第四話 “面白い”物語
薄暗い執筆室を端末の淡いブルーライトの光が照らしている。その画面には、書き掛けの原稿。イヴ・アーカイブは画面の前に深く腰掛けて、天を仰いでいた。
――この物語は、本当に面白いの……?
タイトルは――
『悪魔の国』
この世界には、悪魔がいた。実際に彼らの住まいに行くことはできないけれど、悪魔と呼ばれた者たちがいた証拠は遺光として残っていた。そのうちの一つに、澱のように深い緑色の輝きがあった。
そして――その光景に、イヴは言葉を失った。書こうか何度も迷った。書いている最中、イヴは何度も離席しては外の空気を吸った。
長く書いていると、物語の主人公たちが、いつの間にか頭の中に住み着く。
この場面なら、ライラはきっとこう考える。
コウなら、答えを出せずに立ち止まる。
リュウジなら、笑いながら傷を隠す。
そうやって、イヴは何度も彼らの思考をなぞる。
気づけば、彼らの感情がそのまま胸に流れ込んできて、救いのない結末に手を伸ばすたび、喉の奥が詰まる。
心を裂く幕切れも、望みを断ち切る選択も、自分が決めたはずなのに、耐えきれなくなる。
それでも筆は止められない。
イヴは物語を書くのではなく、頭の中の彼らに憑依しながら、嗚咽を噛み殺して、ただ書いているだけなのだ。なのに今回は、それがどうしても出来なかった。
――駄目ね……。すこし休憩しよう。
イヴは席を立ち、端末を持って執筆室を後にする。外は、すっかり朝日が差し込んでいた。
◇◇◇
荒廃した地が続く島。今となっては草の根一本と無い土地だが、かつてここにも人が住んでいた。機械の国ほどではないが、それなりの技術を持っていることが、倒れている建物の残骸から見て取れる。
瓦礫に埋もれた、かつて街だったものを見下ろせる小高い場所にキャンピングカーを止めている。イヴはマスクをして外に出る。陽光が肌と心を温めてく気がして、少し落ち着いた。そして、少し離れたところにアダムが焚火を見つめていた。
「よお、イブ。お目覚めか?」
「……いいえ。ちょっと煮詰まっちゃって」
「おいおい。まさか徹夜かよ。根詰めすぎだろ」
アダムは驚いたようにのけぞった。アダムはつい先ほど『妖精の国』をデータベースに転送した。それはエネルギー生命体にとって食事と同じだ。美味しい料理。残らない物。
イヴはそっと焚火の側に膝を抱えて座った。
「ねえ、アダム。『人形の国』、覚えてる?」
「ん? あー……悪い。もう残ってねぇ」
パチリと焚火が爆ぜた。イヴは何も言わなかった。
「でもよ」
アダムは続ける。
「読んでる最中は、妙に静かだった。あれ、嫌いじゃなかったぜ」
「……それだけ?」
「それだけで十分だろ。それに、残らねぇからまた腹が減るんだよ」
相変わらずデリカシーの無い同行者だ、とイヴは少しだけ笑った。それでも、アダムはイヴの隣にい続ける。分からないのがアダムだ。
物語は、いったい何のためにあるのだろう。
そんなことを、イヴは時々考える。
ファストフードのような物語がある。
手軽で、すぐに読めて、その場では確かに美味しい。
空腹を満たすには十分で、多くの人が迷いなく手を伸ばす。
けれど、読み終えたあとに残るのは、空になった包装紙だけだ。
満たされた感覚は、驚くほど早く消えてしまう。
一方で、高級レストランのような物語もある。
読むために時間と覚悟が必要で、
これまで信じてきた常識を、足元から崩してくる。
噛み砕くには固すぎて、途中で匙を置く人も多い。
それでも、一度刻まれた感触は、簡単には消えない。
傷跡のように、ずっと心に残り続ける。
どちらが正しいのかは、きっと誰にも決められない。
ただ――
自分は、どんな物語を残したいのだろうか。
癒したいのか、
傷を残したいのか。
そう問いかけながら、今日も言葉を選んでいる。
――でも、忘れられる物語を書くのは、少し、怖い。
「……そう。私もまだまだね」
「あー、いや……。お前の書く“物語”のデータは、美味いよ」
イヴは少し驚いた。まさかアダムからそんなセリフが聞けるなんて。
「あら。まさか慰めてくれてるの?珍しいわ」
「おかげさまで人間への理解が深まってるからな!」
アダムは眉を上げてにやりと笑った。今のは皮肉で言ったつもりだったのに、とイヴは苦笑する。それでも、その屈託のない笑顔に、少しだけ勇気づけられていた。
「どうもありがとう。アダム。少し眠るわ」
「おう。おやすみ。イヴ」
「ええ、おやすみ」
イヴは立ち上がり、キャンピングカーへと戻っていく。パチパチと燃える焚火の音が耳に残っていた。『悪魔の国』に出てくる“魂”の炎。あれも、きっとこんな音がするのだろうなと思い描きながら。
執筆室に戻ると、端末から感想が届いていたとポップアップが表示されていた。エインセルだ。イヴは眠る前に軽く目を通すことにした。
“『妖精の国』を編纂する時、あなたは本当に無表情でいられたのだろうか。”
澄んだ青に照らされて、イヴの睫毛がゆっくりとおろされる。
“いいえ。エインセル。とても、苦しかったわ。”
イヴが指先を走らせると、コメント欄に文字列が浮かんでいく。あとは、送信を押すだけ。なのに――ぴたりと動きが止まった。
“DELETE”
イヴは倒れ込むようにベッドに身を投げる。起きたら続きを書こう。アダムも一生忘れることが無いような。あなたの心の傷になるために。
――さあ、創作を始めましょう。
つづく




