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姉が逃げてしまったので身代わりになったら祖国を救いに戻ってきた元凶に元の場所に戻されるが座れる椅子なんてどこにもなかった

作者: リーシャ
掲載日:2026/08/15

 寝ていると我が家が騒がしいことに気がついた。朝早くから使用人たちが走り回っているのだ。寝起きの頭で辛うじてわかったこと。叩き起こされることもなく、ぐっすり眠って起きたら文字通り世界が百八十度変化していた。


「貴殿の娘、ナサータ・フロレイエンが夜中に国を出たことが確認された」


 姉の名を前に両親は震えて床に座らされていた。エノンも見つかるとわけもわからず座らされて、説明されたがわからないと首を振るこちらへこれ以上のことを伝えようとする人間はいなかった。

 残りは父と母が説明してくれるのだろう。撤収していく面々を見送ると親から何があったかを聞くことになる。なぜ、兵士たちがここにいて、まるで罪人のように取り囲んでいたのか。


「ナサータが家を出て行ったの」


「え?」


 ナサータは実姉であり、王子妃筆頭候補とし実質的には確定していた。なんせ、天才で王子が溺愛しているのだ。溺愛されている姉を蹴散らせる候補はいない。その姉が国を出て他国に渡ったのだという。

 王家の機密を持って出たわけではないが、貴族として他国に無断で出た件について死刑になってもおかしくない。ただの令嬢や貴族ならば旅行や他国に滞在を一時的にしても許される。申請すれば留学だってできる。

 王子妃候補でもできるものの、姉が罪に問われたのは帰るつもりがない逃亡が確定したからだ。許されない大罪である。栄華を成した、聖女の血筋の名家だとしても許されない。


 王子の子供を宿してはいないが、宿す可能性のある器である限り、逃亡など許されない。姉を輩出した家であるし、血縁関係の家へ罪を償わせることはなんらおかしくない。


 今回の件について王妃を出す家になる、名誉で高貴な立場になるはずだった我が家は、一気に最下層へと突き落とされた。


 エノンは今まで姉が嫁ぐのでこの家を継ぐために後継者となるべく勉学に身を捧げてきた。学園に入ったばかりでデビュタントだってまだデビューしておらず、ドレスの用意も始めようかと朝方話していたのに。


「どうなるの?」


 問いかけるが二人の目には生気がない。それが答えなのだ。項垂れる体を止めることはできず、眠気も吹き飛んで明日からの生活に不安が募る。そして、嫌な予感はそのまま身に降りかかる。王室は人を派遣すると罪と罰を告げた。


「エノン・フロレイエンを側妃にする。フロレイエン家は男爵に降格」


「……ひ」


 エノンの身柄は王室へ移された。よい視線は一つもなく、誰も彼もが罪人を見る目になっていた。少し前まで使用人に世話をされていた生活をしていたのに、ここへきてからは全て自分でするようにと冷たく言われる。使用人がするのは監視だけ。手伝おうとしてくれる人もいない。


 そこに関しては問題なかった。自分の経歴が転生者であったので、自身のことをやることはできはする。できはするが、この仕打ちは堪えた。

 側妃候補という名のタダ働きさせるための補佐だ。連座で処刑されるよりマシだろうとばかりに毎日酷い量をさせられた。


 エノンはこの世界に生まれてまだ十歳にも満たないのに、お前は賢いのだろうと領地で大人顔負けの仕事をやり遂げていたことが仇になったのだ。

 婚約者のはずの姉の婚約者だった王子と対面したが、心底許せない恨みの滲む憎そうな顔で「お前のせいであの女を王妃として迎えなければならない」と告げられてびっくりした。


 彼は姉を愛していて、逃げたことで嫌いな令嬢を妻にしなければならない八つ当たりをされた。八つ当たりもこの身に課せられた罰なのだと、クスクス笑う使用人らの陰口を聞くしかできない。

 水をかけられたり、冬に暖かい火を貰えずブルブル震えて過ごした。人間のやることではない。いつからこの世は悪魔の住む城になったのか。


 悪意から守られないばかりか、思い出したのは自分の護衛だった男。エノンが小さい頃に馬車を止めてと言って保護した少年を家に持ち帰ると姉がたまたま見にきていて、姉が助けたと思い込んでしまったのだ。


 別にお礼を言われたいわけじゃないし、元気になったのなら良かったと思った。のだが、彼はこの家に残り護衛として成長した。

 姉には王子妃としてのロイヤルガーデンたちがついていたので、枠はなく自然にエノンの護衛になったのはなった。微妙な気持ちにならざるを得ないが。変わらず姉を見る目に熱があり、護衛なのに姉に呼ばれるとホイホイ向こうへ行くことが問題なのではと眉をひそめてはいた。


 だけど、基本的に家にいるから長年、それでも姉が王室に入れば自ずと勝手に家を出ていくだろうと思っていたのだが。問題は姉の逃亡にその拾った護衛もついていったことだ。

 拾った女ではなく、そうであれと思い込んだ方に幻想を解くこともなく、共に向かったのだ。王子のお姫様を攫った男として指名手配されている。


 戻ってきてもまた王妃か近い存在に沿える王子の意向が透けて見えた。もう王妃が内定していて、結婚する男のやることではない。

 背筋が冷えたのは薪がないからではない。護衛だったのにいなくなったことで、エノンの護衛がいなくなった。今居たとしても護衛として許されたかは謎だ。


 護衛が一人でもいれば、害悪を二割は防げたかもしれないし、防げなかったかもしれない。でも、姉に恋焦がれる男からすると、姉を庇う行動をしても妹を守ろうとはしなかったかもしれないな、と空笑いする。


「あの子のせいでわたくしの派閥がうまく入り込めなかったのよ。長年準備をしてきたのに、全て水の泡よ」


 王妃に呼ばれて姑のいびりを聞かされる。その度に頭を下げ謝罪を強制され「すみません」「申し訳ありません」「不甲斐ない私たちのせいです」「生きていてすみません」「お詫びをいたします」と様々な謝るための言葉を言わされる。


 なぜ、姉ではなく無関係なところにいた自分がこんな目に遭わなくてはいけないのだろうと毎日毎日、思った。人に会うたびにお前のせいで、姉のせいで、親のせいで、護衛のせいでと詰られる。涙はいつの間にか出なくなった。夜深く眠れなくなった。まともに眠れたのは姉が出て行った日が最後である。


 頭を下げるのが足りないと次の年には土下座を強要され、良いというまで頭を上げることを許されなかった。


 今年は学園で大きなパーティがあると同級生と話していたのに、強制退学になっているから通うことは叶わない。ドレスは依頼中止にされているだろうから、気合の入ったデザインが日の目を浴びることもない。


 デビュタントだって二年後にあるが、参加はさせてもらえず貴族令嬢として終わったようなもの。誰からも誘われないから参加してもしなくても関係がないだろう。


 乾いた心は頭を下げるたび、使用人から侮られたび、王族からストレス発散で呼ばれて笑われてなけなしの服に飲み物をかけられたり食べ物をかけられるたび、何も感じなくなる。

 感じると耐えられないのだから正解を心は導き出しているだけだ。ご飯を食べる量も年々減っているのも、あったりするけれど。

 粗食を出されているというのもあるが、明日も生きていたくないという根本的な気持ちが、終始湧いているせいだ。そんなことになっている間にも、この国の王妃候補と王子は結婚していた。


 華々しく着飾った姉を見る予定だった年だと気付いたものの、祝いの席にも呼ばれないのだから考えるのはやめた。積み上げられた仕事をする方が、まだマシ。


 仕事をしていると給料の代わりに父と母たちと、面会することを許された。嬉しさに涙が潤むままに二人と部屋で会う。お互い抱きしめあって最近あったことなどを告げると、母たちは涙を流していく。


「いつ帰れますか?」


 無理なことと頭ではわかっていたが地獄から逃れたいがために、ついつい聞いてしまう。子供の言葉に親たちは強張る顔をそのままにする。


「男爵家になっても後継者としてやらなくてはならないことってたくさんありますよね?」


 処刑は免れたが男爵家はまさに冷遇の時代に突入している。王家の派閥から完全に弾かれ、婿などを探さないと本当にお家断絶になるのではないか。今までしてきた、当主になるべく学んできたことを活かしたい。やりたいことがたくさんある。


「心配しないで」


「ああ、うちのことは大丈夫。お前はここでやれるべきことをするのだ」


「……え?」


 ここに残ったままでいる必要があることは、ちゃんと理解している。


「あなた」


「ああ」


 それでも、ごめんと謝られたりするのかもしれない。そんな幻想は母が腹を触るのを見て打ち砕かれた。


「この子、男の子なの。この子のおかげで貴方がいなくても家を繋げられるのよ」


「は?」


「だから、ここでお前はなにもするな。いや、なにもしてはならないぞ。何か少しでも動けばうちはいつでも廃される。あっという間に貴族ではなくなるのだ」


「は?は?は?」


 無意識に「は?」を息継ぎなしで言っていると父母の恐ろしい者を見る目が映る。寒い日に水浸しにされる、薪は来ない、火も来ない、眠れない。およそこの歳で体験させられるのがまずおかしいことを毎日されている。

 いつ、王族に好き勝手命を弄ばれるのか、王妃にいびられるのか。そればかりに怯えて、怯えて仕事を疎かにすると叱責と罰を受けるのに。


 王子にはまだ今も姉をどこにやったと言われるし、苛烈な王子妃に無理矢理臭いものを食べさせられたりする。まさにサンドバック扱いだ。それなのに耐えろと彼らは言っている。


「後継者がいるのなら私はなんなのですか?」


「側妃だ。あんなことがあったのに王室に迎入れられたことに文句を言ってはいけない」


「わ、わ、私が何をされているのか、て、手紙に書いてるのを読んでますよね?書きました!私、ずっと!」


 父に言われた言葉に何をされているのかを、改めて具体的に羅列して述べた。手紙には元気にしているか、と聞かれることに気づけばよかった。

 両親は初めから娘が何をされているのかわかっていて、言葉にも手紙にもありきたりなことしか書かれていないのか。


 母の妊娠期間を考えると慰めの書かれた時期と慰めがなくなり、貴族の家を繋げるために甘い言葉を書かなくなった理由がわかった、わかってしまった。


 そうか、後継者ができたからこそ、もう家に戻らせられる可能性もない上にもしも戻ったときに、亀裂を入れないように甘い飴をぶら下げていたのをやめたのだな、と。


「私はあなた達を生き延びらせるための生贄になるために、生まれたんじゃない」


「エノン!お父様になんて口を聞くの!?」


「いいんだ。言わせてあげなさい」


 どうせ、次女は帰って来られやしない。二人が家に帰れば手出しできないと思って余裕を見せてきている。


「子捨ての卑怯者」


「辛い目にあったのだな」


 父は物分かりのいいふりをしている。これで誤魔化される知能ではない。転生者と知らず、王城で囚われているから差し出しておけば安泰だ、とでも思っていそうだ。クッと笑う。


「二度と手紙を送ってこないでください。面会にもね。もうあなたたちを親とも思いません。帰って」


 死んだ目で告げると母は辛そうにしており、父は襟を正して貴族ぶって去る。どんなに服装がきちんとしていても男爵家なのだ。

 高位貴族のように装っても、心も爵位も地に落ちて真っ黒なくせに。滑稽な姿に笑う。戻れないことは知っていたが、本当の意味で戻せると信じていた心の支えを失って力尽きた。


 淡々と仕事と捌け口を熟す中、気づけば五年以上経過していた。五年も経っていたと気付いたのはこの国に病魔が走り寄っていたからだ。

 感染症ともなんともわからず、エノンならば対策のために計画を練ったのにとうすら笑った。例え今、自由の身になっても、ここまでしてきた人間のために奔走しないから、起こり得ることはない行動力だが。


「え?」


 数日前から場内が騒がしいと気付いたが、誰かが懇切丁寧に最初から最後まで教えてくれることもない。他人事のようにその日も切々と過ごした。


 しかし、展開が急変したのは次の日。珍しく王室の中にある上質な部屋へ通されると女や男がゾロゾロいて、密度が高いなとうざったく思った。その一人にいきなり抱きつかれて反射的に突っぱねた。


「い、いたっ!」


「ナサータ!」


 駆け寄る男に女は「平気だから」と立ち上がる。ナサータというのは裏切り者の大罪人の名前だ。ほら、王族達が謝らせるために「大罪人の姉妹として生まれてきて申し訳ございません」と言わせる文面にも入っているではないか。忘れたくても忘れようがない。


「この国の恩人を突き飛ばすなど何を考えている!?」


「謝れ!」


 貴族の何人かが告げるのを見て、慣れてしまった土下座を体が勝手にやる。早くしないと、頭を上げてもいいと言われるまでの時間が延長されてしまうのだ。


「な」


「や、やめて!エノン、そんなことはしなくていいのよ!」


 大罪人と同じ名前の女が憐憫の声音で立ち上がらせようとするが、許可が出るまであげてはいけない。やめて、罵倒されるではないか。


「わ、私の妹に何をしたの」


 震える声は悲惨さを推し量るには遅すぎるほど。姉の名をした女がエノンを抱きしめて、王族たちへ威嚇する言葉を吐き出す。


「ナサータ!君は我が国を救ってくれた英雄。その身内となればもうここへ置く理由はない。恩赦を与える!」


 王子の声、婚約者の声なんて久々に聞いた。最後に聞いた言葉は「のたれ死ねばいいのに卑しい女だ」だった。その声が甘く女へ流される。


「当然です!お父様とお母様に会いに行きますから!」


「ナサータ!ここへしばらく滞在しておくれ。一番いい部屋を開ける」


 王子の言葉にナサータと言われている女は何も言わずにエノンを抱えたまま、部屋を出る。荷物はと聞かれて首を振る。全て自分の私物ではないから。この身一つで王家の、寒々しい孤独と名付けられた部屋に押し込められて久しい。


「可哀想な子……大丈夫、私が来たからにはもう大丈夫だから」


 何が大丈夫なのかわからない。


「ナサータ、重いだろう。おれが運ぶ」


 はるか昔、護衛だった男と似た声を持つものが話しかけたが、彼女は渡さなかった。馬車でしばらく移動させられて着いたのはどこか寂れた屋敷だ。

 見たことがあるような気がするが、いつからかこの屋敷は自分の家ではなくなったので記憶も朧げである。そこから出てきたのはメスとオスの番だった。


「ああ!ナサータ!」


「ナサータ、よくぞ帰った」


「お父様、お母様!」


 獣のオスとメスが謎の女を抱きしめるのを見ていたが、感動の気持ちは湧かなかった。


 動物のドキュメンタリーは昔から好きだったのに、可笑しいなぁ。


 王家から出された一週間だけでも目まぐるしく変化した。まず、ナサータは疫病を鎮静化させたことを評価されたらしい。

 そして、病や寒さに強い麦の開発者として今住んでいるらしい異国で表彰されて、それを理由に爵位を得ていた。おまけに王家の覚えがめでたいらしい。


 国が威信にかけて探しても見つからなかったのは、恩人を守るために隠していたと知る。見つかれば少しでもエノンの苦しみが分けられたかもしれないのに、余計なことをされたとしか思えない。

 この国での評価はまたまた百八十度ひっくり返されて、いなくなった日の百八十度が回っていたので一回転して元に戻った。いや、さらなる栄光に強い光が当たったのだ。


 世間は逃亡したナサータを忘れていた。出奔から五、六年も経てば人々は当時の具体的で細かな記憶を朧げにする。世代交代もあり、姉が王妃候補筆頭であったという事実も殆ど忘れ去られていた。王子がすぐに婚姻をしたというのもあり、現王子妃の方を語られることもあるのだろう。


 側妃を解任されたというのも、後から知った。両親がそれに涙ぐんで紙を見せてきたが言葉がうまく聞き取れなかったから、よくわからない。姉はどうやら今回のことでなんとか賞や褒賞、報奨金など様々なものが与えられるらしい。


 過去のやらかしなど、王室にとってもう気にすることではないというアピールもあるのだろう。確かにナサータへの怒りはなくなっているが、それはエノンが代わりに罰を受け続けたからだ。受けずに放置していたら、いくら恩人だろうと怒りを持つものはまだまだいたはず。


「ナサータ、お茶にしましょう」


「もう、お母様ったら。昨日もしたわよ」


「ほら、この子も話したいって」


 五歳ほどの男の子が母親の背後に立っていて、照れくさそうにしている。彼に初めて会ったのは母がお腹をさすり、この子がいるからもうお前は後継者として考えていないと無慈悲に告げられた時。

 二度目は王室から出されたとき。特別に目を向けたわけではないのにこちらを見上げて「怖い」と一言告げるとナサータのところに向かって逃げた。


 なにもしていないが、何も映さない瞳が怖かったのだと口さがない使用人たちが、好き勝手にコソコソ呟く。

 エノンがいたから連座されずにそこまで育ったくせに、そもそも連座を招きかけた姉に懐くとは人間はよくわからない。瞳の光を無くしたくてなくしたわけじゃない。


 父と母はあの日のやりとりをなかったことにして、家族のふりをして抱きしめようとしたがその前に後ろに一歩下がって、獣臭さから逃れた。匂いが移るから近寄らないでほしい。


「エノン、ごめんなさい」


「よく耐えてくれた」


 また話しかけられたが、人間にわからない言語を話しているせいで聞き取れない。そして、姉の功績の中の一つ、感染症の薬や事前の早期にやるべきこと、麦のことについて身に覚えがあり問いかけてみた。


「私のノート、盗んだの?」


「……返そうと思っていたの。でも、ここへは帰って来れなくなってしまって」


「責めるのならおれにしろ。おれが盗んだ」


 昔から書き留めていたノートがなくなったことを知らなかった。そんなものがあるのかないのか、探す前に連れ去られたから。しかし、姉達の功績はエノンが考えていたものを記したものだ。


 強い麦を作るための時間は王家のサンドバッグでやれるときがなかった。病の防止方法も伝える術もなく、コネもない。用意してくれる人なんていないから。


「あなた、私の護衛のくせになにを付いていってるの」


 前々から言いたくて仕方なかった。護衛が護衛対象を守らず、守る必要のない相手を必死に守る間抜けさに。彼は確実にエノンの護衛として指名された。視線が常々、姉を守りたいと告げていようと守るべき対象はエノンだったのだ。


「ごめん、なさい。彼を、置いていけなくて。私を責めて!」


「いや、おれを責めろ」


 お互いに庇い合っている。親しい間柄でなによりだ。エノンにはこんな風に話す人間などいなかったのに。随分とお姫様待遇を受けたらしい。妹のノートの中身で他国から感謝されて、次はこの国に堂々と入国してやったことを帳消しにする英雄。


「はは」


 笑わずに声だけ発した。弟に当主の座を取られ、親の愛情さえも奪われた。親たちは捨てた娘より、今目の前にいる息子が唯一の子だと慈心で守らねばと一致団結したのだ。そのために捨てた娘はもう、娘なのではなく一族を長らえさせる延命剤扱いの捨て鉢。


 どれだけ懇願しても王家が返してくれるということは絶対あり得ないと皆わかっていたから、仕方ない、ならば次の子供のために頑張ろうと手と手を取り合ったに違いない。


 どうして一番罰を受けるべき親と姉にはなにもないのだろう。姉もいくら祖国に功績と救済を持って帰ってきたとしても、許されないはずだ。なぜ、許されるのか。


 許されないから、エノンは謝ったのだ。嫌と言えないほどの量がある書類を書いたのだ。親は何をしたのだろう。罰で男爵に落とされたとはいえ、加害を受けているようには見えなかった。

 精神的なものは知らないが、少なくとも己のように食べさせられたり投げつけられたりはされていないようだったし。


 強い麦を作るために時間をかけて完成させたかったそれは、いつの間にか手柄を横取りされていた。例え、こちらではまだ構想上のことだとしても、姉の思考では作れないレベル。


 返すと言っていたが、まずはなんのために盗んだのだ、この男は。他国に行っても生きていけてチヤホヤされるためになのかな。護衛だからこそ、知っている内容とノートの場所を把握している上で、使えば平民としてではなく王家めでたき肩書きを授けられると確信して、奴は盗んだのだ。


 姉は色々言っていたが良かれと思って試しにやってみたらうまく行って、周りが持ち上げて功績は妹のおかげだ、なんて言いながらも謙虚な天才としてもてはやされたのかもしれない。でないと使節団としてここへ来られないはずだ。


 家族や妹、祖国を助けたい、なんて感動もののセリフを吐き出して見事生まれた国で英雄だの聖女だのと王家も国民も大盛り上がりで受け入れている。王子が姉に王妃になってほしいと告げるのも聞いた。

 今の王妃は側妃に押しやれるほどの証拠を持っているから、いつでも王妃になれると照れて盛大にプロポーズまでしていて。しかし、ナサータは妹への態度や酷い虐待を持ち出すとお断りしていた。


 そうすると、こちらを憎々しげに見つけめる元婚約者。王室から解放されるにあたり婚約関係も解かれている。学園に通っておらず、デビュタントも出ていない。当主になろうにもその席は予約で埋まっている。今更戻れとなってもどこにも座れる場所がない。


 王子はこちらを邪魔をまたしてきた女として恨みを一つ増やした顔をしてから、諦められないと説得している。そんなことなどどうでもいい、と姉は突っぱねるといった問答を聞いていると、両親たちが苦笑して止めるのを見かけた。


 両親はここ最近、エノンに領地にある遠く離れた別荘へ行くように仄めかしている。後継者でもなく元側妃候補になっていた娘の扱いを面倒がっているのだ。


 最後にあった日に突き放したことが気まずさを最大に刺激して、罪悪感と使えない経歴になった厄介な次女を二度と見なくて済む方法を提示している。

 恐らくそこへ行ってしまえば誰もやってこず、また打ち捨てられるのだろう。ゴミみたいに。一度やったのだから二度目はもっと簡単にやれる。

 流石、捨てるのだけはうまい。作ったものがダメになったら領地の人目につかないところに、同じようなものと一緒に捨てるというやり方を知ってしまった。使わないわけがない。


 将来有望な姉と弟がいれば、男爵から陞爵されるという期待もあると思う。その時、他の貴族や王家が虐げていた女が目に見える範囲にいると、いつまでも気にしてしまう。

 それよりも、姉の弟を目に見えるように設置しておけば、真新しい存在なので気兼ねなく褒め称えられるというものだ。だって、周りは弟になにもしていない。加害者でも被害者でもない関係でのうのうと姉に近寄れるのだから。


 領地に送られる日、行く行かないとも言っていないのに馬車が用意されており乗せられた。勝手に進む中で景色を見ていると話しかけられた。


「聖女、今度はもっと話せるな?」


「よく言う。ずっと話しかけてきたのに、今更」


「まあ、いいじゃないか」


 黒い艶のある髪を耳まで揃えた美形の男はエノンがある年齢になると現れた。聖女と呼ぶ相手は自らを瘴気の王と名乗って、こちらを聖女と慕う。どうやら何もしないことがお気に召したらしい。


 エノンのうちが聖女の家系と言われているのは、この男が代々の聖女の魂に紐付いて存在しているからと説明される。姉ではなく妹が今代のお役目らしい。世の中に広がると緑の力が弱くなり、食べ物や木の実ができなくなるそうだ。


 聖女は風邪を引いた時の風邪薬みたいな役割なのだと楽しそうに教えられる。しかし、風邪薬の役目を保つ人間を虐げる人間など、滅多にいないと早めに出現し特別待遇だからな、と寒さや熱さを柔らかくする魔法をかけてくれた。


 それだけで十分である。絶対に祓うために力を使わないし、自分のためだけに使うと決めた。瘴気が祓われず強くなるとやれることが増えるのだ、と過去自慢げに言っていた彼は豊穣の力を果実の成長に使う隣で、牛乳搾りをして得意げにしている。


 便利に整えられている、一軒家で暮らしている二人。ここは聖女と王の力で断絶していた。


 各国は少しずつ変化する空気にまだ気付かず、いずれどうにもならなくなっていくだろう。エノンが見せ物として参加した国々を招くパーティで見て見ぬふりをしたように、事勿れでいればいい。


 両親たちはエノンになにもするなと言ったことを覚えていないかもしれない。けれど、こちらにはしっかり記憶に刻み込まれている。王家も周りも。


 表情が動かなかったのに唇が口角を上げて、喜びが胸に湧き出た。なにもしないことを望まれていたのだから、それを守り続けるのが贖罪の証である。


 私って本当にいい子すぎるんだから。

最後まで読んでくださり感謝です⭐︎の評価をしていただければ幸いです。なにもするなと言われたからなにもしないだけです。

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― 新着の感想 ―
タグに ざまぁ とありますが、どのあたりがざまぁなのか私にはわかりませんでた。 途中で息切れされたような内容でした。
周りがみんな救いようのないクズだというのはわかった。あとはこいつらが破滅していく後日談が見たいんだ。
ザマァ展開まで見たい!!続編ぜひ!
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