一八話:満州油田(後篇)
「もう一人しかいないだろう、満州に帰った東條に任せる」
そう言ってタブレットとは別に持ち込んでいた地図を広げて現在の長春(新京特別市)辺りを指さす。
ここは関東軍司令部がある都市だ。
幸いなことに大慶油田地帯がある場所はここから北へ250km~300kmほどの場所にある。
「しかし、そんな簡単に人事配置を変えられるものですか? 軍の人事に詳しくはありませんがもっと適任者がいるのではないでしょうか」
「それに関してはこちらで何とかしよう。その為の軍務局長だ。直接人事異動を命令することは出来ないが根回しは出来る」
軍務局とは主に陸軍の動員・徴兵・編成・国防政策を担った陸軍省の組織の一つである。
陸軍予算計画(軍需)や軍政もこの局で行われていたため陸軍省の中でもかなり権限の強い側面を持っていた。
故に影響力は絶大であり、大臣及び次官に次ぐ陸軍内のトップ3のポストが軍務局長という椅子であった。
しかし、人事に関しては人事局が握っており、直接軍務局が人事を操れるわけではない。
だが”相談”は出来る。
永田の言う通り、確かに東條は先日満州に戻ったばかりだ。
この一連の騒動と自分のことを知っている東條に任せるのが一番手っ取り早く油田調査を行うことが出来るかもしれない――――
「この油田が本当にあるとしても、秋月君が記した地点を細かく調査する必要があるわ。身内以外の誰かに細かくこちらから指示をしていると不審がられることもあるだろうから、私は永田さんの意見に賛成かな?」
「それに、史実がお互いに似通っているとは言っても採掘場所まで同じとは限らんしな…。身の安全を兼ねても身内の方が好ましいだろう」
「そう言われれば…そうかも」
永田が言うように歴史や地形が似ているといえど所詮は別世界、資源の埋没場所が同じ保証はどこにもない。
もし同じ場所に埋まっていたとしてもこちらから細かく指示を出さなければならない関係上、ピンポイントで埋没場所を当てていたら怪しまれて、あらぬ方向から足をすくわれることになりかねない。
慎重に慎重を重ねることは無駄ではないだろう。
「それに東條に経験も積ませたいからな…。もし、本当に油田が存在するなら功績も確定して手に入る。まさしく一石二鳥だ」
「まだ協力者も少ないし、私達も将官とは言え本当の意味で国家を動かせる立場じゃない。なるべく早く身内で地位を確立させないといけないから、そこのところも考えなきゃね」
「うむ、だがこれと言って今すぐできることは少ない。本格的に動けるのは予算案を決めるときだろうな」
「やはり、その為にも早く満州油田を見つける必要がありそうですね。可能なら年内が望ましいですが…」
「そうねぇ~、できれば1月の総予算審議までには間に合わせたいわね」
秋月ら4人に残された期間は10年、もし米国との開戦までとするなら約6年程度だ。
1936年度の予算案を有効活用できるかどうかは大きく変わってくる。
1年を無駄にするかの瀬戸際なのだ。
永田や岡村の後押しで東條が主導する石油調査が成功すればある一定の功績が認められるだろう。
そうすれば予算案に直接口出しは出来ずとも協力者や工作のアプローチはしやすくなる。
海外の技術者・・・特に米国の技術と技術者の導入に成功するかは分からないが、極わずかでも石油採掘に一歩前進できることは間違いない。
「よし、決まったのならすぐに行動を開始しよう。時間は有限だ。秋月も正確な座標を調べておいてくれ」
「分かりました」
この後も密会はとんとん拍子で進んでいく。
基礎工業力や技術力に関しては幾つか秋月に案があったが、これは今の段階ではどうにもならないため後回しにされた。
この件に関しては後程来たるべき時に議論されるだろう。
それにここには陸軍将官しかおらず、陸軍だけ改善されても仕方がない。
これは陸海軍から民間に至るまですべてに関わってくる問題なのだ。
そして夕日も完全に沈み夜も深くなってきた頃、もっとも重要な課題に突入した。
「さて、ここからが真の本題と言える。協力者…もとい、同志をどうするかだ」
「確かに、ここが一番難しい所かもしれないわね」
同志の選別、事が事の為に慎重な選定が必要だ。
おそらく断られないであろう人物かつ優秀な人材が望ましく、人間性も重視しなければならない。
特に今の一夕会のように内部分裂するのだけは避けたいところだ。
一貫した団結が求められる…特に秋月にとってはこれが生命線。
もし、内部告発などで漏洩すれば秋月はおろかメンバー全員の命もあるかどうか怪しい。
もっとも、”これ”を真に受ける奴が居ればの話だが…。
「もし断られた場合はどうするのです?」
「…消すしかないだろうな」
「消す!?」
右手で頬杖をつき、神妙な面持ちで答える。
「当然だ。お前の存在や持つ情報は国家機密どころの問題ではない。少しでも情報が知られた奴は漏らす前に消さねばならん。例えこの3人の内誰かが犠牲になってもだ」
もし秋月の存在が露呈しようものなら大日本帝國にとって望ましくない結果を生むことはほぼ間違いないだろう。
影響がどの程度かこの時点では計り知れない。
しかし、一度新聞などのメディアに取り上げられてしまえば”これ”を信じようが信じまいが、世間に混乱を来たす可能性は高い。
事が大きくなる前に芽は摘んでおく…これは重要なことだ。
「あ、でも安心してね。探りを入れてみる段階はあるから。ダメそうならそこでお断り」
「よかった…」
横から岡村がフォローを入れる。
さすがに自分の秘密を打ち明けて死人が出るのは気持ちの良い物ではない。
一応段階を踏んでくれることに安堵した。
まあ、こちらはある程度人柄は知っているのでそのようなことが無いように人は選ぶつもりではあるが…。




