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竜殺しの帰還と、二つの命の天秤


 極限まで圧縮された全魔力と、限界を超越した筋力。


 そのすべてを乗せた『魔法の黄色い袋』が、蒼竜の無防備な胸元――淡く発光する心臓部コアへと吸い込まれるように叩き込まれた。


 分厚い氷の装甲が砕け散る硬質な破砕音が、空間に響き渡る。


 俺の拳は、蒼竜の心臓を覆う最後の障壁を完全に貫通し、その奥にある『命の源』へと到達していた。


『……見事、ダ。……物理ノ……獣、ヨ……』

 蒼竜が最後に微かに目を細めた直後。

 全長50メートルを超える巨大な神体が、内側から眩い蒼光を放ちながら崩壊を始めた。


 無敵を誇った結晶鱗も、絶対零度の息吹も、すべてが光の粒子となって第20階層の空高くへと昇っていく。


『――神話級エリアボス【蒼竜】の討伐を確認』

『――条件達成。【存在強奪】が発動します。対象のドロップアイテムをすべて強奪します』


 システム音声と共に、光の粒子の中から無数のアイテムがドロップし、俺の目の前に浮かび上がった。


【特級エリクサー(蒼竜の心臓)】

【蒼鱗】×50

【蒼竜の逆鱗】×1

【絶対零度の竜牙】×2

【蒼竜の魔核】×1


 世界中の国家が血眼になって奪い合うであろう、Aランク最深部エリアボスの全素材。

 俺は血まみれの震える手で、最も美しく透き通った水滴型の宝石――【特級エリクサー】を真っ先に掴み取った。


「やった……手に入れたぞ……!」

 他の神話級アイテムもすべて、俺はドドンキの黄色いアイテムボックスへと無造作に放り込んだ。


 袋の口を固く縛り、俺は大きく息を吐き出す。

 ボロボロになった身体は【超速再生】が必死に繋ぎ止めている状態だが、そんな痛みはどうでもよかった。これで、美桜を救える。


「マスター! やりましたね! すぐに地上へ帰りましょう!」

「……ええ。お疲れ様でした、マスター。脱出用ゲートが開きます」


 玉座の奥深くから、地上への直通ゲートである魔法陣がまばゆい光と共に起動した。

 俺は迷わず、その光の中へと飛び込んだ。


 ◆


 ゲートを抜け、新宿の特区エントランスへと帰還した俺の頬を、生温かい夜風が撫でた。


 見上げれば、ネオンの光に照らされた曇り空。

 どうやら地上はもう夜らしい。

「どれくらい時間が経ったんだ……?」


 俺は急いで黄色い袋に手をつっこみ、亜空間から自分のスマートフォンを取り出した。

 画面を見た瞬間、俺の全身の血の気が引いた。


『不在着信:母さん(142件)』

 画面を埋め尽くす、異常な数の着信履歴。

 美桜の容態のタイムリミットまでは、まだ数日猶予があったはずだ。

 だが、この着信の数は尋常ではない。


 嫌な予感が背筋を駆け上がり、俺は震える指で折り返しの発信ボタンを押した。

 コール音は、一回鳴っただけで通話に切り替わっ


『――誠!? あんた、今まで何やってたの、なんで電話に出なかったの!!』

 電話越しに聞こえてきたのは、パニックに陥り、泣き叫ぶ母親の声だった。


「母さん! ごめん、ダンジョンにいて圏外だった! 何があった!?」

『美桜が……ッ! 美桜の容態が急変したの! 先生たちが必死に処置してくれてるけど、もう、もう……!』


 言葉にならない母親の嗚咽が、俺の心臓を鷲掴みにした。

 間に合わなかった? 

 いや、そんなはずはない。

 俺の手には今、どんな不治の病も治す奇跡の薬があるのだ。


「今すぐ行く!! 絶対に美桜を死なせない!!」

 俺は通話を切り、スマートフォンを袋に突っ込んだ。


 病院までは、ここから直線距離で数キロ。

 俺の力のすべてを解放すれば、数分で辿り着ける距離だ。


 だが。

 俺がアスファルトを蹴り飛ばそうと腰を落とした、その瞬間だった。


「――せっかく生きて帰ってきたのに、随分と急いでいるのね」

 俺の目の前の影から、漆黒の戦闘服に身を包んだ女が音もなく現れた。


 顔の半分を布で覆った隠密。

 かつて、まどかに聞いたことがある。

 麗奈の手の者だ。


「どけ! 今はてめえらに構ってる暇はねえ!」

 俺が怒鳴りつけて素通りしようとしたが、女の次の一言が、俺の足を強制的に縫い留めた。


「まどかが、攫われて監禁されているわよ」

「……は?」

 女は冷たい目で俺を見据え、淡々と事実を告げた。


「龍牙様と左京様の裏切りよ。

彼女の護衛は買収され、まどか様は丸腰で地下室に囚われているわ。

……邪魔な小娘を密室に閉じ込めて、これから何をするか……わかるわよね?」


「なっ……!?」

「彼女は、あなたが帰ってくるのをずっと信じて待っていたわ。

早く助けに行ってあげたほうがいいんじゃない? 今ならまだ、間に合うかもしれないわよ」


 隠密の女はそれだけ言い残すと、再び影の中へと溶けて消えた。


「まどか、が……?」

 俺は、その場に釘付けになった。


 彼女がいなければ、美桜の延命はおろか、まともな生活すら出来ず、適性なしで足元を見られただただ使い潰され、すり減っていくだけの生活だったに違いない。


雇用主と雇用者の関係ではあったが、俺の恩人だ。

(どうすればいい……ッ!)


 病院で、今まさに命の火が消えようとしている妹。

 そして、俺を信じて裏社会の狂犬の手に落ち、凌辱と死の恐怖に晒されているまどか。

 いきなりの選択に冷静な判断が出来なくなっていた。


 どっちだ。

 どっちに行けばいい。

 俺の脚は速いが、身体は一つしかない。

 二つの場所へ同時に行くことなど、神にも不可能だ。


「くそっ、くそぉぉぉぉぉぉッ!!」

 俺は頭を抱え、アスファルトの上に膝をついた。


 どうすればいい。

 俺の筋肉は、誰のために振るえばいいんだ。

 その時だった。


「――バカなんですか、マスターは!!」

 俺の頬が叩かれ、鋭い痛みが走った気がした。


 顔を上げると、真剣な――そして、ポロポロと涙を流して怒りに震えるエク子のホログラムが、俺の目の前に立っていた。


「エ、エク子……」

「なんで迷うんですか! なんで妹さんを先に助けに行かないんですか!!」


 エク子は、俺の胸ぐらを掴むような仕草で、声を枯らして叫んだ。


「マスターが地獄みたいなダンジョンに飛び込んだのは、誰のためですか!? 自分の命より大事な、美桜ちゃんを救うためでしょう!?」


「でも……まどかを見殺しにはできない! あいつは俺の……!」

「まどかさんは、そんなにヤワな女じゃありません!!」


 エク子の叱責が、夜の新宿に響き渡る。


「組織のボスの娘として、命のやり取りを覚悟して生きてる人です! あんな小悪党の罠で、簡単に折れるような人ですか!? 絶対に、マスターが来るまで持ち堪えてみせますよ!」


「……エク子先輩の言う通りです」

 トラ子も、静かに、だが強い語気で同意した。


「美桜さんの生命維持確率は現在、限りなくゼロに近いです。

一方、まどかさんが生存している確率は、ヤツらがマスターの『素材』を狙っている以上、マスターが接触するまでは保証されています。

……優先すべきは、今死にかけている命です」


 二人のAIの言葉が、迷いで曇っていた俺の目を覚まさせた。


そうだ。まどかは強い。

俺なんかよりずっと、芯が強くて、誇り高い女だ。


ここで俺が美桜を見捨てて彼女を助けに行けば、まどかは絶対に俺を許さないだろう。


「……あぁ、そうだな。俺がバカだった。ありがとう、お前ら」

 俺は立ち上がり、強く拳を握りしめた。

 迷いは消えた。


「待ってろ、まどか。……妹を助けたら、すぐにそっちに行く。

てめえの親父だろうが兄貴だろうが、俺の筋肉(物理)で全員ぶっ飛ばしてやるからな」


 俺は地面を蹴り飛ばし、音の壁を突き破る速度で、病院へと向かって疾走した。


 ◆


 同時刻。都立総合病院。

 ピーーーーーーーーーー。


 無機質な電子音が、ICU(集中治療室)の冷たい空気を切り裂いていた。


 心電図のモニターは、残酷なほどに真っ直ぐな一本線を描いている。

「美桜ちゃん! 美桜ちゃん!?」


 看護師が必死に心臓マッサージを行い、医師が除細動器のパドルを美桜の細い胸に押し当てる。


「離れて! 通電!」

 ドンッ、と小さな身体が跳ねる。

 だが、モニターの線は平坦なままだ。


「……あぁ、ああぁぁッ……! 美桜……嫌ぁぁぁっ!!」

 ガラス越しに見ていた母親が、床に泣き崩れ、その顔を両手で覆った。


 美桜の病状は、数時間前から急激に悪化していた。

 魔素病。

 それはどんな現代医療でも、進行を止めることはできなかった。


「もう一度! 通電!」

 二度目のショック。

 しかし、反応はない。


 医師は額に滲んだ汗を拭い、静かにパドルを下ろした。

 そして、絶望的な表情でゆっくりと首を横に振る。


 それは、医療の限界。命の終わりを告げる残酷な宣告だった。

「残念ですが……」


 医師が、重苦しい声でそう口を開きかけた、まさにその瞬間だった。


 ――バンッ!!!

 ICUの分厚い扉が、外側から蝶番ごと吹き飛ぶほどの勢いで蹴り開けられた。


 怒声のような扉の激突音に、室内の医師も看護師も、泣き崩れていた母親も、全員が一斉にそちらを振り返る。


「……まだだ」

 そこには、全身を血と氷と泥にまみれさせ、ボロボロの1980円のジャージを纏った男が、息を乱して立っていた。


「俺の妹を……勝手に、終わらせるな」

 結城誠。


 竜殺しの死地から生還した男が、奇跡の薬を握りしめ、ついに辿り着いたのだ。


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