それ、罠です。
蒼竜を倒して特級エリクサーを手に入れる。
その高すぎる壁を超えるため、俺はまどかの護衛任務の合間を縫って、中層ダンジョンで乱獲レベリングと資金稼ぎに勤しんでいた。
「そこだァッ!」
Bランク下位の魔物『アシッド・ヘルハウンド』の顔面に、渾身のストレートを叩き込む。
(こいつの強酸は厄介だが、吐く前の予備動作が大きい。回避して反撃するより、俺の耐久なら酸ごと受け止めて顔面を直接殴り飛ばした方が、タイムロスが少ないな)
魔物は断末魔と共に光の粒子となって消え去り、その場にコロンと緑色に輝く宝石のような魔力核を落とした。
『――条件達成。【存在強奪】が発動します』
『――【筋力】(+10)、【耐久】(+5)』
「よーし! レアドロップの『溶解犬の核』ゲットだ! これもまどかの所に持っていけば、軽く150万にはなるはずだぞ」
「マスター、お見事です! そして朗報です! 私の精巧なダンジョンマッピング機能によると、マスターの右足のすぐ横にあるスイッチを踏めば、隠し宝物庫への扉が開きますよ!」
脳内のエク子が、自信満々に提案してくる。
「隠し部屋? ……待て。ギルドの資料にあったこの階層の構造からして、ここに空間があるなら風の抜け方が違うはずだ。それに、このスイッチどう見ても不自然だぞ」
元事務員としての経験が警鐘を鳴らす。
「マスター、私の超精巧なAIセンサーを疑うのですか!? 絶対、絶対にお宝ですよッ!」
「……まあいいか。ギルド時代みたいに頭をフル回転させるのも疲れたしな。何が出ても今の俺ならノーダメージだ。たまには頭を空っぽにして、お前の直感を信じてみるか」
俺はエク子に言われた通りの石板を強く踏み込んだ。
カチッ。
――プシュゥゥゥゥッ!!
「あ……」
その瞬間、天井の隠し穴から、緑色に変色した強酸のシャワーが俺の全身に降り注いだ。
「……あ。すみませんマスター、これ、宝箱のスイッチじゃなくて『衣服だけを的確に溶かすトラップスライム』の起動スイッチでした! てへぺろ☆」
「てへぺろじゃねええええッ!!」
俺の肉体は【竜鱗装甲】でノーダメージだが、今朝買ったばかりの1980円の無地スウェットはそうはいかない。
一瞬にして「ジュワッ」という音と共に溶け落ち、俺は再び、緑色のスライム液にまみれた『パンイチのおっさん』へと姿を変えていた。
「クソッ、またこの格好かよ! お前絶対わざとやってるだろ!」
「わ、わざとじゃないですよ! あっ、マスター! トラップと連動して、後ろから大量のオークが来ます!」
振り返ると、通路の奥から五十匹近いオークの群れが、パンイチでドロップ品を握りしめる俺を見て、目を血走らせながら突進してきていた。
「このポンコツAIがァッ!!」
いくらステータスが高くても、パンイチの状態で大量の豚の化け物と取っ組み合いをする趣味はない。俺はレアドロップを小脇に抱え、涙目でダンジョンの出口へ向かってマッハで逃走した。
◆
数時間後。新宿の『黒犬』事務所。
(また買ってきた)新品のスウェットに着替えた俺は、まどかのデスクにレアドロップを提出した。
「はい、買い取り金額の150万円ね。……ってあなた、また服が変わってるわね、ダンジョンで何があったのよ?」
(トラップ踏んで、パンイチで走り回ってたなんて言えない……)
「…………ご、ご想像にお任せする」
呆れ顔のまどかから視線を逸らし、俺はソファにどっかりと座ってスマホを取り出した。
口座残高は、ついに2700万を超えた。
だが、特級エリクサーを闇オークションで買うのに必要な額は「100億」だ。いくらレアドロップを拾っても、これでは美桜の寿命までに間に合わない。
(……いや、待てよ?)
俺はスマホの画面に流れてきた、あるウェブ広告に目を留めた。
『【極秘情報】未上場の暗号魔石資産「ダンジョン・ドージコイン」! 今ならプレセール価格! 上場確実、来月には【資産100倍】確定! 乗り遅れるな!』
(冷静になれ、俺。山ほど見てきた、情報弱者の冒険者を狙う典型的な詐欺サイトだ……だが)
妹の命のタイムリミットへの『焦り』が、俺の冷静な思考を鈍らせる。
(100億……いくら地道に稼いでも間に合うわけがない。もし、もしも、万が一これが本物だったら……)
焦りによって考え悪い方向へ回転し始める。
「これしかない……!!」
「えっ? 何が?」
まどかが不思議そうに俺を見るが、俺の目はすでに血走っていた。
100倍確定。それはつまり、今の俺の全財産である2700万をこのコインに全額ツッパすれば、来週には「27億円」になる!
それをもう一回繰り返せば、100億なんてあっという間じゃないか!
「おいおい、俺ってばダンジョンに潜るより、投資の才能があったんじゃないか? わざわざAランクのドラゴンと殴り合う必要なんてなかったんだ!」
「マスター! なんだか胡散臭いバナー広告ですが、マスターがその気なら、AIとして全力で送金処理をサポートします!」
「頼むぞエク子! よーし、今すぐ手持ちの2700万を全額送金だッ!」
俺が送金ボタンを意気揚々とタップしようとした、その瞬間。
スパーンッ!!
「痛ッ!?」
横から飛んできたまどかの平手打ちが、俺のスマホを弾き飛ばした。スマホは空中で弧を描き、事務所のソファの裏へと飛んでいく。
「な、何すんだまどか! もう少しで俺は億万長者に――」
「馬鹿なの!? あんた本物の馬鹿なの!?」
まどかが顔を真っ赤にして、俺の襟首を掴んで揺さぶってきた。
「それ、裏社会じゃ有名な詐欺サイトよ! しかもウチの長男(龍牙)の派閥の末端が立ち上げた、情報弱者の冒険者から金を巻き上げるための古典的なポンジ・スキーム(自転車操業的な詐欺)じゃない!!」
「……え?」
「『100倍確定』なんてあるわけないでしょ! 送金した瞬間にサイトごと消えて、あんたの全財産は龍牙のキャバクラ代に消えるところだったのよ!!」
俺はサーッと血の気が引くのを感じた。
あ、危なかった……。美桜の命を繋ぐための血と汗と涙の結晶が、危うくクソ長男(龍牙)の酒代に消えるところだった。
「ひぃっ……! す、すまん。金が貯まって、少し気が大きくなっていた……」
「はぁ……。あんた強いくせに、妹のことになると途端に周りが見えなくなるんだから」
まどかが呆れ果てて頭を抱える。
返す言葉もない。俺はソファの裏からスマホを拾い上げ、そっと広告タブを閉じた。
「……エク子。お前、超高性能AIなんだから、詐欺くらい見抜けよ」
「すみませんマスター! 私の思考リソースは現在、『いかに効率よく対象を殴り殺すか』の物理演算に99%割り振られているため、金融リテラシーはチンパンジー以下です!」
「いや、胸を張って言うなよ……」
俺は深くため息をついた。
どうやら、一攫千金の楽な道など存在しないらしい。美桜を救うための100億、あるいは特級エリクサーを手に入れるためには、やはり自分のこの拳で、地道にバケモノを殴り殺して進むしかないのだ。
「まどか。……明日もダンジョンに潜る。新しい装備も買わなきゃならないしな」
「ええ。あなたのお金の管理は、これからは私がしてあげるわ。……ほら、コーヒー淹れ直すから、少し頭冷やしなさい」
呆れながらもマグカップを差し出してくれる裏社会の令嬢に感謝しつつ、俺は次こそは絶対にパンイチにならない立ち回りをしようと、心に固く誓うのだった。
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現在の所持金:27,073,040円(※レアドロップ150万加算、スウェット代1980円×2回出費)
妹の治療費(治癒魔法維持費)まで:あと47,926,960円
特級エリクサー(蒼竜からの強奪)投与リミットまで:あと17日




