第3話 下級悪魔は取引する
「よし! アポ取り成功!!」
スマホを置いた瞬間、職場の視線が一斉に俺へ向いた。まるで原始人が初めて火を見たみたいな目だ。
「……あれ? 何か変でした?」
「いや変じゃねぇが……お前、本当にインプか? どこでそんな芸当覚えた」
山羊頭の上司、メンデスが口をぽかんと開ける。
インプなんて頭も体も大したことない“下位種”だ。こういう言われ方にも慣れてきた。
「昔から人間界のテレビばかり見てまして。自然と、ですかね」
「……まあいい。浮かれるなよ。ここからが本番だ」
つまり“契約”だ。ここでしくじれば、逆に悪魔が人間に縛られかねない。
「心得ています。助言、感謝します」
「で、その人間は?」
ずいっと角が鼻先をかすめる距離で、メンデスがモニターを覗き込んだ。
「42歳独身男。分類は憤怒。業評価は5段階中3。
憤怒型は反応が瞬間火力みたいなもんだ。承認には弱ぇが、侮辱だと思われれば即爆発するぞ」
「なるほど……契約内容は段階的に釣り上げる方向で考えています。いかがでしょう」
「悪くねぇ。ただし怒りの矛先は絶対に悪魔へ向けさせるな。契約が飛ぶ」
「承知しました」
メンデスは短くうなずくと、椅子を引いて自席に戻っていった。
ちょっとは認めてもらえた……のかもしれない。
よし、まずは対象――阪本タダシの調査だ。
取引を組み立てて、魂を“寿命”として回収する。
――初仕事だ。
ぶちかましてやるぜ。
◇◇◇
「はじめまして。召喚に応じ参上いたしました。悪魔、マモンでございます」
「う……あ、ほ、本当に出て来た……」
フワフワと中を漂いながら、俺は腰を抜かして怯えた目をしている男、阪本タダシに礼をした。
昔は血の魔法陣を使って人間界へ招かれたらしいけど、最近はスマートフォンやPCを使って召喚される。クラシカルな方法だと大事件になっちまうしな。
周りを軽く見回すと、脱ぎ散らかした服、ごみ袋、空き缶、弁当のカラ。一軒家のリビングか。掃除は行き届いていないみたいだ。
「どうか怖がらないでください。私はあなた様の味方でございます」
「み、味方……?」
「はい。阪本様……あなた様が何を求めているか、すべて分かっております」
まず大事なことは第一印象だ。出会って3秒ほどで、見た目55%、話し方38%、内容7%を判断される。ここでダメな奴認定されたらもうほとんど挽回は無理。だからこそ、“初めまして”は大きく、ゆっくり、洗練された所作を徹底する。メラビアンの法則だ。
「彼女、シホ様を失った瞬間、世界が崩れたのでしょう。だって、彼女はあなた様のものだったのですから」
「……っ!」
阪本タダシが息をのむ音がここまで聞こえた。視線が揺れている。まだ俺を信用していいのか迷っている。
お前のものなわけねぇだろ、という本音は完全に忘れる。深層演技。俺は旅の宝石売り、こいつは王様。そう心から思い込む。
「間違っていたのは彼女です。そして、世界も間違えている。あなた様ほどの方を理解できなかった──だから今、取り戻すのは当然のこと」
「当然……。出来るのか……?シホは俺の元に戻るのか?」
「もちろんです。そして、あなた様はただ戻ってきてほしいんじゃない。
“かつての力”を取り戻したいのです。人として当たり前のことですよね」
ああ……釘付けだ。救いの手を差し伸ばされたみたいに、目に玉の涙を浮かべてる。仮面をしていて助かった。今、口角が吊り上がったのが自分でもわかった。
「フゥ……フゥ……、全員、俺を犯罪者みたいな目で見てくるんです。俺は間違ってない。あいつが馬鹿だから。そう、躾てやってただけなんです。家族なんだから、誰かが教えてやらないと。それなのに、なんで俺が……俺だけが……!!」
「あなた様は彼女を“愛した”のではなく、“抱えていた”のですよ。突然手から零れたら──そりゃ心が壊れますとも。所有物が逃げた痛みは、誰にも理解できません。
それにシホ様も、支配されたがっていたではありませんか。なら、あなた様の怒りは、間違っていない。正しい者が正しく怒るのは、理に適っているんです」
「ええ……!ええ!そうですよね……!俺たちは愛し合っていた!それを外野がごちゃごちゃと……。まったく意味が分からない!!」
「今こそ、取り戻すときが来たのです。そして、私はそのお手伝いがしたい。あなた様の所有物、シホ様が、本来いるべき場所へ戻るために」
俺は言葉を切って、手を差し出した。右手が緑色に怪しく光り、家具が怯えているようにガタガタと震えている。空間がぐにゃりと捻じれ、女の鳴き声が時々漏れてくる。
聞け、願いを抱えた者よ。汝が渇望、澱み、腐り、泥となってなお残る“本音”を我は視る。それを練り上げ、力へと転じよう。
法も道理も……この世の理すら犯す権能を、今、汝の肩へ。
そして、代価を置け。魂の底まで。
「あなた様には、この眼が必要です。
過去を掘り当て、現在を掴み、未来すらも手中に収める──支配の瞳。
まずは、3年分の寿命。それでシホ様の“現在”を取り戻しましょう。
さぁ――」
――俺を信じろ≪取引をしよう≫
「する……!します!!」
阪本タダシは弾かれたように俺の手を取った。バチリと緑色の雷光が瞬く。ゴミ袋が転がり、空き缶の山が音を立てて崩れ落ちた。部屋の中に小さな台風が現れたみたいだ。
「賢明な判断です。ようこそ。真の勝ち組の世界へ」
「あががっ……がああああ!!!」
「おや、聞こえていませんか」
阪本タダシは白目をむきながら痙攣している。体を物理的に作り変えられているのだから当然か。
緑の閃光がひときわ大きく嘶くと、阪本タダシは大きく痙攣し、手を握ったまま崩れ落ちた。プスプスと煙を上げて、俎板の鯉のように跳ねている。だが、ハッと我に返ったように阪本タダシは体を起こした。
「……見える。シホだ……!シホがいる……!」
「ええ。現在のシホ様の状況が、いつでも見えるようになっております。お気に召しましたか?」
「すごい……、なんだこれ……。魔法みたいだ……!!あは、あっはは」
阪本タダシの光彩が深緑色に染まってる。契約は成った。楽勝だったな。
それよりも、すげぇ。今、俺の手元に人間の魂があるのが分かる。悪魔の力の源、たったこれだけで全能感があふれてくる。ほくそ笑むのを我慢するのに精いっぱいだ。
それに――阪本タダシの記憶も、断片的に流れて来た。
あぁ……
こいつは……
「これで、いつでもシホ様を取りに行けますよ。阪本様」
「ええ!ええ!本当に、ありがとうございます!」
阪本は涙を流しながら俺の足に縋り付いてきた。俺は感涙にむせび泣く阪本を笑顔で見下ろしていた。
クズが。たった3年で済むと思うなよ。根こそぎ奪いつくしてやる。
――旅の宝石売りは、そんなこと、少しも考えていない。
つづく




