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終末の異世界紀行  作者: 佐倉美羽
『妖精の国』

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第三話 エインセル――「物語」を待つ読者

「んんっ……」


 薄暗い執筆室でイヴ・アーカイブは伸びをする。時を忘れるほどの純粋な没頭。食事もとらずに頭と指を動かしていたが、彼女はようやく休憩をとることにした。


 ――ちょっと難しいシーンが続くし、頭に栄養入れなくちゃ。


 イヴはチェアを回転させて立ち上がる。腰と肩が悲鳴を上げて、思わず顔をしかめた。腰をさすりながら扉を開けると運転席から光が差し込み、イヴのブルネットを照らした。外は翡翠のごとき緑の葉。「機械の国」から遠く離れた地にあった樹海だ。


「おお、イヴ。お疲れさん。休憩か?」


 遺光の保存を終えたアダムがソファーで知恵の輪に興じている。先ほどまでキャンプの時間だぜとか言っていたのに、もう飽きたらしい。カチャカチャと金属音が車内に広がっていた。


「ええ。さすがにちょっと疲れたわ」


 イヴは冷蔵庫を開けて、中を一瞥する。

 それだけで、もう献立は決まったらしい。


 狭い作業台の上に、乾燥パスタ、缶詰のトマト、刻み終えたにんにく。分量を量ることもなく、鍋に湯を張り、塩をひとつまみ落とす。その仕草には一切の迷いがない。


「そういや、またエインセルから感想が届いてたぜ」


 アダムがそう言ったとき、イヴは小さく頷いただけだった。

 フライパンに油を引き、にんにくを弱火で温める。焦がさない。音が立つ前に火を落とす。その間に、別の鍋ではパスタがちょうどいい硬さになっている。

 缶詰を開け、木べらで軽く潰す。味見をして、眉ひとつ動かさずに塩を足した。

 やがて皿に盛られたのは、見た目はごく普通のトマトパスタだった。

 だが、フォークを入れた瞬間に立ち上る香りが、キャンピングカーの中の空気を少しだけ柔らかくする。


「“メタリカは不完全さを拒んで滅んだのか。それとも、受け入れたからこそ滅んだのか”。だってよ」


 イヴは「そう」とだけ返して、静かに食べ始めた。美味しいかどうかは重要じゃない、という顔で。けれどその皿は、最後まできれいに空になった。


「毎度思うが、人間ってのはまどろっこしいな。

 “料理”なんて工程をわざわざ挟む。

 もっと楽にできるだろうに……なんて言ったっけ? 完全栄養食、だっけか」

「完全栄養食なんて不味くて食べれたものじゃないわ。アダム。それに――」


 これは物語にならない。記録にも残らない。誰かに評価される必要もない。

 だからいい。失われても、忘れられても、何も問題にならない行為。

 編纂者として集める煌めきとは、正反対の場所にある時間。

 それでも火を止め、味を確かめる瞬間だけは、確かにここに生がある。


「美味しい料理は、残らないから好きなの」

 アダムは「んー?」と、首をかしげた末に「ま、人間は美味い飯を食うと幸福になるらしいしな」としきりに頷いていた。


「ちょっと歩いて来る」


 手早く洗い物を済ませたイヴはそういって、ペン型の武装を腰に付けた。自律型の浮遊砲台。使うことはないだろうが用心するに越したことはない。


「おお。あんまり遠くに行くなよ」


 アダムはソファーに寝転んでそう言った。知恵の輪は、引きちぎらんばかりに左右にひかれて、悲鳴を上げていた。


 ◇◇◇


 イヴは翡翠の森を歩く。カサカサと草を踏み鳴らし、風にざわめく木々が生暖かい命の気配を匂い立たせる。マスクはつけなくていい。ここは、奇跡的に空気が汚染されていない。何か、特別な力で守られているようであった。


 イヴは歩きながら手に持った端末をスクロールする。エインセルの感想を隅から隅まで。途中まで退屈していた、という記述にグサリと胸を刺されたり、自分とミヤコの姿勢が似ているという指摘にニヤニヤと照れたり。そして、「メタリカは不完全さを拒んで滅んだのか、受け入れたから滅んだのか」という考察には膝を打っていた。


 ――確かにそうね。マキナの傷は完全には治らなかった。でも光が宿った。コウの国の評価数値は下がった。でも、異常はなくなった。どちらも、“不完全”な救い。


 ――私も、同じ問いを抱えている。ただ、答えを書く立場にいるだけで。


 イヴはエインセルの感想にグッドを送る。作品の行間を読み、考察し、それを伝えてくれる。物語の作者にとってこれほど幸せなことはないだろう、とイブは思う。


 ――イヴ。そろそろエインセルに一言くらい返してやれよ。


 アダムに言われた一言を思い出した。気まぐれに、一言だけ。イヴは返信をタップしてみる。“読んでくれてありがとう”、“すごい考察ですね”、“私もそう思います”。浮かんでは消えて、真っ白になって。やっぱりやめた。


 “的外れなことを言ってしまって、読んでもらえなくなったらどうしよう。”


 頭の中に浮かぶ33文字をイブは「恥ずかしいから」と書き直した。気づけば、周りの雰囲気は神聖なものに変わっている。木々に囲まれた道。そして、石碑のようなものが、数えきれないほど。すっかり風化してしまい、ボロボロになっているが、イヴは知っている。この森に住まう妖精によって数字が書かれていたことを。


「……あなたの物語。私は好きよ」


 この森には、妖精がいた。目を奪われるほど美しい妖精の女王の元に、宝石のような輝く国が築かれていた。そして、その国で、“英雄”になるものがいた。


「私も頑張るわ。あなたの遺光を、物語にするために」


 休憩終わり。イヴは来た道を引き返す。難しい第3話と最終話。その構想を練りながら。

 甘い香りを漂わせる夢の話。タイトルは――


『妖精の国』


 さぁ、創作を始めましょう。


 つづく

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