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第二章

続きをお読み下さるという、寛大なお心をお持ちの方、誠にありがとうございます。

今回も、ゆる~い会話劇です。

が、ちょろっと事件の始まりが見えてきます。

 カバンから図書館で借りた資料とノートを取り出して、机に向かっていると、部長が物珍しそうに手元を覗き込んでくる。

「マリオ、なんやっちょっと?(利夫、何をやっているの?)」

「マリオじゃなくて、利夫ですってば。宿題ですよ、期限が近くて」

「へぇ、なん宿題ね?(へぇ、何の宿題なの?)」

「芥川龍之介」

「ああ、『銀河鉄道の夜』」

 それはギャグか、マジボケか。たぶん、後者の方だと思うので、渋々説明する。

「それは、宮沢賢治。芥川龍之介といったら、『蜘蛛の糸』『杜子春』『鼻』……」

「あ、『鼻』なら、この間現国(現代国語)で習った」

「ふぅん、どんげ話ね?(ふーん、どんな話なの?)」

 妹が明るく声を上げたので、部長は興味を持ったようだ。そこでふと思い出して、部長に訊ねる。

「あれ? 部長は、習わなかったんですか?」

「あたしんらが一年じゃった時んとは、教科書ちごちょるかい知らんと(あたし達が一年だった頃とは、教科書が違うから知らないの)」

「あ、なるほど。おいっ」

「OK」

 手の平を上に向けると、妹がその手を軽く叩いた。バトンタッチと、いったところだ。それを合図に、妹が語り始める。妹の話に耳を傾けながら、宿題を消化することにした。

「『禅智内供』って、名前の和尚さんが主人公。和尚さんは鼻がゾウみたいに長くて、それがいつも悩みの種だった。食事をするにも、小坊主に鼻を持ち上げてもらわなければならない」

「そら、のさんじゃろね(それは、つらいでしょうね)」

 部長はそれを想像したのか、少し顔をしかめた。妹は賛同するようにひとつ頷いて、続ける。

「ある時、小坊主のひとりが、とある医者から鼻を短くする方法を教わってきた」

「へぇ、切断でもしたと?(へぇ、切断でもしたの?)」

 部長はあからさまに顔をしかめて、自分の鼻を撫でた。妹は首を横に振り、楽しそうに続ける。

「切ったのではなく。その方法が、面白い。鼻を茹でて、踏む。踏まれて出てきた脂を毛抜きで抜いて、また茹でるを繰り返した」

「アチかったり、イテかったりうてなわんじゃろね(熱かったり、痛かったりしてどうしようもないでしょうね)」

「それは大丈夫だったみたい。そしてついに、普通の人と同じくらい鼻は短くなった。『これでもう、笑われずに済む』と、和尚さんは安心した」

 話が佳境へ入ったところで、部長はそれで話は終わりと思い込んだようだ。

「ふ~ん、じゃろね。そいで、めでたしめでたし?(ふ~ん、でしょうね。それで、めでたしめでたし?)」

「ところが――」

 妹が続きを話そうとしたところ、力強くノックする音が響いた。いや、ノックというよりパンチに近い。ドアを壊す気か。

「入っちょります(入っています)」

 例によって、また部長のしょうもないボケがかまされた。

「えっ、あっ。し、失礼しました!」

 慌てた男の声がすると同時に、ぼくはドアを開く。そこには、制服姿の大柄な少年が立っていた。彼に微笑み掛けながら、小さく頭を下げて謝る。

「すみません。今のはほんの軽いジョークなので、お気になさらず」

「は?」

「ご用件は?」

 少年は呆気に取られたような表情を浮かべたが、思い出したように口を開く。

「あ、ああ、そうそう。コーロギ先生ば、おんなさるね?(あ、ああ、そうそう。興梠先生は、いますか?)」

 前に述べた通り、コーロギ先生は職員室にはほとんどいない。大学では准教授並みの扱いなのに、研究室を持っていない。高校の職員だから、なくて当然だが。

 この部室にはたまにやってきて、息抜きにお茶を飲みに来ることがある。その為、先生に用がある場合、多くの者はここを訪ねる。

「あいにく本日は、講演会の為出張しています」

「そうねぇ、残念じゃねぇ(そうなのか、残念だなぁ)」

 言葉通り、少年は本当に残念そうな顔と声で言った。

「提出物か何か?」

「うんにゃ、相談に来たっちゃけど(いいえ、相談に来たのだけれど)」

「相談でしたら、ぼくがお受けしますよ」

「ええ? アンタが?」

 大きな体で、オーバーに驚く。彼を安心させるべく、穏やかに笑ってみせる。

「こう見えても、コーロギ先生公認の相談員なので」

「そうね? じゃったら、お願いすっかね(そうなのかい? だったら、お願いしようかな)」

「とりあえず、中へどうぞ」

 ドアを大きく開くと、少年は大きな体を小さくして中へ入って来た。

 制服の上からでも分かる、柔道かプロレスでもやっていそうな体格だ。制服が、若干きつそうに見える。たぶん、大きめに作ったのに、成長期を迎えて予想以上に背が伸びてしまったのだろう。

 左胸には「児玉こだま」と、書かれた名札がついている。児玉君が履いている上履きの色は、赤だ。ということは、ぼくと同じ二年生か。たぶん同じクラスではなかったと、思う。 

 ぼくが机に広げていた資料やレポート用紙を、妹が手早く避けながら児玉君に訊ねる。

「なんか飲みますか?」

「ココアばあっかね?(ココアはあるかな?)」

「ホットとアイスと、どちらにします?」

「えーっと、じゃアイスで」

「はい、少々お待ち下さい。お兄ちゃんは?」

 カップが空になったのを確認した妹が、ぼくにも笑顔で声を掛けてきた。

「モカがいいな」

「ん。分かった」

 すかざす、部長も気さくに要求する。

「ヨッシー、あたしんもコーヒーんおかわりばくれんね(芳恵、あたしにもコーヒーのおかわりをちょうだい)」

「はーい」

 三人分の注文を受けると、妹はカップを用意し始めた。児玉君は椅子に腰掛けると、体格に似合わず、小さな声で話し始める。

「実は昨日、彼女に別れ話を切り出されたっと(実は昨日、彼女に別れ話を切り出されたんだ)」

「それは、お気の毒に」

 相手の気持ちを汲んで、同情するように優しく応えた。

「おいのなんが、ワリかったっちゃろか?(俺の何が、悪かったんだろう?)」

「それだけではなんとも。もっと詳しく、彼女のことを聞いても良いですか?」

 聞くやいなや児玉君は急に元気になり、嬉々として話し始める。

「うんっ、いいよ! もう、一目惚れってもんじゃろか? とにかく彼女んことが好きで好きで、好きすぎてから。いつも見とれてしまうと。まこうちむじぃっちゃが。目なんかパッチリしちょって、そいかい……(うん、いいよ! もう、一目惚れってものだろうか? とにかく彼女のことが好きで好きで、好きすぎちゃって。いつも見とれてしまうんだ。本当に可愛いんだ。目なんかパッチリしていて、それから……)」

 しまったっ、ノロケが始まった! 恋をしている人間は、アバタも笑くぼというヤツで、なんでも良く見えてしまう。この手の話は、長いと相場が決まっている。

 そんなワケで、児玉君のノロケ話を延々聞かされることになった。部長は早々に他人の振りをきめこんで、コーヒーを飲みながら雑誌を読んでいる。ズルいなぁ。

 それから、約四十分後。児玉君は生き生きとしているが、ぼくはいい加減聞くのに疲れた。児玉君の前に置かれたアイスココアも、暑くもないのに氷が溶け切って、水とココアで上下に分離している。

 妹に手招きをして、入れ直すよう頼む。妹はグラスを下げながら、ぼくに耳打ちする。

「長くなりそう」

「うん……。もうぐったりだよ」

「大変だけど、頑張って」

 大きくため息混じりに弱音を吐くと、妹は同情するように苦笑した。そんなぼくらのやりとりも、児玉君は気付いた様子もない。児玉君はいかに彼女が可愛いか、どれだけ彼女を愛しているかを、語り続けた。

 二杯目の氷が溶け切った頃、ようやく本題が見えてくる。

「で、彼女がさ、急に『別れて欲しい』ゆうたっと。もうべらっしたー、もう目なんか真っ赤(で、彼女が、急に『別れて欲しい』って言ったんだ。もうさんざんだよ~、もう目なんか真っ赤)」

「なるほど」

 児玉君は身を乗り出し、こちらにアカンベーをして見せた。確かに目は充血し、赤く腫れ上がっている。そしてようやく、最初の質問に戻る。

「なんがワリかったっちゃろか?(何が悪かったんだろうか?)」

「そうですね。例えば、彼女の嫌がることをしたとか?」

「そいはねぇね。彼女んゆーことじゃったら、にごじゅうじゃったっかい(それはないよ。彼女の言うことなら、なんでも言う通りにしていたから)」

 そこで、頭の中で何かが閃いた。絡まっていた糸が、解ける感覚。でも、もう少しで解けそうなのに、何かもう一押し足りない気がする。真剣な顔で、児玉君に質問する。

「別れ話の件について、もう少し詳しく聞きたいんですが」

「詳しくって、どんげらこつば聞きてぇと?(詳しくって、どんなことが聞きたいんだい?)」

 言われてみれば、具体的ではない。考えながら、訊ねたいことをひと通り並べていく。

「ああ、えーっと、そうですね。別れ話を切り出された時間とか、場所とか、どんな状況だったとか、なんて言われたとか……」

「いっぺんに言わんでくんね、混乱すっじゃろが! う~んと、別れ話は昨夜九時頃じゃったね。場所はおいん部屋で(一度に言わないでくれよ、混乱するじゃないか! う~んと、別れ話は昨夜九時頃だったよ。場所は俺の部屋で)」

 夜九時に、ひとつの部屋に若い男女がふたりっきり。思わず、良からぬ想像をしてしまう。鼻息を荒くしながら、続きを促す。

「彼女が、部屋に来ていたのですか?」

「うんにゃ、おいんちに電話ば来たと(いや、俺の家に電話がかかって来たんだ)」

 なんだ、ガッカリ。いやいや、そうじゃない。気を取り直して、児玉君に確認する。

「電話で、別れ話をされたんですか? 普通、直接会ってすると思うんですけど」

「そいが『おうてゆうたら、泣いてしまうかんしれんし~』なんて、いじらしいこつばゆっちゃが(それが『会って言ったら、泣いちゃうかも知れないから~』なんて、いじらしいことを言うんだ)」

 また、ノロケか。どんだけ好きなんだか。それから、デカイ図体をした男が裏声でシナを作るな。正直気持ち悪い。と、思ったが、どうにか口や顔には出さずにやり過ごす。

「それで、なんて言われたんですか?」

「『付きおうてみたら、イメージとちごぅたから別れて欲しいと~(付き合ってみたら、想像と違ったから別れて欲しいの~)』」

 一気に全身の鳥肌が立って、虫唾が走った(不快でいたたまれなくなる)。

「だから、気持ち悪いから止めろって!」と、口に出しそうなところを、どうにか飲み込んだ。今度こそ、ぼくはドン引きした顔をしていたと思う。目の端で妹と部長の様子を盗み見ると、彼女達も顔をしかめていた。だが、児玉君は気付かなかったようだ。

 昨夜のことを思い出してか、児玉君は男泣きをする。それはそれで、気持ち悪い。

「良かったら使って」

「ああ、すまんね」

 堪りかねて、妹がボックスティッシュを差し出した。児玉君はティッシュを何枚も引き出して豪快に鼻をかみ、涙を拭きながら訴える。

「なんがワリかったっちゃろか? 彼女には出来るだけ優しく、紳士的に振舞っちょったのに~(何が悪かったんだろう? 彼女には出来るだけ優しく、紳士的に振舞っていたのに~)」

 その言葉を聞いた瞬間、頭の中の糸が一気に解ける。

「分かったっ。分かりましたよ!」

「え? なんが?(え? 何が?)」

「貴方の外見と態度が、食い違っていたからですよ。貴方は一見たくましくて男らしいですが、いざ付き合ってみたら紳士的で、なんでも笑って許してくれる。そこが、悪かったんです」

「ええーっ? そこーっ?」

 児玉君は意外そうな顔して、声を張り上げた。不敵な笑みを浮かべながら、児玉君に訊ねる。

「失礼ですが、児玉君は、本当は紳士的な性格ではないのではありませんか?」

「う、うん。まぁ。『女と付き合い始めてから変わった』って、友達はからかうが」

 児玉君は渋々と、語り始める。

「誰だってすいちょる人には、優しくしてあげてぇ。なんでん許して上げてぇって、思っじゃろが(誰だって好きな人には、優しくしてあげたい。なんでも許して上げたいって、思うじゃないか)」

「でも、それで貴方のアイデンティティーがなくなってしまっては、意味がないのではありませんか? もしかすると、彼女は『本当の貴方』が、好きなのかもしれません」

 笑顔で、諭すように言った。すると先程まで、他人の振りをきめこんでいた部長が、突然口を挟んでくる。

「そじゃねぇ。もし見た目は牛丼じゃとに、味はあんダゴんごつあめかったら、ガッカリすっちゃろ? 第一印象って、意外とあなどれんとよ(そうねぇ。もし見た目が牛丼なのに、味はあん団子みたいに甘かったら、ガッカリするでしょ? 第一印象って、意外とあなどれないわよ)」

「言いたいことは分かるけど、何故牛丼と団子?」

「たぶん部長のことだから、今食べたいものを並べてみただけだと思うよ」

 妹が首を傾げたので、ぼくは力なく苦笑した。

 ぼくらのやりとりを無視して、部長は薄笑いを浮かべながら続ける。

「確かに、付きおうちょる相手には、優しされてぇが。じゃけんど、その反面強さも求めっと。優しいだけじゃねーして、頼りがいのある強さもあって欲しい。尊敬出来る、なんかが欲しい。女ん子はワガママやっちゃが(確かに付き合っている相手には、優しくされたいわよ。だけど、その反面強さも求めるの。優しいだけじゃなくて、頼りがいのある強さもあって欲しい。尊敬出来る、何かが欲しい。女の子はワガママなのよ)」

 ぼくの薄っぺらな恋愛観とは違って、部長の言葉はなかなかどうして説得力がある。きっと、その美貌に群がってくる男達が、大勢いるのだろう。

 それを聞いた児玉君はうつむいて、大きくため息を吐く。

「は~ぁ。でも、昨日の今日じゃよ? 別れ話ばされたばっかりじゃとに、今更どんげしたらいっちゃろか(は~ぁ。でも、昨日の今日だよ? 別れ話をされたばかりなのに、今更どうしたら良いのだろうか)」

 弱音を吐く児玉君の肩を叩いて、勢い良く励ます。

「きっと、まだ間に合います! 『本当の自分を隠していてゴメン』と、謝れば良いんですよっ!」

「お、おおっ! ほじゃほじゃ! おいばまちごうちょったがっ!(お、おおっ! そうだそうだ! 俺が間違っていたよっ!)」

 児玉君は感激して立ち上がり、そのたくましい腕でぼくを力強く抱き締めた。

「うぐっ!」

 野郎が野郎を抱きしめる。絵的に暑苦しいことこの上ないし、実際ものすごく苦しい。もがくぼくを見て、部長が爆笑している。ひとごとだと思ってっ! 児玉君は加減を知らず、ますます力を込めてくる。

「鱗が目に入ったようじゃが! おおきんねっ!(鱗が目に入ったようだよ! ありがとうっ!)」

 それを言うなら、「目から鱗が落ちる(迷いが吹っ切れて、物事が良く見えるようになる)」だ。入ってどうするっ? コンタクトレンズかっ! と、ツッコミたいところだが、厚い胸板に押し付けられて言えない。

 引き剥がそうと必死に抵抗するが、びくともしない。それどころか、抱きしめる力は強くなる一方だ。身体のどこかで、骨が軋むような感覚。やめろーっ、マジで死ぬって! ギブギブッ! 誰か、タオルを投げてくれっ!

「あの、そろそろ放してくれる?」

 さすがに見かねた妹が、児玉君に声を掛けた。

「ああ、ワリかったね(ああ、悪かったね)」

「い、いえ。お役、ゴホッ、立てゲホッ、何より……」

 解放されると、急に息苦しさがなくなって大きくむせてしまった。

「あははははっ、まっこつおおきんねっ!(あはははっ、本当にありがとうっ!)」

 児玉君は豪快に笑いながら、ぼくの背中を力強く叩いた。

「ゲフッ! ゲホガホゴホッ! グゲグゥ……ッ!」

 おかげで一層むせてしまい、激しく咳込み過ぎて危うく吐きそうになった。慌てて妹が、ペットボトルに入った水を差し出してくる。むせるぼくの背中をさすりながら、妹が心配そうに顔を覗き込んでくる。

「お兄ちゃん、大丈夫? 顔真っ赤」

「ゴホッ、う、うん。ありがと……」

 水を飲んで何度か深呼吸すると、ようやく咳からくる吐き気が収まった。

「よーしっ! そいじゃひゃらひゃらーっと、彼女ばおうてくるがっ!(よーしっ! それじゃあ滞りなく、彼女に会ってくるよっ!)」

 景気付けに、分離したアイスココアを一気に飲み干した児玉君は、豪快に笑いながら上機嫌で帰っていった。あとには、濃いココアが沈殿したグラスだけが残った。

「なんじゃっちゃろかい、あん男はっ。ウゼろしい人じゃったがねぇ(なんだったのかしら、あの男はっ。うっとおしい人だったわねぇ)」

 呆れたような怒ったような口調で、部長は児玉君をそう評価した。部長は大きくひとつため息を吐くと、妹に訊ねる。

「ねぇヨッシー、なんかあめぇおやつねぇと?(ねぇ芳恵、何か甘いおやつはないかしら?)」

「ちょっと待って」

 踏み台に登り、妹が安物のステンレス棚の上に置いてある箱を下ろす。中には煎餅やクッキーなど、様々な菓子が入っている。何故棚の上にあるかというと、部長が勝手に食べないようにする為だ。部長は面倒臭がり屋なので、基本手の届かない場所にある物を食べることはない。食欲よりも、面倒の方が優位にあるからだ。

「お子様の手の届かないところへ置いて下さい」という注意書きが、まさか十八にもなる部長に向けられた言葉だとは思わなかった。

 何故そうしなければならないかというと、部長が菓子を食べ散らかすからだ。それを掃除するのは、大抵ぼくの役目だ。それを見かねた妹が、高い棚の上へ移動させたという訳だ。

「さっき、柿ピー(ピーナツ入り柿の種)食べていたじゃないですか」

「辛いもんくぅちょったら、あめもんくいてくなったちゃが(辛いものを食べていたら、甘いものが食べたくなったのよ)」

 呆れながら言うと、部長は踏ん反り返りながら答えた。小さくため息を吐きつつ、問う。

「偉そうに言うことじゃないですよ。そういえば、さっきあん団子がどうとか言っていましたよね。食べたかったんでしょう?」

「うん」

「お団子はなかったけど、どら焼きならあった」

 ひとつずつ個装になっている某菓子店のどら焼きを、妹が軽く掲げて見せた。それを見た部長が、僅かに顔をしかめる。

「え~っ、ねぇとー? まぁうてなわんかい、そいでいいが(え~っ、ないの? まぁしかたがないから、それで良いわ)」

 部長は文句を言いながらも、手渡されたどら焼きを嬉しそうに食べ始める。

「お兄ちゃんもいる?」

「うん、食べる」

 ぼくも妹も小腹が空いていたので、一緒に食べることにした。きつね色に焼かれたほんのり甘いスポンジと、照り良く煮詰められたつぶあんが程好く甘くて美味しい。

「じゃあ、これ」

 妹が気を利かせて、湯飲みに梅昆布茶を入れてくれた。昆布の塩気と風味、梅の芳香とほのかな酸味が、どら焼きの甘さを引き立ててくれる。やっぱり和菓子には、緑茶か梅昆布茶が合うな。

 どら焼きを美味そうかじりながら、部長が訊ねてくる。

「そいでアレば、どんげなったっと?(それでアレは、どうなったの?)」

「『アレ』って?」

「ほれ、鼻ばみじけくなったぼんさん話(ほら、鼻が短くなった和尚さんの話)」

 児玉君が来る直前まで、妹が話していた「芥川龍之介」の「鼻」の話だ。菓子入れの箱を棚の上へ戻しながら、妹は部長に問う。

「どこまで話したっけ?」

「『無事鼻は短くなりました、めでたしめでたし。ところが』」

 部長がアバウトにあらすじを言うと、妹は小さく頷いて続きを話し始める。

「あ、はい。ところが、鼻が短くなって安心していると、参拝客や小坊主達が和尚さんを見て、くすくすと笑う」

「なんしけ? 鼻ばみじけなったっちゃろが?(なんでよ、鼻は短くなったんでしょう?)」

 途端、部長が不満げな声を上げたので、妹は簡単に解説する。

「今まで長かったものが急に短くなったから、かえっておかしくなった」

「ふ~ん、皮肉なもんじゃね(ふ~ん、皮肉なもんね)」

 部長は腕組みをしながら、頷いた。先程片付けられた資料を、手元へ移動させながら補足説明をする。

「そう、芥川龍之介が言いたかったのは、そこなんです。急に変わったから、不自然になった。だから、みんなが笑ったんです。さっきの彼が、友達にからかわれたようにね」

「へぇー。そいで、おわり?」

 感心しながら部長が小首を傾げると、妹は軽く首を横に振る。

「まだ続きがある。しばらくすると、鼻は元に戻ってしまう」

「なんかそら! 一時的にみじけなっただけねっ? そん藪医者、くらすっどっ!(何よそれ! 一時的に短くなっただけだったのっ? その藪医者、折檻しなくちゃっ!)」

 憤慨する部長を、妹が「まぁまぁ」と、なだめて続ける。

「でも、元の長い鼻に戻って、和尚さんは安心した。『これでもう、笑われずに済む』そこで、おしまい」

「なるほど、二段オチってヤツじゃね(なるほど。二段オチというヤツね)」

 納得して何度も頷く部長に、ぼくは少々興奮気味に語り始める。

「ここが、芥川龍之介のスゴいところですっ。話の中に、メッセージが隠されているんです。短編だからこそ伝わる、愛情や皮肉、警告、やるせなさ。彼は天才なんですよ!」

「ふーん、おもしりぃね。ほかには?(ふ~ん、面白いわね。ほかには?)」

 読書をほとんどしない部長が、興味深げに催促した。まぁ、彼女のことだ。自分で読むのが面倒臭いから、ぼくらからあらすじだけ聞こうという腹だろう。好きなものを語るだけだから、ぼくの方は一向に構わないけど。

「そうですね、ほかには――」

 梅昆布茶の後はコーヒーを淹れて貰い、思いを巡らせながら、図書館の本に目を落とした時。またしても、ドアをノックする音に遮られてしまった。

「入っちょります(入っています)」

「はいはい、出ればいいんでしょう?」

 例によって、部長がしょうもないボケをかますので、慌ててドアに駆け寄った。ドアを開けると、薄化粧で私服の女性が立っていた。小さな眼鏡を掛けていて、長い髪を三つ編みにしている。年齢は、三十代中頃だろうか。

「あの、今のは?」

 驚いた様子で瞬きをする女性に、営業スマイルで笑い掛ける。

「お気になさらず。それで、何かご用でしょうか?」

「あ、はい。ええっと、コーロギ先生ばおんなさるね?(あ、はい。ええっと、興梠先生はいますか?)」

「生憎、不在です。ご用件だけなら、ぼくがお受けします」

 穏やかな口調で答えると、女性は小さくため息を吐く。

「実はちょつ相談ばあって、来たっちゃけど……(実はちょっとした相談があって、来たのだけど……)」

「相談なら、ぼくが乗りますよ」

「わがね?(貴方が?)」

 女性は、驚いたように目を瞬かせた。女性を安心させるべく、出来るだけ優しく微笑んで見せる。

「はい。こう見えても、コーロギ先生公認の相談員ですので」

「そうなんですか? じゃったら、お願いします」

「中へどうぞ」

 女性が頷いたので、ドアを大きく開いて、部室へ招き入れた。

「なんか飲まれますか?」

 妹が訊ねると、女性はぼくが飲んでいたコーヒーを見て「コーヒーを」と、控えめに答えた。

「それで、ご相談とは?」

「あのぅ、わっどん、図書館って来たこつありますかね?(あのぅ、貴方達は、図書室に来たことはありますか?)」

「はい、何度も」

 図書館の光景を思い出す。九州大学付属中央図書館は、かなり広い。地下一階を含めて、四階分もある。貸し出しカウンターでは、司書が書籍を貸し出ししたり、返却された本を管理したりしていた。女性も、司書なのかな?

 数え切れないくらい、頻繁に図書館を利用しているにも関わらず、ぼくは司書の顔をほとんど覚えていない。基本的に、人の顔を覚えるのは苦手だ。

「禁煙じゃて、知っちょりますかね?(禁煙だって、知っていますか?)」

「そりゃ、図書館というくらいですから、当然でしょう?」

「ええ、その通りですが(ええ、その通りです)」

 司書さんは、苦虫を噛み潰したような口調で言った。そういえばあそこは、図書館であるにも関わらず、何故かヤニの臭いがしていた。壁には、「百害あって一利なし」といった、禁煙をうながすポスターが貼られていた。場違いにも程がある。

「みんな守らなくて、困っているんですか?」

「んにゃ、ひとりだけ。女性職員のひとりがチェーンスモーカーで、何度も注意しちょんのに、平然と吸っちょっとですよっ(いえ、ひとりだけ。女性職員がチェーンスモーカーで、何度も注意しているのに、平然と吸っているんですよっ)」

 司書さんはその女を思い出してか、怒りを露わにした。

「マナーんワリぃ女じゃね(マナーの悪い女ね)」

 部長は机の上に足をのせ、音を立ててココアをすすりながら、不愉快そうに言った。マナーの良し悪しを、部長にだけは言われたくない。

「館長には、相談されなかったんですか?」

「しても、ダメじゃったとです。なんでん理事長の奥様じゃとかで、誰も指図出来んとです(しても、ダメだったんです。なんでも理事長の奥様だとかで、誰も指図出来ないんです)」

「そんな漫画みたいなことが、実際にある? どうぞ、コーヒーです」

「あ、おーきんね(ああ、ありがとう)」

 司書さんの前にコーヒーカップを置きながら、妹は呆れ顔で呟いた。司書さんはため息を吐いて、淹れたてのコーヒーを冷ましながら飲むと、話を続ける。

「職員ん中には、しゃっち我慢出来んでから、止めろと直接ゆうた人も、おったっちゃけど。そん人は辞めさせられてしまったとです(職員の中には、どうしても我慢出来なくて、止めろと直接言った人も、いたんですけど。その人は辞めさせられたのです)」

「『ウゼろしいから辞めさせてくんね』でん、チクったっちゃねーと? まこうちわがままん女じゃね(『ウザいから辞めさせてちょうだい』とでも、告げ口したんじゃないの? 本当にわがままな女ね)」

 部長が長いワンレンを梳きながら、芝居がかった口調で言った。

 ぼくは、開いた口が塞がらなかった。まさに「小説よりも奇なり(世間の実際の出来事は、作り物の小説よりもはるかに複雑怪奇なことが多い)」だ。

 司書さんは、忌々しそうに続ける。

「そん後もあん人ば、平気な顔してから、煙草ば吹かしちょりました。職員一同、あん人に怒り心頭じゃとです。暴動でん、起こしかねねぇ勢いですが(その後もあの人は、平気な顔をして、煙草を吹かしていました。職員一同、あの人に怒り心頭なんです。暴動でも、起こしかねない勢いですよ)」

「暴動って、そんな物騒な……」

 顔を引きつらせてぼくが呟くと、司書さんは真剣な面持ちで声を荒げる。

「みんな本気じゃっちゃがっ。そいにうち、喘息持ちじゃかい、仕事にならんとですよっ!(みんな本気なんだからっ。それに私、喘息持ちなので、仕事にならないのですよっ!)」

 たかが煙草、されど煙草。事態はなかなか深刻のようだ。たったひとりの身勝手な者の為に、職員全員が迷惑をこうむっている。かくいうぼくも、煙草の臭いと煙は嫌いだ。恐らく、図書館利用者も同じ気持ちだろう。

 司書さんは大きくため息を吐いて、コーヒーを一口飲んで続ける。

「なんとかならんですかね?(なんとかなりませんか?)」

「うーん、そうですねぇ。大学の図書館といえば、学生達の学び舎も同然。利用者も、かなりいるはずですよね?」

「ええ、もちろん。学生さんや、一般の方々も大勢来ちょりますが(はい、もちろん。学生さんや、一般の方々も大勢来ています)」

 それを聞いて、頭の中で何かが閃いた。絡まっていた糸が、解ける感覚。表情を緩めて、提案する。

「その旨を日教組(日本教職員組合)に掛け合えば、何かしら手を取るんじゃないかと、思います。それまで暴動を起こすのは、待ってもらえませんか?」

「じゃね。日教組へ、掛けおうてみますが(そうね。日本教職員組合へ、掛け合ってみます)」

 コーヒーを飲み干した司書さんの表情は、来た時よりいくぶん明るくなったようだ。強張っていた頬が緩んで、笑みすら浮かべている。司書さんは、立ち上がってお辞儀をする。

「聞いちくれて、おおきんね。気持ちばちょつ楽になりましたが(聞いてくれて、ありがとう。気持ちが少し楽になりました)」

「お役に立てたなら、何よりです」

 笑みを浮かべて立ち上がると、先に立ってドアを開けた。立ち去る直前、司書さんはためらいがちに言葉を発する。

「あの」

「はい?」

「また、来てもいいですかね?(また、来てもいいですか?)」

「ハイっ、喜んでっ!」

 どこかの店員のような明るい調子で言うと、司書さんは笑って肩を竦めた。そして、もう一度お辞儀をしてから立ち去った。

 ドアを閉めると、妹が労をねぎらうように話し掛けてくる。

「お疲れ、お兄ちゃん」

「ああ、なんか今日は相談者が多くて、ちょっと疲れた」

「甘い物でも入れる?」

「うん、頼むよ」

 妹が、空のカップを回収する。ため息を吐いて、深々と椅子に腰掛けた。

 それにしても、今日は本当に相談客が多い。いつもは多くても三人くらい、来ない日は誰も来ない。にも関わらず、今日は珍しく、立て続けに四人も来ている。

「それにしても、図書館で煙草を吸うなんて、違反もはなはだしいですねっ!」

 先ほどの件で憤慨しながら言うと、妹も同意して頷く。

「図書館ほど、引火したらただじゃすまない」

「じゃろねぇ。紙ばっか集めた場所じゃかい、景気良く燃えっちゃろね(そうでしょうねぇ。紙を集めた場所だけに、景気良く燃えるでしょうね)」

「景気良く燃えるって、そんな物騒なこと言わないで下さいよっ」

 ぼくの大好きな図書館が大火事に。想像したら、背筋が寒くなった。すると部長が、足を組み替えながら少し顔をしかめる。

「大体、紙で保管しちょんのがワリぃと思うがよ(大体、紙で保管していることが悪いと思うけど)」

「どういう意味ですか?」

「なんでんデータ化の時代じゃとに、時代遅れと思っとよ(なんでもデータの時代なのに、時代遅れだと思うのよ)」

「つまり、本を全てデータ化しろと?」

 首を傾げつつ訊ねると、部長はぼくを指差しながら大きく頷く。

「じゃが。本なんて、いかにも破けたり、燃えたりしそうなもんじゃろが(そうよ。本なんて、いかにも破けたり、燃えたりしそうなもんじゃないの)」

「まぁ、そうですけど」

 渋々頷くと、鬼の首を取ったように(手柄を立てたかのように、得意になる)、部長は続ける。

「じゃったら、かっとしデータ化して、メモリにあえた方がいいと思っがよ。そんげすれば、あんげごたましー建てむんもいらんし、管理もラクになっが(だったら、全部データ化して、メモリーに落とした方が良いと思うわ。そうすれば、あんな大きな建物もいらないし、管理もラクになるわよ)」

「それ、テレビで見たことある。本をバラしてスキャナーに読み込ませて、データとして本を売るってやつ」

 妹が頷きながら言うと、部長も唇に笑みを乗せて何度か頷く。

「そんげしたら、重い思いせんでも、ア○パッドでん、ケータイでん、手軽に持ち運べるってもんじゃろが(そうしたら、重い思いしなくても、ア○パッドでも、携帯電話でも、手軽に持ち運べるってものじゃない)」

「まぁ、言ってことに筋は通っているし、もっともな話なんですけど。ぼくは断然、本派です」

「なんしけ?(なんでよ?)」

「本の厚みでその本の長さを知り、次はどうなるんだろうとページをめくる時のドキドキ感。紙の感触を確かめ、インクの匂いを嗅ぎながら読むのが、良いんじゃないですか」

 うっとりしながら本の魅力を語ると、部長は呆れた様子で大きなため息を吐く。

「もはやマリオは、オタクん域じゃね(もはや利夫は、オタクの域ね)」

「お兄ちゃんの部屋は、本だらけ」

 妹もおかしそうに笑ったので、ぼくは反論する。

「本オタクで、何が悪いんですか? アニメオタクやアイドルオタクよりは、よっぽどマシだと思いますけどっ?」

「オタクは、オタクじゃが(オタクは、オタクよ)」

「まぁ、そうですけど」

 五十歩百歩、どんぐりの背比べ(どちらも、さほどかわらないこと)と、いったところか。渋々と引き下がると、妹がぼくをかばうように発言する。

「でも、世の中はオタクだらけだと思う。オタクがいなかったら、今の生活はない」

「ま、そいも一利あるが。いんまやオタクが世界を回しちょっとゆうてん、過言でんねぇが(ま、それも一利あるわね。今やオタクが世界を回していると言っても、過言ではないわね)」

 オタクが、世界を回す? 意味が分からず、首をひねる。

「どういう意味ですか?」

「考えちみね。科学でん、機械でん、医療でん、そん筋に詳しい人はみぃんなオタクじゃが。じゃけんど、そん人達がおらんかったら、こきまで人類は進歩せんかったと思わんね?(考えてみなさいよ。科学でも、機械でも、医療でも、その筋に詳しい人はみんなオタクよ。けれど、その人達がいなかったら、ここまで人類は進歩しなかったと思わない?)」

「言われてみれば、そうですね」

 なるほど、確かにその通りだ。何かにこだわっている人を全てオタクとするならば、世の中はオタクだらけだ。「こだわる」と「オタク」という言葉自体は、マイナスのイメージを持つが、その恩恵を受けて今の生活がある。

 しかし、部長は鼻で笑う。

「じゃけんど、アニメオタクやアイドルオタクは、やっぱただのオタクじゃね(だけど、アニメやアイドルのオタクは、やっぱりただのオタクよね)」

「まぁ、そこについては反論しません。でも今、一番元気がいいのって、オタク業界ぐらいじゃないでしょうか? オタクが金をバンバン使ってくれれば、景気も回復するかもしれませんよ」

 冗談まじりに苦笑すると、またノックの音が響いた。

「入っちょります(入っています)」

「だーかーらぁーっ」

 部長にツッコミを入れながらドアを開けると、少年がひとり立っていた。取り立ててこれといった特徴もなく、本当にどこにでもいそうな普通の高校生。青い上履きを履いているので、妹と同じ一年生か。左胸には、「水永みずなが」という名札が付いている。

「あのっ! こきに井崎さんば、おんさりますかっ?(あのっ! ここに井崎さんは、いますかっ?)」

 水永君は何故か興奮気味で、鼻息も荒い。走ってきたのだろうか? それに「いざきさん」って、誰?

「いざきイザキ井崎……。あ、そうか、部長のことか。部長ならいますよ」

「ホントですかっ? 会わせて下さい、ぜひっ!」

「どうぞって、うわっ?」

「お兄ちゃん、危ないっ!」

 ドアを大きく開けると、ぼくを突き飛ばして水永君が入ってきた。妹が身体を支えてくれなかったら、尻餅を付いていたところだ。それにしても、男のぼくが女の妹に支えられるって、なんともなさけない図だ。

「大丈夫?」

「うん、ありがとう。助かったよ」

 ぼくと妹をスルーして、水永君は部長の側へ駆け寄る。

「ああっ! 井崎さんっ! 今日も大輪の花のように、麗しいっ! その姿は、まさに地上に降り立った美の女神っ!」

 水永君は部長を見るなり、感激した様子で褒め称えた。部長も満更でもないといった感じで、最上級の笑みを浮かべた。褒められて、嫌な顔をする人間は少ない。

「そう? ありがとう」 

 水永君は部長の側へもう一歩歩み寄り、お辞儀をしながら右手を差し出す。

「井崎さんっ、俺と付き合って下さいっ!」

「あら、こんなオバサンでもいいのかしら?」

 部長が珍しく標準語を喋り、美しく笑った。水永君は顔を真っ赤にして、激しく首を横に振る。

「そんなっ、オバサンだなんてとんでもないっ!」

 確かにまだ十七、八でオバサンと言うには、早すぎると思う。そもそも、お姉さんとオバサンの境界線って、一体いくつくらいなんだろう?

「待たんかっ、そこの小僧っ!」

 突き飛ばされた時にズレた眼鏡を直すと、いつのまにか部室の前には、黒山の人だかりが出来ていた。その全員がお揃いのハチマキを頭に巻き、真っ黄色のハッピを着ている。ハチマキとハッピには「紳士同盟」と、書かれていた。

「ええっ? なんなんだ、この人達は?」

 目を丸くして訊ねるが、誰も答えてくれない。 

 一番前に立っている背の高い男子高生が、審判がやるように、右腕と左腕を胸の前で何度か回した後、水永君を指差した。同時に、首から下げていたホイッスルを、けたたましく吹き鳴らす。

「『会則第五条、何人たりとも独占してはならない』違反っ!」

「か、会則?」

 水永君が展開についていけず、目を白黒させていると、リーダー格の男子高生は大きく頷く。

「うむっ。我々は『女神井崎芽久美様を崇拝する紳士同盟』略して『紳士同盟』であるっ!」

「はぁ?」

 略してないだろ、それ。最後の漢字四文字を、取っただけじゃないか。ぼくはただ呆気に取られるしかない。

「芽久美様は、美貌と文武両道全てを兼ね備えた、素晴らしきお方。我々『紳士同盟』の女神であり、唯一神であるっ!」

「神とまで言いますかっ?」

「うむっ」

 驚きのあまり素っ頓狂な声を上げると、リーダーは大きく頷いた。確かに部長は超絶美形だし、頭も良いし運動神経も良い。天は二物も三物を与えたな。でも性格は、オッサンだぞ? 

 でもまぁ考えてみれば、日本神話もギリシャ神話も、神様といいながら性格は極めて人間的だよな。日本神話の「弁財天」は、音楽や弁舌を司る神様といわれている。しかし嫉妬深い性格で、恋人同士で参拝すると別れさせられるというジンクス(縁起が悪い出来事)があるらしい。

「ナルシスト」の語源である、ギリシャ神話の「ナルキッソス」は、泉に映る自分の姿に酔いしれて、水辺の花になってしまったという話もあるぐらいだ。神話っていうのは、そもそも誰かが勝手に考えた逸話だし、そういう空想は面白いとは思う。本当かどうか、信じる信じないは、自由だし。

 リーダーは踏ん反り返って、腹から勇ましい声を張り上げる。

「小僧はまだ、同盟の存在を知らないと見える! よって、この度のことは不問としよう! ただしっ! 今後このような軽率な行動をせぬよう、みっちり会則を教えてやるっ!」

「えっ、えっ、えっ?」

 リーダー格の男子高生は、水永君の腕を掴んだ。突然のことに、水永君は狼狽するばかりだ。サブリーダーと思われる男子高生が一歩進み出て、部長に向かって九十度のお辞儀をする。

「芽久美様、お見苦しいところをお見せしまして、すみません」

「いいのよ、いつもご苦労様」

 部長は極上の笑みを浮かべて、サブリーダーの頭を撫でた。するとサブリーダーは感涙にむせびながら、再び深々とお辞儀。

「芽久美様っ! なんというお慈悲っ! お心の広いお方だっ!」

「さすがは、芽久美様!」

「我らが女神、芽久美様っ!」

「芽久美様ー!」

「芽久美様ーっ!」

 それに釣られるように、同じハッピを着た男子高生達も部長を崇め奉った。しばらくして、芽久美様コールが収まった後、リーダーが号令を掛ける。

「それでは一同、礼っ!」

「ありがとうございましたっ! 失礼致しますっ!」

 ハッピを着た全員が声を揃えてお辞儀をして、水永君を強引に連れ去った。なんだか、体育会系なノリだなぁ。特に何かした訳でもないのに、酷く疲れてしまった。部長はそれを、軽く手を振って見送る。

「はい、お疲れ様~」

「な、なんですか? 今の」

 立ち去って行った彼らを指差しながら部長に訊ねると、部長はなんでもないのような口振りで答える。

「あいは、あたしんファンクラブ(あれは、あたしのファンクラブ)」

「ファンクラブっ?」

「マリオったら、あたしと半年も一緒におったっとに、知らんかったっと?(利夫ったら、あたしと半年も一緒にいたのに、知らなかったの?)」

「し、知りませんでした」

 驚愕しながら首を横に振ると、部長は頬を膨らませる。

「交流イベントじゃてやっちょんのにっ(交流イベントもやっているのにっ)」

「お兄ちゃん、見て」 

 驚愕しているぼくの肩を妹が叩いて、いつの間にか立ち上げていたノートPCを見せてくれる。

「公式のファンサイトもある」

「うわぁ、もはやアイドル並みだな」

 公式サイトのトップページには、それこそ女神のような微笑みを浮かべた部長が映っている。ハートや星や花があちこちに散りばめてあって、それが色とりどりに瞬くから目に痛い。

 トップページのメニューを指差して、妹が親切にも読み上げてくれる。

「女神様のプロフィール、撮り下ろし写真、会則、ブログ、イベント情報、ファン同士の交流を深めるBBSまで設置されてる」

「会員数も半端ないな。これ全校生徒より、明らかに多いぞ?」

「そいそじゃわー。これは世界中で、見られっとぞ? きっと、日本以外のファンもおっちゃね?(それはそうよ。これは世界中で、見られるのよ? きっと、日本以外のファンもいるんじゃないかしら?)」

 部長は自慢するように、満面の笑みを浮かべて胸を張った。

 何気なくBBSをクリックすると、先程のファンクラブの会員達が言う通り、部長は「女神」と呼ばれて崇拝されている。誰かがちょっとでもケチをつけようもんなら、炎上する(荒れる)程の熱狂振り。思わず、尻込みしてしまう。

「ファンクラブというより、信仰宗教に近い気すらしますよ。ここまでくると、もうなんというか、スゴいとしか言いようがないですね。これって、部長が運営しているんですか?」

 訊ねると、部長は軽く肩をすくめて苦笑する。

「まさか。そら米良めら君じゃが(まさか。それは米良君よ)」

「米良君って?」

「さっき、おいおい泣いちょった子(さっき、大泣きしていた子)」

「ああ、あの人ですか。それにしても、さすがは部長っ。男子にモテモテですね」

「男子だけじゃねーして、女子部もあっちゃけど(男子だけじゃなくって、女子部もあるんだけど)」

「女子部っ?」

 何気なく部長が言ったので、ぼくは一層驚いた。誇らしげに、部長が大きく頷く。

「じゃが。さっきんとは、男子限定ファンクラブじゃけんど。『芽久美お姉様を敬愛する会』っちゅー、女子限定ファンクラブもあっちゃが(そうよ。さっきのは、男子限定のファンクラブだけど。『芽久美お姉様を敬愛する会』という、女子限定のファンクラブもあるのよ)」

「芽久美お姉様っ?」

 全身に鳥肌が立つのを感じた。とてもじゃないが、部長をお姉様と、呼ぶ気にはならない。だって、中身がオッサンだからな。

「それにしても呆れたというか、感心したというか……」

 軽くため息を吐くと、妹がまたぼくの肩を叩く。

「『紳士同盟』のリンクに『敬愛する会』がある」

 妹が新しいウィンドウを開いて、「芽久美お姉様を敬愛する会」の公式ホームページを見せてくれた。トップページには、さっきとはうってかわってシックな大人の雰囲気を漂わせた部長がカッコ良く立っている。

「こっちはこっちで、スゴイな」

 会員達は部長を「お姉様」と呼び、慕っている。その内容は、「紳士同盟」のサイトとさして変わりはない。こちらもイベントがあるらしく、開催時刻や場所などが表示されている。男子部とは、日時が重ならないように設定されているようだ。不思議に思って、首をひねる。

「同じファンクラブなのに、なんでわざわざ男子部・女子部で分けているんだろう? 一緒にすればいいのに」

「たぶん、趣旨が違うからだと思う」

 妹が言いながら、ふたつのウィンドウを並べてみせた。

「趣旨?」

「男子部が『女神』と崇めているのに対し、女子部は『お姉様』と親しげに接してる」

「ああ、なるほど。そういわれてみれば、確かに違うな」

 男子部にはかなりの数の会則や罰則があるのに対し、女子部にはそれがない。一応ルールみたいなものは、存在しているようだけど。例えるならば、男子部は信仰宗教で、女子部は宝塚のファンクラブのような感じか。

「へぇ~。こうやって見比べてみると、なかなか面白いな。同じファンクラブでも、対象の扱いが全然違うんだ」

「これじゃ、男女混合イベントは実現しない」

「確かにな」

 妹の見解は、なかなか鋭い。ぼくは大きく頷いた。さっきからずっと気になっていたことを、部長に訊いてみる。

「ところで、イベントって何をするんですか?」

「大したごたせんよ? 撮影会ん後、会員みんなと握手とサイン会ばして、茶ぁしばいて、そいで終わりじゃが(大した事はしないわよ? 撮影会の後、会員の皆と握手とサイン会をして、お茶をして、それで終わりよ)」

「うわぁ、本当にアイドルみたいですね」

 驚きながら、ふと気になって続ける。

「ファンクラブの人達って、普段何しているんでしょうね?」

「拡大ば図っちょるみてぇじゃが(拡大を図っているみたいよ)」

「拡大してどうする?」

 妹が不思議そうに首を傾げると、部長も首を傾げる。

「さぁ? ようと知らん(さぁ? 良く知らないわ)」

「部長も知らないんですか?」

「うん」

「うんって。部長のファンクラブなんでしょう?」

 呆れながら問うと、部長も憮然とした様子で答える。

「サプライズちゅーてから、あたしんはなんも教えてくれんと(サプライズとか言って、あたしには何も教えてくれないのよ)」

「ああ、なるほど。『嬉しいどっきり』ってやつですね」

「じゃろね。じゃけんど、あたしひとりハブんされたみてぇで、ちょつムカツクっちゃけど(でしょうね。だけど、あたしひとりだけ仲間ハズレにされたみたいで、ちょっとしゃくに障るんだけど)」

 少し拗ねた様子で、部長は頬を膨らませた。年上なのに、だだっ子みたいでなんだか可愛い。

「それがサプライズって、やつですからね」

「みんな喜ばせたいって思ってるから、仕方がない」

 ぼくと妹は、力なく笑った。

「そうかんしれんけど――(そうかもしれないけれど――)」

 部長が口を開きかけたところを、ノックの音が中断させる。例によって、部長が返事をする。

「入っちょります(入っています)」

「ったくもうっ。返事するなら、たまには自分が出て下さいよっ」

 愚痴りながら、ドアへ駆け寄る。ドアを開くと、私服の上に白衣を重ね着した男性が、無表情で立っていた。年齢は二十代後半から三十代前半といったところか。察するに、大学の研究員か助手だろう。

 マッシュルームカットの茶髪と、太い眉毛が目を惹く。「チビ」と、からかわれるぼくよりも、数センチ背が低い。ちっさいオッサンだ。あれ? そういえば、部長のボケに何のリアクションもしない人も珍しい。このくらいのボケじゃ、動じないタイプなのだろうか?

 用件を訊ねるより先に、相手が喋り始める。

「コーロギ先生ば、おんさりますか?(興梠先生は、いますか?)」

「先生でしたら、講演会で出張しています」

「じゃったら、これ渡しちょいて下さい(だったら、これ渡しておいて下さい)」

 男性は小脇に抱えていた、古い書籍を差し出してきた。大きさはA四サイズで、厚みは十センチといったところか。鈍器として使えば、人が殺せそうなほど重量がある、ハードカバーだ。

「これは?」

「先生ば探しちょったっちゅー本ですが。図書館で見つけたので(先生が探していたという本です。図書館で見つけたので)」

「それはありがとうございます。あの、貴方のお名前は?」

 営業スマイルを浮かべながら訊ねると、男性はにこりともせずに答える。

「動物生理学部研究員の甲斐かいです」

 続いて手渡されたのは、ダブルクリップで留められた書類だった。表紙には英語で、タイトルが書かれている。論文だろうか?

「これも一緒に渡しちょいてわたらば、分かっと思いますが(これも一緒に渡しておいてもらえたら、分かると思います)」

「あ、はい。確かにお預かりしました」

「では、よろしく」

 甲斐さんは、渡すだけ渡して去っていった。ドアを閉めて中へ戻ると、部長が声を掛けてくる。

「誰ね?(誰なの?)」

「研究員の甲斐さんって、いう人でした。これを先生に渡してくれって」

 書籍と論文を机の上に置くと、部長は何度か軽く頷きながら論文に手を伸ばす。

「ああ、『クリボー』ね。おもしりくねぇ人じゃっつろ?(ああ、『クリボー』ね。面白くない人だったでしょ?)」

「はい。部長のボケにも、ノーリアクションでした」

「あいにたまがるんは、せいぜい最初ん一回くれぇじゃが(あれに驚くのは、せいぜい最初の一回くらいよ)」

 論文をめくりながら、部長は気に留めることなく平然と答えた。少し呆れつつ、訊ねる。

「だったら、言わなきゃいいのに。それより、なんで『クリボー』なんですか?」

「上昇志向はあっちゃけど、人ん踏み台ばされて、いつまでん下っ端じゃかい(上昇志向はあるんだけど、人の踏み台にされて、いつまでも下っ端だから)」

「それは、なんと言うか。残念な話ですね」

 同情して呟くと、部長は論文を読みながら口を開く。

「クリボーはね、頭ワリぃワケじゃねっちゃが。不器用じゃと。そいにイージーミスば多いとよ。あ、こいも、こきも(クリボーはね、頭が悪いワケじゃないのよ。不器用なの。それにイージーミスが多いし。あ、これも、ここも)」

 部長はマニキュアが塗られた綺麗な爪で、論文を叩きながら続ける。

「目の付け所ば変じゃし、文法もところどこいまちごぉちょる。こんげらもん学会ば出したら、いーさらしむんじゃが(目の付け所がおかしいし、文法もところどころ間違っている。こんなもの学会に出したら、良い晒し者だわ)」

「そこまで言う?」

 部長のクソミソ(無茶苦茶に悪く言うこと)な感想に、妹が苦笑した。ぼくも苦笑する。

「いやいや、流し読みしただけでそれが分かるって、部長はスゴいですよ。ぼくなんか英文を読むだけで、四苦八苦なのに」

「あたしは、天才じゃもん。こんくらい、大したモンでんねぇが(あたしは、天才だもの。このくらい、大したものではないわ)」

「うわぁ、天才って自分で言いますか」

 心底呆れて言うと、部長は得意げに「ふん」と鼻を鳴らした後、続ける。

「残念じゃけんど、ケイちゃんが読むまでんねぇね(残念だけど、興梠先生が読むまでもないわね)」

 部長は全部読まないうちに、部室の隅にあるダンボール箱の中へ論文を放り込んだ。ダンボール箱にはご丁寧に「クリボーの箱」と、書いてあった。

「ひょっとして、その箱の中に入っている書類って、全部甲斐さんの論文ですか?」

「うん」

 箱には、二リットルペットボトルが一ダース(十二本)は入りそうだ。その箱の中に、論文が半分近く入っていた。その中から、何冊か取り出してみる。先程同様、論文は全て英語で書かれている。

「えーっと。A give consideration to artropod(節足動物の考察)かな? で、こっちは、A take into consideration……。えー、あー。読めない」

 ぼくの英語力では、タイトルもろくに読めない。仮に単語が読めたとしても、ちゃんと文章として訳せない。まだまだ勉強不足だなぁ。

「これ、全部? コーロギ先生は、読んだんですか?」

「んにゃ。あたしがざっくり読んで、ほらかしちょっだけじゃが(いいえ。あたしが大筋だけ軽く読んで、放置しているだけよ)」

 部長は首を横に振り、薄笑いを浮かべた。

 ダンボール箱へ論文を積み直しながら、甲斐さんが懸命に作成する姿を想像した。文献を何冊も読み、実験を繰り返し、参考書片手に英語の論文を簡潔かつ、詳細に文章化する――。その努力の結晶が、こんな風にあしらわれているなんて。大量の論文を手に、思わず落胆する。

「甲斐さんは、先生が読んでいると、思っているんでしょうね。こんなに頑張っているのに、報われないなんて気の毒でなりません」

「でもたまに、ケイちゃんも読んじょるみてぇじゃが(でもたまに、興梠先生も読んでいるみたいよ)」

 それを聞いて、ひとまず安心する。

「ああ、良かった。それで、先生はなんて?」

「『データばあめぇし、憶測や思い込みで書いちょるごつあるが。文法もまちごぉちょるし、くどくど回りくどして、しつけぇ感じじゃね(データが甘いし、憶測や思い込みで書いている節がある。文法も間違っているし、何度も同じ言葉を繰り返して面倒臭くて、しつこい感じだね)』」

「うわぁ、酷評ですね」

 せっかく読んでもらえても、残念なことに変わりなかった。これなら、部長の評価の方がまだ優しいくらいだ。ぼくが知るコーロギ先生は温和なイメージだけど、大学の方では厳しいのかもしれない。

 ふと、甲斐さんの容姿を思い出して、部長に訊いてみる。

「まさか、本人に向かって『クリボー』なんて、呼んでいないですよね?」

「呼んじょっけど? なんがいかんと?(呼んでいるけど? 何がいけないの?)」

「可哀想じゃないですか。ザコですよ? しかもよりにもよって、初っぱなで踏まれちゃう最弱の敵ですよっ?」

 甲斐さんをかばうように言うと、部長は楽しそうに笑う。

「むじぃじゃろ、クリボー。そいに茶髪じゃし、眉毛ふてぇし、背ぇひきいし、八重歯が出ちょるとこも、似ちょっと思わん?(可愛いじゃないの、クリボー。それに茶髪だし、眉毛太いし、背が低いし、八重歯が出ているところも、似ていると思わない?)」

「まぁ、言われてみれば、似ていると思いますけど。そう、本人に言ったんですか?」

「そしたら、喜んじょったけど?(そうしたら、喜んでいたけど?)」

「そうですか」

 どうやら甲斐さんは、真実を聞かされていないらしい。要は、「知らぬが仏(知らなければ怒りも覚えず、仏様のような穏やかな気持ちでいられる)」ってことだ。

「で、こっちの本は?」

 甲斐さんが持ってきた書籍を、手にしてみた。紙が茶色く変色していて、あちこち痛んでいる。図書館の本だと言っていたから、きっとたくさんの人に読まれてきたのだろう。

 どんな本なのか気になって開いてみるが、全く読めない。少なくとも、英語ではない。もちろん、日本語でもない。

「う~ん……。これ、なんの本か分かります?」

「どら? みしちみね(どれ? 見せてみなさいよ)」

 部長は身を乗り出して、本を覗き込んだ。まもなく、顔をしかめる。

「分からんね。だってあたし、日本語と英語以外読めんもん(分からないわ。だってあたし、日本語と英語以外は読めないもの)」

「ぼくもです」

「ケイちゃんじゃったら、読めっちゃろがね(興梠先生だったら、読めるんだろうけどね)」

 興味を失った部長は、椅子に座りなおした。入れ替わりに妹が真剣な顔で、ページをめくっている。

「分かる?」

「ううん。でも、ところどころ昆虫の絵が描いてあるから、昆虫の本だと思う」

「まぁ、コーロギ先生が探していたんなら、昆虫の本に違いないだろうけどさ」

 ぼくらは読むのを諦めて、机の上に本を置いた。しかしこの本が事件を巻き起こすことを、この時のぼくらが知る由もなかった。

ここまでお読み下さった方、ありがとうございました。並びにお疲れ様でした。

もし、不快な気持ちになられたら、申し訳ございません。

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