従姉妹
9時25分、祐介は友人と別れた。
何もかもがおかしくなり、残されたラジオすらも正確な情報を発信してくれなくなった今、祐介はどうすればいいのかわからなかったが、とりあえず自宅に残した両親が心配だったので家に帰る事を決めた。
帰ってみると両親は二人そろって居間にいた。テーブルの上には、家の中からかき集めてきたのであろう缶詰やら乾パンやらの保存食品が並べられていた。まず最初に祐介の帰宅に気付いた母が声を上げた。
「祐介、外はどうなってたの?試験は?」
「何かもうめちゃくちゃだよ。試験は延期だって」
「そう。まあしょうがないわね…。こんな事になっちゃね…」
「テレビはどうしたの?」
朝は何度も勝手に電源が入って『地球が終わる』などとのたまい続けていたテレビが、今は沈黙を保っていた。
「消しても消しても勝手に付いちゃうから、お父さんが…」
「コンセントを抜いたらな、こりゃやっぱり家電製品だから、電源が入らなくなったぞ」
父が得意そうに言った。
機械音痴でよくからかわれている父は、自分の手でテレビを制圧できた事が嬉しいらしい。
祐介は気だるそうに頭をかいて、居間に背を向けた。
「祐介はこれからどうするの?」
「勉強するよ。試験は延期されただけで、まだ中止された訳じゃないし」
「そう」
母親の応答を背に、祐介は廊下に出て突き当たりの階段へ向かった。
家は一軒家の2階建て。祐介の勉強部屋兼寝室は2階にある。
机に向かい、数学の問題集を開いたまま祐介は一人悶々としていた。
とてもじゃないが勉強が手に付く状況ではなかった。
こんな不安感にとらわれたのは生まれて初めてだった。
親には「まだ中止された訳じゃない」とは言ったが、この異常現象の実態が解明されて復旧がなされない限りセンター試験が実施される事はないだろう。
それはいったいいつになるのか?
もしかしたら、このまま試験は中止になるのではないか?
もしそうだとしたら、自分がこの数年間勉強してきたのは一体なんだったのだろうか。
今までも困った事は人並みに何度となく経験したが、いずれも親や教師やメディアが「大丈夫」と保証してくれたし、実際長い影響などほとんど残さないような軽いものばかりだった。
でも今回は誰一人「大丈夫」とは言ってくれない。いや、先が見えないのだから言えるはずがない。それは祐介もわかっていた。
わかっていても拭う事のできない、いやむしろわかっているからこそ増大するのかもしれない不安感。
祐介はそれを、過去にも一度体験した事があった。
祐介には、歳が1つ上の従姉妹がいた。
今の住居に引っ越す前は家が近所だったので、当時小学生だった祐介はよく一緒に遊んでいた。
名前は明美といった。長い髪をいつも一本に束ねていて、笑顔が印象的なかわいらしい少女だった。
活発な性格だったが、色々気配りのできる優しさも持っていた。二人で近所の小さな山を探検して、祐介が足が痛いと言って泣いたとき、明美は黙って祐介の手を握り、泣き止むまでそのままじっとしていた。そして祐介が泣き止んで再び歩き出すと、えらいぞと言って小さな飴をくれた。
涙を拭いながら飴を噛み砕くと何とも言えないあまじょっぱい味がした事を、祐介は今でも覚えている。
しかし祐介が小学校3年に上がる前、明美は死んでしまった。
2月も下旬に入り、そろそろ暖かくなりだしたある日の放課後。交通事故だった。
両親と一緒にすぐに病院へ駆けつけた祐介は、道中両親に何度も「だいじょうぶだよね」と聞いた。
「あけみちゃん、だいじょうぶだよね。だいじょうぶだよね」
「大丈夫だよ」と答えて欲しかった。いつか怖い夢を見て泣いた夜のように。張り切って手伝いをして、皿を割ってしまった時のように。
でも両親は険しい表情を変えず、何も言ってくれなかった。
そして、明美は祐介たちの到着を待たずに逝ってしまった。祐介は泣いた。泣いて泣いて泣きまくった。ひとりで泣いた涙は苦かった。
携帯電話のシンプルな着信音が部屋の沈黙を破り、祐介を回想から現実へ引き戻した。
ズボンのポケットから携帯電話を取り出し、画面を見た祐介は違和感を覚えた。
おかしい。
携帯電話はマナーモードに設定されている。
当然だがマナーモードならば着信音は鳴らないはずだ。
「どうして着信音が鳴るんだ…?」
着信音は、誰かからメールが送られてきた事に反応して鳴ったらしい。
祐介は少し緊張しながら、受信ボックスを確認する。
受信ボックスにはこの数十分の間に送られてきた『世界終了メール』がたまっていたが、一番最新のものだけ題名が変わっていた。
『送信者:KELVIN 題名:選ばれた貴方へ』
送信者の名前はまたもやKELVIN…。
「誰なんだこいつは…」
祐介はメールを開いた。