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プロローグ「式神の影、名のない少女」
その夜、空には月がなかった。
黒雲が蠢き、式の結界すら滲ませるような瘴気が、都の外れを這っていた。
旧制陰陽寮学園——表向きはただの古流陰陽道の研究機関。
だが実際には、鬼や妖異と日常的に接触し、それらを“抑え込む”ための若者たちが日々修行する、異能者育成の場だった。
その片隅に、一人の少女がいた。
彼女の名は——まだ、存在しない。
名を持たぬものは式神として分類され、道具として扱われる。
ただ一つだけ、彼女を他の“存在しない”者たちと隔てているものがある。
それは、“彼女の影が、喋る”ということだった。
それは誰にも見えず、誰にも届かず、けれど彼女には確かに聞こえていた。
『目覚めよ、名なき者。
お前は名を得る。
それは呪いであり、同時に祈りである』
少女は、自分が“何か”になる瞬間を、ただ静かに待っていた。
やがて——運命の日。
彼女は名を与えられ、“千歳”となる。
そして、その名の意味を、血と霧の中で学ぶことになる。