二〇話:手紙(前篇)
満州油田や人選を話し合った日から2日経った。
まだまだ傷の完治は出来ていないが、賢明な医療処置のお陰でマシになってきた。
永田と岡村はあの日以来会っていない。
おそらく満州油田調査や人選の事について忙しなく動き回っているのだろう。
昨日今日と、私と関わるのは例の看護師とたまに来る医師くらいだ。
特に一人が時間が好きという訳ではないので、やはり誰か話し相手がいた方が気が紛れて良いのだが、こういった時間は考え事、またそれをまとめるには良い機会になる。
少なくとも考えなければならないこと、決めなければならないことは依然として莫大である。
この前話し合ったこともそうだが、軍組織改革は?技術更新は?また、それをするための資金源は?まず、その決定に至る内政まで干渉することができるか?
問題は山積みである。
私近辺の問題にしたって、この病院を出た後どこに行くのか。が問題だし、行政上の手続きの事もある。
そして、恐らく一番気に掛けなければならないのは今持っている機器類だ。
一度壊せばこの世界では二度と手に入らない。
それ以前にバッテリー充電をどうするかだ。
今はモバイルバッテリーから充電して何とか使っているが、それも永遠には続かない。
私は電気の専門家ではないし、高校大学で工業の電気系に行ったわけでもないからこの時代の電力事情なんて分からない。
一応知識としては長い間電圧は100vで西日本東日本を隔てて50Hzと60Hzに分かれてる…というのを知っているぐらいだ。
おそらくコンセントの規格も違うのではなかろうか?
この部屋には見当たるところにないから分からないが…
コンコンコン
しばらく考え事をしているとノックの音が鳴り響いた。
時間は夕刻になっており、夕飯時であることが分かる。
てっきり食事を持ってきたのかと思ったが…
「永田だ、入るぞ」
ドア越しに聞こえてきたのは、永田の声だった。
「どうぞ」
「失礼する」
入ってきた永田は軍服のままだった。
おそらく仕事の帰りにそのまま寄ってきたのだろう。
「どうだ?怪我の調子は」
「まあまあ、と言ったところです」
「ははは、結構結構」
ドアを閉めて軽い挨拶をした後、帽子を取って病室の隅に置いてあった椅子を移動させ、秋月の傍に座る。
手には茶色の革製で出来たカバンを持っていた。
「そちらの首尾はどうですか?」
「とりあえず満州油田の事については話して来た。いつ頃調査が開始されるか現段階では分からないがな」
「そうですか…なるべく早く開始したいですね」
「まあ、無理を言ってやるな。資材物資の移動や運搬もあるし、人員の選定もせねばならん…だが年内には調査を開始したい。そちらの世界と同じならば成果はすぐ出るはずだ」
「そう願って止まないです」
しばしの沈黙が流れた後、永田がカバンに手を伸ばし中から封筒を取り出した。
「それともう一つ、この前話した人選の調査をあらかた済ませてきた」
「おお…早いですね」
「ほぼ確認作業に近かったからな。多少私の主観も入っているが、恐らく間違いはないだろう」
「ありがとうございます」
「中身については明日の午後にまた来るからそれまでに確認して答えを出しておいてほしい。念のために岡村と話して我々が良いと思う3名の意見書も入れてある」
私は永田が差し出した封筒を受け取った。
おそらくB4サイズぐらいあるだろう。
封筒は意外と大きく重かった。
「分かりました。明日までに答えを出しておきます」
「うむ、よろしく頼む」
そのあとは他愛のない世間話が続いた。
真面目な話が続いていた昨今を考えると落ち着いた時間だったろう。
一人で考えをまとめるのも良いが行き過ぎると極端な方向へ結論を持って行ってしまうこともある。
気分をリフレッシュできる時間があると精神衛生的にも良い。
特に病人が故、気軽に外に出ることも敵わないから永田の訪問は無意識の内に秋月の楽しみとなっていた。
「あ、そうだ。ところで手紙は書いたことあるか?」
「手紙ですか?」
話の流れで何かを思い出したのか、こんなことを聞いてくる。
書いたことが無い訳ではないが、SNSが発展した現代では特に手紙を出す機会などあまりない。
精々書類を相手に送ったり送られたり、強いて言うなら年賀状が主だろう。
何なら年賀状すら廃れてきている。
「あまり書いたことは無いですね。私の居た世界、年代では手紙は時代遅れ…とまでは言いませんが、手紙が無くても1秒も掛からず文章を相手に送れますから」
「相変わらず秋月の話は驚かされてばかりだ。まあ、もう慣れたものだが…」
そして感情に浸るように黄昏れた表情で言葉を続ける。
「願わくば、秋月の居た世界…この世界でも良い、100年後の世界に行ってみたいものだ」
「それはなぜです?」
「秋月は100年後の世界がどうなっているか見てみたくはないのか? 今とは違う物珍しい最新技術に囲まれた生活になっているだろう。秋月の様な一般市民にまで、そのスマホとやらが普及しているのだって現代人(永田基準)からしたらお伽話の世界の様だろうさ」
確かに永田の言うように、この世界の人が今の技術に触れれば魔法の様だと思うだろう。
どこぞの誰かが言ったように進みすぎた科学は魔法と区別が付かないのだ。
「おっと、話が逸れすぎたな。話を戻すと東條に手紙を書いてやってほしいんだ」
「東條さんに?」
「そうだ。我々の活動状況とか世間話も含めてな」
「そういうのは永田さんが書いた方が良いんじゃないですか?」
「それでも良いが、この世界に暮らす以上はこちらの事に慣れてもらう必要がある。そちらの世界とは文字も若干違うようだ。これからも手紙を出すこと出されることはあるだろう。今のうちに練習しておけ」
確かに、そういうことなら永田の言う通りだ。
永遠に帰れないことも考慮に入れる必要がある以上は、こちらに慣れておいた方が良い。
「分かりました。そういうことなら…」
「うむ、期限は特に設けないがなるべく早くに頼むぞ。役に立つか分からんが辞書も持ってきておいた」
永田はそう言うと分厚い辞書をカバンから取り出して私が横になっているベッドの横にある机に置いた。
「そろそろ食事が運ばれてくる頃だろう。私はこれで失礼する」
「はい、お疲れの所ありがとうございました」
「そちらもな。では」
最後の言葉を残して永田が退出する。
入れ替わりに看護師が食事を持ってきた。
念のために先ほど貰った封筒は毛布の下に隠す。
食事を持ってきた看護師は「食事です」とぶっきらぼうに言うとそそくさと退散してしまう。
相変わらずの看護師と味気の無い病院食だ…料亭で食べた食事が恋しい。
いずれは自分で料理を作らないと、自分の肥えた舌は潤せないかもしれないと思う秋月だった。
「手紙か…小学校の行事以来か…?」
食事を終わらせて食器を下げてもらった後、再び一人になって元居た世界の事を思い出しながら物思いに耽る。
この世界に来て2週間程度しか経っていないのに20年以上過ごして来たあの世界が遠い過去のように思えてならない。
どこかで聞いたことがある。
火星植民地が出来た場合、火星に住み着いた人類は数年、早ければ数日で地球人とは別のアイデンティティーを持ち始めるという物である。
つまり、比較的早く自分たちは火星人であるという認識を持ち始めるというのだ。
私は惑星ではなく世界だが、別の場所に来ている。
状況は違えども同じことなのだろうか…。
「はは…考えてもどうしようもない事はどうでもいい。まずはこれを終わらさないと」
そうだ、まずは人選について早く結論を出さなければならない。
この世界に来て、あの会談からこの世界に関わることを決めてから、私は少なくともこの世界の住人なのだ。
元の世界の事は戦争が終わってからにしよう。
「さて、始めようか」
意を決した私は永田から貰った封筒を開けて中身を確認し始めるのだった。




