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寒がりの短編集

私の片想い相手が最推し先輩と付き合い始めた件

作者: 寒がり

 厳寒の候、昨日の能天気な私におかれましては益々お気楽に明日の最推しとの飲みを楽しみにしていることとお慶び申し上げます。


 さて、標記の件ですが、私の片想い相手は、推し先輩と付き合い始めたのだそうです。伝聞調ですが、たった今、推し先輩御本人の口から拝聴仕ったので確定事実デス。


 わーい、推しの幸せは我が幸せだよね!

 心の声が必要以上に大声で喚き立てる。


 折しも、推し先輩とサシご飯。凡百の私には想像もつかない大量のタスクをバシバシ処理し、プライベートも充実しまくりングの先輩の数少ない空き枠を押さえての飲みなのであった……。


 1ヶ月間今日という日を楽しみに生きて来た。1ヶ月。なんだろう?この湧き上がる気持ちは。

 先輩の顔にはお酒だけじゃない赤みが差して、惚気話に花が咲く。幸せが滲み出るってこういう事なんだろうな。


 それはもう、めちゃくちゃにお祝いした。「凄くお似合いです!」とか、「いつ付き合うのかって思ってました!」とか、「先輩と付き合えるなんて◯◯さん幸せ過ぎ!」とか、何かもう覚えてないけど機関銃のような勢いで捲し立てては飲み、飲んでは捲し立てた。


 それは、決して嘘じゃない、と思う。

 私は、最推しと大好きな人が付き合って、嬉しいんだ。これからは、箱推しして行くぞ。昆布と鰹節の旨みで旨味の相乗効果だ!考えるな!感じろ!もうめちゃくちゃだ。


 平生、「無表情だね」と言われる私だが、表情筋が一生分仕事をした。いい感じにお酒が回って来て体が、顔が、頭が、目が、耳が熱い。

 料理の味も、先輩の話も分からないままに、アルコールという潤滑油を得、脳みそは限界を超えて虚しく回転し続ける。


「どうする?せっかくだし、もう一軒行っちゃう?」

「え?いいんですか!?」

「今日は◯◯と飲みに行くって言ってあるから大丈夫!」

「やった!今日は不肖わたくし、僭越ながらお祝いに奢っちゃいますよ!」

「ホントに?高いとこ探すかぁ」

「止めてくださいよ、先輩ぃ」

「冗談だって。可愛い後輩に出させるわけないじゃん」


 そのクシャクシャの笑顔が、澄んだ声がどこまでも尊い。尊いのだ。

 やっぱり絶対に私はこの先輩が好き。

 同時に私は、あの人のことが好き。

 推しと好きな人が付き合うくらいめでたい事があるだろうか。いや、ない。国民の祝日にすべきだね!


 素敵な人が素敵な人に巡りあったという事で、最大多数の最大幸福という事で、そこでは私は問題じゃない。問題にもならない。


※ ※ ※


「先輩、今日は楽しかったです。是非また!◯◯さんの惚気話、また聞かせてください」


 そう言って推し先輩と別れた。

 コートを羽織っていても、外気の冷たさは容赦なく侵食してくる。

 寒い。とても寒い。

 

 失恋という事を経験した事が無い訳じゃない。この感覚は識っている。誰かが悪い訳じゃなく、強いて言えば自分のせいで、目の前のビルもアスファルトも空気も、全部が砕けて沈んでいくこの感覚を。


 お酒のせいで早まった鼓動が苦しい。

 私は、変に可笑しくて、腹を抱えて笑うようなしゃくりあげて泣くような、それでも辛うじて奇妙な笑い声の範疇に収まるものを上げながら夜の街を家へ、とにかく歩いた。


 冬の空気の痛いまでの冷たさがむしろ気持ちよかった。


 いつもなら秒で返信する先輩からのメッセージも今だけは返信する気になれなかった。ごめんなさい、先輩。私——。


 帰り道、いつもは少しも気にかけなかった神社がふと目についた。12時を回っていて当然参詣者はいない。

 覗き込むと、鳥居の向こう側に本殿がある。本殿の格子の奥には、決して透視できない深い深い暗闇が鎮座していた。


 私は、泣いている途中に驚いて泣き止む赤ちゃんみたいに嗤うのを止めた。そして、吸い込まれるように夜の境内に足を踏み入れる。特に理由はない。


 神社の静謐な空気は、泣き腫らした後に飲む冷たく冷えた水のように私の体に染み渡った。

 しばらくの間、私は、呆然と社殿の奥の何かを観ていた。


 ——烏の鳴き声がする。

 気づけば空が白んでいて、朝一で出勤するサラリーマンやゴミ出しする人がパラパラと歩いていた。寝静まっていた街が起き出してくる時間だ。


 何とかなる気がした。とりあえず、今日の所は。今日一日くらいは。

 何の神様か分からないけれどありがとうございます。


 二礼二拍手一礼して、私は、急ぎ境内を後にした。

 さあ、今日も一日頑張らねば!


 

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