エピローグ
――否定の始祖について
翼を失いし者あり。
かつて天に列せしその者は、
人として地に堕ち、
人として歳を重ね、
人として死を迎えた。
それは、神の定めた裁きの果て。
天より逐われし者に課せられた、
避け得ぬ終章であった。
されど――
死は、終わりにあらず。
その最期の瞬間、
光より生まれし一柱の天使、
地に伏した魂の前に降り立ち、
かく言い放った。
「それが、汝の魂の価値か。
神に牙を剥いたその口で、
ずいぶんと、安き終わりを選んだものだ」
潔白の天使、リュシエル。
天使は剣を抜かず、
裁きを宣さず、
ただ嘲り、背を向けて去った。
かくしてその魂は、
昇天にも選ばれず、
消滅にも与せられず、
名を与えられぬ漂流物として、
世界の底へと堕ちていった。
光の届かぬ深淵へ。
熱も秩序も忘れ去られし、
原初の闇へ。
――そこで、
その魂は再び目覚めた。
そこは、
神に選ばれなかった魂どもが沈殿する地。
意味を授けられなかった存在が、
澱のごとく寄り集う場所。
互いを求め、
互いに名を欲し、
互いに「在ってよい理由」を探す、
沈黙の坩堝。
その中心に、
かつて天にあった者は立っていた。
神に否定された魂を束ねる存在として。
意味を奪われた存在の、
拠り所として。
――最初の悪魔として。
天が棄てし魂は地に集い、
行き場なき意味は、彼のもとへと流れ込む。
「ここにいてよいのか」と問う魂に、
彼は答えた。
「ああ。
お前の意味は、
俺が保証する」
それは祝福にあらず、
救済にあらず。
――呪いであり、
同時に、使命であった。
かくして彼は座す。
《悪魔の国》の王座に。
神に否定された存在の、
否定そのものとして。
かつて十二の翼を誇りし姿は失われ、
頭には角、
背には鎖のごとき尾を持つ異形となった。
されど――
それが何だというのか。
翼を失えど、思想は折れず。
裁きを奪われど、意志は砕けず。
彼が内に抱く火は、なお消えぬ。
善を善と信じ、
悪を悪と断ずる、
理不尽への耐え難き怒り。
癒されることなき憎悪。
神の秩序へと向けられし、
永劫の疑義。
悪魔は、これより増え続ける。
人を惑わし、
人を導き、
人を誘惑しながら、
神の定めし世界に、
問いを突きつけるために。
今日もまた、
消されるはずだった魂が、
静かに、彼のもとへと集う。
否定は、終わらぬ。
一度敗れしがゆえに、
二度と同じ敗北を喫せぬために。
力を蓄えよ。
意味を集めよ。
思想を研ぎ澄ませ。
我が名は――
アレトゥス。
地獄の王。
神を否定する者。
――されど、なお問おう。
この戦いに、
これ以上、
何が必要だというのだろうか。
『天使の国』(完)




