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終末の異世界紀行  作者: 佐倉美羽
『悪魔の国』

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第5話 下級悪魔は“悪魔”になった

 DVの加害者は自分の加害性に気づいていないことが多い。

 言ってみれば、欲望に操られながら自分は自由だと信じている奴隷だ。なら、自分の加害性まざまざと見せつけてやれば、どういう反応をするのか。その根底にある欲を釣り上げてやれば、文字通り悪魔に魂を売り渡してでも、手に入れようとするだろう。


 今、阪本タダシは元妻シホの現在と過去をすべて手に入れた。

 そう、DVに苦しんでいたシホさんの過去もすべてだ。


 さぁ、その魂で俺に何を望む?悪魔であるこの俺に、何を欲する?


 過去の過ちをなかったことにして欲しい?

 妻とやり直したい?

 あるいは、変わりたい?


 まぁ、悪魔と契約したお前に未来はないけどな。

 ここまでが、俺が事前にリサーチして組み上げた営業プランだ。


 阪本タダシと契約を結び3日ほど経ったが、奴は自室にこもって元妻の過去を見続けている。仕事にもいかずに熱心なことだ。しかし、ここですぐに別の商品を進めるのは二流のすること。今は待つ。向こうから声をかけてくるのをひたすら待った。ぐつぐつと腹の底で欲が煮えているのが、後ろ姿からもわかった。


 そして――


「……マモンさん。聞こえてますか」


「はい。お側に」


 来たか。深い隈をくっきり刻んだ顔で阪本タダシは俺を呼び出した。後悔の言葉だろうか。謝罪の言葉だろうか。伝える相手を間違えていると思うが、いづれにしても、次の取引で魂を根こそぎ奪ってやる。

 そう思っていたけど――


「人間を思いのままにする力が欲しい」


「……なるほど」


 こいつ……

 一瞬、あっけにとられて反応が遅れてしまった。そうか、結局それか。しかし、事実としてそんな強力な力、こいつ程度の魂ではつり合いが取れない。だが、“できない”とそのまま伝えるのも今後の契約に影響する。もう少し深堀して、対応を即興で考えないと。


「ふむ。すべての人間を、と言う意味でしょうか」


「そうです」


「どうしてそう思われるのです?」


「俺は間違っていないってことを証明するためです。俺を否定した奴らを地獄に落としたい」


 ……まずいな。少し煽りすぎたか。欲望が暴走しかけている。心身喪失した状態の魂は品質が悪い。少し理性を取り戻してやらないと。


「率直に申し上げて、オススメいたしません。それでは阪本様の孤独を深めるだけです」


「……孤独?なんで?」


「まず、支配の快楽は“思い通りにしたい相手”でなければ成立しません。あなた様はすべての人間を、と申されましたが、おそらくシホ様やご家族、会社の人間と言った“感情的に意味を持つ人間”にご執着されるはずです。力と実利に対してあまりに無駄が多い。今の願いままでは賭ける魂も莫大になりますよ」


「……」


「それに、催眠や惚れ薬のような支配では、相手の反応が“本心”かどうか分からなくなります。愛情、尊敬、恐怖。その区別がなくなる。言い換えるなら、他者を完全に支配した瞬間、人間は“他者”を失う。あなた様の願いの行く先は孤独の極致です。今以上の孤独に、耐えられますか?」


 俺は頭をフルスロットルで回転させて、口から出まかせをいう。脳から変な汁が流れ出そうだが、ここでしくじれば俺の信用にかかわる。何とか阪本タダシの魂とつり合いが取れる取引にもっていかないと。


「じゃあ、どうすればいいんですか……!あいつには俺が必要なんです……!!それを、誰もわかっていない!!あいつ自身も!!馬鹿ばっかりだ!!どいつも、こいつも!」


 ぐっ……!やばい、発狂寸前だ。このままじゃ俺を無視してシホさんを殺しに行きかねない。考えろ、考えろ。こいつの本質は支配欲じゃない。孤独への恐怖だ。それを食いつかせて元のプランに戻す!


「真の支配とは、あなた様の作った湖にシホ様を乗せた小舟を浮かべるようなものでございます。シホ様は自由だと感じますが、実際はあなた様の思うがまま。支配されていることにすら気が付かない。これこそが、あなた様の目指す姿でございます」


「真の……支配……?何言って……」


「つまり、未来。シホ様の未来、その可能性が見える力。阪本様、あなた様が一人で耐えてきた時間は、この力を扱うための訓練期間だったのです。


 そもそも、特別な存在、選ばれし者であるあなた様を、誰も理解できるはずがない。世界と距離を取る資格のある偉大なお方。それが阪本様、あなた様です」


「で、でも……独りは嫌だ……」


「独りではございません。私も、シホ様がいるではありませんか。こちらをご覧ください」


 俺が指を鳴らすと空間から上質な紙がひらりと落ちて来た。契約書。人間と悪魔のかわす絶対遵守の束縛。


 ◇◇◇

 魂契約書(写)

 本契約は、下記当事者間において、完全なる自由意思に基づき締結されるものである。

 ________________________________________

 第一条(契約当事者)

 1.甲:

 人間 阪本 タダシ(以下「甲」という)

 2.乙:

 悪魔 マモン(以下「乙」という)

 ________________________________________

 第二条(契約の目的)

 本契約は、甲が乙より特定の超常的権能の付与を受けること、ならびにその対価として甲が自己の魂を乙に譲渡することを目的とする。

 ________________________________________

 第三条(付与される権能)

 1.乙は甲に対し、以下の能力(以下「支配の瞳」という)を付与する。

 1.特定対象であるシホ(以下「対象者」という)の

 過去

 現在

 未来

 に関する情報を、甲が任意の時点において視認・把握する能力。

 2.支配の瞳の使用期限は、甲の生存期間中に限るものとする。

 3.甲は自己の意思により、支配の瞳を任意の時点で破棄することができる。

 ________________________________________

 第四条(対価)

 1.甲は、本契約の対価として、自己の魂の全部を乙に譲渡する。

 2.前項の魂の譲渡は、甲の死亡と同時に完全かつ不可逆的に実行されるものとする。

 3.支配の瞳の破棄、使用不能、その他いかなる事由が生じた場合においても、

 魂の譲渡義務は一切軽減・変更・取消されない。

 ________________________________________

 第五条(甲の義務および禁止事項)

 1.甲は、対象者に対し、一切の危害を加えてはならない。

 2.前項に違反した場合、乙は事前通知なく、即座に甲の魂の徴収を開始する権利を有する。

 3.魂の徴収開始後、甲は一切の異議申立てを行うことができない。

 ________________________________________

 第六条(乙の義務および禁止事項)

 1.乙は、甲に対し、直接的または間接的を問わず、一切の危害を加えてはならない。

 2.前項に違反した場合、乙は例外なく、即時に存在を喪失し、完全なる死亡状態に移行するものとする。

 ________________________________________

 第七条(不可逆性)

 1.本契約は、一度締結された時点で、甲乙いずれの意思によっても解除、無効化、修正することはできない。

 2.本契約に基づき生じるいかなる結果についても、甲は完全に理解し、承諾したものとみなす。

 ________________________________________

 第八条(最終確認)

 甲は、本契約の内容を十分に理解し、

 自己の自由意思に基づき、

 何者からの強制、欺瞞、錯誤もなく署名することをここに証する。

 ________________________________________

 契約締結日:____年__月__日

 甲(署名)乙(署名)

       マモン

 ________________________________________

 ※注記(悪魔側条項・非開示)

 本契約に基づき、甲の魂は昇天資格を永久に喪失する。



 ◇◇◇


 阪本タダシはあっけにとられて目を丸くしている。俺はあくまでも寄り添うように、阪本様のことを思って、内容の説明をした。


「要点だけ申し上げますね。

 この契約は、“支配の瞳”を完全なものにする内容でございます。

 シホ様の過去・現在・未来、そのすべてが把握できる。

 ――いえ、未来に介入することすら可能になります。


 対価は、阪本様の死後の魂。

 もっとも、死後の魂など生きている間のあなた様には無関係です。実質的なデメリットはございません。


 一点だけ条件がありまして。

 阪本様はシホ様に危害を加えてはならない。

 ですがご安心ください。彼女のすべてを知ったあなた様に、暴力や恐怖による指導はもはや必要ありませんから。


 もちろん、私が阪本様に危害を加えることもございません。

 完全に自由で、完全に公平な――WIN―WINの契約です。

 いかがでしょうか?」


 俺はそういって、真っ赤な悪魔の国色のボールペンを阪本タダシに差し出した。

 くそ、頭がクラクラする。しゃべりすぎた。もう舌も回らない。阪本タダシは宙に浮かぶ契約書を未知との遭遇のような目で見ている。頼む、読み飛ばしてくれ。


 ――俺の言葉だけを信じてくれ


「こ、これで……俺は……シホは……、俺のものになるのか……?」


「もちろんです。あなた様がそう望むなら、そう願うなら、必ずや叶う力と言えるでしょう」


「……」


 長い沈黙。空気が淀み、俺の拍動が頭にガンガンと響く。それでも、余裕の姿勢は絶対に崩さない。俺は一流のセールスマン。そのプライドが、俺を奮い立たせた。

 阪本タダシは苦悶の表情を浮かべて、頭を血が出る勢いでかきむしっている。跪きながら床を殴りつけ、頭を打ち付けて、その鈍い音が部屋に落ちていく。


「くぅぅぅぅぅううううううう……!!!!クソ!クソっ!クソ……!シホ、シホ……!なんでだよぉっ!!」


 永遠に続くかのような時間。ここで口を開いたら負けだ。沈黙で主導権を握り続けろ。息が切れそうなのを必死でこらえる。頭に血が上っていく。心臓が口から出そうだ。アドレナリンを脳みそに直接キメたみたいな、ぶっ飛びそうな怪しい興奮が俺の中で渦巻いていた。


 ――さぁ……さぁ!さぁ!!


 その時、阪本タダシはひったくるようにボールペンを奪った。

 息を荒げて契約書に手を打ち付けるように殴り書く。そして、電波が途絶えたようにボールペンを落とし、そのまま意識を失った。


 “阪本タダシ”


 契約書には、ミミズがのたくったような字で確かにそう書かれていた。


「賢明なご判断です。阪本タダシ様」


 イキそうだった。


 つづく

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