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終末の異世界紀行  作者: 佐倉美羽
『悪魔の国』

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34/50

第4話 下級悪魔はさらに取引をする

 足元にはうずくまる女。震えて身を抱いている。

 蛍光灯の明かりが無機質にリビングを照らし、空気は冷たく落ちている。

 ――阪本タダシの記憶。この女性は元妻のシホさんだろう。


「おい。何度言ったらわかるんだ。シャンプーくらい替えとけよ。頭洗えなかっただろ」


「ご……ごめんなさい。……気づかなくて」


「気づかなくて、気づかなくて。ごめんなさい、ごめんなさい。聞き飽きたわ」


 ◇◇◇


 家にいる妻が家のことをするのは当たり前。俺が養ってやってるんだから、俺の言うことを聞くのは当たり前。そして、妻を教育するのは夫である俺の務め。俺たちは家族なんだから。なのに、シホは妻としての自覚が足りない。


 結婚して10年。はじめは些細なことだった。食器洗いをシャワーモードでやってないのが気になった。シャワーの方が水道代も安いし効率的だ。通常の出し方で洗うメリットはない。


「それ、シャワーでやろうよ。水道代もったいない」


「ええ?そうなの?わかったー」


 妻はそういった。確かに“分かった”といった。なのに、翌日も変わらず水を垂れ流していた。胸の中をサソリがはい回るような感覚になった。何度言っても治らない。俺を無視した。俺を否定した。俺を拒絶した。共同生活なのに、妻には合わせる気がない。それが、どうしても許せなかった。


 それからというもの、いろいろな不手際が目につくようになった。トイレットペーパーを補充していない、シャンプーの銘柄を勝手に変える、リモコンを所定の場所に置かない。イライラする。家にいるのに気が休まらない。不手際を見つけるたびに大きなため息が出た。そのたびに、妻が申し訳なさそうに俺の顔色を窺う。コミュニケーションすら取ろうとしない。いつから俺の妻はこんな不出来になったのか。これでは俺が悪いみたいじゃないか。


「お前さ。家のこともまともに出来てないんだから、パート辞めろよ」


「……ごめんなさい」


「いや、ごめんなさい、じゃなくてさ。俺が仕事辞めろって言ってんの。答えになってないだろ」


「……」


 だんまり。イラっとして行き場のない怒りを机にぶつける。大きな音を立てて食器が揺れた。妻はビクリと肩を震わせてなにも言わない。自分のことしか考えていないその態度に、さらに腹が立つ。


「はぁ……。お前のために言ってるんだぞ。それに、お前を食わすために俺は遅くまで働いてるってのに、何で言うこと聞かない?理解できんのだけど」


 本当に訳が分からない。話し合いもしようとしないし、目も合わせない。人としてどうかと思う。なのに。


「わ、私も……家にお金入れてるし、家のことも、ちょっとは手伝って欲しい……」


 なのに、言うに事欠いて。


「――何?」


 ――妻は口答えをした。


 窓におぼろげに映る自分が見えた。眼鏡をかけて、ワイシャツを着た。仕事終わりのサラリーマン。俺だ。なのに、この時は、自分じゃないように見えた。

 足元にはうずくまる妻。すすり泣く声がリビングの壁に吸い込まれている。掌は、やけどをしたように、痛かった。


 すぐに謝った。殴るつもりはなかった。体が悪魔に乗っ取られたみたいに、勝手に動いて。「ごめん。ごめん。そんなつもりじゃなかった」抱きしめながらそういうと、妻は暴れた。俺から逃れるように身じろぎをして、「いや、いや」と呻いていた。力強く抱きしめていると、妻は糸が切れたように力が抜けた。その顔がなんだかとても色っぽくて、そのまま抱いた。


 妻は翌日、仕事を辞めた。家のことも少しづつだけど、出来るようになってきた。でも、まだまだ全然ダメ。もっと、俺が躾てやらないと。妻は一向にポンコツのままだ。だから、俺は妻に教え込んだ。俺がどれだけ心を割いてきたか、俺がどれだけ気をもんでいたか、俺が、どれだけお前を愛しているのか。俺が、俺が、俺が、俺が――。


 それを、理解させなくてはいけなかった。


 ◇◇◇


「俺は、悪くない≪あなたは、正しい≫。阪本様。私、マモンはそう思います。

 いかがでしょうか。“支配の瞳”のお加減は?シホ様のご様子が手に取るようにわかるでしょう?」


「は、はい!本当にありがとうございます!これで、シホを連れ戻しに行けます!」


 そういいながら阪本タダシは膝をついて、俺を拝んだ。

 まるでカルトの教祖の気分だ。だけど、このままこのクズを現実に帰してはいけない。

 ここで満たした欲望を、次の欲望へと投資させる。


「左様でございますね。ですが、焦ってはいけません。阪本様。なんの対策もないまま迎えに行っても、警察や周囲の者たちに阻まれるだけでしょう」


「……警察、そうですね。じゃあ、どうすれば……?」


「情報です。あなた様はもっと、シホ様のことを理解しなければならない。シホ様に出て行かれたのは、彼女への理解が浅かったからに他なりません。今のままでは、同じ結果になるだけでしょう」


 それまで恍惚としていた阪本タダシは、一変、目を剥いて言い返してきた。


「理解が浅い……。いいえ……。いいえ!理解してます!俺が一番、シホのことをわかっています!!」


「そうでしょうか?まぁ、見える部分だけの、ほんの表層だけの理解で、“わかっている”。そうおっしゃるなら、それもまたいいでしょう。ですが、それでは愛とは言えない。


 ――すべてを支配してこそ、“真実の愛”足りえるのですから」


「すべて……?……真実の、愛?」


「過去ですよ。シホ様の過去。彼女が今までどんな人間と出会い、どんな傷を負って、どんな屈辱を経て来たのか。そのすべてを、見てみたくはありませんか?

 いいえ。知っておくべきです。だって、シホ様はあなた様のものなのですから」


 ゴクリ。

 音を立てて生唾を飲んだのは、手をついて俺を見上げている阪本タダシだ。もう一押しだな。


「支配の瞳にシホ様の過去をすべて見るオプションをお付けしましょう。対価は10年分の寿命でどうでしょうか?」


「じゅ、10年!?そんな!無理です!!」


「おや。では8年でどうでしょう。賭ける魂が少ないほど性能も落ちてしまいますが、いかがですか?」


「……ちょ、ちょっと。ちょっと待ってください……。それは、いくら何でも……」


 迷ってる。顧客が迷う理由は金額と未来のイメージの欠如だ。その金額で確かな効果は得られるのか、その安心感が足りない。だからこそ、具体的なメリットを提示しながら、不安を取り除いていかなければならない。その金額を支払った先に、「自分が報われる未来」を映像化してやる。


「阪本様。落ち着いて、聞いてくださいね。今までシホ様に対し、なぜ?と思ったことがありますよね。それはほぼ間違いなく“過去の経験に基づく行動”なのです。


 言い換えれば、たったの8年の寿命で、その“なぜ”がすべて解消する。どう教育を施せばいいのか、方針が立てられる。


 今までの阪本様は、なんの説明書もないまま勘で操作していたようなもの。それでは、うまくいくはずがありません。

 ですが、シホ様の過去を知ることで、あなた様は彼女を正しく導くことができるようになるんです。


 阪本様、お願いします。この契約内容は悪魔の国でも上位のディーラーしか許されていない破格の内容なんです。私以外の悪魔だとこうはいきません。阪本様、今です。今契約するしかない。


 たったの八年賭けるだけで、あなたの欲望は思いのまま。現代日本のあらゆる法的観点から考えても、けして裁かれることはない。大穴的中の爆当たり間違いない取引といえるでしょう」


 ――だから、私を信じてください。


 阪本タダシは結局、俺に10年分の寿命を支払った。

 すべてがうまくいっている。このまますべての魂をローンで支払わせる予定だった。


 だが、人間の欲望には果てがない。俺が餌を与えるたびに、際限なく大きくなる。

 クジラ。その魚影に、俺はまだ気が付いていなかった。


 つづく

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