その後ジャンヌ・ダルクは、
ジャンヌ・ダルクが罪に陥れられて火あぶりにされるのが、昔から腹たって仕方なかったので、「この際、ジャンヌ・ダルクのざまぁ小説を書いてみるか」と思い立った。
だが、そう思って、ジャンヌ・ダルク関係の書籍を、片っ端から読んでいたが、どうも、ジャンヌ・ダルクのキャラに、「ざまぁ」するようなイメージがない。
どうしたら「ざまぁ」になるのかな、と思う一方で
「神様が、なんでこんなにフランスに肩入れしてんの?」
という疑問も湧いてきた。
なんてことを考えていたら、その疑問に対する答えの一つとして
「あ、もしかしたら、こういう事かも」
という仮説が浮かんできた。
そこで、その仮説に基づいて書いてみたら、その流れでジャンヌ・ダルクっぽい「ざまぁ」のアイデアも浮かんだ。
なので、書いた。
「……どういう事でしょうか」
ジャンヌ・ダルクは、腕組みして、右足に体重を乗せた姿勢で立っていた。
声は怒りを抑えた低音ボイス。冷たく装った無表情の眉間が、ピクピクと痙攣して、今にも深い皺を刻みそうな雰囲気だ。
足元には土下座する神様がいた。
「私は、神様の言った通りにしただけなのですが……?」
「はっ、全く仰る通りでございます! 申し開きもございません!」
「では、どうして、私があのような目に?」
ジャンヌが「あのような目」というのは、あの、史上最も有名な火あぶり、ジャンヌ・ダルクの火刑の事だ。
「火あぶり、ちょー熱かったんですけど」
「はっ、誠に以て、その節はどうも、いやはやなんとも、申し訳なく思いながらも、ことここに至っては如何ともし難く!」
「いや、もうそういうのはいいから、どうしてそうなったのか、納得のいく説明をしていただきたいのですが!」
「それなのですが」
と神様が額を上げた。
神様の顔立ちは……よく分からなかった。いや、目が二つあって鼻があって、というのは分かるのだが、全体を認識できないのだ。別に顔が大きすぎるとかではなく、むしろ小顔なのに。────それは情報量が多すぎて把握し切れない感覚に似ていた。
文句を言いながらも、根が信心深いジャンヌは、「さすが神様」と内心に思いこそすれ、それを特に不思議とは思わない。
神様は、背後に控える一人の天使を、視線で指し示しながら言った。
「詳しい話はこの者に」
それは、ジャンヌも見知った天使だった。
大天使ミカエル。
生前、ジャンヌに盛んに「オルレアン解放、はよう。シャルル七世戴冠、はよう」と語りかけていた本人である。
「モン・サン・ミッシェルを攻撃されてムカついたからやった」
「は? なんて?」
あらゆる意味で説明が不足している説明をして、「後悔はしてない」と言わんばかりに堂々と仁王立ちする大天使ミカエルに、ジャンヌは思わず聞き返した。
え? モン・サン・ミッシェル? 何の話?
「ごめんなさいね。ミカエル様、言葉足らずで」
そこですかさずフォローに入ったのが、聖カトリーヌだった。この聖女も、生前によく声をかけられたので、見知った顔だ。
「モン・サン・ミッシェルというのは、ノルマンディーの方にある、ミカエル様の寺院なんだけど、イングランド軍に攻められて、それでミカエル様、ブチギレちゃって」
「はあ」
それが私に何の関係が?という顔で生返事を返すジャンヌ・ダルクに、更に別の聖女が話しかける。聖女マルガリータだ。この人も、生前よく声をかけてきてくれた。
「でもウチら、直接手ぇ出せへんやないですかー。せやから、うちらの声を聞く事が出来る乙女の人を探し出して、イングランド軍にけしかけようっちゅー話になってー」
「え、なんですかそれ、けしかけるって。自分の家の前で遊んでる子どもたちの声が煩いとかで、犬をけしかけてた頭のおかしいおっさんとかはいましたけど」
「いや、さすがにそれと一緒にされるのは」
「いやあー、それ、かなり近いかもしれへんでー。なにしろ、ミカエル様、モン・サン・ミッシェルを作らせる時も、司教のオベールさんがなかなか言う事聞けへんからゆーて、頭に穴あけてはったからねー」
「気が短い!」
「やろ? いやもう、気が短いとかいうレベルじゃあれへんで。地上げのおっさんだって、いくらゆーこと聞かへんからゆーて、人の頭に穴はあけへんからね」
「えっと、ちょっと待ってください。そしたらもしかして、オルレアンの解放とかシャルル様の戴冠とか、あの指示は神様の指示じゃなくて、ミカエル様の独断って事?」
「いや、一概にそうとも言えない事情もあります。確かに、あの辺りの霊脈を整えるのは、神様からミカエル様に与えられた仕事の一つですし」
「霊脈?なんですか?」
「失礼。なんでもありません。たんなる建築用語です。とにかく、そこら辺の判断は、ミカエル様の采配に一任されているわけで、つまり逆に言えば、ミカエル様に一任した神様にも、責任の一端はあると思われます」
「はっ。全くその通りでありまして、私の監督不行き届きのため、ご不快を与えてしまった件、誠に、申し訳ありませんでした!」
「うむ。悪かったな」
「本人もこのように、十分反省していますので、今回の件は、なにとぞ、ご容赦いただきたく」
神様が平身低頭しているのに、天使の態度がデカすぎる。
「はあ。まあ、私に声をかけてこられた理由は分かりました。でも、その事は、私にとっては、問題ではないのです。問題は、言う通りにしたのに、なぜ助けてくださらなかったのか、という事です」
「ふむ。助けたぞ。だからちゃんと、イングランド軍に捕まって、火刑になったであろう」
ジャンヌの疑問に、ミカエルが答える。
ジャンヌは何か言おうと口を開けたが、何をどう言ったらいいのか分からなくなって、口をパクパクしながら、二人の聖女の方に助けを求める視線を送った。
「あー、自分、死んだばっかりやと、なかなか受け入れられへんと思うけど、神様とか天使様って、死ぬ事とか痛い事とか、わりと扱い、軽いねんなー。あ、そーや。ほら、お医者さんって、患者が痛がる事、わりと気にしーひんやん? そんな感じ」
「ああ、それはうまい例えですわ。神様や天使様はそれよりも、魂が穢れる事をずっと重く受け止められるのです」
「……それって、もしかして、私の魂が穢れていたと」
「あのままだったら、そうでしょう。────分かってない顔ですね。あなた、なんだかんだで戦争を起こして、イングランドの人、たくさん殺してますからね?」
「いやでも、私自身は一人も殺してないし」
「そんな理屈が通るわけないでしょう。あなた自身が直接手をくだしてなくても、あなたがみんなをけしかけて、イングランドの人を殺させているのですから、同じ事なんですよ」
「うっ。でもアレは、元々はミカエル様の声に従ったもので」
ジャンヌのその言葉に、ミカエルは深く頷いた。
「うむ、よくやった。私は大変お喜びだ。少し穢れたが、あとで(火刑によって)浄化されたし、特に問題ない」
この天使、話にならねえ。
ジャンヌは密かに、大天使ミカエルを心の中の「相手にしてはいけない枠」に入れた。
「もう、いいです」
「ご納得いただけたようで何よりです」
神様が土下座から立ち上がって、にこやかに笑った。目鼻立ちの全体像は、相変わらず把握できないが、表情の変化は、なぜか分かるのだ。
「では、そろそろ、次の転生に」
「はい。……あ、そういえば。その前に教えてください。コーション様は、どうなりました?」
コーションというのは、ジャンヌ・ダルクの処刑裁判を采配して、ジャンヌ・ダルクを陥れるために、自分に不利な証拠や証言を握りつぶすなどして、あらゆる不正を行ったボーヴェ司教だ。
「どうなった、と言いますと?」
「あの、天罰とか」
「あそこまで魂が穢れているのに、わざわざ天罰が必要か?」
それを聞いて、ジャンヌ・ダルクは、にっこりと微笑んだ。
「なるほど。確かにその通りですね。では、コーション様がここにいらっしゃったら、伝えていただけませんでしょうか」
聖カトリーヌが頷いて応えた。
「私が承りましょう。なんとお伝えしたら?」
「あなたを許しますと」
────その、およそ十一年後。
ピエール・コーションは、死後の世界で絶望していた。
生前の地位も財産も、ここでは何の意味もなかった。
肉体のあらゆるシガラミが立ち消えて、魂だけの存在になった時、残っていたのは、生前に自分が行ってきた事に対する、思いだけだった。
誰にも虚勢をはる必要がなくなると、自分が本当は、よくない事をしていたという、正直な気持ちが、剥き出しの自分自身に突きつけられた。
あらゆるゴマカシが効かない。自己正当化が、全く出来ない。
自己正当化しようとすると、たちまち自分自身で、「自己正当化しようとしている」という事に気付いてしまい、虚しくなってしまうのだ。
そうなると、ピエール・コーションは、ただひたすら罪悪感に打ちのめされるしかない。
あの時のジャンヌの言葉が、何度もピエール・コーションの中で響いた。
「あなたが、私を、殺すのです」
ああ、そうだ。私が、あの清らかな少女を、あの尊ぶべき聖女を、罪に陥れ、殺した。
私のような者は、絶対に許されてはいけないのだ。
ピエール・コーションは確信する。
そうだ。絶対に許されるべきではない。
許されない事だけが、私にとっての救済だ。
そこへ、ジャンヌ・ダルクの伝言を伝えに、聖カトリーヌがいそいそと近付いてきた。