第五話 天の御使いはかく語りき
神を語ると、人が浮かび上がる。人を語れば、文明が影を落とす。
神は祈りの中に生まれ、祈りは火や道具や文字と結びついてきた。
文明を持った瞬間から、人は神を作り、神のふりをする技術を磨いてきた。
だから滅びの跡に残るのは、信仰じゃない。
設計思想だ。
神、人、文明は切り離せない。
それはすべて、人が自分自身を形にした痕跡なのだから。
『悪魔の国』の執筆を終えたイヴ・アーカイブはしばらく寝込んでいた。身体に力が入らず、頭も靄がかかったように動かない。執筆中は気づかなかったが想像以上に精神的なダメージを負っていたのだ。しばらくゴロゴロして息抜きをしよう。いや、毒抜きかな?などと考えていると、アダムが血相を変えてなだれ込んで来た。
「お、おい!イヴ!ヤバい遺光を見つけたぞ!こっち来てみろよ!」
「えぇ……。なに?」
のそのそと寝所から這い出て上着を羽織り、助手席へ。吹き抜けるような晴天の先に、雲の峰が聳え立っている。
「……大きいわね」
「あの中心に特大の遺光がある!もしかしたら、神の遺光かもしれねぇぞ!」
「か、神の遺光……!?」
アダムの言葉にけだるさが吹き飛んだ。
神の遺光――そう呼ばれているけれど、きっとそれは神話なんかじゃない。
この世界が世界であり続けるための、仕組みそのものだ。
人は死ねば、どこへ行くのか。
なぜ、こんな不完全な形で創られたのか。
神は、文明のどこまでに手を伸ばし、どこで引き返したのか。
滅びた星を編む立場に立つと、そうした疑問は全部、見過ごせなくなる。
置き去りにされた問いは、瓦礫の下でまだ息をしている。
そして――
それらすべての沈黙に触れていた光。
神の遺光は、答えそのものであり、同時に、問いを拾い続けるための理由だ。
編纂者にとって、それは宝なんて生易しいものじゃない。
生き残ってしまった者に課された、光だ。
「出して!アダム!」
「おお!掴まってろよ!飛ばすぜ!」
アダムは着の身着のまま助手席でシートベルトを回すイヴを一瞥し、ギアを最大、アクセルをべた踏みした。タイヤが地を抉り、空へと車体を射出させる。そのまま雲の尾を引きながら、一直線に雲の峰へと突入した。
積乱雲の中は、まるで空の怒りだった。
稲妻が走るたび、雲の内側が一瞬だけ白く透ける。雷鳴は遅れて届き、空飛ぶキャンピングカーの金属板を震わせる。
「ちょ、ちょっと……!大丈夫なの……!?」
「この車はな、大気圏突入だって耐えられるんだ!こんなの、目じゃねぇよ!!」
アダムは額に汗を噴き出しながら怒鳴り、ハンドルを握り直す。
雲の中は視界ゼロ。風は乱れ、車体は上下左右に叩きつけられる。それでも空を行く車は、ためらわない。
ひと際大きな稲妻が、世界を引き裂いた。
閃光。
次の瞬間、雲は途切れ、視界が開ける。
そこにあったのは――空に浮かぶ島。
崩れた石柱、苔むした階段、意味を失った装置の残骸。かつて誰かが「ここで生きていた」痕跡だけが、静かに残っている。
雷はもう届かない。
風も、嘘みたいに穏やかだった。
アダムはゆっくりとキャンピングカーを降ろし、浮島を見渡した。
「……な?なんとかなったろ?」
「まったく……。死ぬかと思ったわよ」
そう呟いた声は、誰に届くでもなく、遺跡の空気に溶けて消えた。
イヴは顔を洗い、着替えを済ませた。キャンピングカーから降りる。カツンと足音がかえってくる。雲の上に浮かぶ浮島は朽ちた石材に覆われている遺跡だ。空を見上げれば、星々が輝く宙がすぐそこにある。楽園のような場所だった。
「……すごい。こんなところが残っていたなんて……」
ぐったりしているアダムを車内で休ませて、イヴはこの天の園を歩き出した。彼女の周りにはペン型サイズの浮遊する砲台が4つ。フワフワと浮かびながら周囲を警戒し、イヴを守っている。
――不思議……。建築は石材なのに、中にはデータ端末の痕跡がある。
イヴは円柱型の飾り柱の跡に手をついて考えを巡らせる。
ここにはどういう人が住んでいたんだろう。建物の様式と上手く溶け合ったデータ端末の具合から考えて、下界と比べて明らかにオーバーテクノロジーだったはずだ。
――ここは……いわゆる“転生者”が創った国……?
もはや置物とかした機器。タッチ画面は沈黙し、息を引き取って幾星霜。指先を滑らせたら、砂埃を除いた轍ができた。
その時だった。
イヴは影を見た。六枚に伸びた巨大な翼が空からゆっくりと舞い降りる。
「誰っ!?」
イヴは弾かれるように振り向き、砲台を構える。目を細め、光を背にする者の正体を睨みつけた。そして、息を飲み、目を見開いた。
ティアラのような光輪を戴く銀の長髪。そして、純白の六翼を背負った金色の瞳と目が合った。
見た目は人間。だけど、人外じみた美貌。裁定者だ。人間が戦う概念ではないと、直観した。
「私はリュシエル。ここメタリカ最後の天使です。人間よ、名乗りなさい」
口の動きと言葉が全くあっていない。ハープが歌うような音なのに、意味が直接頭の中に流れてくる。
「わ、私は、イヴ・アーカイブ。星の編纂者です」
「編纂者……?イヴ。それはどういうものなのでしょうか」
リュシエルは首をかしげている。敵対的な気配は今のところない。だからこそ、イヴは浮遊砲台を収めて、慎重に言葉を選んだ。
「滅んだ歴史や失われた文明を、物語として保存しています」
「まぁ!物語!それは善いことですね。神も愛した文明の一つです」
そう言って、手を合わせてリュシエルは微笑んだ。まるで、遠い昔のことを思い出すように。その様子を見てイヴは疑問に思った。この目の前に佇む強大な力の権化は、神ではないというのだろうか。
「神も……?あなたは神ではないのですか?」
「とんでもない。私はただの代行です。神は遠い昔にお隠れになりましたよ」
そういって、胸の前を一文字に切り、手を合わせた。
「ここにはかつて多くの天使たち、すなわち、神の執行者たちがいました。今となっては、私一人ですが……」
一拍。
「そうですか。物語に……」
そういって、天使は微笑んだ。
「この星と運命を共にするつもりでしたが、思わぬ幸運が舞い込んできましたね。残っていてよかった」
永遠のような一刹那の沈黙。
“天使”は神の執行者とリュシエルは言った。きっと、この天使は途方もない時間、世界につくして来たのだろう。誰にも知られず、誰にも褒められず、与えられた使命として。
「ありがとうございます。編纂者として、これほどうれしい言葉はありません」
「ふふ。では、私からとっておきの話を聞かせてあげます。この世界の、いわば転換点の話を」
リュシエルは塀に腰掛けて、イヴに隣に座るように促した。この星の管理者ともいえる方から直々に話を聞けるなんて。イヴは先ほどの警戒心はすでに四散し、胸が高鳴る夢のような思いであった。
「は、はい……!ありがとうございます!」
控えめに隣に腰掛ける。天使には、香りがなかった。
「では、僭越ながら。この天使長リュシエルが物語の種をまきましょう」
それは天使たちが二度と語ろうとしない出来事だった。
そして、今となっては天使長リュシエルのみが真実を知る――遺光。
彼女が、唯一、悔いた物語だった。
タイトルは――
『天使の国』
さぁ、創作を始めましょう。
つづく




