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 春華さんへの恋心を自覚した僕は悩んでいた。

 今までまともに異性と関わってきたことがない。愛とか恋とか無縁のままで生きていくとになるだろうと思っていたのだ。この歳になって恋を知るなんて考えたこともなかった。つまりは圧倒的に知識不足である。

 この状況を打開するためにもアドバイスをもらいたいのだが、しかし、僕には悲しいことに友達が少ない。

 もちろん、まったくじゃない。

 まったくいないわけではないが、中学、高校の頃にいた数人の友人とは進路で別々となってすっかり疎遠となってしまった。ときたま会うこともあるが、昔のように何か相談するような仲ではなくなったと思う。

 大学でも当然そんなに親しい友人は作れていない。授業がよく被る知り合いがいるくらいのものだ。

「はあぁぁぁ・・・・・・」

 昼休み。僕は一人ベンチで溜息を零していた。

 そもそも誰かに相談したところで何かが変わるわけでもないのだが。それでも気の持ちようとか、 メンタル面で支えになるかもしれない。

「気休めかもしれないけど」

 もう一度息を吐きだす。

「随分辛気臭い顔してるな」

「え?」

 目の前から声を掛けられて、顔を上げる。

「あ、秋貴」

「よお、春馬。悩み事か?」

「え、なんで」

「ずっと溜息ついてただろ。何かあったんじゃないのか?」

「ああ、聞かれてたのか・・・・・・」

 秋貴は横に座ると頷いて、

「お前が話せることなら聞くけど?」

「え、いや、まあ、大したことじゃないんだけど」

 そうだ。

 普通なら大したことじゃない。もしかしたら悩むようなことでもないかもしれない。

「なんだよ、言ってみろよ」

「・・・・・・えっと、笑わないで聞いてくれるかな」

「もちろんだ」

 真剣な顔で頷かれる。

 その表情に、僕は適当なことを言って逃げる気にもなれない。僕は恥を忍んで口を開いた。

「恋を、したんだ」

「恋」

「うん」

「恋ってあれか、恋愛的なそれ?」

「・・・・・・うん」

 訊き返されて、顔が熱くなるのを感じる。

「初恋なんだ」

「へえ」

「おかしいかな」

「いや、おかしくはないけど・・・・・・年齢的には珍しいかもな」

「まあ、そうだよね」

「それに悩んでるのか? なんだ。初恋が遅い的な?」

「ああ、いや、そういうことじゃなくてさ。自分の中でどうやって整理すればいいのか分からなくて、好きだって気持ちを持て余しているというか、伝えたいけど、伝える勇気もないし、かといって 心の中で留めておくには大きすぎるというか」

 我ながら何を言っているのか分からない。乙女かよなんてツッコミが飛んできそうだ。

「ま、チキンになってても仕方ないだろ。好きなら伝えるしかないと思うけど」

「そうだよな」

 それができたら苦労はしてないけど。

「相手はどうなの? 脈がありそうとか」

「それは、どうなのかな。今度デートしようって誘われたんだけど」

「へえ」

 とはいっても春華さんのことだ。言葉だけで深い意味はないかもしれない。

「ま、興味の無い奴と二人で出かけようとは思わないだろ」

「そうかな」

「そうだと思うけどね。お前にとってどんな人かにもよるし」

「その、なんだ、素敵な人だよ。笑顔は可愛らしいだけど、優しくて、時折見せる大人らしさとかとても良くて」

 言いながら恋愛脳ってやばいなと思う。褒める言葉しか出てこないし、言われた側も困るだけだろう。

「ご、ごめん、こんな説明しても仕方ないよな」

「いや、まあいいけど。そこまで好きならさ、デートって機会があるわけだし、そこで告っちゃった方がよくね」

「そもそもデートってどうすればいいの分からないんだよな。まったく経験ないし」

「なるほどね」

 秋貴は頷いて、

「意識しすぎないことが一番じゃねえの」

「そうかな」

「ああ。意識しすぎたって仕方ないだろ。緊張するなってのは言えないけど、自然体でいたほうが楽しめるぜ。下手に格好つけない方がいい」

「それは・・・・・・」

 たしかにそうかもしれない。

「いつも通りでいることが一番だ」

「それは、その、経験談?」

「だいたいそんな感じ」

「そうか。まあ、秋貴はモテそうだもんな」

「そうでもないけど」

 肩をすくめて言うが、秋貴のそういう姿は同性の僕から見たら格好良く決まって見えるし、彼が意識していないだけできっと人気はあるだろう。怖がられているところもあるとは思うけど。

「ともかくだ。俺から言えることは肩肘張らずに楽しんでこいってことだな」

「そうするように努力する」

「おう、頑張れ」

「わかった」

「それじゃ俺は煙草吸ってくるから。またな」

「ああ、また」

 去っていく後姿を見送りつつ、自分の後ろから感じる視線へ声を掛ける。

「いつまで隠れてるの?」

「いーや、男同士で仲良さそうだなー、羨ましいなーと思いまして」

 ぴょこんと冬木が顔を出す。

 話している最中、見知った姿が通ったと思ったが当たっていたらしい。

「君だって顔見知りになったじゃないか。普通に会話へ混ざればよかったのに」

「二人とも真剣な顔をしてたんで遠慮したんですよ」

「そりゃどうも」

「で、何の話をしていたんです?」

「聞いてたんじゃないの?」

「聞き耳までは立ててません。もちろん無理には聞きませんけど」

「いや、話せない内容じゃないけどさ」

 自分から話すのは恥ずかしい。けれども参考になる意見ならいくらでも欲しいのはたしかだ。ここは冬木にも相談してみよう。

「笑わないで聞いてほしんだけど」

 病院で知り合った女性がいること。その人に恋をしたこと。そして今度デートすることになったこと、その相談を秋貴に乗ってもらったことを簡単に話す。

「まじか」

 話を聞いた冬木の第一声はそういうものだった。

「え、まじで? 本気で言ってます?」

「そりゃもちろん」

「見栄とかじゃなくて?」

「見栄とかじゃなくて」

 そんなちっぽけな見栄は張りたくない。

「いや、どうしよ。本当に信じられないでいますよ、私」

「随分だな」

「だって、先輩ですよ?」

「まあ、言いたいことは分かる」

 自分だって驚いているし、相手が春華さんじゃなかったらただの冗談だと流しているところだろう。

「とりあえず事実なんだ。僕はデートをする」

「でも、自信がないと」

「そう。それで秋貴に話を聞いてもらったんだ」

「なるほど、まあ、秋貴先輩モテそうですし、相談相手にはぴったりかもですよね」

「冬木もそう思う?」

「まあ。普通にイケメンですし――って、それはいいですよ。今は先輩の話です」

「あ、うん」

「と言っても、私も秋貴先輩と同意見ですかね」

「いつも通りでいろってこと?」

「はい。ファッションとか下手に力入れて斜め上の方向になられても感想に困りますし」

 そりゃそうだ。

「自然体でいいと思います。何かしよう、何かしてあげよう、そう考えるのはもちろん悪いことじゃないですけど、意識しすぎてもきっとギクシャクしますよ」

「そうか。二人がそういうならそうなんだろうな」

「ま、ぼっちの私の意見が参考になるかどうかは別ですけどね」

「いや、助かるよ。ありがとう、冬木」

「どういたしまして。デートの感想、今度聞かせてくださいね」

「ああ、話せるようなことがあればね」

「え、まさか話せないようなことをするつもり・・・・・・」

「そうじゃない! デートに失敗したら話したくないだろ!」

「冗談ですって。でも、先輩? 失敗前提で話すのはよくないですよ、ポジティブにいきましょうよ」

「う、うん、それはそうだな」

 冬木の言う通りだ。

「ま、頑張ってください。万が一の時はご飯くらい奢ってあげますよ」

「うん」

「上手くいったらご飯奢ってくださいね」

「え、なんでだよ」

「うーん、相談料?」

「それを言われると痛いな」

 そんな冗談を言い合っていると、悩んでいたこともほぐれていった。

 僕は二人の意見を忘れないようにしっかりと脳内メモに書き込む。

 それからというもの、僕はなるべく意識しないように、けれどもふと思い出して楽しみと緊張を味わいながら日常を過ごしていく。時間はあっという間に過ぎ去っていき、

 そして、遂に約束の日を迎えた。

 六月。時期としては梅雨に入ったけど、今日は晴天。まさしくデート日和だ。

「あー、緊張する」

 現在の時刻は午前十時だ。約束の三十分前、待ち合わせの駅前で僕は延々と同じ言葉を呟いていた。

 初めて会う人ならともかく、相手は春華さんだ。

 何度も会ったことがある――どころか、一週間に一度は必ず顔を合わせている。

 先日もお見舞いに行って一緒に絵を描いた。今更緊張するような仲ではないはずなのに、デートだと意識するとどうしてもソワソワしてしまう。

「いつも通り、いつも通り」

 僕は秋貴と冬木の意見を忠実に守った。

 服装も着飾ることなくいつも通りのカジュアルシャツにチノパン。髪の毛もワックスで固めることもなく、僕はいつもの自然体でいくことにした。格好からいつも通りにしておけば緊張も薄れると思っていたのだが、

「そんなことないよな・・・・・・」

 全然駄目だ。緊張から逃れられない。

 そうして一人そわそわしていると、ポケットに入れてあるスマホが揺れた。取り出して確認すると 春華さんからのメールで、

『私、メリーさん。今駅のホームにいるの』

「・・・・・・はあ」

 随分と古い遊びを始めたものだ。

 どうやら駅のホームに着いたらしい。『駅前で待ってますよ』と返信しておく。

 するとまたすぐメールが来て、

『今、階段を上っているの』

『今、改札を通ったところ』

『今、階段を下りているの』

 立て続けにメールが届いてきて、この流れだと最後のメールは。

『私、今あなたの後ろにいるの』

 予想通りのメールに苦笑を浮かべつつ、後ろを振り向くと、

「あれ?」

 誰もいなかった。

はて? と首をかしげたところで突然わき腹を誰かに突かれる。

「うおぃっ?」

 痛くはなかったが、驚きのあまり変な声を出してしまった。

「あっはっは、メールに踊らされたな。青年」

「は、春華さん・・・・・・」

 声の方へ体を向けるとニコニコと笑顔を浮かべた春華さんがそこにいた。

「勘弁してくださいよ、もう」

「スマホばっかり見て、周りを気にしないからだよ」

「あなたからのメールを見ていたんですけどね」

「あら、それは失礼」

「まったく・・・・・・」

 溜息を零しつつ、かちゃりと眼鏡を掛け直す。

 でも、そんなやり取りのおかげで僕の緊張は薄れていた。いつも通りの僕でいられそうだ。

「こんにちは、春華さん」

「こんにちは、春馬」

「早いですね。まだ待ち合わせの時間前ですよ」

 腕時計を見ると十五分も時間がある。

「いやー、春馬のことだから早めに来てるだろうと思ってね。私も配慮したわけですよ」

「それはどうも」

 実際に事実なわけだし。

 しかし、私服姿の春華さんは新鮮だ。

 いつもはパジャマ姿だし、私服なんて見たことがなかったから尚更そう感じるのかもしれない。ひらひらとフリルがあしらわれた黒いワンピースは女性らしさというより女の子らしさを感じさせる。

「なに? じっと見て」

「ああ、すいません。私服姿似合ってましたから」

「あ、ほんと? さすがにちょっと子供っぽいかなーって思ったんだけど」

「まあ、たしかにもっと大人っぽいイメージしてましたけど」

「だよね」

「でも、似合ってるのは本当です」

「それならよかった、如何せん服を買ったのも数年前が最後でねぇ。基本的にパジャマ生活だし」

「そうだったんですか」

 となると、春華さんはそんなにずっと前から入院しているのか?

 そんなことを考えていると「さてと」という彼女の言葉で思考が中断させられる。

「それじゃ、どこに行きましょうかね」

「どこでもいいですけど、春華さんの希望はあります?」

 僕達は集まってから決めればいいかと思って、待ち合わせの場所以外は特に決めていなかった。

「うーん、私どこ行っても楽しめそうな気がするからなー」

「そうなんですか」

「そ、シャバの空気は新鮮だからね」

「嫌な言い方しますね」

「似たようなもんよ。簡単には外に出られないんだから」

「まあ、それはそうかもですけど」

 病人と罪人の差は大きいと思う。

「ま、そんなことよりもこれから向かう場所の話をしましょうや」

「そうっすね」

「どこに行こうかなー。人混みは避けたいんだよね」

「なるほど」

 頭の中に浮かんでいた遊園地は水族館などの選択肢は消えていく。

「この辺ぶらぶら歩くのもいいかなー」

「僕はどこでもいいですよ」

「こらこら。デートなんだから二人で決めるものでしょう」

「うぐっ」

 せっかく意識しないで話せていたのに。

「そういう事だから春馬も意見を出したまえ」

「そ、そんなこと言われても・・・・・・」

 パッとは思いつかない。

「どこか面白そうな場所は知らない?」

「面白そうな場所、ですか」

「そうそう。春馬は絵を描くんだから、この辺も結構歩いてるんでしょ?」

「それは、そうですけど」

「なんか思いつかない?」

「春華さんが楽しめるか自信ないんですよ」

「そんなことないよ。多分どこに行ってもはしゃげる」

「と言われましても」

 話しながら悩んでいると思いついた場所がある。

「あ、そうだ」

「お、なになに?」

「せっかくだから服を見に行きましょう」

「服?」

「さっき数年は買ってないって言ってたじゃないですか。この機会にどうですか」

「うーん」

 あれ、あんまり乗り気じゃない? 割といい考えだと思ったのだが。

「結構人混みじゃない?」

「この辺ならそこまでいないですよ。もう少し都会に近付いたらそりゃそうですけど、この近所にあるのって大型スーパーくらいのものですし」

「そっか」

 春華さんは少しだけ悩む素振りをみせて、

「ま、いいか」

「もちろん嫌なら別の場所でもいいですよ?」

「いやいや、たしかにせっかくの機会だしね。買うかどうかはともかくウインドウショッピングもいいでしょ」

「はい」

「そうと決まれば行きましょうかね」

 僕達は近くの大型スーパーへと向かう。春華さんは病院生活も長いらしいし、それなりに体力も落ちているだろう。あまり連れ回さないようにゆっくりとした歩幅で二人並んで歩く。

「そいやさ」

「なんです?」

「青年はいつもどこで服買ってるの?」

「・・・・・・う」

 まさかの質問だ。流石にここは格好いいことを言いたいけど、そんな嘘を付いても仕方ないことはよく分かっている。ブランドなんて全然分からないし。

「い、衣料品のチェーン店です」

「あー」

「・・・・・・やっぱりダサいですかね」

「そんなことないよ、らしいなって思っただけ」

 らしいってなんだ。着飾っているように見えないってことだろうか。事実だけど。

「ま、チェーン店なんだから色んな人に愛されてるってことよ。気にしなさんな。春馬の服のセンスがおかしいなとも思ってないしね」

「それなら、まあ」

 そんな雑談を広げていると、やがて目的地である大型スーパーへとたどり着く。

 五階建てで四階、五階は駐車場だから実質三階までしかお店はない。一階は食品関係にフードコート、レストラン。衣料品は二階だ。

「じゃ、行きましょうか」

「うん」

 エスカレーターに乗って衣料品売り場へと向かう。

 僕にとってはほとんど無縁に近い階だからほとんど降りたことがなかったけども、改めて来てみると色んなものが置いてある。服だけじゃなく布団まであるのか。

「おー」

 春華さんも物珍しそうな顔でお店を見ていく。

 時折可愛らしい服を見かけては手に取ってみて、

「ねね、どう?」

「子供っぽくないですか」

「そうかな」

「二十二歳が着るにはちょっと――って痛い痛い! 足踏まないで!」

「女性に向かって年齢をネタにしない!」

「ごめんなさい」

「まったく」

 春華さんは頬を膨らませて、

「じゃあ、春馬はどんな服がいいの?」

「へ?」

「私の選ぶ服に文句を付けるんだから、さぞ服選びが上手いんでしょうなー。衣料品チェーン店常連の力を見せてもらおうか青年」

「・・・・・・すみませんでした」

 平謝りだ。

 自分の服をまともに選ぶ力もないのに、異性の服を選ぶことなんてできるわけがない。

「ふふふ、反省しなさい」

「はい・・・・・・」

 そんなやり取りをして、次のお店。

「あ、春馬」

「なんです?」

「これこれ」

 そう言って遥さんが持っていたのは女性用の下着――ブラジャーだった。

「春馬、好きそう」

「な、なにいってるんですか!」

 たしかに嫌いじゃないけども!

「ムッツリそうだからなー、女の子の下着に興味津々なんだろうなーって思って」

「そんなことないですよ」

「ほんと?」

「本当です」

「私がつけているところ想像できない?」

「それは――」

 ピンクで花柄、パンツとセットでつけている姿が脳内に浮かび上がる。

「なるほど。やっぱりムッツリか」

「いやいや、そんなこと!」

「まあまあ。若い男なら正常なことだよ、青年」

「くっ」

 まさか下着でからかわれるとは。さっきの意趣返しだろうか。

 それからも僕達はいろんなお店を見て回る。

 布団売り場の柔らかい掛け布団に触れて「病室で使いたい」なんて呟いたり、

 雑貨売り場にあったもこもこしたスリッパを本気で購入検討したり、

 春華さんは色んな表情と姿を見せてくれる。

 せっかくだからと僕の買える範囲で何かプレゼントしたかったが、それは悪いからと断られてしまった。

「さて」

「はい」

「私はお腹が空きました」

「はあ」

 腕時計を見るとだいたい十一時半といったところだ。ちょっと早いお昼ご飯としては最適な時間だろう。

「じゃあ、どこかで食べます?」

「うん」

「何か希望とか――」

「ハンバーガー!」

 即答だった。

「外に出たら絶対食べようと思ってたんだよ。なんせ病院ではほぼ間違いなく出てこないメニューだし」

「そりゃまあ、僕もハンバーガーが出てくるなんて聞いたことないですね」

「ということで、私はハンバーガーを所望します」

「いいですよ」

 たしか下のフードコートにあったはずだ。僕達は一階に降りてフードコートの席を取る。昼にはちょっと早いおかげか席もあまり混んでいない。

「春華さん、何にします? 僕注文してきますよ」

「ありがと。そうだなー。チーズのやつとポテト。ドリンクはオレンジジュースで」

「了解っす」

 まだ大して混んでいない店の前まで向かう。

 春華さんが所望したものと、自分のフィッシュフライバーガーを注文して受け取ると座席へと戻ってきて、

「はい、どうぞ」

「あんがとー」

 二人揃って「いただきます」とポテトから手に付けていく。

「あー、いい塩加減」

「病院食の塩気のなさは半端ないですからね」

「ほんとだよ。この前出てきた豆腐ハンバーグなんてさー、どんな調味料使ってるんだよってくらい味が薄くて」

「豆腐ハンバーグの味が薄いって」

「そう。潰された豆腐味」

「それは悲惨だ・・・・・・」

「でしょー? 他にもさー」

 そんな愚痴を聞きながら、しょうもない雑談をしながら食事を進めていく。

 お互い多くのものを注文したわけじゃない。のんびりと時間を使っても三十分くらいで飲み物まで完食。

「これからどうしよかっねー」

「そうですね・・・・・・」

 解散というのにはあまりにも早い。というか、まだ解散したくない。

「あーっと」

「どうかしたのかね、青年」

「えと、この後ですね、どこか行きたい場所とかあります?」

「うーん」

 顎に手を当てて悩む仕草。

「うん」

 それから何か決めたように頷いて、

「今日は春馬に一任しよう」

「え?」

「春馬がエスコートしてよ。春馬の行きたいところに連れてって」

「いやいや、そんなこと言われても。その、デ、デートって二人で決めることって春華さんが言ったじゃないですか」

「いいじゃん。これから女性をエスコートする機会だってあるだろうし、ここは男の見せどころだよ。青年」

「それは」

 その相手はずっとあなたがいいんですけど。

 そんなことを言える柄じゃない。僕はぐしゃぐしゃと頭を掻いて思考を回す。人混みは避けたいと言っていた。それなら静かな場所がいい。このスーパーを延々と回るのにも限界があるし、昼に近付くにつれて人も増えている。

 悩むこと五分くらい。僕は一つの答えを出した。

「海」

「海?」

「海はどうですか」

 そこまで遠くない場所に海があるのだ。ここから電車で数駅ほど先。

「あ、もちろん他の場所でも――」

「いいね、海」

 僕の言葉を遮るように、春華さんは笑顔で頷いた。

「いいんですか、海で」

「全然いいよ。海なんて直接見るの何年ぶりか分からないし!」

「それじゃあ、海に行きましょうか」

「うん!」

 二人並んでスーパーを後にする。春華さんの足取りは少し浮かれているように感じた。最初から海に行ってもよかったかもしれない。僕達は電車に乗って、今いる駅から数駅離れた場所へと向かう。

 そして――。

「海だね」

「海ですよ」

 目の前には大きな青い海。

 砂浜に降りて息を吸うと潮の匂いを感じる。

 流石にまだ六月。こんな時期に砂浜にいるのは僕達くらいのもので静かなものだった。

「さてと、何をしましょうかね」

「海で遊ぶには早いですよ。時期的に」

「そんなの試してみないとわかんないじゃん。地球は温暖化してるっていうし」

「そりゃまあ、そういいますけどね」

「ということで、いざ!」

「あ、ちょっと」

 僕が止める間もなく、春華さんは靴と靴下を脱いで海へと向かってしまった。

「あー冷たいっ!」

「そりゃそうでしょうよ」

 言いながら春華さんの近くまで向かう。

「ほら、青年も靴を脱ぎなよっ! 楽しいもんだよ!」

「いや、冷たそうなんでいいです」

「かー! つまらない大人になっちゃって!」

「別につまらなくないですよ」

「だって遊ばないんでしょ?」

「遊ばなくても。ほら、春華さんもほどほどにしないと身体に障りますよ」

「はーい」

 少しだけすねたような返事をして、

「あ」

「どうしてんです?」

「どうやって靴履こう? 足の裏、砂まみれになっちゃった」

「なにやってんですか」

「いやー、やっぱりノリと勢いだけじゃダメだね」

「片足立ちできます?」

「うん、余裕」

「じゃあ、手伝いますから。足を上げてください」

「ほい」

「くすぐったいかもしれないですけど、我慢してくださいね」

 ポケットからハンカチを取り出すと、砂を落として濡れた足を拭いてあげる。

 春華さんの足は僕の――男の足とは違う、細く奇麗なもので壊れ物を扱うように触れる。

「ごめんね」

「いや、これって結構役得なんで」

「役得?」

「合法的に女性の足に触れるっていう」

「あー、やっぱりムッツリだー」

「冗談ですって」

 言いながら靴を履かせて、もう片方の足を同じように拭く。

「ほんとかなぁ」

「本当ですよ」

「じゃあ、今回だけは信じてあげよう」

「そうしてください。はい、これで終わりっと」

「ありがと、春馬」

「どういたしまして」

「さて、しかし海で遊ぶのも用意が必要なんだね」

「そりゃそうでしょうよ」

 ハンカチについた砂を払いつつ頷く。

「春馬は海に来たらいつも何してる?」

「絵を描いてますね」

「予想通りの回答」

「自慢じゃないですけど、そもそも水着を着たのも中学の授業が最後でしたからね」

 もう泳ぎ方すら覚えていない。

「じゃ、そんな春馬を倣って絵を描きますか」

「え、いいんですか。今から別の場所に行ったって・・・・・・」

「いいよ、せっかくの機会だし。きっと見納めだろうからね」

「見納め?」

「ううん、なんでもない。それよりも、ほら。春馬も持ってきてるんでしょ? スケッチブック」

「も、ってことは、春華さんも?」

「えへへ、こういうこともあろうかと」

 鞄の中から僕のあげたスケッチブックを取り出した。

 用意周到だ。まるでこうなることを望んでいたような気さえしてくる。

「どかした?」

「いえ、じゃあ、描きましょうか」

「うん。お絵描きデートと洒落込みましょうよ」

 そうして僕達は並んでスケッチブックを開き、鉛筆を握る。

 潮騒の音に耳を傾けながら二人黙々と描いていると、

「ねえ、春馬」

「なんです?」

「春馬は今楽しんでる?」

「え、今ですか?」

「うん。せっかくのデートなのにさ。私のしたいことばっかしてないかなって」

「そんなことないですよ」

「そう?」

「はい。そもそも最初に服を見に行ったのも、こうやって海に来たのも僕の提案じゃないですか。自分が面白くないところなんて誘いませんよ」

「うん」

「それにですね」

 絵を描く手を止めて空を見上げる。

「青い空に青い海。匂いも音も海を感じられて。暑くも寒くもない気持ちのいい気候の中で好きな絵を描ける。これがつまらないわけないじゃないですか」

「そっか」

 春華さんははにかむように笑って、

「それならいいんだ」

「春華さんこそ楽しめてます?」

 僕はそれが心配だった。

「こうやって絵を描くことも僕の趣味ってだけじゃないですか。春華さんこそつまらない思いをしてませんか?」

「私もちゃんと楽しんでるよ、大丈夫」

「本当に?」

「ほんとほんと、最初に言ったじゃん、私何でも楽しめるからって」

「でも、やりたい事は他にあったんじゃないかなと」

「くどいぞ、青年。これも私のしたかったこと」

 そう言って春華さんは目を閉じると、

「こういう穏やかな時間ってのが幸せってもんなのさ」

「ですか」

「ですよ」

 まあ春華さんが楽しめているというならいいだろう。

 僕の中でデートというものはもっと特別なイベントのような印象を持っていたが、少し意識しすぎだったのかもしれない。こうやっていつも通りの時間を過ごすことも幸せなのだ。

「やっぱり肩肘張ってたんだな」

 どうも自然体ではいられてなかったらしい。

「どかした?」

「いえ、なんでもないです」

 それから僕達は雑談を挟みながら絵を描いて。

 やがて日も暮れていき。

「・・・・・・そろそろ帰りましょうか?」

「そうだね。あー、楽しい時間はあっという間」

「たしかにそうですね」

 春華さんの言う通りだ。いつもよりずっと時間の進みは早かった。本当はもっと一緒にいたいけど、流石にこれ以上は欲張りだ。

「送りますよ。病院じゃなくてご実家の方ですよね」

「そうだけど、いいよ。悪いし」

「悪くなんてないですよ。デートなんだから男の僕に花を持たせてください」

「そんなもん?」

「そんなもんですよ。もちろん無理には言いませんけど」

「ううん、じゃあせっかくだし送ってもらおうかな」

「はい」

 僕達は並んで歩き、また電車に揺らされる。

 会話は少なかった。少し歩いたし疲れさせてしまったかもしれない。僕も無理に話題を振ることなく隣に座って電車に揺らされる。

 しばらくして電車は春華さんの実家がある最寄り駅へと止まった。僕の最寄り駅とは二駅違うだけでそこまで離れているわけじゃないが、ここはもっと住宅街といった感じだ。雰囲気が少し違う。

「えーっと、駅からは自宅って離れていないんでしたっけ」

「・・・・・・うん」

「どの方面か教えてくださいね」

 そう言っても春華さんから返事はない。

「春華さん?」

 僕が振り向いたと同時だった。

 崩れるように春華さんがその場に倒れたのは。

「え・・・・・・?」

 一瞬のことで言葉が出ない。

「春華さん?」

「はあ・・・・・・はあ・・・・・・」

 荒い息が耳に入ってきて、僕はようやく固まった身体を動かして彼女に駆け寄った。

「春華さん! 春華さん!」

「あー、もう。あと少しだったのに」

 弱々しい声。

「あと少し、どうして持ってくれないのかな・・・・・・このポンコツな身体は」

「何言ってんですか。実家に電話――いや、救急車の方がいいか」

 震える手でスマホを取り出すと、番号を押すのにも苦労しながら、やっとの思いで電話を掛ける。今いる場所と症状、そして一時退院していることを伝えるとすぐに来てくれるようだった。

「春華さん、すぐ救急車来てくれますから」

「うん」

「だから、しっかりしてください」

「春馬」

「なんです?」

「ごめんね」

「謝ることなんて・・・・・・」

「せっかくのデートだったのに、迷惑かけちゃった」

 そう言う彼女は弱々しい笑顔で、

「そんなこといいですから。大人しくしていてくださいよ」

 言いながら、救急車はまだかと気持ちが焦る。

 それから五分ほどで救急車は来てくれる。春華さんはベッドに寝かされて、付き添いとして僕も救急車に乗り込んだ。

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