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大学の授業はある程度自由に選択できるところはいいのだが、取っている講義によってはどうしても空き時間が出来てしまうこともある。そんな時間も楽しめる人間関係があれば苦ではないのだろうが、友達の少ない僕にはそういうわけにもいかない。
あまり他人に見られたくないのもあって大学では絵を描かないようにしているし、僕が時間を潰すとなるとコンピュータールームでネットサーフィンするか、図書館で自習に励むかの二択になるのだが、
「今日のところは自習かな」
しばらく大学を休んでいたのもあるし、成績は極力落としたくない。それでなくても誇れるような成績じゃないし。無駄に時間を消費するよりはいいだろう。
そう決めると松葉杖を使って大学の敷地内にある図書館を目指す。
「あ、先輩」
「ん?」
その途中で見知った顔に声を掛けられた。
振り向くと、背が低めのふわふわした茶髪の女子。見た目だけなら僕とは縁遠い陽キャの部類だ。 黒色の肩出しトップスにジーンズ。肩掛け鞄も衣装に合うよう選ばれている。普段なら間違いなく近寄らない存在なのだが、彼女は大学内で僕の貴重な話せる人だった。
「どうも、春馬先輩」
「冬木。こんにちは」
名前は冬木叶。
彼女は高校の頃からの知り合いだ。
でも、出会いは高校の校舎ではなかった。僕が勤めているバイト先に彼女が応募してから知り合ったのだ。今では大学とバイトでの先輩後輩の間柄であり、お互い友人である・・・・・・と僕は思っている。
「なんかお久しぶりっすね」
「そうだね」
一回だけ入院してから見舞いに来てくれた以来だ。
「足、大丈夫なんすか」
「まあ、なんとか。ごめんな、バイトとか迷惑かけて」
「いいっすよ。あの店、暇ですもん」
「・・・・・・それ、店長には言うなよ」
「店長だって暇だ暇だ言ってますし、別にいいんですよ」
「そうだけどさ」
実際忙しい店じゃないのはたしかである。
駅から近いわけでもなく、住宅地にあるお店だから厄介な客も少ないというのは良いところなのだが、その分普通の客も少ない。僕達の働いている夕方などは帰宅途中のサラリーマンが寄るくらいのもので忙しいことが少ないのだ。
「それで、冬木も図書館に?」
「そうです。一コマ空いちゃってるんで」
「そうなのか」
「そういう先輩もっすよね」
「うん」
「じゃあ、せっかくですし一緒に行きましょ」
「いいよ」
二人で並んで図書館までの道を歩く。
「しっかし、相変わらずぼっちなんすか。先輩」
「ぐっ・・・・・・君には言われたくないよ」
「うぐっ」
二人して心にダメージを負う。
僕達が仲良くやれている理由は、お互い陰キャで友達が少ないこともあると思う。同族意識というかそういうものはありそうだ。
冬木は見た目だけなら間違いなくこっち側ではないが、問題はかなりの人見知りなのだ。マニュアル通りに話すことはできるのだが、そうじゃないと対応できないタイプである。
「で、でもさ、最近増えたよ。友達というか知り合いというか」
「え、誰ですか」
「えっと・・・・・・」
春華さんの話をしようと思ったが、知らない人の話をしても仕方ないだろう。
「分かるかな。岡崎秋貴って」
「え、岡崎秋貴って、あの岡崎秋貴ですか?」
「あのって言われると分からないけど、多分そう」
「めっちゃ不良じゃないですか。どうしたんですか、カツアゲですか、席確保要員ですか」
「いや、そんなことはないけど」
多分、きっと、おそらく。
「だって先輩みたいな陰キャと不釣り合いじゃないですか」
「それは僕だって思うけど」
「どういうきっかけだったんですか?」
「それは――」
この前の、ゼミでの出来事を簡単に話す。
「へえ、そんなことが」
「うん。で、助けてもらったんだよ」
「なるほどですね。まあ、先輩の怪我の要因がダサいのは間違いないですけど」
「それを言うなよ・・・・・・自分でも分かってるんだから」
「冗談ですって。でも、よかったですね。頼りになる友達が出来て」
「まあ、そうだね」
「いいなぁ」
本気で羨ましそうに言う。いや、そんな目をされても困るって。
そんな話をしていると図書館に着いた。「じゃあまた」と別れようとしたら袖を掴まれ、
「待ってください」
「ん、なに?」
「せっかくです、もう少しお話ししましょうよ。図書館に行くのもお互いどうせ時間潰しのつもりだったんですし」
「え、まあ、別にいいけど」
とはいっても図書館で雑談を広げるわけにもいかない。近くのベンチで座って話すことにする。
「今日は天気良くていいですね」
「うん、春の陽気だ」
暑くもなく寒くもない気温に心地の良い風。過ごしやすい季節で助かる。
「足、怪我したのがこの時期なのは不幸中の幸いじゃないですか?」
「それはあるかも。梅雨の時期だったら大変だったな」
「傘は差せないし、湿度で蒸れそうっすもんね」
「まったくだよ」
笑いながら、何故こんな当たり障りのない話をしているんだろうと思う。
「ところで」
「はい」
「なんか話があったんじゃないの?」
「え?」
「いや、もう少し話をしようって言われたから、何かあるのかなと思ったんだけど」
「あー、そういうことですか」
冬木はあからさまがっかりした顔をして、
「先輩」
「な、なにかな」
「私達は先輩後輩の関係であり、仲の良い友人とも思ってます」
「ああ、そうだな。僕もそう思ってる」
「では、友達同士で話すことに理由を作る必要がありますか」
「それはないと思うけど」
「それが答えです。特に用がなくても一緒にいたい――じゃなくて、会話したいことがある。そういうのが分からないから先輩はいつまでたってもぼっちなんですよ。少しは人の気持ちを考えるってこと覚えたほうがいいですよ」
「そういう君もぼっちじゃないか」
「揚げ足取りはいりません」
「・・・・・・ごめん」
勢いに負けて頭を下げると、「しょうがない先輩なんですから」と溜息を零される。
「でも、僕はともかく冬木に友達ができないのは意外だよな」
「嫌味ですか」
「そういうことじゃなくてさ、身なりもしっかりしているし、性格も暗いわけじゃない。バイトで接客もできているだろ? 友達作りとか結構余裕そうに見えるんだよな」
「これが余裕じゃないのが人付き合いなんですよ」
「そうか?」
「いいですか。性格はともかく、身だしなみに気を遣うのは女として当たり前ですし、接客は基本的に笑顔浮かべて決まった言葉を口に出してれば何とかなるじゃないですか」
「まあ、そうだね」
「でも友達を作るとなると違います。嫌われないように、好かれるように話題を作り、話題を提供し、話題に乗らないといけません。それが余裕なわけがないじゃないですか」
それは冬木の考えすぎじゃないかと思う。
「あとからああすればよかった、こうすればよかったって反省会の毎日。むしろ簡単に友達が作れる方のメンタルが強すぎるんです」
「気持ちは分かるけど、僕には普通に接することができているじゃないか」
「先輩には流石の慣れもありますよ。何年の付き合いになると思ってるんですか」
「それもそうか」
もう随分と長い。五年近いんじゃなかろうか。
「先輩に対してだって昔はよく一人反省会してましたよ」
「それはお互い様かも」
今だからこそ気にすることも少なくなったが、僕も昔は同じように悩んでいたものだ。言葉足らずだったかもしれないとか、冷たい印象を与えたかもしれないとか。
「人付き合いって難しいんですよ。相手からオープンに絡んでくれると一番楽なんですけどね」
「それはわかるな」
「でしょう? やっぱり誰にでも絡んでいけるのは鋼のメンタルなんですよ」
「たしかに」
友達の少ない者同士の傷の舐め合い。
春華さんが見たら「生産性がない!」って怒りそうだなとふと思って笑いがこぼれる。
「どうかしたんですか?」
「ああ、いや、何でもない」
今ここにいない人のことを考えただけだ。言わないけど。
とはいっても話のタネだ。
――僕はそういう話をして過ごしたことを春華さんに話すと、
「生産性がない!」
予想通りの言葉をぶつけられる。
「うじうじ悩んでも仕方ないっしょ。人間関係なんて当たって砕けろだよ、青年」
「春華さんが言うと説得力ありますね」
なんたって僕が入院したその日に突然病室へ来た人だ。
「で、そういう春華さんはやっぱり顔が広いと」
「もちろん。この病院だとアイドル的存在よ」
「アイドル」
「そう。お医者さんから看護師さん、入院患者の皆さんから人気も人気だよ?」
「あー、そうっすか」
「何か言いたげだね?」
「いや、春華さんがアイドルはきびし――って、いったあ!」
右足を蹴っ飛ばされて叫ぶ。
「また折れたらどうすんですか!」
「医者がくっつけてくれるよ! ここは病院だからね!」
「他力本願!」
「誰がアイドルは厳しいだって? 私、まだ二十二なんだけど」
年齢は関係ない――いや、多少はあるか。
「と、というか、二十二歳なんですね」
「そうだよ、文句ある?」
「いや、全然。年上だなと思って」
「ふーん。青年は? 成人してるとは言ってたよね?」
「二十ちょうど。今年で二十一です」
「ふーん」
「えっと、春華さんは今年で二十三ってことですか」
「そうだよ! というか! 女性に年齢の話をしない!」
始めたのは春華さんの方なのに?
「なんか文句ある?」
「な、なんでもないです!」
これ以上余計なことを言って痛い思いはしたくない。
「まったく、失礼な青年だねえ。そんなんだからぼっちなんだよ」
「すいません・・・・・・」
たしかに失礼な言い方だった。素直に頭を下げる。
「今日のところは許してあげよう。次おちょくったらへし折るけどね」
「肝に銘じておきます・・・・・・」
「で、今日も絵を描くんでしょ?」
「そのつもりですけど」
「ずっと中庭ばっかり描いてて飽きない?」
「そうでもないですよ」
病院の土地とだけあって広いし、見る方向から描きあがる絵も変わる。それに病室から動けなかった間の窓から見える景色を延々と描いていたときよりはずっと楽しい。
「スケッチだっけ。そういうの」
「ですね」
「色とか塗らないの?」
「気に入ったら水彩絵の具でたまに塗る感じですね。油彩画もできますけど、まあやっぱりどちらも手間だし、誰かに見せるわけじゃないんで、スケッチのまま終わることの方が多いかな」
「へえ、ちょっと見せてよ」
「いいですよ」
頷いてスケッチブックを渡す。
春華さんは一ページ一ページ丁寧に捲って、
「これはどこ?」
「あ、見覚えある景色かも!」
「猫じゃん! 可愛い!」
などなど楽しそうに質問や感想をくれる。
ここまではしゃいでくれると描いた身としては嬉しいものだ。
「ねえ、春馬」
「なんです?」
「スケッチブックって他にもあるの?」
「ああ、はい。描ききったやつとかは自宅に置いてありますけど」
「ねえ、それって今度持ってきてもらってもいい?」
「別にいいですけど、そんな面白いもんでもないですよ?」
「面白いよ、十分」
「そうですか? じゃあ次来た時にでも持ってきますね」
「やった!」
笑顔で右手の小指を差し出される。
「約束、指切りね!」
「そんなことしなくても忘れませんって」
「いいの、ほら指出して?」
「はいはい」
差し出された指に自分の指を絡める。
「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら、右足粉砕骨折さーせる!」
「物騒じゃないですかねっ!」
「ゆーび、きった!」
僕と春華さんの指がその言葉を言い終えると同時に離されて、
「じゃ、忘れないでよ?」
「忘れませんよ・・・・・・」
右足の粉砕骨折なんて単語を出されたら自分の足を見る度に思い出せる。
それから数日後。
僕は約束通り何冊かのスケッチブックを春華さんに渡した。
「これ全部春馬が描いたの?」
「まあ」
「すごいなー。画集とか出せそう」
「こんなのラクガキ帳みたいなもんですよ」
とはいえ褒められて悪い気はしない。
春華さんはページを捲るたびに目を輝かせて、子供のように喜んで、その日はずっと笑顔でいたと思う。