恋する資格って?
第一話に比べると長くなります。予めご了承下さいね?
2日目 宝条瞬の日記より
昨日までがウソのように撮影は順調。
セリフ一つ間違えず、自分でも驚くほどのペースだ。
むしろ、ペースが速すぎて疲れてしまうくらい。
日中の暑さもあって、喉がからからだ。
「よしっ!メシにしよう」
監督の一言に、正直救われた。
民宿に戻る。
「おかえりなさい」
悠理が民宿の庭で出迎えてくれた。
エプロン姿が、なんだかかわいく思えてならない。
「嬢ちゃん、メシか!?」
血走ってすらいる監督の目の前には、水を張った大きな木桶にきれいに素麺が盛りつけられている。
氷と素麺の白さが涼を感じさせ、見ているだけで食欲をそそられる。
「よっしゃ!喰うぞ!」
一体、この娘は何者だろう。
本当に謎だ。
どこか一流の料理人が変装している?
そんなバカな。
だけど、そうでなければ、ただの女子高生が、どうすればここまでの味が出せるんだ?
はっきりいって、東京の一流レストランのシェフだってここまでの味は出せないだろうことは、子供の頃から名店を食べ歩いた僕にはわかる。
というか、出せるはずがない。
「うぅぉぉぉぉぉっ!うめぇぇぇぇぇっ!!」
「マジ!?素麺って、こんなに美味かったか!?」
「嬢ちゃん!追加急いでくれ!」
監督達は、先を争って食べまくる。
その中には僕もいた。
つゆがとにかく絶妙。
甘さといい、塩加減といい、コクといい、すべてが芸術品といいきれる。
素麺の喉越しを殺すことなく、むしろそのまろやかさが絶妙なハーモニーとなって喉を喜ばせてくれる。
「薬味もありますよぉ」
テーブルには、悠理によってきれいに盛りつけられた錦糸卵や椎茸の煮染めを刻んだものが並べられた。
これも絶妙。
何もかもが、絶品過ぎるほどの絶品だ。
いや、これは、これこそが芸術だ。
でも……。
僕は箸を置いて台所に向かった。
心配だったからだ。
悠理は、みんなの世話に追われ、何も口にしていない。
みんなが楽しいひとときを過ごしているのに、悠理はそこにいない。
一人で苦労している。
それは、おかしいと思った。
「手伝うよ」
「え?ああ、大丈夫だよ」
悠理は額に汗を浮かべながら、大きな鍋から素麺をあげると、手慣れた手つきでしめた。
「だけど、何も食べていないだろう?」
「後で食べてるよ。それに」
素麺を手早く盛りつける悠理は言った。
「これが僕の仕事だもん」
「……じゃ、追加を持って行くのは僕の仕事だ」
僕はだまって素麺を受け取った。
「年齢的には、僕も下っ端だからね」
「……ありがと」
なんで、この子、ただ微笑むだけでこんなに可愛く思えるんだろう。
僕は、顔が赤くなるのを押さえられなかった。
「どしたぁ?瞬、顔が赤いぞ?」
僕から素麺を受け取った監督に気づかれた。
「え?そ、そうですか?」
「しかもにやけてる」
軽く顔を叩いてみる。
「お前、嬢ちゃんに何かしたんじゃないだろうな」
「何って」
「ナニだよ、ナニ!」
「な、何のことですか?」
「瞬!」
監督は、ドスの効いた声で言った。
「は、はい!」
「他のチャラチャラしたオンナのつもりで嬢ちゃんに手を出したら、二度と芸能界で仕事とれなくしてやるからそう思え!」
周囲からは冷やかしの声と、そうだそうだ。というヤジが飛ぶ。
「ち、ちょっと待って下さい!ぼ、僕はそんな――」
「あんな出来た娘にチョッカイ出すんじゃねぇぞ!?」
監督は、真顔でそう怒鳴った。
「今のお前じゃ、嬢ちゃんが不幸になるからな!」
午後の撮影。
二度あることは三度あるとはいうけど、またもや難関が待ちかまえていた。
演技にどうしても納得が出来ない。
役者ならわかってもらえるだろうけど、何かがひっかかってふっきれない。
監督の表情も険しくなってくる。
ちょっと休憩。
「お疲れ様でぇす!」
その声のした方を見ると、草陰を背負子だけが歩いてくる。
「なんだ!?」
「妖怪か!?」
スタッフもびっくり。
「石でも投げてみようか?」
誰かが石を構えたのをあわてて止める。
草陰からひょっこり顔を出したのは、巨大な背負子を背負った悠理だった。
「お茶、持ってきましたぁ」
「ったく、嬢ちゃんも災難っちゃあ、災難だなぁ」
スタッフの一人が、麦茶をもらいながら気の毒そうに言った。
本当にそうだ。
悠理が料理や旅館の掃除までやっている理由。
それは、昨日の夜、スタッフ数名と旅館のおばさん達が街まで飲みに行って事故に遭い、全員が入院したからだ。
旅館には、主である老婆がいたものの、肝心の運用に必要な人手はゼロ。
その老婆も、深夜にリュウマチが悪化して緊急入院。
旅館を好きに使っていい。といわれたものの、これには困った。
頼むべき女性もメイクなどで数名いるものの、炊事洗濯の能力がないことを、周囲はイヤという位熟知していたし。
撮影に響くと監督が激怒する中、
「料理と掃除くらいならできるよ?」
と申し出てくれたのが悠理だった。
「はい。宝条君、お茶」
「サンキュ」
セリフのせいで乾いた喉を麦茶で潤す。
「嬢ちゃん!ビールはないのか!?」
音響の湯本さんが冗談めいて言う。
この人、本当に酒好きで困る。
「仕事中ですよぉ?」
「ハッハッハァ!ま、夜は出るよな!?」
「うーん。誰か買い出しにつきあって頂ければ」
「後で手配しよう」と監督。
「お願いします」
「そのかわり、夕飯も期待してるぜ?」
「はぁい」
気が付くと、僕は悠理の一挙手一投足を眺めていた。
ただただ、この娘が気になって仕方ない。
この娘の、ちょっとした仕草や表情の変化に心が奪われている。
「で、宝条君、上手くいってる?」
「え?あ、ああ、まぁ」
情けない。
他の女の子だったら、どんなんでも上手くあしらえるだろうに。
なんでこの子にはそう出来ないんだろう。
これじゃ、役者失格だ。
「それがなぁ、嬢ちゃん、聞いてくれや」
監督が悠理に気に入らない点を話し出した。
それは、的を射てはいても、やはり女の子に言って欲しいものではない。
「ふぅん……」
「つまり――」
コホンッ
悠理は喉のあたりを少しなでた後、動いた。
「お待ち下さい!」悠理が何かにすがりつく。思い詰めた、凄まじい形相。
「いま一度……いま、一度……」
悲哀に満ちあふれた声は、聞く者の心に痛みとなって伝わってくる。
「くどいな」立ち上がった悠理が演じるのは僕の相手役。
まるで汚物を見るような目は、氷のよう。
「お主の負けじゃ!すなわち死んだんじゃ!なんじゃ、その無様な姿は!」
無情にも蹴られる悠理。
「沖田殿……」
哀願をたたえた眼差しは、絶望へと変わってゆく。
「失せろ」
「……」
すがりつく悠理の手は、力無く地に落ちる。
「負け犬らしく、どこへなりと行くがよいわ!」
――人は、あまりに悲しいことがあると、逆に泣けないという。
まさに、悠理の、そして僕の役はそういう役。
放心状態に陥る悠理。
脇差しに気づくと、焦点の合わない目のまま、それを抜いて腹を切ろうとするが、その刃を見た途端、脇差しを落としてしまう。
手が震えて、脇差しがつかめない。
悠理は、死ぬのを怖がっていた。
しかも、自分が死を怖がっていることを、悠理は驚いている。
震える手を、いや、自分を信じられないという顔で見つめる悠理は、声を上げて泣きじゃくりはじめた。
「―――って、こういう感じ?」
何でもないって顔で、ひょいと顔を上げる悠理。
見ていたスタッフ全員が言葉を失った。
僕もだ。
何故かって?
簡単だ。
悠理の演技力だ。
完璧。
いや、完璧すぎる。
悠理は完璧すぎるまでに二役を演じきった。
手には何も握ってはいない。
でも、そこには間違いなく、脇差しがあった。
蹴ったわけじゃない。蹴られたわけでもない。
でも、悠理は確かに蹴り、蹴られた。
それは、演技が完璧でないと出来る芸当ではない。
しかも、その声は、僕と、相手役の綿引さんの声と寸分変わるところがない。というか、綿引さん自身を、完全に演じきっていたんだ。
信じられない。
「うーん。あのね?理由は簡単だよ」
僕達の驚きに気づかないらしい悠理は、僕に言った。
「宝条君、そこまで追いつめられた経験、ないでしょう?」
「え?」
「つまり、経験がないから、絶望するって、どういうことかわかんないんだよ」
「……」
確かに、そうかもしれない。
死のうと思うくらい絶望するなんて経験はしたことがない。
「したことないことを、演じるのが役者さんだから、難しいかもしれないけど、でも」
悠理は微笑みながら言ってくれた。
「宝条君なら出来るよ!」
ドッキン!
心臓が高鳴った。
「あ、う、うん……」
「?……あ」
あたりをキョロキョロした悠理が、何かを思い出したように、急にしょぼんとしてしまった。
「ごめんなさい」
そう言って、急に頭を下げる悠理。
「ごめんなさい。皆さんの世界に土足で踏み込むようなことしました。反省します」
そういって、悠理は旅館へと戻っていった。
とぼとぼ歩いていく悠理の背中は痛々しい。
その後ろ姿を見送る僕は終始無言。
というか、最後まで言葉が出てこなかった。
悠理は、単に状況を確認して、僕を励ましたかっただけ。
そして、僕は、いや、僕達は、悠理の演技力に度肝を抜かれただけ。
誰も、非難なんかしていない。
むしろ―――。
「瞬!」
監督が真っ赤になりながら怒鳴った。
その体はワナワナと震えている。
「嬢ちゃん、役者にしろ!」
「はぁ!?」
「あれはお前以上の天賦の才がある!俺にはわかる!あれは金、いや、ダイヤの卵だ!」
「つーか、おい瞬」
綿引さんが僕の肩に手を置くと、ため息混じりに言った。
「お前、オンナの扱い、下手すぎるぞ」
やはり名優。貫禄が違うその言葉に、僕は驚いた。
「えっ……」
「嬢ちゃん、お前の機嫌損ねたと思って凹んでるんだよ。お前が男としてきちんとフォローしなかったせいだ。わかっているのか?」
つまり、僕は悠理を傷つけた。
そういう、ことだ。
僕は、それにどうしていいかわからない。
そして―――
「はいOK!」
監督の号令が飛ぶ。
「瞬!そうだ!それが絶望するっていうんだ!」
演技の最中、僕がすがりついていた体は、確かに綿引さんだった。
でも、その顔は、悠理だった……。
そうか……絶望するって、こういうことなんだ。
●2日目 宝条瞬の日記より
夕食
悠理が近くの川で捕ってきたというイワナ料理がメイン。
川魚がこんなに美味しかったとは知らなかった。
「嬢ちゃんマジック」
誰が言い出したか忘れたけど(確か、撮影の坂本さんだっけ)、本当に魔法のような美味。
撮影は順調。
食事も美味い。
酒も出て、みんな大騒ぎだ。
でも……。
悠理は、昼までとうってかわって、あまり台所から出ようとしない。
表情も、どこか沈みがちだ。
「……」
気になって仕方ない。
悠理が落ち込んでいる責任は、僕にある。
僕の演技が完璧だったら、綿引さんの言うとおり、あの時の僕のフォローがしっかりしていれば、悠理は落ち込まずに済んだ。
だから―――。
「悠理」
僕は台所へ入った。
「あっ……」
気まずそうに目を伏せる悠理。
「ごめん」
僕はそういって頭を下げた。
「え?」
「僕のせいで迷惑かけたから、だから、ごめん」
「ち、違うよ!」
悠理は慌てていった。
「僕が余計なコトしたからだよ!謝るのは僕のほう!」
「だけど―――」
「僕、少しだけ嬉しかったのかもしれない」
悠理は言った。
「あのね?僕の育ったところって、テレビがほとんど受信できなかったし、映画館もなかった。だから、役者さん達を見る機会って、本当になかった」
「……」
「でね?テレビで一話見られても、続きがどうなるかわかんない。見ることが出来ない方が多いから。だから、「きっとこうかな」って、自分で演技のマネゴトしてたんだ。で、今日の話聞いて、なんだか自分がしていたことを、みんながしてるような、そんな気になっちゃって……」
悠理はうつむいたまま、言った。
「僕は一人で遊んでいただけ。みんなは仕事。その辺を、忘れちゃっていたんだ」
「でも、上手かったよ」
「下手だよ……」
「しかも、僕に絶望ってことを実感させてくれた」
「え?」
「い、いや、なんでもない。と、とにかく、みんな、悠理のしたことを悪いことだとは思っていないよ。大丈夫。みんな、君には感謝しているよ」
「そうかな……」
「信じられない?」
「うん……」
「じゃあ、こうしよう」
「?」
「今から二人でみんなの所へ行く。で、君が怒られたら、僕は君の言うことをなんでも聞く。これでどう?」
「怒られなかったら?」
「……デートしてあげよう」
ぷっ。と笑う悠理が悪戯っぽく笑いながら言った。
「や・だ」
絶望第二弾を味わった後、僕と悠理は食器の片づけのため、みんなの所へ行った。
「おう嬢ちゃん!」
酒が回っているらしい監督が悠理に声をかけてきた。
「は、はい」
「女優の道に進め!次の作品の主役は任せた!」
「は?あ、あの……」
悠理の手を引いてグテングテンの監督から遠ざける。
「大丈夫?」
「酔うとあの人、いつもああだから」
「瞬!次もお前が主役だ!なんならキスシーンつけてやる!」
「やります!」
言下にいいきってしまった。
我ながら現金なもんだ。
「おーし!」
「あ、あの……」
困った顔の悠理の顔をまともに見られない。
「あ、ああ、ギャグだよギャグ」
本当、こういう演技だけは上手くなる気がする……。
手が荒れると困る。
という理由で、悠理に断られた僕は食器洗いは出来なかった。
風呂に入って一息つける。
後は寝るだけだ。
「あ」
「おっと」
廊下の角で悠理とぶつかりそうになった。
悠理もどこか別な風呂に入ったらしい。
ブカブカのシャツ姿だ。
子供っぽい悠理でも、こういう時、つまり、湯上がり姿は、なんだか色っぽくすら見える。
「お風呂あがり?」
「あ、ああ。君も?」
「うん。露天風呂」
「あっ、そっちに行けば良かった」
「気持ちよかったよぉ?……あれ?」
悠理の視線が下に向かう。
「宝条君、浴衣がほつれている」
「え?」
見ると、膝のあたりがすこしだけほつれていた。
「待って。直すから」
悠理は針と糸を取りだすと、僕の前にしゃがんだ。
「あ、そういうの、持ってるんだ」
「たしなみ、だよ?」
『お前、今時、あれだけ出来るオンナとつきあったことあるか?』
不意に、監督の言葉が思い出された。
はっきり言う。
ない。
ここまで気づく女の子も、まして針と糸を持ち歩く女の子も、つきあったことがない。
手料理も食べた。
布団の世話まで、全部悠理がしたと聞いている。
あの演技力のこともある。
この子は、本当にすごい娘だ。
『今時、貴重だぞ。アレは』
監督の言葉を、僕は実感している。
この娘に比べ、僕なんて、どうなんだろうか……。
ちらりと悠理を見て、僕は心臓が止まった。
この体勢だと、悠理の胸元が丸見えだった。
平べったい胸の先っぽのピンク色は……。
ゴクッ
生唾を飲んだ音がやたらと大きく響いた気がした。
抱きしめたい。
抱きしめて、あんなこととか、こんなこととか……。
その手の経験はあるし、この年では豊富な方だと思っている。
でも、
『あんな出来た娘にチョッカイ出すんじゃねぇぞ!?』
監督のあの時の言葉が楔となって僕を襲ってきたおかげで、僕はここで失態を犯さずに済んだ。
それだけは幸いだった。
『今のお前じゃ、嬢ちゃんが不幸になるからな!』
あれは、どういう意味なんだろう。
僕が、ふさわしくない。ということか?
何故?
ただ、終始、視線は悠理の胸元に釘付け。
見てはいけない。と思いはしても、目が拒否している。
頼む。息子よ。おとなしくしていてくれ!
「?」
不思議そうな顔をした悠理が、ちらっと僕を見上げた後、不意に浴衣に顔を埋めた。
「!!」
僕はとっさに帯を押さえる振りをして股間を押さえた。
悠理が糸を歯で切っただけだ。
でも、この子がこの姿勢で顔を埋める。というシチュエーションは、正直、理性の糸をまとめてぶった切られるほど刺激的だった。
「終わったよ」
そういって、針と糸をしまう悠理だが、
「どうしたの?」
「いっ、いや、なんでもない」
風呂道具で前を隠す僕。
情けない。
この娘の前で、僕は何一つ、格好いいところが見せられないままだ。
神様、二枚目俳優宝条瞬は、何枚目俳優に格下げになったんでしょうか?
「とっ、とにかく、ありがとう」
「いえいえ」
クスクス笑う悠理と、しばらく並んで歩く。
とりとめもない話が続く。
「あっ、そうなんだ。綾乃君と同じクラスなんだ」
「うん。宝条君はC組だったよね?」
「ああ。でも、あんまり学校には行っていないからね」
「仕事、忙しいんだね」
「うん。学校でみんなと一緒に勉強、か」
窓越しに見上げると、満天の星空。
「楽しいよな」
「うん」
悠理も並んで星空を見あげる。
―――だめだ。
夜空がスクリーンになって、さっきの光景が浮かんでしまう。
その後、しばらく悠理と話をした後、部屋へ戻った。
布団は、太陽の匂いがした。
心から安心できる匂い。
深く深呼吸して、心の中で悠理に感謝する。
――この匂いは、きっと悠理の匂いだ。
なんでそう思ったかわからない。
だけど、僕は悠理に抱きしめられているような気がして―――。
●3日目 宝条瞬の日記より
翌日のお昼。
「はいこれ」
食事時に悠理が手渡してくれたのは、風邪薬だった。
「?」
「ゴミ箱にテッシュがたくさんあったでしょ?風邪薬、早めに飲んでおいた方がいいよ?」
心配そうに言う悠理に、僕は笑って感謝した。
とてもいえない。
悠理に抱きしめられるような気が高ぶりすぎて、翌日の太陽が黄色く見えたなんて……。
●宝条瞬の日記より
撮影はすこぶる順調。
監督からは次の仕事がもらえることは確実。
連日泊まり込みの撮影にもかかわらず、スタッフにも色は見られない。
やはり、美味い食事のおかげだ。
今日の夕食は煮込みハンバーグ。肉汁の具合が絶品だった。
体調も良好。
精神的にも、ロケ開始当初のスランプがウソのようだ。
これもすべては悠理のおかげだ。
悠理が頑張って食事や身の回りの世話をしてくれるから。
何より―――
「宝条君なら出来るよ!」
あの凶悪なまでの笑顔から繰り出される励ましの言葉。
あれが効いていることは疑いの余地がない。
監督は、全撮影期間中、食事当番として雇うといっているが、それは無理らしい。
予算とか学校の関係とか、いろいろある。
何より、悠理は芸能界とは無関係の人間だ。
明日でここでの撮影は終了する。
悠理も、ここからいなくなる。
監督は、意地でも悠理を女優にするつもりだし、何よりあの食事をもっと堪能したいみたいだ。
僕も、これで悠理とは学校でしか会えなくなる。
仕事に追われる僕がほとんど行くことの出来ない世界へ―――。
日記を閉じた宝条は、意を決したように席を立つと、部屋を出た。
「おう、瞬、どうした?入れ」
宝条が向かった先、そこは監督の部屋だった。
「やるか?」
監督が差し出したのはビール。
「いただきます」
「未成年だろうが」
「勧めたのは監督です」
二人はしばし無言でビールを傾けた。
「お嬢ちゃんの件か?」
口を開いたのは監督だった。
「どうしても、教えてもらいたいことがあって」
「何だ?」
「監督、僕が彼女にふさわしくないって、そう言っていましたよね?気付よ、とも。あれは一体―――」
「言葉通りさ」
「それがわからないから、ここに来たんです」
監督は、じっと宝条の顔を見ると、ため息まじりに言った。
「そうか。わからなかったか」
「……」
「おい、瞬」
「なんです」
「お前、自分であの嬢ちゃんにふさわしい男だとでも思っているのか?」
「……」
「答えろよ」
「はい」
「……だからだよ」
監督は鼻で笑った後、言った。
「お前は嬢ちゃんにはふさわしくない」
「だから!」
「お前はまだ、自分が何者か、それすらわかっていない。二枚目俳優?名優の息子?そんなものは周囲がつけただけの肩書きでしかない。七光りさ。他人の後光で成り立っている。それがお前だ」
「……」
宝条は、言葉が出なかった。
「お前は、自分がない。俳優なんて、みんなそうだ。しゃべるセリフも、存在も、すべて借り物だ。スクリーンに映る役者を、ただ役者としか見ないバカはいやしない」
「それでも、僕はやるべきことをやっています」
「当たり前だ。仕事だろうが」
「お話が見えません。それと悠理と、どう繋がるんですか?」
「お前、名優っていわれる役者と、大根の違い、わかるか?」
「え?」
「セリフ回しとかじゃない。長年、何人も俳優を見てきた。いろんなヤツがいたよ。才能があるのに芽のでないまま消えていったヤツ。今のお前みたいに周囲の後光で泡みたいに消えていったヤツ」
監督は、ビールの缶を握りつぶした。
「その中に、お前のオヤジさんもいた」
「父さんが?」
「ああ。最初はただの優男の端役もいいところだ。ところが、不思議と存在感があった。スクリーンの端にいても、ついつい目がそっちにいく」
「どうして、ですか?」
「それに気づいたとき、俺は名優と大根の区別がわかったのさ」
「それは?」
「己を持っているかどうか、さ」
「己?」
「そうだ。上辺の存在じゃない。心の底から、己という存在を持ち続けているんだ。何かになるためには、まず、己がなければならん。己を持つヤツは、絶対に何をしても上手くいく。―――嬢ちゃんみたいにな」
「悠理が?」
「そう。嬢ちゃんは、お前なんか比較にならないほどしっかりとした己を持っている。それはファンの前でお前が見せるキザったらしい紙切れみたいなもんじゃない。もっとこう、深い、深くて大きいモンだ。人間性、つーか、器みたいなもんかもしれんと思う。俺は学がないから、上手く表現はできないがな」
「己という土台があるから、そこで悠理はどうとでも動ける。―――そういうことですか?」
「そうだ。演技する時、自分を空っぽにするなんていうが、それはウソだ。己と演ずべき存在が持つべき自己をリンクさせてこそ、みたろ?嬢ちゃんのあの迫真の演技」
「は、はい」
「しっかりした己を持たないヤツは、勝手に空想した偽りの想像に振り回されて大した演技が出来ない。己を持つ名優はそんなマネしない。演技の深みってのは、その辺にあるんだろうなぁ」
「僕は、己をもっていない、ということですか?」
「ああ。オンナと浮き名流しても、何してても、お前は上辺だけの安いチンピラだ。今のお前じゃ、嬢ちゃんまでダメになる。だから、俺は嬢ちゃんとお前の関係は認めない」
「まるで、僕が悠理にとって害毒っていいたいみたいですね」
宝条は拳を握りしめながら言った。
「そういった」
「!」
とっさに殴りかからずにいるのに、宝条は自制心を総動員するハメになった。
「瞬、お前はな?親父さんのようになるためにも、もう一度、心を磨いた方がいいぞ?」
「心?」
「そうだ。強い自己を持て。何者にも汚されることのない、強い自己をだ。そうすれば、お前ははじめて嬢ちゃんと似合いになれる」
それまでに、嬢ちゃんがオンナとしてどこまで成長するかもあるか。
監督は、そう言って少し笑った。
そうか。
宝条は何とか納得することができた。
才能じゃない。
全ての根元は自己なんだ。と。
「それに気付け、といいたかったんですね?」
「ん?ああ、それはハズレだ」
「?」
「俳優やってて、最も長持ちする女房はな。ただの美人じゃないんだ」
「?悠理は――」
「顔じゃねぇんだよ。嬢ちゃんみたいな気だての良さ。亭主をおったてる配慮、なにより家事が出来て、家に帰れば笑顔で上手い料理を並べてくれる才能と心があることさ。これが出来る伴侶を手に入れられた役者は、間違いなく、名優になれるんだ」
「自己と、伴侶―――ですか?」
「お前、一人で何が出来る?映画だってみんなで作るもんだ。人生だってそうだ。上辺だけのオンナのつきあいばかりじゃ、オンナのよさなんてわかりゃしない。支えてくれるよき伴侶がない俳優は、傾いた家と同じさ。すぐに倒れる」
監督は言った。
「はやく男として一人前になれ。嬢ちゃんがダメでも、それにふさわしいオンナを手に入れるためにも、な」
翌日の午後。
「あれ?」
撮影の合間を見て悠理を探していた宝条が悠理を見つけたのは、撮影現場のすぐ側の木陰だった。
悠理は眠っていた。
考えてみれば。
宝条はその寝顔を見つめながら思った。
美味い料理―
身の回りの世話―
撮影の手伝い―
そして――
どうしよう。
宝条は躊躇した。
監督からはまだ早いといわれたが、それでも気持ちを伝えられないのはイヤだ。
だけど、悠理のこの無邪気な寝顔を起こすのも可哀想だ。
「……」
宝条は無意識に悠理の寝顔に見入っていた。
宝条は気づかない。
自分が段々と悠理に顔を近づけていることを。
そして―――。
「好きだよ。悠理」
宝条は、悠理と唇を、重ねた。
●その後 明光学園
「ねぇ、水瀬君」
食事を終えた美奈子が、教室に戻ってきた悠理に映画雑誌を手渡しながら言った。
「この映画って、水瀬君が手伝いに行ったヤツたよね?」
「え?」
見ると、確かにそれは悠理が手伝いにいったあの時代劇だ。
「うん。監督からって試写会のタダ券もらっている」
「うそ!ね!見に行こうよぉ!」と未亜。
「いいよ?5人分あるし」
「やりぃ!」
「でも、水瀬君」とルシフェル。
「さっき、宝条君から、何か言われいなかった?」
「うん。旅行に行こうって」
「旅行?どこへ?」
「モロッコ」
「はぁ?」
宝条瞬主演の映画は、そのクライマックスシーン、絶望と自暴自棄に陥った瞬演じる侍の、死を恐れない暴走ぶりの迫力と、それを文字通り演じきった宝条の演技力に高い評価が集まり、口コミが口コミを呼ぶ形で大ヒットしたという。
ただ――
「宝条君は」
完成試写会で進行役が宝条に訊ねた。
「スタッフの間では有名みたいですが」
「何です?」
「宝条君、この撮影中にかなり手痛い失恋をされたそうで」
えーっ!
ファンからは悲鳴のような声が上がる。
「は、はい……実は」
宝条が泣き笑いに近い顔で頷くと、その騒ぎは大きくなるばかりだった。
「誰よ!?俊様フルなんてマネしたの!」
「信じられない!」という感じだ。
「まぁ、あれだけの女性に出会うのが、何年先になるか、それとも永遠にこないのかわかりませんけど、次に出会うときは、もっと男、いえ。人間を磨いておきたいと思います」
「その失恋が演技に影響は?」
「最後の撮影では十分役立ちました。自暴自棄って言葉の意味、実感しましたし……」
ちなみに、宝条瞬は、この後、浮いた噂がなくなり、かなり硬派な俳優として芸能界に確固たる地位を築きあげることになる。
そして―――
「宝条君?」
楽屋に入ってきた宝条は、何かを思い詰めた顔をしていた。
「ど、どうしたの?」
「綾乃君」
宝条は血走った目で綾乃を見つめてくる。
尋常ではない目の光りに押され、綾乃は無意識に壁際に追いやられた。
「ほ、宝条君、なっ、何を!?」
貞操の危険を感じた綾乃だったが、宝条の口から出てきた言葉は、意外なモノだった。
「頼む!悠理君と別れてくれ!」
「……はぃ!?(;゜д゜)」
綾乃は耳を疑ったが、宝条が本気なことだけはすぐにわかった。
「性同一性障害とでもなんとでもする!悠理は女の子になるべきなんだ!だから頼む!まず悠理君と別れてくれ!」
あきれかえった顔の綾乃が宝条に訊ねた。
「……本気、ですか?」
どこからどう情報が漏れたのかはわからない。
硬派宝条のイメージが定着する頃。
宝条=ホモ説がとり立たされ、その余波は……。
「水瀬君!宝条君と幸せにね!」
「性別なんて関係ない!私達、応援するわ!」
「?????」
学校で悠理に声援を送る女子生徒の手には、やおい本やル○ー文庫が握られていたという。
よかったのか悪かったのか……。
はい。お疲れさまでした。この後、「僕たちの甘くせつないミッション」と「悠理ちゃんの災難」へと続きます。
よかったら見て下さい!