すたー・げいず/0-1
0/流星の残り香
星は、確かにこの手の中にあった。
ぎゅっと握り締めたあの感触は、今でもしっかりと覚えている。
1/アハトの町とわたしの目
わたしの住むアハトの町には「オルゴール」という名前の変なお店がある。
アハトの丘に続く坂道の途中に建つ、小さな……自称、骨董屋さんだ。わたしがよく通っているお店なのだが、残念ながら、お客さんはあまり来ていない。
というか、お客さんは、まったく来ない。
何曜日の何時に訪れても変わらない。店の扉に掛かっている小さな看板が"OPEN"だろうが"CLOSED"だろうが、そんなことは関係ない。もしやわたし以外にこのお店を知っている人はいないんじゃないだろうか、そう疑いたくなる程に流行っていない。
そこまで寂れてしまった理由を挙げるとするなら、近くにバス停も駅もない程の田舎、という点が第一にくる。
道路は舗装されてこそあるものの、がったがたのでこぼこ道。ガードレールは潮風に蝕まれ続け、思わず目を背けたくなる色へと変色している。畑の数は民家の数よりずっと多く、老人が人口の三割を占め、学校は全学級合同授業。誰もが認める田舎町だ。
やや、しかし、それでも、だとしても、電柱が木製なのは酷いと思う。
いったいどの時代から突っ立っている物なのかも分からない。そこまでボロいといっそすごい。それらがつなぐ電線のたるみも、またすごい。カラスが留まればびよん、びよん。風が吹けばびよよん、びよよん。他所の町から来た人にはとても見せられない光景である。
田舎なんてもんじゃあない。
アハトの町は、ド田舎の町なのだ。
人口の減少が著しい昨今においてさえ、田舎と称してなお足りない。ここまでになるとド田舎であることくらいしか売りがなくなってしまう。つまり"何もない、がある"というやつ。役所はいつの間にやら「自然あふれる、ふれあいの町」なんてキャッチコピーを掲げ、緑豊かな土地とノスタルジーを刺激する美しい景観を全面的にプッシュしていたりする。が、旅行や観光に消極的な現代人が相手なのだから、その効果は極めて薄かろう。
結局アハトの町はド田舎の町で、つまりお金のない町なわけで、気づけば一本、また一本とバスの路線は消えていった。今では町の中心部を数本のバスが走るのみだ。
お陰様で、交通の便はすこぶる悪い。
オルゴール店内に置いてある店舗案内のパンフレットにもこうある。
『アハト港東口バス停から徒歩一時間半』
遠い。
歩行速度を時速4キロとして、6キロの道程。
自家用車は緊急避難の条例で禁止されているし、もちろんバスなんて通っちゃいない。オルゴールに辿り着く為には決して緩やかとは言いがたい勾配の坂道をえっちらおっちら登らなくてはいけないから、それを考えると自転車もありえない。よって徒歩以外の選択肢は、ない。
そうまでしてオルゴールに行きたいと思う人が、果たしてどれほどいるだろうか。
わたしの知る限りでは、わたしくらいのものだ。
そうした交通の便の悪さに加えて、店自体が怪しい、というのがオルゴール過疎化の理由その2である。
外観は普通の雑貨屋さんと言えなくもないのだが、どことなく入り難い雰囲気がある。
おそらくは立地のせいだろう。
オルゴールが建っているのは海沿いの坂道で、道の向こう側は一面の原っぱ、そして森である。それ以外には何もない。オルゴールだけが唐突に、ぽつん、と建っているのだ。オルゴールがオンボロ木造で駄菓子でも売っていれば話は別なのだが、見た目だけは妙に小奇麗なものだから、周りの景色にそぐわぬ異色の建物となっている。
どこか浮世離れした雰囲気。
そこだけが異国の地のようだ。
それを乗り越えて扉を開いたとしても、店内はもっと怪しげである。
まず店内がほこりくさい。
置いてある商品さえ、これは売り物ですか? と聞きたくなるほどにほこりを被っている。だから店内を歩くときは注意が必要で、下手に大きく動いてほこりを立てたらば最後、あっという間にくしゃみと鼻水に襲われれてしまうのだ。
店がそんな有り様だからか、店主もまた、どこかほこりっぽい人だった。
別に不潔というわけではない。なんというか、「ほこりの似合う男」というか──うん、そんな感じ。
古くてわけの分からない物品がたくさんおいてあるこのお店の中で、何の不思議もないように存在する、そんな雰囲気が店主にはあった。
店主は、名を空のおじいといった。
本名は誰も知らない。
もしかしたら、おじい自身すら知らないのかもしれない。
しかし「不思議なひと」とか、そういったメルヘンチックな表現はしない。つまり変人だ。わたしはそう結論付ける。
以上、この二つの理由によって、小物骨董店オルゴールの客足は遠いのです。
──いや。
いや、いやいや。
お客さんが来ない理由、最後の一つを忘れてはいけなかった。
第三の理由。
それは、変なものがたくさんおいてあるだけに留まらず──あるいはそれらが呼ぶのか──店内には変なものがたくさん"いる"ということだ。それらは生き物だ。
前にレジスターの中を見せてもらったときも驚いた。本来なら硬貨なり紙幣なりが納めてあるはずのそこには、なぞの軟体生物くろたま1号(命名、わたし)がうねっていたのである。
それだけではない。天井にも、床にも、壁掛け時計の擦り切れた文字盤の裏にも、逆さまが正位置の人形の目の中にも、理解の範疇を超えたオブジェの影にも、得体の知れない謎の生き物が数多く生息していた。
わたしは、来店初日で、おじいにそのことを告げた。
おじいは目を丸くした。
「見えるのかい」
見えるよ、とわたしは答える。
「ほう、良い眼を持っているね」
丸くした目を今度は細くして、おじいは意味深に笑うのだった。
わたしはムスッと頬を膨らませる。
訊いたのはわたしの目のことじゃなくて、この変な生き物たちのことなのだ。どういう仕掛けか、あるいはどういう原因か、追究してやるべく猛然と口を開こうとした。
「そうじゃなくって、これってどういう──」
しかし、おじいの人差し指が、そっとわたしの言葉を遮った。
おじいは微笑み、枯れ木のような人差し指をついっと動かして宙を差した。わたしもつられてそちらを向くが、おじいが指し示しているのはどことも知れぬ虚空だ。
──そっちには何があったっけ。
わたしがそんなことを考えていると、おじいは何だか楽しそうな口調で、
「アハトの丘に、行ってみたらどうかな」
坂道の、頂上にある丘の名を口にした。
そう、おじいが指差した方角には、アハトの丘がある。
オルゴールから、さらに坂道を登っていくのだ。
わたしの目的地はそこにある。
オルゴールの先の道。緩やかなカーブを描く坂があって、右手には遥かなる青い海が豁然とある。
空の戦争から十五年、殆どの大地が海中に没して、今や地球の表面積の九割は海だ。どうにか残った島々も、いずれは海に呑まれる運命にあるという。
戦争時代の遺物は今も異常動作を起こし続け、世界中の自然現象に影響を与えているのだ。その一つに海面の急激な上昇があり、いくつもの島が海中に沈んだ。
海は世界中のどの町からでも見える。わたしたちを逃がさないように取り囲んでいるようだ、と言う人もいる。誰も彼もが、いつかは自分たちを呑み込んでしまう海を、畏れて恨んでいる。
だけど、わたしはそんなに嫌いじゃなかったりする。
海は綺麗で、雄大だ。海は日の光を受けてきらめき、遥か彼方では空との境界線にはさまった雲がのっぺりと広がり、地球はまあるいんだなあ、とか思ったりなんかしちゃうような景色、わたしはそんなに嫌いじゃない。
先へ進む。
木々が傘を差す林道を越え、異世界への入り口じみたトンネルを抜け、畑がひたすら連なる道の途中でおばあさんに声をかけられた。「いい陽気ですね」とわたしは返して、さらに先に進む。首なし地蔵の塚を過ぎ、地球と同じだけ歳をとっていそうなほどに立派な巨木を見上げてまた歩く。
坂道を登っていく。
そして、その先にバス停がある。
ぼろぼろの停留所であった。
申し訳程度の屋根と、背もたれに『雲印乳業』と書かれた青いベンチ。
どこまでも田舎。
標識の時刻表はもう掠れてよめやしないし、ここを走っていたバスはとうの昔に廃線となっている。
しかし、わたしはベンチに腰を下ろした。
陽射しが暖めたベンチは反則的に心地良い。座り始めて数分、睡魔がその手をひっそりこっそり伸ばし始めてくる。その誘惑にも必死に耐え、目の前のでこぼこ道と、青色と緑色しかない景色をわたしは眺め続けていた。
「乗ります?」
その声は唐突にかけられた。
わたしは飛び上がりかねないほど驚いて目を開けた。実は眠っていたらしい。しょぼしょぼする目をこすりながら、「のります、のります」とわたしは言う。運転席から顔を覗かせた運転手には顔がなかった。わたしが軽く会釈をすると、運転手は顔のない顔で微笑んだ。
ドアが無音で開く。
乗り込む前に、そのバスの姿を見渡した。
明るい陽射しの下、停留所の前には、奇妙で奇怪で、しかしどこか愛らしいかたちのバスが停車している。ふと足元を見ると、バスにはどこにも影がない。バスは陽射しをすり抜けて、日影を作らずに停車しているのだ。
「どちらまで?」
顔のない顔の運転手が言った。
バスにはわたし以外、誰も乗っていない。
「アハトの丘まで」
「お安い御用だ」
バスが動き出す。
窓の外の景色がゆっくりと青に支配されていく。
それは、海の青と、空の青だ。
バスは、空に浮かんで走っている。
あの日、初めてオルゴールに訪れたあの日、おじいは、わたしの目を見てこう言った。
「シャンテは、裏側を見る目を持っているのだね」
常には見えざるものを見る目。
わたし、シャンテは、そんな目を持った女の子なのです。