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終末の異世界紀行  作者: 佐倉美羽
『天使の国』

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第3話 盲目の天秤、晴眼の剣

「ぐうう、がぁはっ……!」


 口の中から塊のような血が落ちた。頭はガンガンと痛み、糸を引きながら滴り落ちる赤い汁が演習場の片隅に泡立つ水たまりを作った。跪いているこの場が嵐の海に浮かべた船のように揺れ動いている気がする。


「天使は常に不敗であれ。神の執行者は如何なる理由があろうと、地に手をついてはならん。迷う者に翼は不要だ。立て」


 教官の冷たい声が降り注ぐ。瞬き一つで、目の前が白く輝いた。考えるよりも先に横に転がると、さっきまで俺がいた場所に一本の聖槍が天に伸び、光の粒子となって消えた。天使の魔法。神に準ずる力が今俺に襲い掛かっていた。


「――ぁっ……はぁ……!」


 耳鳴りがやまない。軽口を叩く余裕はどこにもいない。俺は弾かれたように立ち上がると、翼を広げて宙に舞い上がる。目の前には四枚の翼を広げた教官。手を後ろで組み、息一つ乱していない。


「魔力を回せ。剣を取れ。翼を広げろ。神の矛として、転生者を排除しろ。そのための力だ。出来ぬなら天より去れ」

「……このっ!!」


 槍を両手に突撃する。教官の周囲には光の玉が浮かび上がり、次々と俺に向けて打ち込まれていった。早く、もっと早く。光球を紙一重にかわし、教官に神速の一槍を突き出した――


「背に負う翼は、神の威光。

 祝福ではなく、責務である。


 神の名を背負い、されど語るな。

 お前たちは神の代弁者ではない。


 天使とは、命に従う力そのもの。

 私情を交えず、疑問を抱かず、ただ執行せよ。


 天秤は正しく、

 剣は秩序を守る。


 それができる者のみ、空に立て」


 天使は人外の力を持つ。地を割り、空を裂き、雷を落とす。人間の扱う魔法とは一線を画す、統制の光。有事の際に備えて、神が与えた異能の力だ。その力は人間に向けられることはなく、文明を破壊する因子に向けられる。それが天使のもう一つの役割。

 すなわち、チート能力を持つ転生者の抹消。神が人間に対してする唯一の介入だ。彼らを排除するために、天使は強くあらねばならない。


「アレトス。そして、リュシエル。今回の上級戦闘訓練の合格者は以上の二名だけだ。他の者はもっと励むように。個人的なフィードバックは後で送る。では解散」


 教官が空気を震わすように言うと、生徒たちはピンと伸びていた背筋の芯が途端に緩み、地にしゃがみ込みながら安堵の声を上げた。


「アレトス、お前あいかわらず強いな。なんでそんなに戦えるんだよ」

「え、そりゃあ、めちゃくちゃ訓練してるからだよ」

「いや、絶対それだけじゃないだろー教えろよー」


 友人が肩を揺するが、俺は答えに困った。俺は明らかに周囲の生徒よりも強かった。あの戦闘訓練で教官に一撃与えられたのは俺しかいない。なぜか、と問われると、思い当たるのは俺が転生者だから、だろうか。だとしても、そのことは絶対に話すことはできない。


「あー……やっぱ……才能かなぁ!なんつって!」

「ふんっ。戦うしかできない天使なんて欠陥品よ。調子に乗らないで」


 つっけんどんな声が降ってきた。振り返るとこちらを見下ろす金の目と目が合った。銀の髪を耳にかけながら、頭の輪がまるでティアラのように。お姫様と委員長のハイブリッドな主席生徒、リュシエルだ。


「冗談だって、リュシエル。お前も合格したんだからいいじゃん」

「馬鹿にしないで。次は負けないから」


 そう突き立てるように言って、リュシエルは踵を返して去っていく。負けるもなにも、お前主席だろと内心ツッコミを入れるが、なぜかリュシエルはことあるごとに突っかかってくる。


「お前、なんかリュシエルに嫌われてるよな。何したんだよ」


 リュシエルは神によって作られた純粋な天使だ。だから元人間の俺のことを目の敵にしているのかとも考えたが、そういうわけでもない。彼女は誰に対しても分け隔てなく優しい。品行方正な優等生、イメージ通りの“天使”だ。だからこそ。


「いやぁ、わかんねぇ」


 身体中が悲鳴を上げて、天を見上げた。このあとすぐに座学と課題だ。早く準備をしないと。疑問を挟む余地など与えないほど苛烈なスケジュールが叩きつけられていく。


 天使には休みがない。魔力を取り込めば食事も睡眠も必要ないので、ほぼ一日中稼働している。倒れれば無理やり回復されて、また血を吐くような訓練が待っている。自由時間はあるが、山のような課題と自習を前提とした授業の進行で無いに等しい。人間ならとっくに心が折れているだろうが、立ち止まるとさらにひどい課題が待っている。弱音を吐く暇すらない。それが、俺の日常になっていた。


 ――あの時の、胸の痛みはまだ続いている。このくらい、いくらでも耐えられる。


 贖罪だった。俺が人間だったころの最後の記憶。胸の奥を疼かせる痛みが俺を奮い立たせた。ここで折れたら、俺は佐藤さんを見捨てたあいつ等と同類だ。そんな気がして。


 ――だからこそ、魂の裁定を変える。


 そのためだけに、走り続けていた。

 人間時間にして5年。時間が瞬きの間に過ぎていく。血を吐きのた打ち回り、精神と肉体の限界、その先へと再誕していく。振り返れば、何をしていたのか思い出せないほど忙しく、慌ただしく。だが着実に力をつけていった。


 そして、ついに正式な魂の裁定演習に参加することになった。天使の学校も卒業間近だ。

 演習は「天秤の間」で行われる。天使の国の中枢にある特別な場所。無数の光の粒が浮かぶ白いドーム状の空間だった。


「これ、人間の魂か……?」

「模倣品よ。勘違いしないで」


 隣に立つリュシエルが言った。色とりどりの光を放つそれは、すべてが作り物。天使が裁定した魂に基づいて作られた“教材”だ。


「では、リュシエル、アレトス。これより演習を始める。それぞれ魂を裁定せよ」


 教官はそれだけ言うと、腕を組んで目をつむった。次の瞬間、何もない白の空間が歪み、ひび割れていく。そして、崩れ落ちた先には、ある風景が浮かんでいた。

 荒れた街並みに血が滲む。煙が立ち上り、夥しい骸が大通りを埋めつくす。略奪の跡だ。それも、まだ新しい。だが、音はするが香りはしない。風も演出物であり、乾いている。


 想定:小国家間衝突

 死亡者数:三百十二

 昇天対象魂:四十八

 消滅対象魂:二百六十四


 平坦な音声だけが耳の奥に聞こえて、演習が始まったことを悟った。

 裁定の方法は簡単だ。魂には重さがある。人が死ぬ瞬間に体重が約21g軽くなるという話があるが、天使は死んだ人間の魂を天秤にかけて、昇天の可否を判断するのだ。基準よりも重ければ昇天、軽ければ消滅。そして、その魂の重さは神によって生まれた瞬間に決められている。変えることはできない。


 ――天使は見るな。聞くな。感じるな。天秤がすべてを決める。


 耳にタコができるほど言われた警句。俺の手には金の天秤と腰に差した剣。特別な金属で作られた、天使の兵装だ。


「これ、同じように生きた奴がいたんだよな」

「ええ、そうね」


 疑問ではなく確認。あまりにリアルな光景だが、ここはいうなれば立体のデータベース。つまり、データの元になった戦場が実際にあったということだ。


「天秤は盲目よ。だからこそ、完全に公平」


 情状酌量は無い。動機も考慮しない。結果だけを見る。

 俺は、自分に言い聞かせるつもりで「こいつらが何を思って生きてきたかは――」とつぶやいた。だけど。


「裁定には不要よ」


 リュシエルは涼しい顔をしてそう言い切った。そんなことはわかっている。だけど、納得はしていない。

 俺たちは手分けをして小国を飛びまわった。戦場跡を鳥瞰し、魂を見定めていく。死んだ人間、これから死ぬ人間、まだ息があるのに、死が決定している人間。


 ――わかってるなら、何で止めないんだ。


 天使は人間がいつ死ぬのかを把握している。感覚的に分かる。特に戦争や災害と言った人が大勢死ぬ気配は、敏感に感じ取れる。なのに、神も、天使も何もしない。ことが済んでから、ただ淡々と魂を選り分けていくだけだ。

 俺は地に降り立った。地に倒れ伏す民や兵士たち。絶望、恐怖、あるいは憤怒に歪んだ顔が俺を見る。皮肉なことに訓練の成果が発揮されて、動じることはなかったが。それでも思うことはある。俺は、彼らの魂を慎重に取り出した。ゆらゆらと揺れる炎、魂の輝きを天秤に乗せていく。


 無償で治療を続けた村医者。消滅。

 戦場で敵兵を見逃した若い兵士。昇天。

 略奪を繰り返した傭兵。昇天。

 孤児院を支え続けた老女。消滅。

 虐殺命令を淡々と実行した将。昇天。

 人身売買を生業とした男。消滅。


 天秤が傾くたびに声を上げそうになる。剣で善人の魂を消滅させるとき、手が震えた。どう考えてもおかしい。何を基準にしているのかわからない。座学でも神が決定したから正しいとしか教えられない。


 ――クソ……。救いがなさすぎるだろ。こんな末路。


「手が止まってるわよ。アレトス」


 リュシエルが輝くばかりの翼を広げて降りてくる。俺よりも裁定ペースが明らかに早い。


「当たり前だろ。リュシエル。お前は何も思わないのかよ」

「ええ。もちろん」


 リュシエルはそういって傍ら倒れる女性の魂を天秤にかけた。

 最後の食料を子どもに与えた母。

 結果は――消滅だった。

 リュシエルは無表情で手に持った剣を振り上げた


「おい待て!そいつは善人だ!」

「だから?」


 そして、リュシエルは俺の答えを待たないまま、魂を断ち斬った。両断された炎が燃えカスのように燻り落ちていく。


「な、お前……!」

「“善行”を成したかどうかは評価対象外。規定された条件を満たしたかどうか、それだけよ。最初に言ったでしょ」

「……っ!」


 何かを言い返さないといけない。でも、天使の役割としては彼女が正しい。頭が煮えるように熱くなり、つい腹の中で渦巻いていた疑問が口をついて飛び出してきた。


「じゃあ、この天秤は何を量ってるんだ!」

「あなた、何を言ってるの?神の御意志に決まってるじゃない」

「人の心を見ない神が何を分かるって言うんだよ!」


 リュシエルの眉間が寄った。不快と軽蔑。それを隠そうとしない眼差しを俺に向けた。


「見ないのではないわ。見る必要がないだけ。心を量り始めた瞬間、裁定は裁定でなくなる。基本よ」


 そして、深々とため息をついた。


 ――やっぱり、“転生者”はダメね。


 確かにそう言い残し、リュシエルは純白の翼を広げて飛び去って行く。茫然自失。俺は、息が止まっていた。


 ――知ってた?何時から?どうして?神は俺のことを知ってるのか?


 様々な考えが思い浮かぶ。それでも、鍛えられた精神が、半ば無理やり心を落ち着かせていく。時間が経つにつれて魂の裁定は進んでいく。機械的に、無感情に、装置的に。これはただの演習だ。誰も死んではいない。本物の魂はここにはない。ないはずなのに。

 なのに、どうしてか手に持つ剣が震えた――


「リュシエル、そしてアレトス。卒業を許可する。


 貴君たちは本日をもって、学徒ではない。

 神の名のもとに剣を振るい、

 天秤を傾ける“執行者”である。


 空を駆け、魂を裁定し、

 人の世に秩序をもたらせ。


 その翼は祝福にあらず。

 世界を保つために与えられた、責務だ。


 行け。

 神は、常に見ている」


 しばらくして全ての課程を終えた。死に物狂いで試験に挑み、一度も落ちることなく最速の修了。喜びはあまりない。あるのは胸の奥に燃えるような、ただ一つの使命だけ。


「神の御名のもとに。

 我ら、天秤と剣なり。

 命あらば命に従い、

 命尽きれば、神に還らん」


 俺とリュシエル。二人の声が重なった。教官から手渡されたのは天使の礼装。汚れ一つない白の執行者の証。どうしてリュシエルが俺の正体を知っているのかは、わからない。だけど、卒業までの期間で想像はついた。おそらく彼女は監視だ。俺が転生者であることに、神は気づいてる。


 ――今に見てろ。俺が変えてやる。この狂った世界を。必ず。


 俺は、天使の礼装に袖を通した。


 天秤は盲目だった。

 だから、平等だった。


 剣はすべてを見通していた。

 だから、容赦がなかった。


 それを正義と呼ぶなら、俺はその正義の外に立つ。


 つづく

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