二一話:手紙(中篇)
食事を終わらせた後、さっそく永田から持った封筒の中身を確認し始めた。
まず、意見書とやらを読んでみようと思う。
"秋月が示された9人の内、岡村と審議した結果、以下の3人が良いと思われる。参考にされたし。
山本五十子(山本五十六)
米内美津政(米内光政)
堀夏吉(堀悌吉)
山本五十子の現在階級は中将で申し分なく、日本に在中の為今の所都合が付きやすい可能性が高い。
我々は海軍の事は詳しく分からないが、彼女なら便宜を図ってくれるだろう。
一応、知人に問い合わせてみたが悪い噂は聞かないとのことで、大方秋月の言っていた通りの人物だろう。
米内美津政は山本五十子と同じく中将である。現在は第二艦隊司令長官であり国内にはいるが現在地は呉との事で都合が付くかは分からない。
今後総理大臣職に就くならばこれ以上の逸材はいない。味方に引き入れられるなら心強い存在になるだろう。
堀夏吉については現在予備役で正規な軍属ではないものの広く顔が聞くと伺っている。
海軍だけでなく産業界にもアプローチするなら彼の存在も必要かと思われる。"
と書かれていた。
他にも別紙で「顔写真なども付けたかったが間に合わなかった。申し訳ない」と綴られていて、その後ろに他の6名についての経歴と説明、そして最後に第一選抜として選ばない方が良い理由も書かれていた。
経歴は年齢などの差はあったが大体こちらの予想した通りで、そのあとに付けられた止めた方が良い理由も納得ができるものだった。
大方、あの日予想した通りのものだが—―
階級が足りない、影響力がない、扱いが難しいだろう
という理由に落ち着いていた。
まあ、無難にそうなるだろうな…というのが率直な感想である。
とりあえず、この意見書に不満は無いのでその通りにすることにしよう。
後は自分の意思を明日伝えるだけだ。
さて、次の課題は手紙である。
何せ手紙を出すのも子供の時以来だし、旧字体を読むことはあっても書くことなど初めてに近い。
それに読んできたのも戦闘詳報やら報告書やらの行政文章に近い物で、一般に書かれた手紙など自力で読んだことが無いからどんな書き方をすれば良いのか分からない。
どれくらいフランクに書いて良い物かどうか…。
「安易に同意したけど、実はこっちの方が難しいんじゃないか? 例文でも貰っておけばよかった…」
後悔して、愚痴を呟いたが後の祭りである。
悩んでも進まないので、とりあえず現代基準で書き出して、それっぽく書き直すことにした。
時代と世界は変わっても同じ日本語、何とかなるだろうとポジティブに考えるようにする。
そして3時間後…
「とりあえず出来たか…」
下書きだけでここまで時間が掛かるとは思わなかった。これまで如何に文明の利器に頼っていたかが良くわかる。
PCやスマホなる物が相当便利な物であったかをマジマジと思い知らされた。
「はぁ…」とため息をついて肩を落とし、下書きされた紙を机の上に投げる。
それにはこう書かれていた。
"拝啓
旧暦では立秋とのことで、秋の様ですが日本ではまだまだ残暑が厳しい日々が続いております。東條さんはお変わりなくお過ごしでしょうか。私の方はと申しますと怪我の完治には至っておらず、まだまだ時間が掛かりそうです。
さて、本題に入りますが、東條さんが満州へ去った後に我々の方で協議を重ね、少しずつ前に向かって進んでいます。詳細は辞令や命令が来ると思うのでそちらを確認して頂きたいのですが、満州には大規模な油田が埋蔵されており、今後の帝國にとって非常に重要な資源が眠っています。
その調査、指揮を東條さんに任せたいと永田中将は仰られています。正確な座標は追って通達しますが、簡易的な地図をお付けするので大まかな位置をあらかじめ確認していただければと思います。
また、新たな同志を迎え入れることになりました。正確にはまだ審議中の段階ですが、間もなく決まるでしょう。その時は真っ先に東條さんへお知らせ致します。
手紙を書くのはほぼ初めての為、拙い文章だったと思いますがどうかご容赦ください。短いようですがこれにて失礼させていただきます。次会う時まで壮健なれ。
秋月隆之 8月26日"
何度も読み返したが、これで良いか全くわからない。
そもそも手紙はこんなに堅苦しくしなければならない物なのだろうか?
おそらく社会に出たことが無い学生には到底理解できない領域だ。
社会人はこんな文章を毎回考えて送っていたのかと思うと尊敬の念が沸きあがってくる。
「うーーん、はぁー…もうこんな時間か」
疲れて固まった体を背伸びで解し、眠たい目を擦って時計を見ると、時刻は23時を超えていた。
あまり遅くまで電気をつけたままでいると怒られるかもしれない。
明日も沢山時間がある。手直しや旧字体への変換は明日にしよう。
久しぶりに頭を使って疲れた。まあ、明日は明日で普段使ってこなかった辞書との睨めっこだろうが…。
だが、さすがにこの程度の文量なら永田中将が来るまでに書き終わるはずだ。
また永田中将が来てくれると思うと嬉しく思う。
明日は岡村少将も来てくれるだろうか?
個人的にあの性格は苦手なのだが悪い人ではない…はず。
性格が悪いと言っているのではなく、女性とあまり関わってこなかった自分にとって、あの性分で来られると対人経験値が無さすぎてどう流せばいいのか分からないのだ。
その内、分かるようになるとありがたいのだが…しばらくはそれも望めそうにない。
コト…コト…
しばらく思考に耽っていると廊下の方から足音が聞こえてくる。
「まずいな…」
つい考え事をしている間に時間が過ぎてしまっていたようだ。
急いで机の上にあった手紙の原稿や手書きの拙い地図を机に備え付けられた引き出しに隠す。
机の上にあるのは例の分厚い辞書だけだ。
足音が扉の前で止まったと思うと、少し間を開けてノックされる。
コンコンコン
「起きておいでですか?」
一声掛けられてゆっくり扉が開かれる。
顔を覗かせたのはいつもの看護師だ。
「すみません、考え事してたらいつの間にか時間が過ぎていまして…」
「いえ、大丈夫ですが…明かりは消しても?」
「大丈夫です、お願いします」
パチッという音がして部屋の光が消される。
「では、ごゆっくり」
看護師はそう言うと扉を閉めて、来た道とは反対方向へ立ち去って行った。
おそらく消灯の見回りだろう。
明かりを無くされたのではもう何も出来ない。
おとなしく寝ることにする。
明日の来訪者に想いを馳せながら。




