12
深夜、僕は寝付けないでいた。
今まで寝る間を惜しんで絵を描き続けていたからか、疲れがでて逆に眠れないのかもしれない。ぼーっと天井を眺めて睡魔を待っていると、時間としては不釣り合いな着信が部屋に鳴り響く。
「誰だ・・・・・・?」
こんな時間に電話なんて。スマホの画面を見ると秋貴からだった。
「もしもし?」
「よかった! 起きてたか!」
らしくない随分と慌てた声。
「あ、ああ、うん」
「早く来い。病院まで」
「え? 病院って・・・・・・」
「姉さんが呼んでるんだ。頼む」
「春華さんが・・・・・・?」
「ああ、だから早く」
電話が切れる。僕はベッドから跳ね起きた。
パジャマ代わりのTシャツを脱ぎ捨てて私服に着替える。その時間さえも勿体ない。
焦るな、焦るな。自分に言い聞かせる。
ただ僕を呼んでるだけ、ただ僕と話したいと思っただけだ。きっとそうに違いない。
病院まで走る。こういうときになんで自転車を持っていないんだと後悔した。
もう足は痛まないのに、何度も転びそうになって。それでも全力で足を動かす。
ようやく病院までたどり着くと、入口で秋貴が待っていた。
「秋貴っ」
「・・・・・・来たか」
「春華さんは?」
「こっちだ」
彼の後ろを付いていく。
案内された場所はいつもの病室。そこには春華さんの両親も集まっていた。
どういう状況なのかそれだけで察してしまう。
「よく来てくれた、春馬くん」
ただ立ち尽くしていると、春華さんのお父さんにそう声を掛けられた。
「春華の傍にいてやってくれないか」
「・・・・・・はい」
促されるまま歩き、いつも座っている椅子へ腰を下ろす。
優しく手を握った。とても冷たい手だった。
「春華さん」
かすれた声が出る。
「春華さん」
今度はちゃんと発音できた。
それに反応して、彼女はうっすらと目を開くと、
「・・・・・・やあ、青年」
弱々しい声。
「はい、春華さん」
「来てくれたんだ」
「はい」
当たり前だ。あなたが呼べばどこへだって駆けつける。
「春馬」
「何ですか」
「ごめんね」
「何を、どうして謝るんですか」
「・・・・・・頼み事。聞いてあげられなくなっちゃった」
弱々しく笑う。
「そんなこと、どうでもいいじゃないですか、気にしないでください」
ぎゅっと握る手に力を込めて、
「というか、そんなこと言わないでくださいよ」
「でもさ」
「いいんです。僕ができることをしただけなんです。僕があなたにしてあげたかったことをしただけなんです。だから、春華さんは何も気にしなくていいんですよ」
「うん」
「だから、謝らないでください」
「うん」
それ以上の言葉が出ない。
もっと会話したいのに、もっと言いたいことがあるはずなのに。
「ねえ、春馬」
「なんですか」
「また一緒に絵を描きたいね」
「はい」
「いっぱい描いたもんね。病院の中庭、病室からの風景・・・・・・」
「ええ、いっぱい描きましたね」
「それから海も」
「そうですね」
「また一緒に行きたいなー」
「はい」
「穏やかな風、潮騒の音、大きくて広い海。全部覚えてる」
「僕もです」
「もちろん服を見たことだって覚えてるよ。私の選ぶ服は子供っぽいっていうし、春馬、下着コーナーで動揺してるところとか」
「はい」
「でもさ、やっぱり海が一番かな」
「楽しかったですか?」
「うん。海に入ってさ、冷たくて」
「春華さん、止めたのに行くから」
「うん」
「それから絵も描いたよね。楽しかったなー」
「はい」
どれも忘れられない。忘れることなんてできない。
忘れようとしたって、忘れられない。
「春馬」
僕が握っている手を持ち上げる。誘導してあげると僕の頬へと触れた。
「泣かないでよ、春馬」
「泣いてなんて」
「泣いてるよ。まったく、泣き虫だなぁ」
そう言われてようやく自分が涙を流していることに気が付いた。
「春華さん・・・・・・春華さん・・・・・・」
気が付いてしまうと。涙がとめどなく溢れ出てくる。
もう止められない。嗚咽だって出てきそうだ。
「生きて、生きていてくださいよ・・・・・・それだけでいいんです・・・・・・」
言わないつもりだった。黙っているつもりだった。
そんなこと言っても傷つけるだけだって、でも僕には堪えられなかった。
「ごめんね」
「謝らないで、ください・・・・・・」
謝ってほしいわけじゃない。
そもそも謝るようなことじゃないんだ。だって、春華さんは何も悪くないんだから。
僕はしばらく春華さんの手を握りしめて泣いた。
ようやく落ち着いたところで、
「大丈夫?」
「はい・・・・・・すみません」
今にでもまた涙がこぼれそうになるけど堪える。
「春馬」
「なんですか?」
「少しだけ皆と話す時間をもらってもいい? 春馬ともお話してたいけど、このままじゃ親不孝になりそうだから、ね。皆の顔も見せてほしい」
「わかりました」
僕は少し逸れて春華さんに家族の姿を見えるようにする。
「お父さん」
「ああ」
「ありがとね、遺影使っていいって言ってくれて」
「・・・・・・ああ」
「ありがと、ごめん」
「謝らなくていい。謝らなくていいんだ」
春華さんのお父さんが頷く。
「お母さん」
「うん」
「ありがとね、いっぱい迷惑かけちゃって」
「いいのよ。もっと迷惑かけなさい」
「うん。ごめん」
春華さんのお母さんは口元を抑えて、今にも崩れてしまいそうだった。
「秋」
「姉ちゃん」
「真面目に生きてね。ちゃんと彼女とか作って、ちゃんと子供作って」
「ああ・・・・・・ああ・・・・・・」
「ちゃんと春馬と仲良くするんだよ」
「もちろんだ」
秋貴は俯いて答える。
僕はただ静かにその様子を見守る。
「春馬」
「なんですか」
「家族には挨拶したから」
「でも、もっと・・・・・・」
話した方がいい。僕なんかに構ってちゃいけない。
そう言おうとしたところで、
「いいの。残りは二人の時間」
そう言う彼女は笑顔で、
「それは、光栄ですね」
だから僕も必死で笑顔を作る。
「あ・・・・・・」
春華さんの手の力が抜けて、僕は慌てて握り直す。
「えへへ、ごめん。せっかくなのに、眠くなってきちゃった」
「そう、ですか」
「うん」
「少し眠りますか?」
「うん、傍にいてくれる?」
「もちろんです」
「じゃあ、私が眠るまで手を離さないでね」
「はい」
離せと言われても絶対に離したりしない。
「起きたら、またたくさん話しましょう」
返事はなかった。その代わり、
「ずっとね。言おうかどうか悩んでたことがあるんだけど」
「悩んでたこと?」
「うん。言わない方が幸せかもしれない。そう思ってたんだけど、言わないと後悔しちゃいそうだから」
「なんだって聞きますよ」
「ありがと」
「はい」
「あのね。好きだよ、春馬」
「え・・・・・・?」
「気が付いたら好きになってた。いつからかな、出会ったとき、絵を描いてる姿、何度も私に会いに来てくれたこと。理由になりそうなのはたくさんあるんだけど」
僕が言おうと思って、ずっと言えなかった言葉をあっさり口にする。
動けなくなった。時が止まってしまったかのように。
「ごめんね、私みたいのに好かれても困るよね」
そんなこと。
そんなことあるわけがない。
「謝らないでください、謝らないでくださいよ」
ぎゅっと春華さんの両手を握りしめる。
「僕もです。僕もずっと前から好きだったんです」
もっと早く伝えればよかった。なんで躊躇していたんだ。
そうしたらもっと幸せだったかもしれない。幸せを渡せたかもしれない。
「えへへ、両思いだ」
春華さんは笑顔だった。自然な顔で嬉しそうに。
「はい・・・・・・両思いです・・・・・・」
「嬉しいな、本当に嬉しい」
春華さんの目から涙がこぼれる。僕はそれを拭って、
「僕も、僕も嬉しいです。最高です」
「春馬」
「はい」
手を握る力が少しだけ強くなった。
「春馬」
「はい」
「幸せになってね」
「それは・・・・・・」
どうやったら幸せになれるんだ。
春華さんと一緒にいることが幸せなのに。ずっと二人で、幸せでいたいのに。
「たまに思い出すくらいでいいよ。『あー、こんな女もいたなー』ってくらいでさ、そうでないと浮気になっちゃうかもしれないから」
「そんなこと、言わないで、言わないでくださいよ」
あなたのいない人生のどこに幸せがあるんですか。
「だからさ」
どんどん春華さんの力が弱くなっていく。
僕はその分だけ力を込める。落ちないように、離れないように。
「今だけは私のことだけ好きでいて」
「当たり前じゃないですか。今でも、これから先だって・・・・・・」
「うん、ありがとう」
瞼が閉じる。
「春華さん。大好きです、愛しています。だから・・・・・・」
こんな別れなんて、幸せになってなんて、あんまりじゃないですか。
「春馬」
「春華さん・・・・・・春華さん・・・・・・!」
神様っていうのがいるなら、どうか連れていかないでくれ。春華さんを離してくれ。
何でもいい。誰でもいい。春華さんを救ってくれ。
祈るような気持ちで手を握る。
「春馬」
春華さんは笑顔だった。とても幸せそうで、満ち足りていて。
「大好き」
そうして彼女は眠った。
穏やかな笑顔で、そんな言葉を遺して。




