すたー・げいず/2
2/八番丘
「ほい、着いたよ」
あっという間の、お空の旅だった。
バスは丘へと続く小道の前に停車、もとい着陸した。わたしは顔のない顔の運転手に頭を下げて礼を言う。
「あの、ありがとうございました」
顔のない顔の運転手は、ぐっと親指を立てた。
「なんのなんの、また呼んでやってちょい」
顔があったなら、彼の歯は白く眩しいに違いない。
さてさて、下車である。
ステップを飛び降りて、わたしは外に出た。
バスが着陸したところは、広場だった。草木の生い茂る小道の真ん中の、まるで動物たちの宴に設えられたかのような、小さな広場だ。そこから見上げる空は木々に区切られて狭く、三割ほどが緑に覆われていた。
右には木、木、木。
左にも木、木、木である。
そして、その木々の小道の先に、アハトの丘はある。
わたしは背後を振り返る。木々の葉っぱが作り出す斑な日陰もすり抜け、窮屈そうに停車するバスへ向けて、もう一度だけ頭を下げた。
顔のない顔の運転手が、それにぶらぶらと手を振り返す。
そして、ハンドルを握った。
直後、ぶしゅるるる、というエンジン音が狭い小道に鳴り響く。どういう原理かは知らないが、バスはその巨体をものともせず、ふわりと宙に浮いた。木や葉っぱを透過しながらあっという間に空へと舞い上がる。
わたしは目を細めてそれを見上げる。
太陽の逆光さえ無視したバスは、失速を知らずにどんどん上昇していく。
きっと、次のお客さんのところへ行ったのだろう。
わたしは空の青を眺めながらそう思う。
あのバスが普通のバスではないというのはもちろん理解している。
だって空を飛んだのだ。そりゃあもうこの上なく不思議なバスである。まるで子供がつく嘘のような出来事だけれど、これが現実であることも、わたしは理解している。
だから、あの空の果てには普通じゃないバス停があるのかもしれない、とわたしは思ったりする。あのバスは、そこで普通じゃないお客さんを乗せて、世界のどこかの空を走るのかもしれない。
「さて、行きますか」
日陰の小道を行く。
木のトンネルをくぐり、陽の当たっているところをなるべく避けながら進む。
涼しげな風が髪を撫でていく感覚はくすぐったく、けれどすごく心地いい。いつまでもこの小道を歩いていたい気分。
やがて、小道が途切れた。
視界が開ける。
草原の緑。海の青。空の青。
視界がその三つに埋め尽くされる。
世界はその三色で出来ていた。
広大な草原と、その先にあるもっと広大な海、そのまた奥に広がるもっともっと広大な空。眩暈がするほど鮮やかな景色。そこを流れる巨大な風の力を全身に感じる。目の前にある緑の群れは、風の行き先と同じ方角に向かって波を作り、足早に彼方へと消える。
最果ての景観。
アハトの丘だ。
風の流れの真っ只中を、わたしは歩き出す。
草原の雑草は伸び放題で、膝下あたりまですっかり草の中だ。が、海へ近づくにつれて、その背丈も徐々にチビっこくなっていく。草たちは、海に向かって小先頭で前ならえしているのだ。
丘の斜面が下り坂になるところまで歩けば、もう寝転がれるくらいだった。
ということで、寝転がるわたし。
「あちゃ、早く来すぎだあ、やっぱり──」
ポケットから取り出した懐中時計に目をやり、つぶやく。
長針は三の字を、短針はそれより少し下を指していた。太陽はまだ傾き始めといったところで、青一色の視界の下の方でぽかぽか輝いている。まだまだお昼時の陽気から抜け出せていない午後三時。
こうして寝転がっていると目蓋があったかくなって、重くなって、ものをうまく考えられなくなってしまう。バス停のときと同じだ。ううむ、アクマのような陽射しである。
こんな時間に寝てしまったら、夜眠れないではないか。
それはまずい。
なぜって、夜は寝るものだから。
どうにかこうにかアクマの勧誘をお断りしながら右へ左へと視線を移してみる。──いる、とわたしは思う。さすがに昼間なので少ないが、それでも数にして二十はくだらない。これが夜になると二倍にも三倍にも増えるのだから、それはそれはもうワクワクが止まらない。
んで、何がいるのかと言いますと、
「おや。早いお着きですねえ、シャンテさん」
たとえば彼。
名前は「サスケ」という。わたしが適当につけた名である。
背が小さく、やたらと愛らしい見た目が特徴。
あと、普通の人の目には映らないのも特徴。
マントみたいな黒服を羽織っていて、耳はうさぎみたいに長いけど垂れていて、目もうさぎみたいにつぶらだけど垂れている。毛はふかふかでさらさら。
「えへへ、楽しみだからね。待ちきれなくて早く来すぎちゃった」
「シャンテさんらしいですね。しかし、宴までまだ時間はあります。元気は夜まで取っておきましょう」
耳をぴこぴこ動かしながら、サスケは大人びた表情で微笑む。その愛らしさといったら! 抱き締めて頬ずりしたい衝動に駆られるが、それを理性の力でなんとかねじ伏せる。
「うん、分かってる。また後でね」
衝動は抑えたけれど、にやけ顔はたぶん隠せていない。
「それでは」と紳士的に頭を下げて仲間たちの元へ戻っていくサスケの後姿。そのおしりについた、丸くてふかふかさらさらの尻尾に、ぴょこぴょこ跳ねるような走り方。うーん、抱きしめたい。
そんなサスケも、わたしの目が捉える"裏側の住人"だった。
青空の下、海の見える丘の、緑の草原で、彼らは談笑している。
それは、滅亡を目と鼻の先に突きつけられたわたしたち人類と対比するように、どこまでも穏やかな光景だった。
この草原のように。
この海のように。
この空のように。
わたしは、そんな彼らが好きなのだろう。
だから、今日もこの丘で日暮れを待つのだろう。