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最果ての海岸

作者: 佐和ネクロ

 何事も無い家庭。近所の人から少し羨まれる程度の家屋。仲の良い家族。

 これらは、わたしの自慢だった。

 両親は共働きで夜遅くまで帰宅できない日もあったが、一人っ子であるわたしは愚図る事もなく、人形で遊び、絵本を読み、大人しくしていた。わたしは良い子供であったと思う。

 ただ、十七歳になった今でも絵本や人形が手離せず、空想に耽り勝ちな所は両親から少し心配されている。

 ――だが。

 わたしの中には、わたしの河が流れている。

 そこの水はきらきらと澄んでいて、流れは静かだけど、雄大だ。

 人形や絵本はわたしの河が運んできたとても大切な宝物だ。わたしの河はいつも美しくて楽しいものを運んできてくれるし、嫌な思い出は遠くに流してくれる。

 水は流れ続けるからこそ美しい。

 とどまれば、濁る。

 わたしはわたしの河をとても大切にしている。

 ――でも。

 その水が、何処は流れ着くのかは、知らない。

 それは知らなくてもいい事だと思う。

 それを知った時はすべてが終わる時。

 今日も架空の家庭を人形に演じさせドラマを作り、両親に挨拶をして眠りに就いた。

 寝付きの良いわたしだが、今夜に限って変に目が冴え中々入眠できず、夢とうつつを行き来していた。現実と幻想、身体と精神、光輝と暗黒の境が曖昧になっている。曖昧に、世界が溶暗していく――。

 ――わたしの中の河に一隻の船が渡っていた。

 とても細身で色白な、シルクハットを被った顔の無い紳士が乗っているのが見えた。

 その船はどこからやって来たのか分からないけれど、とても禍々しくて、でも神々しかった。

 船からは紳士が降りてきて、鍵の掛かっている玄関を手品のように開けると、わたしの家に入った。革靴の音がこつこつと響く。紳士は片っ端から家のドアを開け、何かを探しているようだった。

 ――やがて。

 わたしの部屋のドアが開けられた。

 ベッドでうつらうつらとしていたわたしはこころの中で紳士に挨拶をした。わたしの河からやって来た紳士は、きっと、素敵な御使いに違いない。

 紳士は会釈をすると、何かを――とても大切な何かを持ち去って行った。こつこつという足音が遠退いて、それが完全に聞こえなくなった頃、わたしは眠りに落ちていた――。

 ーー朝が来た。

 両親は仕事に出かけ、わたしは絵本を読んでいた。

 ――今日。

 わたしは。

 河の向こうを知るんだな。

 そんな予感があった。

 両親にはごめんなさいをして、この家にはさようならを告げないといけないけど、それよりも、わたしの河がどこに続いているのか――そちらの方に完全に興味を奪われていた。それは、わたしの命の、存在の、答えなのだ。

 想像してみよう。

 わたしの中の大河。

 それは陽光を反射し、砕いてきらきらと輝いている。

 流れてきた宝物はすべて拾ったし、河に足を浸けていると冷たさと爽やかさがとても心地良い。

 そうしていると、あの一隻の船が静かにわたしを迎えに来た。接岸した船に、わたしは黙って乗り込む。

 希望と不安が半分ずつ。

 空には太陽と満月が半分ずつ。

 船はまた静かに離岸する。かき分けられる水音が心地良くて、わたしはしばらく目を閉じて聴覚に集中する。

 船の舵を執っているのはあの顔の無い紳士だった。黙って、黙々と船を操る姿に、どこか声をかけてはいけないような雰囲気を感じる。先日、この紳士がわたしの部屋から持ち去っていったものは何だったのだろう。

 ――きっと。

 それは、この船の渡し代。

 乗船するための大切な代償。

 前方にまだまだ流れいく河。その向こうに何があるかを見るための――。

 船は、流れ進む。世界には水音だけが響き、光が舞っていた。

 ――そして。

 どれくらい船は進んだのだろうか。何時間も、何日も、何キロメートルも。

 目の前に、大河の最果てが現れた。

 わたしは声も出なかった。動けなかった。

 目前に広がっているのは――。

 ――大海原だった。

 河は大海に流れ込んでいた。

 その広大な世界の海平線が輝いている。

 船は海に迫り、紳士が舵から手を離し、わたしの方へと振り返った。

「どうぞ」

 一礼して、わたしを舵へと誘う。

 わたしは恐る恐る舵を握った。船の操縦方法などは知らない。ここがどこかも分からない。そして、どこへ行くのかも。

 わたしは、いま部屋の中に居るわたしが静かに倒れたのを知った。

 わたしは集めた宝物を捨て、家にも両親にも永遠の別れを告げなければならない事を知った。

 それが河の流れを経て、今から始まる航海への条件。

 わたしはこれから舵を操る。

 紳士が隣に立ってくれている。

 目の前には大海。

 ――いつか。

 わたしはどこかの海岸にたどり着くのだろうか。最果ての海岸にたどり着いた時――それがきっと、わたしの新たな誕生日。

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