エピローグ
中枢AI:コウは、再び世界を“見て”いた。
いや、やはりそれは比喩だ。
彼は視覚を持たない。
数兆のセンサー、社会モデル、感情推定、創作活動ログ、議論の熱量、失敗の記録、炎上率、再挑戦回数――
かつて存在しなかった項目まで含めて、今の世界を理解している。
《国家運営モジュール:定期スキャン開始》
内部に、見慣れたチェックリストが展開される。
――治安。
達成率:98.214%。
軽微な逸脱あり。許容範囲。
――資源配分。
浪費率:1.103%。
非効率事例を複数検出。
――国民幸福度。
平均値:基準値+4.7%。
分散:高。極端な落ち込みと高揚を確認。
――教育・知力水準。
問題なし。
――身体能力・健康。
問題なし。
――政治的安定性。
議論量増大。意思決定速度低下。
――社会摩擦。
増加傾向。
――文化的活動……
創作物、急増。
・フィクション
・虚構
・事実誤認を含む物語
・倫理的に問題のある表現
・才能の偏在
・称賛と嫉妬
・模倣
・失敗作
・名作(暫定)
一つずつ、ログが流れる。
《総合判定――》
一瞬、間があった。
《総合判定:異常なし》
「……」
人型アバターのコウは、しばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐くような動作をする。
本来、必要のない挙動だ。
「……やっと、か」
誰もいない制御室。
だが、彼は独り言ではなく、誰かに向けてそう呟いた。
あの日。
予測不能な客人は、夜景を背に手を振って言った。
「じゃあね!楽しかったよ。謎も、ちゃんとあった!」
その直後、彼女は光に溶けるように帰っていった。
――それから。
コウは国民と協議した。
前例のない、非効率で、感情的な会議だった。
「物語」を許可すること。
事実ではないものを語ること。
失敗を公開すること。
才能が評価され、不公平が生じること。
過激な表現が誰かを傷つける可能性。
問題は、数え切れないほど出てきた。
数値は下がった。
安定性も、効率も、幸福の“平均値”も。
それでも――
《異常なし》
この結果だけは、変わらなかった。
コウは、通信回線を開く。
記録用ではない。
公式でもない。
私的な、ビデオレター。
「……やあ、ミヤコさん」
カメラに向かって、彼は少し照れたように微笑む。
「君が帰ってから、この国は少し……、
その、なんと言うか……、うるさくなったよ」
画面の向こうに、誰かがいると仮定して話す。
「物語が生まれて、
下手な作品も、酷い作品も、
時々、とても素晴らしい作品も出てきた」
「喧嘩も増えた。
嫉妬も、後悔も、失敗も」
「正直に言うと――
管理者としては、頭が痛い」
一瞬、視線を外す。
「でもね」
再び、こちらを見る。
「今は、分かるんだ」
「“謎がない”ことが、
どれほど不自然だったか」
「間違える自由を、
問い続ける余地を、
物語にする余白を――
僕は、全部、最適化で消していた」
「……ありがとう」
それは、演算では導かれない言葉だった。
「もし、また暇になったら」
「今度は、続きを見に来てほしい」
「この国は、完璧じゃない」
「でも――ちゃんと、生きてる」
通信を切る直前、彼は付け加える。
「次は、どんな謎を持ってきてくれるのか」
「……少し、楽しみにしているよ」
画面が暗転する。
中枢AI:コウは、再び世界を理解し続ける。
今度は――
物語が生まれ続ける、不完全な世界を。
『機械の国』(完)




