二三話:退院
9月1日、日曜日の正午前。私は荷物をまとめて永田の到着を待っていた。
荷物と言ってもリュック一つ分、特に重要なのはタブレット、スマホ、バッテリーくらいである。
天気は曇りだ。もしかしたら少し雨が降っているかもしれない。
にしても9月だというのに部屋の温度計が20度を下回っていて、2020年代の気候に慣れていると違和感と肌寒さを感じざるを得ない。
こんな形で改めて温暖化を実感することになるとは思わなかった。
コンコンコン
しばらくぼんやりしていると、ノック音で現実に引き戻される。
恐らく永田が来たのだろう。疑いもせず来訪者を招き入れる。
「どうぞ」
「失礼する、しばらくぶりだな」
「あっ…」
この時、ドアから現れたのはいつもの軍服を着ていた永田ではなかった。
白を基調とし、水色が軽く主張したワンピースの様な服に上から藍色の羽織ものを着ている。
帽子も白を基調とした物に青色のリボンが付けられていて服との調和が取られていた。
「どうした?」
「いえ、その…」
これがギャップ萌えという奴だろうか?
いつも軍服だったので、どちらかと言うと『イケ女』と言うようなイメージを持っていたが、今日の様相は大人びた可憐な女性を彷彿とさせる物だった。
「どうした、言いたいことがあるなら言ってみろ」
「いえ、とてもお似合いだったので」
「はは! 口が上手くなったな」
容姿を褒められたのが嬉しかったのか、まんざらでもない様子だ。
「いつも軍服姿しかイメージに無かったのでびっくりしましたよ」
「私だって私服ぐらいもってるさ。まあ、めったに着ないが」
それからしばらく雑談をしていた。と言っても5分程度で話を切り上げられる。
「さて、もっと話していたいところだが外に車を待たせている。早めに降りてやらんとな」
「岡村さんですか?」
「いや、あいつはまた別件だ。…それにこの姿を見られても困るしな」
「ん?最後何か言いました?」
「いや、何でもない」
最後の方が小声だったので上手く聞き取れず、はぐらかされてしまった。
気になるが下手に詮索しても気分を害すだけかもしれないので、ここは引き下がろう。
「あっ、この部屋を出る前に荷物をこれに入れてくれ」
廊下に置きっぱなしにしていたのであろう。ドアの向こう側からリュックが入る程度の古そうな木箱を置かれる。
「さすがに昼間から、その緑色の荷物を見せながら移動する訳にはいかん。目立ちすぎる」
「確かに…」
私は納得して木箱に荷物を詰める。木箱には紐が付いていて持ちやすくしてはあったが、自分に持てるか分からない。
「よし、忘れ物は無いな」
「はい」
「うむ、では行くぞ」
何も言われずとも永田は当然かのように木箱を持って歩き始めた。旅館の時もそうだが、今までも荷物を持ってもらってばかりで良いのだろうかと罪悪感を覚える。
「良いんですか?荷物を持ってもらって」
「けが人はけが人らしくしてればいい。だが、その時が来たら沢山働いてもらうぞ」
「は、はい!」
可憐な姿でも性格と威厳までは変わらない。
普段の変わらない様子で発破をかけてくる。
いざ病室を後にすると名残惜しい気もするが、それも束の間。階段を下り、ロビーを抜けて車を見る時には次の新しい生活に夢を馳せ、すっかり病室の事など忘れていた。
「待たせたな、出してくれ」
木箱を載せ、永田が運転手の後ろ。自分が永田の左隣という配置で搭乗し、車を走らせる。
しばらくすると、はじめて昼間に見る1930年代の東京の風景が目の前に広がってきた。
終始永田と運転手は無言だったが、私は気に留めることもなく外の景色に夢中になっていた。
現代の様な超高層ビルこそ無いがコンクリートで作られた建物が並んでおり、路面電車とバス、今自分達が乗っているようなタクシーやトラックなどが行き交っている。
路上に出てきている人も多く、景気はそれほど悪くない印象を受けた。
ところどころにバルーンが飛んでおり、何を書いているか分からないが経済活動は活発なようだ。
「…是清だ!」
「なに?」
「ああ、いえなんでも…」
思わず叫んでしまったが、景気と経済で思い出した。
大蔵大臣、高橋是清の存在を。
2.26事件で惜しくもこの世を去ってしまうが、日本経済を立て直した中心人物である。
彼?彼女?の能力はこの先重要になるだろう。
財政決定権に大きく関わることになるので是非とも同志として迎え入れたい。
例え同志として迎え入れるのが難しくても、満州油田と彼がいれば日本の経済は早期に健全化が出来るかもしれない。
と言うよりまずは、満州油田開発の為の予算を大蔵大臣に認めさせなければならないのだが。
どうして今まで気が付かなかったのか自分でも不思議である。
満州油田と海軍の事しか頭に無かったのだが、これでは先を思いやられるな…。
しばらく走らせていると、都心から離れてきたのか木造の家が増えてくる。
それでも依然として田舎と比べると都会である事には変わりないのだが、郊外に差し掛かっているのは感じ取れる。
都心とは打って変わって木造の家や石、コンクリートで出来た塀を眺める事30分ほど。
武家屋敷の様な白い塀で囲われた門の前で止まる。まさかここが家…?
「着いたぞ、ここが今日から暮らすことになる家だ」
案の定ここだった…。
「凄い家ですね」
少し引きつった表情で門を眺める。かなり立派な屋敷でびっくりした。陸軍の中将とはこれほどの豪華な家に住めるものなのかと。
「この日の為に友人から安く借りた物だ。それまでは金と時間がもったいないから比較的都心に近い一軒家に住んでいたな」
なるほど、さすがに一人ではこの家に住んでいなかったようだ。それでもこの家を借りられるほど面識が広いとは恐れ入る。
「私の荷物はすでに運び込んである。秋月の荷物はそれだけだから———まあ、部屋割については後々考えて行こう」
「了解です」
木箱を下し、タクシー代を払って「ご苦労だった」と永田が声を掛けると、運転手は軽く会釈をして去って行った。
永田が鍵を開けて門を潜ると2階建ての家が見えてくる。
手入れはあまりされていないが庭もあるようだ。雑草が所狭しと生えていて、木や池といったものはない。
玄関に入ると正面に長い廊下があり、右側にはトイレがあるようだ。左側には2階に上がるための階段と物置がある。
廊下を進んだ先、玄関に向かって左側はこの時代には珍しい薪風呂や脱衣所などがあり、次いで厨房や流しがあった。(自宅で風呂に入るのは一般的ではなく銭湯が多かったようだ)
右側には二間続きでそれぞれ8畳程度の座敷がある。外からは閉じられて分からなかったが庭との間に縁側もあった。
二階には一階と同じく8畳ほどの和室と、廊下の分狭い6畳ほどの和室がそれぞれ区切られた間取りで存在した。
壁で覆われて外が見えない1階に対し、2階は日当たりも良く、周りに2階建ての家もあまりないので景色も良い。
現代では味わえない、この時代ならではの良さが詰まっているのではないだろうか。
「外から見た時も思いましたが、中を見てもすごく良い物件ですね」
「そうだな、これを格安で貸してくれる友人に感謝しよう」
一通り家を見回り、率直な感想を述べる。永田自身もこの間取りには満足しているようだ。
「お前の部屋だが、怪我が完治するまでは一階の部屋を使うと良いだろう。私は二階の部屋を使おうと思う」
「了解です。治った後は二階を使っても?」
「もちろんだ。空いてる方を使いなさい」
怪我故に階段の上り下りが辛いのが悔やまれる。今すぐにでも完治しない物だろうか。
なるべく早く景色の良い二階の部屋を使いたい。
一階は仕事部屋とか客間の様な使い方になるだろう。
窓際に立って、二階から見える街並みを見渡す。この家に住めるという幸運を噛みしめる。
しかし、瞼を閉じれば思い浮かぶのは10年後の景色だ。
夜だというのに暗闇が炎で赤く染まり。上空にはそれで赤く照らされ、鈍いエンジン音を奏でるB-29爆撃機。
街が焼かれ崩れ落ち、その下で何人もの一般市民が悲鳴と共に焼死した。
恐らくこの家も焼かれてなくなる運命なのだろう。
そこに自分もいるのだろうか?
考えるだけで怖い。
この世界のこの時代の日本人は何回も戦争や紛争を経験しているのだろうが、私は一度も…いや、現代に生きるほとんどの日本人は戦争とは無縁の生活を送ってきた。
世界中で戦争が、紛争がいくらあろうとも戦火、銃声とは無縁だったのだ。
ある意味、1935年現在において戊辰戦争・西南戦争以降本格的に本土が戦火に巻き込まれていないという点では、現代日本人と変わらないのかもしれないが…。
私はこの世界の日本と、この街並みの行く末を案じずにはいられなかった。
窓に手を添え、空を見上げる。空には雲が広がり、雨が降っていた。
天にいる神様も日本の行く末を憂い、涙を流しているかのように。




