も叩いた。妹も頷く。

「昨日、お兄ちゃんがそこに置いた。その後は、誰も触ってない……。はず」

「そういえば、そうだった。開いてみたんだけど、読めなかったんだ。そして、ぼくがそこに置いた」

 それ以降、部長も妹も触っていないと言う。もちろん、ぼくも触っていない。まさか、本に足が生えて逃げていった、ということはないだろう。実際にあったら、怖いし。

「じゃったら犯人は、あん本目当てじゃったってことじゃっちゃろか?(だったら犯人は、あの本が目当てだったってことなのかしら?)」

「あいやんが本ば受け取るのを、犯人は見ちょったんじゃ! そいで本を奪う為に、あいやんばあえたっちゃがっ!(お兄ちゃんが本を受け取るのを、犯人は見ていたのよ! そして本を奪う為に、お兄ちゃんを突き落としたのよっ!)」

 妹の口調が、怒りで荒れた。妹をなだめながら、考えを口にする。

「犯人は、別にぼくじゃなくても良かったんじゃないかなぁ?」

「なんね、そい?(何よ、それ?)」

 部長が首を傾げたので、分かりやすく説明する。

「つまり、騒ぎさえ起こせれば良かったんです。自然と、そちらに目が行きますからね。もちろん犯人にとっては、ぼくが一番都合が良かったんでしょう。そしてその騒ぎに乗じて、本を盗み出したのだと思います」

「なんでお兄ちゃんじゃなくて、甲斐さん襲わなかった?」

 まるで「甲斐さんだったら良かったのに」と、言わんばかりの口振りだ。それじゃあ、甲斐さんが可哀想だ。部長も腕組みをしながら、小首を傾げる。

「クリボーじゃいかんかった理由って、なんじゃったっちゃろかい?(甲斐さんじゃダメだった理由って、何だったのかしら?)」

「タイミングかもしれません。甲斐さんが持っている時は、何か事情があって奪えなかったんです。そうこうしているうちに、本はぼくに渡ってしまいました。そして、ぼくがひとりになったところを見計らって、後ろからドーンッ!」

 ジェスチャーを交えながら、二人に説明した。すると、妹が苦虫を噛み潰したような顔をしながら呟く。

「そうまでして、欲しかった本って?」

「分からんが。本はもう、犯人の手に渡ったっちゃもん(分からないわよ。本はもう、犯人の手に渡ったんだもの)」

「いえ、確かめる方法ならありますよ」

 そう言って、ぼくは口元に笑みを浮かべた。

ここまでお読み下さった方、ありがとうございました。並びにお疲れ様でした。

もし、不快な気持ちになられましたら、申し訳ございません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ