第7話「封印区画、霧に沈む」
月の満ちる夜、千歳は学園北棟の裏手にある立入禁止区画——封印指定区域へと足を踏み入れた。
灯りも術符も使えぬその空間は、霧と瘴気に満ちていた。
結界の外では聞こえていた虫の音も、ここではすべてが沈黙している。
「……母が、ここに?」
手に握った記録書の断片には、《刹那の最後の研究拠点》とだけ書かれていた。
そこに至る道は封鎖されているはずだったが、ククロの導きによって、千歳は封印を抜けた。
立ち並ぶ朽ちた呪塔、ひび割れた符石、そしてその奥——
地下へと続く錆びた階段を見つけた。
降りるたびに、気温が下がっていく。
吐く息は白くなり、次第に思考すら凍り始める。
「千歳、戻るべきではない」
ククロの声が脳内で響く。
「ここは、“術者の核”を削る。——記憶や存在すら、霧に溶かされる」
だが千歳は進んだ。
それが母に繋がる手がかりならば、逃げるわけにはいかなかった。
やがて、地下の最奥。
そこには古びた和箪笥と、黒い棺のような呪具がひとつ。
そして、その上に置かれていたのは——
ひとりの少女の遺影。
十年前の写真。
そこに映っていたのは、幼き日の千歳、そして——刹那。
だが、それ以上に異質だったのは、背景に写る“黒い式神”の姿。
目が合ったように感じた。
瞬間、地下空間の結界が軋み、封印具が自壊を始める。
「黒式が——目覚める」
ククロの叫びに、千歳は咄嗟に後退。
だが、影のような黒霧が床下から滲み出し、手首に巻きついた。
「——君ハ、ナゼ……」
低く、濁った声が響く。
それは千歳自身の声にも似ていた。
「私が“君”を知らなければ、きっと逃げられたのに」
千歳はその霧を、残された最後の式符で断ち切る。
視界が揺れ、霧が一斉に引いていく。
だがそこには、棺の中に眠る“黒式”の構成素体——未完成の式神の躯体が、静かに鼓動していた。
「これが……“私の代替”……?」
その存在は、千歳の記憶にないはずなのに、なぜか懐かしく思えた。
「千歳、これ以上深入りすれば、お前は“母”と同じ場所に堕ちるぞ」
ククロの声は、珍しく震えていた。
千歳はその声に、かすかに微笑んだ。
「なら、一緒に堕ちて。——見届けて、ククロ」