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終末の異世界紀行  作者: 佐倉美羽
『悪魔の国』

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29/50

第四話 “面白い”物語

 薄暗い執筆室を端末の淡いブルーライトの光が照らしている。その画面には、書き掛けの原稿。イヴ・アーカイブは画面の前に深く腰掛けて、天を仰いでいた。


 ――この物語は、本当に面白いの……?


 タイトルは――


『悪魔の国』


 この世界には、悪魔がいた。実際に彼らの住まいに行くことはできないけれど、悪魔と呼ばれた者たちがいた証拠は遺光として残っていた。そのうちの一つに、澱のように深い緑色の輝きがあった。

 そして――その光景に、イヴは言葉を失った。書こうか何度も迷った。書いている最中、イヴは何度も離席しては外の空気を吸った。


 長く書いていると、物語の主人公たちが、いつの間にか頭の中に住み着く。

 この場面なら、ライラはきっとこう考える。

 コウなら、答えを出せずに立ち止まる。

 リュウジなら、笑いながら傷を隠す。


 そうやって、イヴは何度も彼らの思考をなぞる。

 気づけば、彼らの感情がそのまま胸に流れ込んできて、救いのない結末に手を伸ばすたび、喉の奥が詰まる。


 心を裂く幕切れも、望みを断ち切る選択も、自分が決めたはずなのに、耐えきれなくなる。

 それでも筆は止められない。


 イヴは物語を書くのではなく、頭の中の彼らに憑依しながら、嗚咽を噛み殺して、ただ書いているだけなのだ。なのに今回は、それがどうしても出来なかった。


 ――駄目ね……。すこし休憩しよう。


 イヴは席を立ち、端末を持って執筆室を後にする。外は、すっかり朝日が差し込んでいた。


 ◇◇◇


 荒廃した地が続く島。今となっては草の根一本と無い土地だが、かつてここにも人が住んでいた。機械の国ほどではないが、それなりの技術を持っていることが、倒れている建物の残骸から見て取れる。

 瓦礫に埋もれた、かつて街だったものを見下ろせる小高い場所にキャンピングカーを止めている。イヴはマスクをして外に出る。陽光が肌と心を温めてく気がして、少し落ち着いた。そして、少し離れたところにアダムが焚火を見つめていた。


「よお、イブ。お目覚めか?」

「……いいえ。ちょっと煮詰まっちゃって」

「おいおい。まさか徹夜かよ。根詰めすぎだろ」


 アダムは驚いたようにのけぞった。アダムはつい先ほど『妖精の国』をデータベースに転送した。それはエネルギー生命体にとって食事と同じだ。美味しい料理。残らない物。

 イヴはそっと焚火の側に膝を抱えて座った。


「ねえ、アダム。『人形の国』、覚えてる?」

「ん? あー……悪い。もう残ってねぇ」


 パチリと焚火が爆ぜた。イヴは何も言わなかった。


「でもよ」


 アダムは続ける。


「読んでる最中は、妙に静かだった。あれ、嫌いじゃなかったぜ」

「……それだけ?」

「それだけで十分だろ。それに、残らねぇからまた腹が減るんだよ」


 相変わらずデリカシーの無い同行者だ、とイヴは少しだけ笑った。それでも、アダムはイヴの隣にい続ける。分からないのがアダムだ。


 物語は、いったい何のためにあるのだろう。

 そんなことを、イヴは時々考える。


 ファストフードのような物語がある。

 手軽で、すぐに読めて、その場では確かに美味しい。

 空腹を満たすには十分で、多くの人が迷いなく手を伸ばす。

 けれど、読み終えたあとに残るのは、空になった包装紙だけだ。

 満たされた感覚は、驚くほど早く消えてしまう。


 一方で、高級レストランのような物語もある。

 読むために時間と覚悟が必要で、

 これまで信じてきた常識を、足元から崩してくる。

 噛み砕くには固すぎて、途中で匙を置く人も多い。

 それでも、一度刻まれた感触は、簡単には消えない。

 傷跡のように、ずっと心に残り続ける。


 どちらが正しいのかは、きっと誰にも決められない。

 ただ――

 自分は、どんな物語を残したいのだろうか。

 癒したいのか、

 傷を残したいのか。


 そう問いかけながら、今日も言葉を選んでいる。


 ――でも、忘れられる物語を書くのは、少し、怖い。


「……そう。私もまだまだね」

「あー、いや……。お前の書く“物語”のデータは、美味いよ」


 イヴは少し驚いた。まさかアダムからそんなセリフが聞けるなんて。


「あら。まさか慰めてくれてるの?珍しいわ」

「おかげさまで人間への理解が深まってるからな!」


 アダムは眉を上げてにやりと笑った。今のは皮肉で言ったつもりだったのに、とイヴは苦笑する。それでも、その屈託のない笑顔に、少しだけ勇気づけられていた。


「どうもありがとう。アダム。少し眠るわ」

「おう。おやすみ。イヴ」

「ええ、おやすみ」


 イヴは立ち上がり、キャンピングカーへと戻っていく。パチパチと燃える焚火の音が耳に残っていた。『悪魔の国』に出てくる“魂”の炎。あれも、きっとこんな音がするのだろうなと思い描きながら。


 執筆室に戻ると、端末から感想が届いていたとポップアップが表示されていた。エインセルだ。イヴは眠る前に軽く目を通すことにした。


 “『妖精の国』を編纂する時、あなたは本当に無表情でいられたのだろうか。”


 澄んだ青に照らされて、イヴの睫毛がゆっくりとおろされる。


 “いいえ。エインセル。とても、苦しかったわ。”


 イヴが指先を走らせると、コメント欄に文字列が浮かんでいく。あとは、送信を押すだけ。なのに――ぴたりと動きが止まった。


 “DELETE”


 イヴは倒れ込むようにベッドに身を投げる。起きたら続きを書こう。アダムも一生忘れることが無いような。あなたの心の傷になるために。


 ――さあ、創作を始めましょう。


 つづく

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