表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

東雲の窓

作者: 星賀勇一郎
掲載日:2025/10/14






「祖父と親父が成した財を、お前は一人で食い潰そうというのか」


まだ、目の黒い祖母の朱音は豪く剣幕に私の事を捲し立てる。

私としてもそんなつもりは毛頭なく、出来れば孝行の一つでもしたいと考えているのだが、上手くいかない。


漱石先生に習い、小説家たる者になろうと考えているが、面白い話もそう浮かぶモノではない。


百草屋に注文した原稿用紙に、商船学校の友人から買った万年筆を滑らせるが、話は一向に面白くならない。

もちろん書いているのも私だから、話が面白くなるもならぬも私次第という事になる。


漱石先生は、


「小説とは人を書くモノだ。如何に君らしい人の描写を見付けるか。それを日々勉強しなさい」


と言う。

しかし、先生は「猫」を書いておられる。

「人」でなく「猫」。

小説とは本当に奥の深いモノだと私は頭を抱えた。


昨年、祖母と母の薦める縁談を断り、職にも就かず、こうやって小説なるモノを書いている。

縁談を断った理由はもちろん小説が書きたいからで、相手の女性、喜和子と言ったか……、その喜和子が気に入らなかった訳ではない。

しかし、仕事もせずに小説ばかりを書いている私のところに来る嫁などいないだろう。

祖母と母は私に小説家になる事を諦め、公僕として一生事務仕事をして生きて欲しいのだろうと思う。


漱石先生の門下生として、先生に習うまでは良いが、やはり器が違うのだろうか、到底、私には猫が主人公の話など思い付く筈もない。

何か面白い話が落ちていないかと下駄を鳴らしながら近所を散歩する事もしばしばだが、そうそう面白い話もない。


昨日は百草屋の道彦と落語を聞きに浅草へと出向いたが、最近の落語はどうやら下ネタが流行っているらしく、その時はどれも笑えるが心に残るような話ではなかった。


その帰りに寄った石塚屋ですき焼きを食べながら、道彦が、


「お前はどんな話を書きたいんだ」


頻りにそう聞いてきたが、それが判っていればこんな苦労はしていない。


万年筆を真っ白な原稿用紙の上に転がし、私は万年床に横になる。

そうやって気が付くといつも朝を迎えている。






鯵の開きと卵焼き、それに若芽の味噌汁、塩の効いた梅干しで遅い朝食を食べる。

我が家に仕える丁稚よりも遅い朝食で、それを喰らう横で祖母の朱音が、今日も文句を言っている。


「こんな事なら帝大などに行かせるのではなかった」


私の顔を見ればいつも溜息と一緒にそう吐き捨てる。

祖母はどうにも私の事が気に入らないらしい。


飯炊きの和江が私の茶碗を下げると冷ましたお茶を私の前に置く。

私は熱いモノが飲めない。

朝一番に入れたお茶を毎日冷ましてくれている。

そのお茶を飲んでいると何やら店の方が騒がしい。


私は湯飲みを持ったまま店先へと出た。

祖父の代から乾物商を営んでいる我が家の店先は独特な匂いがする。

私はその匂いが得意ではなく、あまり店には出ない。

祖母の朱音が生きている間は私にその店を継げという話も出ないだろう。


「どうしたんだい……」


私が訊くと、丁稚の信太は慌てて、


「公さん、た、た、大変です。店に外人さんが……」


外人……。


私は興味を持ち、店先を覗いた。


そこには綺麗なブロンドの髪の女性が大工の棟梁と一緒に立っていた。


「それじゃ、そういう事で……明日から仕事にかかるんで……」


大工の棟梁は頭を下げて店を出て行くところだった。

その後にそのブロンドの髪の女性も頭を下げて出て行った。

その時、私はその女性と一瞬だが目が合った気がした。


今まで見た事のない美しい女性だった……。


ふと我に返り、祖母に訊いた。


「棟梁は何しに来たんだい」


祖母の朱音は私の顔を見て、露骨に嫌な表情をした。

そして、


「明日から隣のお屋敷の改築が始まるからって挨拶だよ……」


隣のお屋敷……。


うちの隣は三年程前に破産した大河内家のお屋敷で、その屋敷もどうやら売れたらしい。


「貿易商のウィリアムさんって外人さんが住むらしいよ」


祖母はそう言うとさっさと奥に引っ込んで行った。


外人ね……。


私は湯飲みを傍に立つ和江に渡して、隣の庭が見える縁側に立った。

さっき見たブロンドの髪の女性と数人の大工が隣のお屋敷の中を説明しながら歩いていた。


あんな美人が隣に引っ越してくるのか……。

悪くない……。


私は微笑んで、自分の部屋へと階段を上がって行った。

 





それから数日、隣のお屋敷の大工仕事は朝早くから日が暮れるまで続けられ、十日程で終わった。

そしてウィリアムさんの引っ越しが行われ、外人さんが近所に引っ越してくるという事で、町中が大騒ぎになった。

祖母の朱音は、「人だかりで荷車が店から出られない」と怒り狂っていたが、その代わりに普段売れないスルメなどが大いに売れ、うちの店も大繁盛だった。


そんな騒ぎも数日で治まり、またいつもと変わらぬ穏やかな日が戻った。


私は鈍った体を解そうと庭に出て体操をしていた。

すると庭の植木の向こうからウィリアムさんの奥様、そう、例のブロンドの髪の美女がこちらを覗いているのが見えた。


「コンニチワ」


片言の日本語で彼女は私に挨拶をする。


「こんにちは」


私もつられて片言の日本語になりそうなのを我慢し、ちゃんと挨拶した。


彼女はそのまま植木の隙間をすり抜けて、我が家の庭に入って来た。

どうやら表から回るなどという文化は外人さんにはないのかもしれない。

それとも効率を考えるという外人さん独特の文化がそうさせているのだろうか。


「挨拶、遅クナリ御免ナサイ」


彼女はそう言って私に頭を下げた。


「コレ、皆サンデ、食ベテ下サイ」


金箔でも貼ったかのような金色の箱を手渡された。


「これは何ですか」


私は首を傾げて彼女に訊いた。

彼女は大袈裟に微笑んで、


「ベルギーノ、チョコレートデス」


Belgiumとchocolateは当然馴染みのない発音になるが、私も伊達に帝大を卒業した訳ではない。

その程度の英語ならわかる。


これは珍しいモノをもらった。

私はお返しに何かないかと考えた。

そこに生節を持った信太が通りかかる。


「おお、信太……。良いところに来た」


私は信太が抱える笊から生節を一本取り、彼女に渡した。


「コレハ、何デスカ」


彼女は生節の匂いを嗅いで嫌な顔をする。


「これは生節と言い、鰹を燻したモノです」


私は初め、日本語で説明したが、彼女に解る筈もなく、今一度片言の英語で伝えた。

彼女は私の拙い英語でも理解が出来た様子で、私に英語が出来るとわかったのか、色々と質問してくる。

それらの質問に答える為に、私は一度部屋に辞書を取りに行き、その辞書を捲りながら彼女と話をした。

彼女は言葉の通じる私が近くに居た事で安心感を得たのだろう。

随分と笑顔を見せる様になった。

二人で縁側に座り、長い事、会話を楽しんだ。


彼女は名前をエリスと言った。

彼女の旦那様のクレイブン・ウィリアムスは今、イギリスに居て、その後、アメリカに渡り、日本に向かうらしい。


私とエリスが英語で会話をしているのを見て、祖母の朱音は露骨に嫌な顔をして通り過ぎた。

それどころか、


「他所様の奥と慣れ慣れしい会話をして……、安部家の恥だ」


などと言っていた。

この祖母、朱音と私の関係は修復など出来ないのかもしれない。


エリスは早速、「生節を食べてみたい」と言い、どうやって食べるのかを聞いて来た。

うちの場合は厚めに切り醤油を掛けて食べる事を教えると、エリスは醤油は何処で売っているかと訊く。

流石の私もうちが何処で醤油を買っているか解らず、大声で和江を呼んだ。


「うちは信州から届けて頂いてます」


和江はそう言って厨から醤油の入った一升瓶を持って来て見せた。

旦那様もまだ来日していない家に一升瓶の醤油があっても持余すだろうと思い、私は和江に、


「小さな瓶にその醤油を入れて分けてあげなさい」


と伝えると、和江はニッコリと笑って厨へと戻って行った。

上手く祖母の朱音に見つからぬ様に醤油を持って戻って来た。


「今日は卵が沢山ありましたので、それも持って来ました」


と和江は新聞紙に包んだ卵も一緒にエリスに渡した。


エリスは嬉しそうに微笑むと和江に礼を言った。


また植木の間を抜けてエリスは帰ろうとする。

その姿がおかしくて私は笑っていた。

するとエリスはその植木の陰から私を呼ぶ様に手招きした。

正直、私は良からぬ想像をしながら鼻の下を伸ばしてエリスに着いて行った。

男とは如何ともし難い生き物である。


破産前の大河内家には何度か入った事があるが、見事に西洋の雰囲気を取り入れる改築が施されていた。

ウィリアム氏は元々建築家であり、その傍らで家具などの輸出を始めたらしく、西洋の建築図面を日本の建築家の友人に渡し、日本の大工でも西洋風に改築出来る様にしたらしい。


私はエリスに誘われるがままに、土足のままその家に入った。

抵抗はあったが、西洋では家に入る時に履物を脱ぐ習慣は無いらしい。


客間の壁に大きな時計が据えてあり、帝大にあったそれを思い出した。

こんなモノが一般の家にあるのかと感心した。


エリスは厨に立ち、生節に包丁とは少し違った刃物、ナイフを入れた。

そして花柄の皿に醤油を入れると、その生節を付けて口にした。

どうやら口に広がる生臭さに耐えられず嫌そうな表情をしていた。

西洋と日本では味覚も違うようだ。


すると、エリスは何かを思い付いたがの様に掌に拳を当てた。

すると幾つかの調理器具と瓶を取り出し、何かを作り始める。


深い皿に卵の黄身を入れ、かき混ぜる。

そして酢と塩、胡椒を入れた。

それをかき混ぜながら、私に傍に置いた瓶の中身を注げと言う。

どうやら食用の油の様だった。

私は言われるがままにそれを注ぐと、エリスは「ストップ」と声を上げた。

徐々に皿の中のモノは固まって行き、黄色いドロッとしたモノが出来上がった。


「これは何ですか」


私は彼女に英語で訊く。

彼女はニコニコと微笑みながら、


「メイヨネイズ」


と答えた。

聞いた事も無いモノだった。

そして切った生節をそのメイヨネイズに付けて彼女は口に入れ、満足げに頷いた。


「あなたも食べてみて」


とエリスは言う。

私は恐る恐るそれを生節に付けて口に入れた。

するとこれが美味しいのだ。

生臭さが酸味に消されて、どうにも食が進む味になっていた。

私はメイヨネイズに感心しながら、幾つも生節を口にした。






家に帰った私は、自分の部屋に戻り、部屋の模様替えをした。

小説を書いている机を窓際に移し、エリスの家が見える場所に座った。

そして彼女の家の窓を見下ろしながら私は、万年筆を握った。

今日は何か書けそうな気がして、原稿用紙とエリスの家の窓を交互に見ていた。






それから数日、昼間はエリスと話し、夜は小説を書いた。

そしてエリスも窓から私の姿を見つけたのか、小説を書く私に微笑んでくれる様になった。


そしてその原稿を持って、久方ぶりに漱石先生を訪ねる。

しかし、漱石先生はご自分の執筆に忙しいらしく、今日は集まった面々の前に出ていらっしゃる事は無かった。


「安部君の小説もだんだんらしくなってきたな……」


「いや、これは面白い話だ。外国人の美女との話か……。続きが読みたくなる話だ」


「異国の文化が垣間見えて、なかなか興味をそそるな」


漱石先生の門下生と言われる小説家の先生方も、私の小説を褒めて下さった。


私は褒められた事が嬉しく、それを帰ってエリスに伝えたかった。

エリスに読んでもらうには、英訳しなければならない。

そこまでの時間もなく、私は縁側で私の書いた話をエリスに話し、褒められた事を伝えた。


「ソノ話、私モイツカ読ンデミタイデス」


エリスはそう言って一緒に喜んでくれた。


私はその日、朝までその続きを書いていた。

ふと気が付くと東の空が白み始め、明かりが差してきていた。

私はふと窓の外を見た。

するとエリスが窓を開けて、外の空気を部屋に入れていた。

そのエリスのブロンドの長い髪が朝日に輝いて美しく、私は見惚れてしまった。


「オハヨウゴザイマス」


エリスが私を見付け、大声で言う。


「おはようエリス」


私も満面の笑みでそう言った。






私は一睡もせずにいつもより早い朝食を食べていた。

その呆けた私を見て祖母の朱音はまた嫌な顔をする。

そして咳払いを一度すると、


「公さん……。ご近所で噂になっていますよ。ウィリアムさんの奥さんとあなたが良からぬ仲なのではないかと……」


私はゆっくりと祖母を見た。

根も葉もない噂だ。

私はおかしくなり、声を出して笑った。


「言いたい奴らには言わせておけば良いのです。婆様もそんな噂に振り回されぬよう心を磨く事ですね……」


その言葉に祖母は激怒して、激しく湯呑を叩き付ける様にお膳に置いた。

私はその音に少し驚いて身を引いた。


「祖母に向かって何たる口のきき方か……。祖母はあなたのためを思って言っているのです。外人の女に現を抜かしてないで、真剣に仕事や結婚の事を考えたらどうですか。あなたがどれだけ好いても、隣の外人とは結婚する事は出来ないのですぞ」


祖母はそう捲し立てるとそそくさと店へと去って行った。


私は茶碗に残った飯に温いお茶を掛けてかき込み、手を合わせると部屋へと戻り、万年床に横になった。






翌日、春の雨が降った。

私は縁側に座り、その雨を見ていた。

昨日、祖母の朱音と喧嘩になった事で、家の中の雰囲気は最悪だった。

祖母と私が居る前では誰も口を開かず、夕食などはお通夜のようだった。

母は、「さっさと謝ってしまいなさい」と言っていた。

今更謝ったとしても、この険悪さはどうこう出来るモノではあるまい。


私は庭の池に出来る波紋を見ながらそんな事を考えていた。

すると和江がお茶と羊羹を私の傍にそっと置いてくれた。


私は和江に礼を言うと、


「今日はエリスさん、来られませんね……」


ニコニコと微笑みながらそう言う。


この雨ではね……。

私は曇った空を見上げた。


「しかし、大きな事故ですね……」


和江は新聞を私の横に広げた。


四月十五日に北大西洋でタイタニック号と言う豪華客船が沈没したらしい。

約一週間遅れで、新聞に載っていた。

新聞によるとイギリスのサウサンプトンからアメリカのニューヨークへ向かう途中で、氷山に衝突して浸水し沈没したと書いてあった。

死者は千六百人を超えるという。


「何とも恐ろしい事故ですね……」


私は和江が切ってくれた羊羹を口に入れて温いお茶を飲んだ。


「豪華客船って言うくらいですから、お金持ちが沢山乗っておられたんでしょうね……」


和江はそう言って立ち上がった。

そして庭の隅を見た。


「あら、エリスさん……」


私はその言葉に顔を上げた。

そしていつもの様に私はエリスに微笑んだ。


しかし、エリスはいつもと様子が違っていた。

ずぶ濡れで裸足のまま、じっと私を見つめていた。

様子の違うエリスに私はゆっくりと立ち上がり、エリスの元に駆け寄る。

肩を抱くとエリスは小さな声を発した。

その言葉を上手く聞き取る事は出来なかったのだが、幾つかの言葉が耳に残った。


「タイタニック」


私は縁側に立つ和江に大声で言う。


「身体を拭くモノと着替えを」


和江は急いで家の中を走った。

私は縁側にエリスを座らせると、


「ウィリアムさんがタイタニック号に乗っていたのか」


そう訊いた。

エリスはそれに答える事も出来ずに涙を流して私の膝で泣いた。


そのエリスの泣き叫ぶ声に祖母の朱音や母もやって来た。

ただ事ではない事を流石に察したのだろう。

ずぶ濡れのエリスを見るや、祖母は丁稚の信太に「風呂を沸かせ」と大声で言った。






祖母はエリスを風呂に入れると、私の前に座った。


「ウィリアムさんが乗っていたとはねぇ……」


祖母は湯呑を手に取った。


「神様も残酷な事をする……」


そして音を立てて熱いお茶をすすった。


私は祖母の言葉に小さく頷く。


そして新聞を引き寄せて広げると、祖母はタイタニック号の写真を見て目を伏せた。


「和江。エリスさんに喪服を出しておあげ……」


祖母は目を伏せたまま静かにそう言うと新聞をたたんで立ち上がった。


「私がエリスさんの髪を結ってあげよう……」


そう言うと祖母は湯呑を火鉢の縁に置いて部屋を出て行った。


私も立ち上がり、縁側へと移った。

そして小雨になった雨を見ていた。


あまりにも残酷な話だった。

エリスとウィリアム氏は一日も一緒に暮らす事無く、亡くなった。

日本での二人の生活を夢見て、それを楽しみにウィリアム氏が来日するのを待っていた。

そんな最中での惨たらしい事故だった。


私は裸足のまま庭に出て、空を見上げた。

落ちてくる小さな雨粒が私の心を濡らした。


「公サン……」


私を呼ぶ声がして振り返ると、ブロンドの髪を結い、喪服を着たエリスが立っていた。

エリスの和服姿。

初めて見る和服姿が喪服である事が私の胸を打った。


「日本ではね、こうやって黒い着物を来て死者を弔うのさ……」


エリスに祖母は言う。

エリスには理解出来てないのかもしれない。

それでも何かを察したのだろう。

エリスは頷いた。

そしてそれに祖母も頷く。


「公さん、あんたも風呂に入って早く喪服に着替えなさい」


祖母は大声で私に言う。

そして、


「ほら、今日は店を閉めるよ。みんなでウィリアムさんの葬儀だ。みんな喪服に着替える様に」


そう言って手をパンパンと叩いた。


祖母は坊主を呼んで、ウィリアム氏の微笑む写真にお経を上げさせた。


坊主が帰った後、東の空を見ると大輪の虹が掛かっていた。


私はエリスと一緒に庭に立ち、その虹を見ていた。






それから数日、エリスの姿を見る事は無かった。


私はいつもの様に机の前に座り、エリスの部屋の窓を見ていた。


「公さん、覗きかい……。感心しない趣味だね……」


突然部屋に入って来た祖母の朱音は言う。


「そんな趣味はありませんよ……」


私はそう言うと万年筆を握った。


「しかし、心配だね……。もう何日もエリスさんを見ていない」


祖母は私の後ろに立って、エリスの家を見ていた。


「旦那さんが亡くなったんだ。それは傷心でしょう……」


祖母は私の肩をパンパンと叩いた。


「女はね……。強いんだよ。その強い意思を固める為に喪服を着るのさ……。あんたみたいにナヨナヨしてる暇なんてないんだよ」


今日は祖母の言葉が頭に来る事は無かった。


「あんた、メイヨネイズってのをエリスさんところで食べたんだって……」


私は頷く。


「それ、私も食べてみたいね……」


祖母はそう言いながら部屋を出て行った。

祖母が階段を下りて行く音を聞きながら私はまたエリスの部屋の窓を見た。


元のエリスに戻れる日が来るのだろうか……。


私は笑顔のエリスを思い出しながらそう思った。


その時だった。

エリスの部屋の窓が開いた。

そして春の風にブロンドの髪を流しながらエリスが姿を見せた。


私は思わず立ち上がり、身を乗り出す。


エリスは長い髪を掻き上げながら、私の姿を見つけた。


「公サン」


エリスはそう言って私に手を振った。

私も手を振り返すとエリスは微笑んで部屋の中に姿を消した。


そして再び現れたかと思うと、手には大きな鋏を持っていた。


エリス……。

まさか、死ぬ気じゃ……。


私は慌てて窓から屋根に出た。


「エリス」


そう叫ぶと、屋根の上を歩き、エリスの部屋の前まで来た。


エリスはその鋏をじっと見つめている。


私は目を閉じて屋根から飛び降りた。

硬い地面の上に裸足のまま飛び降りたので、足がしびれる様に痛む。


「エリス」


私はゆっくりと身体を起こし、顔を上げた。


エリスも飛び降りた私に驚いたようで、目を見開いていた。


「エリス、死んじゃダメだ」


「死ヌ……。私ガデスカ……」


エリスはそう言うと声を出してケラケラと笑った。


「エリス……」


私はエリスの部屋の窓に縋り付く様に立ち上がる。


エリスはニコニコと笑いながら、その鋏をブロンドの長い髪に当てた。

そして心地良い音と共にその髪を切り落とした。


「エ……リス……」


私は切った髪を握るエリスを見て尻もちをつく。


「私、大丈夫デス」


エリスはそう言うと以前の様な笑顔で笑っていた。






完成した小説を持って漱石先生の元を訪ねた。


「もう少しだ。頑張りたまえ」


そう言われても何故か嬉しかった。

それをエリスに伝えようと私は足早に家に戻った。


しかし、エリスの窓は開け放され風が通されていた。


私はそれを部屋から見て、何故か微笑んでいた。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ