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すたー・げいず/2-2


 2-2/裏・八番丘の夜



「アハトの、丘?」

 虚空を指し示すおじいの指先を凝視しながら、わたしはぽつりとそう言った。

 アハトの丘といえば、あのアハトの丘なのだろう。

 このオルゴールよりもっと上の、ひたすら坂道を上った先にあるだだっ広い草原。海に面したその先を遮るものは何もなく、草原と海と空以外は何も見えないのだという。

 八番丘とも呼ぶし、一番上の原っぱとも呼ぶ。

 原っぱと言われるくらいなのだから、きっと何にもない場所なのだろう。

「そうだ、アハトの丘だ」

「なんで?」

 当然の疑問である。

「良い目を持っているね」と、「アハトの丘に、行ってみたらどうかな」にどんなつながりがあるのだろう。目がいいから遠くまで見渡せるぞ、という意味だろうか。たぶん違うだろうな。

 第一、わたしはそこまで視力がいい人でもない。

 どういうこと? と視力0.7の視線に疑問を乗せておじいを見る。

 おじいはそれを真っ向から見返してきて、イタズラ好きな少年のような、なんだかとっても腹の立つ爽やかな笑顔で言い返してきた。

「行ってみれば分かるよ」、と。

 なるほど。

「やだ」

「どうしてだい。きっと君の為になる」

「だって、」

 だって、アハトの丘までは決して軽い道のりじゃないから。

 距離だけでも結構ある。オルゴールからさらに2、3キロはあるだろう。しかも坂道だ。そんな距離を歩けだなんて、か弱い乙女であるわたしにはひどい話であって、それならば何かしらの補助が出て然るべきだろう。

 そうだそうだ。

 たとえば、

「あっ、じゃあ、たとえば、わたしの為にバスが走るとか、それくらいの補助が出るなら行ってもいいよ」

 ──なんちゃって。と思ったのに、おじいはあっさりと、

「よし、分かった」

 と頷いた。

 いったい何が分かったのか、呆気にとられているわたしを無視して、

「それじゃ、行っておいで」

 今すぐかい。

「ほら、早く行っておいで」

 問答無用の笑顔で見送られた。

 おじいは、この先にバス停があるからそこまで歩いてごらん、と言った。

 バス停というと、撤去し忘れたまま放置された、あの時間が止まったみたいなバス停のことだろうか。そこまで行くのにも結構な距離だ。一日にわたしが歩く量の三倍はあるに違いない。

 しかし結局、おじいには逆らえなかった。

 嘆息しながらも外に出て歩き始める。

 せめてもの救いは天気が良いことだ。陽射しは柔らかいし、風も心地よく、外出には絶好の日和。であるのは確かなのだが、歩かされている感を思い出すと、やっぱりブルー。

 それでもしっかりバス停を目指すわたしは、なんと健気で良い子なのだろう。

「はあ。一日中ほこり臭い店に引きこもっているおじいこそ、こんな日には外に出て歩けばいいのに」

 流石のわたしも思わず愚痴る。田舎育ちで丈夫な身体のわたしですら疲れるこの長い坂道のせいも少しはあろう。なんでわたしは歩いているんだろう、なにやってんだろ、もう帰っちゃおうかな、おじいには丘まで行ったって事にして、

 その時だった。


 ぶしゅるるるるる、


「? 今の、なに──?」

 変な音が聴こえた。

 坂道の、上の方から聞こえた。

 わたしはうつむき加減で歩いていて、その目には灰色のアスファルトしか映っていなかった。

 その視線を、ゆっくりと上げた。

 坂道の、上の方に、バスが停まっていた。




「シャンテさん?」

 飛び起きる。

 同時に、真横から「わあっ?!」という声。

 何が起きたのかわからず、一瞬だけ錯乱し、事態を把握するのに五秒掛かった。

「わたし寝てた!?」

「──は、はい。しっかり」と横からサスケ。

 引っくり返っているその姿も愛らしい。立ち上がって、もこもこの尻尾についた砂を払う仕草もまた然り。尻尾の次はズボンの砂を払い、サスケは少し困ったような表情を浮かべる。

「何度か起こそうと努力はしたんですが……。でも、気持ちよく寝られたのなら、それが一番です」

 うわ、ものすごく恥ずかしい。

 間違っても乙女のやることではないように思えた。羞恥の心は顔をタコみたいに赤くさせ、それを隠そうと、わたしはあちらこちらに視線を泳がせる。

 あたりはすっかり暗い。

 太陽は、どうやら水平線の向こうに溶けたらしい。さっきまで目に映っていた青空は消え、代わりに小さな光の粒を散りばめた夜の空が広がっている。海は漆黒の空を映して暗く、しかしその海底に潜り込んだ星の光はごく一部のみで、多くの光は水面の黒を引き裂く月光の白一色に飲み込まれて混ざり合っている。

 草原は月明かりに照らされ、薄皮の帳に覆われた灰色の闇。

 日は沈み、アハトの丘には夜が訪れていた。

「みなさん、もう思い思いにこの時間を楽しんでおられますよ」

 サスケが、草原全体を見渡しながら言う。

 アハトの丘は、わたしの目が捉える"裏側の住人"たちで賑わっていた。

 小さいのから大きいのまで、変な形のものから人間みたいな形のものまで、空を飛んでいるものから地中に身体を埋めたものまで。多種多様な彼らは、この目に映っている数だけでも百以上はいるかもしれない。

 毎週一度、彼らはこうしてアハトの丘に集まるのだという。

 サスケに教えてもらって知ったのだけれど、この集まりには"影人集会"という名前があるらしい。彼らたち"裏側の住人"も、同じように"影人"と呼ぶのが正しのだとか。

「ねえ、今日はちょっと影人の数が多くないかな?」

 あちらこちらを見た結果、わたしはふとそう感じた。

 多くないかな? と聞いたものの、その数がいつもより多いことは明らかだった。

 はじめて見る姿の影人も多いし、いつもは広さにもっとゆとりがあった。草原に寝転んで、好きなだけ右へ左へ転がれるくらいの余裕はあったかと思う。

「おやん、シャンテどの。知らんのですかん?」

 横から口を出してきたのは、サスケの友人である「コタロウ」だ。

 コタロウは変わった喋り方が特徴で、足がなくて、手もなくて、幽霊みたいにゆらゆら浮いている。真っ白い身体にチャックみたいな縫い目がたくさんあるから、サスケのような見た目のかわいさはイマイチ。でも愛嬌は抜群。

「なになに、今日って何かある日なの?」

「なにって、今日はお祭みたいな日ですよ? ねえ、コタロウ」

 おう、と頷くコタロウ。

 わたしはというと、そんなことはまったく誰からもぜんぜん聞いてなかった。

 今ここにいるのは、いつも来ているから来ただけなのである。

「今日はん、線星の日ですよん」

 せんぼし?、とわたし。

 せんぼし、とコタロウ。

 星といってもん、空に浮いているあの星とは違うんですよん。とコタロウは言った。

「その星は水平線の向こうから飛んでくるらしいですん。わたしの知り合いに古くからアハトの町に住んでるトンボがいましてねん、そいつの話によると線星は、」

 コタロウは真っ直ぐ、丘の向こうの海を目線で指し、

「あちらのん、太陽が出ずる方角から現れるとか。そして長い長い、ながーい尾を引いてん、このアハトの丘の上を通り過ぎたり、その手前で海に落ちたり、見知らぬ方角へ飛んで言ったり、はたまた宇宙に向かって上昇したりするのだそうですん」

 それが、線星ですん。とコタロウは締めくくった。

 サスケが横から補足する。

「ぼくたちもまだ見たことがないんです。それが今日現れるって言うのは、セラさんの占いの結果なんですよ」

 セラさんって誰?

 わたしはそう訊こうとし、

 突然、衝撃波のような歓声が炸裂した。

 パニック再びであった。

 恥ずかしながら、本当に引っくり返りそうになった。まるでアイドルのコンサートの真っ只中にいるような大音量。津波か地震でも来たのかと思うほどに空気が震えた。興奮の渦が、アハトの丘を瞬く間に包み込んでいく。

 誰もが、感嘆と歓喜と熱狂の視線で、ある方向を見ている。

 ──太陽の出る方角。

 わたしも、そっちを見た。

 影人たちの群れの先には、金属のような黒い海。

 その向こうには、幾億年の光を散らした黒い空。

 その二つの間に、ゆっくりと線を伸ばしながら飛んでいく、いくつもの白い筋。

「あれが、線星」

 綺麗だった。

 大歓声の中、ふらふらと立ち上がって、わたしは影人混みの間を歩き始める。背中にサスケの声を聞いた気がするが、振り向けなかった。

 夜空を映した星海の向こうにある、月光より白くて眩い線。それが、一瞬にしてわたしの心を奪ったらしい。まるでスローで再生されたシャワーが海の向こうから噴き出しているみたいだった。

 けれど、それらは一つとして同じ軌道、同じ方向には進まない。

 ゆっくりとした速度で、それぞれは、それぞれの行く先へと広がっていく。

 焦らすように、ゆっくりと。

 やがて、それらは一面の夜空を埋め尽くす、鮮やかな白い軌跡となって視界を彩った。

 アハトの空に描かれた立体芸術。遥か宇宙に昇り続ける線星があれば、大きな螺旋を描き続ける線星もあり、海に落ちて、海底へと沈んでいく線星もある。海に沈んでしまっても視認出来る線星は、本当の星よりも力強い光を放っていた。

 わたしは無意識のうちに歩き続けていた。

 もっと近くで見たい──その思いだけが身体を突き動かす。

 草原のなだらかな傾斜を下り続け、少しずつ遠くなる歓声にも気付かなかった。ようやく足が止まったのは、影人混みを抜けてから三十メートル程も歩いてからのことだった。

 足に海水の感触。

 草原はそこで尽きている。そこから先は海だった。真っ黒い海面に、線星の軌跡を無数に鏡映した海だった。

 まるで地球と宇宙の境目にいるよう。

 その錯覚に軽くめまいがして、わたしはその場にへたり込んでしまった。服が濡れてしまったことが心の隅に引っかかるが、線星があっという間にその心ごとわたしを引き込んでしまう。いつまでも見ていられる──そう思った。

 線星が現れてから、もう十分近くが経とうとしていた。

 視界から消える線星もあれば、速度を落として、墜落していく線星も出てきた。

 そうして一つ、また一つと線星が消えるたび、影人たちの歓声に残念そうな声が混じる。祭りの終わりは近いようだった。

 あっという間の時間。だが、今日は一生忘れられない日になった、わたしはそう思う。

 明日、おじいにめいっぱい自慢してやろう。

 そして、最後の線星が墜落を始めた。

 歓声が、一気にどよめきに変わった。

 その歓声を抜け出して、サスケとコタロウの声が耳に届いた。

 にげてー、にげてー。

 で、わたしはというと、動けなかった。

 ウソのようなホントの話。最後の線星が、わたしに向かって落ちてきた。



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