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「くそ・・・・・・」

 呟く。

「くそ・・・・・・くそ・・・・・・」

 何かに当たっても仕方ない。春華さんの病状は良くならない。でも、自分の無力さと苛立ちが心を支配する。今にでも暴れ回りたい気分だった。

 自分を落ち着けるように息を吐きだす。冷静にならないと。まずは春華さんの元に行かないといけない。

「先輩」

 ドアから顔を出したのは冬木だった。

「どうしてここに」

「先輩と秋貴先輩がこの教室に入ってくとこ見えたで、ごめんなさい、つけてきちゃいました」

「・・・・・・そうだったのか、別に謝ることじゃないよ」

 聞かれて困る話をしていたわけじゃない。

「それより、ごめん。僕はいかなきゃならない場所があるから・・・・・・」

 冬木と話している場合じゃないのだ。用があるなら後で聞けばいい。

「病院ですか」

「うん」

「それなら、そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。あの病院、平日の面会時間は三時からです。先輩が足を折ったときに見舞いに行ったじゃないですか。そのときに確認したんですよ」

「そんなこと守ってられないよ」

「落ち着いてくださいって。入れなかったらどうするんです。その時間無駄にするだけですよ」

「それは」

「それに何か検査をした後で疲れてるかもしれないじゃないですか。そんな状態で先輩と会いたいと思うんですか」

 たしかに冬木の言う通りだ。

 僕の行動が春華さんの負担になってしまったら何の意味もない。

「・・・・・・ごめん、冷静じゃなかった」

「分かってくればいいんですよ」

 それよりも、と冬木は言葉を続ける。

「先輩、大丈夫ですか――って、大丈夫じゃないですよね」

「え?」

「さっきの話、聞こえちゃったんで」

「ああ・・・・・・」

 曖昧に頷きながら、

「・・・・・・大丈夫だよ、大丈夫」

 自分に言い聞かせるように言う。

「先輩」

 そんな僕を見透かすような瞳を向けられて、

「無理しないでくださいよ」

「無理なんて――」

「してますよ」

 冬木は僕の言葉を止めるように言い切った。

「つらいときはつらいって言ってくださいよ。慰められないじゃないですか」

「ごめん」

 でも、僕は慰めてほしいわけじゃない。

「本当に大丈夫なんだ」

「嘘ですよ、そんなの」

「嘘なんかじゃ・・・・・・」

「だって、前は泣きそうな顔してたじゃないですか。今更強がったって無駄ですよ。全部お見通しですから」

 痛いところを突かれて言葉に詰まる。

「ま、前はほら、突然のことだったから」

「今も突然の話だったんですよね」

「それは」

 その通りだ。

「もう一度聞きますよ、先輩。本当に大丈夫ですか?」

「僕は・・・・・・」

 本当は大丈夫じゃない。泣いて縋りついてしまいたい。

 でも、それはできなかった。

「僕は大丈夫じゃないと、きっと、春華さんは悲しむから」

「そんなに、その人が大切ですか」

 冬木の真剣な瞳に、僕は頷いた。

「もちろん」

「・・・・・・そうですか」

 冬木は呟くように言うと、

「先輩」

「何?」

「私に乗り換えてくださいよ」

「・・・・・・え?」

 どういうことだ?

「私なら先輩を苦しめませんよ。つらい思いをさせませんよ。ずっと一緒にいます」

「い、いやいや、何の話――」

 言い終える前に冬木が胸に飛び込んでくる。

 彼女の温かさを感じた。早い鼓動を感じた。

 いきなりのことに脳がパニックを起こしてしまう。

「私でいいじゃないですか。自分からわざわざ茨の道を歩んでどうするんです。ずっと悲しむことになるだけじゃないですか」

「・・・・・・冬木?」

「私はその春華さんって人物を知りません。先輩の言う通りとっても素晴らしい人なのかもしれませんけど、ごめんなさい。私はどうしても好きになれません。先輩を苦しめる人は嫌いです」

「どうしたんだよ、ほんと」

「どうもしてません。これが私です」

 顔を上げる。すぐ近くに冬木がいた。

 その瞳は潤んでいて、今にも泣きだしてしまいそうだった。

「先輩のこと、ずっと好きだったんです」

「え――」

「私みたいなぼっちとずっと接してくれました。優しくしてくれました。懲りずに話しかけてくれました。私の世界に入ってきてくれて、そんなの惚れるに決まってるじゃないですか」

 僕はそんなつもりなかった。ただ、当たり前のことをしているつもりで、

「先輩がそんなつもりないって分かってました。だから、だから、ずっと片思いでいいと思ってました。私達は友達で、それで横にいられればいいって思ってました」

「・・・・・・」

「でも、先輩が傷つくなら違います。いいんです。私のこと好きじゃないままで。絶対に好きにさせますから。ただ一緒にいてくれれば」

 僕は口を開くことが出来ない。衝撃的なことであったのもそうだけど、冬木になんて返せばいいのか分からなかった。

「慰めで言ってるわけじゃないです。先輩、あなたが好きです。ずっと好きです。私のものになってください。あなたのものにしてください」

「・・・・・・冬木」

 こんなに好きだと言われたのは初めてのことだ。

 こんなに想われているなんて知らなかった。

 返事をしないといけない。彼女の気持ちに応えを言わないといけない。

「冬木」

「・・・・・・はい」

 僕は。

 僕は・・・・・・。

「ごめん」

 彼女をゆっくりと僕から離した。

「僕は、それでも僕は春華さんが好きなんだ」

「・・・・・・駄目ですか?」

「駄目とか、そういう事じゃなくて。君の気持ちは嬉しいんだ。本当に、でも、僕は自分の気持ちを裏切れない。僕は春華さんが好きだ」

「そうですか、そうですか」

 潤んだ瞳から一滴の涙。

 冬木はそれを拭って、

「あーあ、一世一代の告白だったのに。フラれちゃったなー」

「ごめん」

「謝らないでくださいよ。惨めになっちゃいます」

「ご、ごめ――」

 謝りそうになって口を閉じる」

「私と同じぼっちだった先輩がどんどん遠くへ行ってしまいますね」

「そう、だな」

「ごめんなさい、引き止めちゃって」

「・・・・・・いや、いいよ」

 今の僕に何を言えるのだろうか。少し考えて、

「・・・・・・冬木」

「なんです?」

「その、ありがとう」

「何がですか?」

「その、僕のこと、僕なんかのことを好きになってくれて。嬉しかった。本当に嬉しかったんだ」

「・・・・・・残酷なこと言うなぁ」

 困ったように笑って、

「さて、先輩。行ってください」

「え?」

「病院。春華さんに会いたいんでしょ?」

「それは、そうだけど」

 面会時間まではまだ時間がある。

「鈍いなぁ。一人で泣かせてくださいよ。失恋したんですよ、私」

「あ、ごめん・・・・・・」

「そういうところ直してくださいね。春華さんも泣かせることになりますよ」

「・・・・・・うん」

「じゃ、さよなら。先輩」

「ああ、また」

「はい」

 ぺこりと頭を下げて、僕は教室を後にする。

 ドア越しに小さな嗚咽が聞こえてきた。それを聞かなかったことにして廊下を歩く。

「・・・・・・行くか」

 向かう先は病院。

 授業を受けていられる気持ちじゃない。余裕もない。今から向かえば間違いなく面会開始時間より早く着いてしまうだろうが、見逃してくれることを祈る。

 冬木の気持ちを考えないように、彼女を傷つけてしまったことを考えないように。僕は歩くしかない。僕が考えるべきは春華さんのことだ。

 道中で意識して春華さんのことを想う。

 彼女はいつも笑顔で、僕も笑顔でいられた。

 彼女は僕より大人で、いろんなことを教えられた。

 僕の知っている春華さんは元気なのに、本当はそうじゃなくて。

 そんな彼女に早く会いたかった。

 僕の知っている春華さんに。

 いつもの春華さんに。

 病院にはすんなり入ることが出来た。廊下を歩き、エレベーターに乗って、そして病室に着いた。けども、ノックすることを躊躇う。

 僕はちゃんと春華さんのために笑えるだろうか。どうしても冬木の姿を引きずってしまう。

 いや、駄目だ。僕は春華さんを選んだんだ。悩んじゃいけない。

「・・・・・・よし」

 決心してノックする。小さな返事が聞こえた。

「失礼します・・・・・・」

 いつもなら優しい声が聞こえた。「よお、青年」と僕を呼ぶ声が聞こえた。

 現実はこれだ。

「・・・・・・春馬?」

 その代わりに弱々しい声がベッドから聞こえた。

「春華さん・・・・・・」

 これが本当の春華さんなのだ。

「なんだよ、来ちゃったのか。青年」

「・・・・・・そりゃ来ますよ」

 来ないわけがないじゃないか。

「ごめんね、寝たままで」

「いいですよ、そんなの。無理しないでください」

 言いながら近くのパイプ椅子に座って春華さんの手を取る。

 彼女の手は冷たくて、自分の体温を送るようにぎゅっと握った。

「どうかしたの?」

「え?」

「なんか思い詰めた顔してるぞ」

「気のせいですよ」

「そう?」

「はい。・・・・・・もしそう見えたなら、きっと春華さんが倒れたからです」

「ちょっと疲れがでただけだよ。またすぐに良くなるから」

「・・・・・・はい」

 頷きながらも直感でそれは叶わないと感じてしまった。

 そう思うくらい春華さんは弱っている。

「ねえ、春馬」

「なんですか?」

「絵は順調?」

「絵・・・・・・春華さんの?」

「そう。私の遺影」

「順調ですよ」

 着実に進んでいる。バイトのシフトも必要最低限に削って、外に絵を描きに行くこともしていない。だんだんと完成に近づいていた。

「それならよかった」

「よかったって」

「順調なら、なんとか完成した絵を見られそうだから」

「・・・・・・そんなこと言わないでくださいよ」

「ごめんね」

 春華さんは謝りながらも、言葉を訂正することはなかった。

「ごめん」

 ただ謝罪を重ねるだけ。

 僕は何も言えなくなって、握る手にほんの少し力を加える。

「泣くなよ、青年」

「泣いてないですよ」

「ほんと?」

「ほんとです」

 零れそうになる涙をぐっと堪えて、僕は微笑んでみせた。

「ほんとだ」

「でしょ?」

「うん。安心したら、少し眠たくなってきた」

「寝ますか?」

「うん、そうしようかな」

 こうして起きているのにも相当な体力を使っているのだろう。僕は邪魔にならないように春華さんの手を放そうとすると、彼女は弱々しく握り返してきて。

「春華さん?」

「眠るまで一緒にいてよ。お話しよ?」

「はい、分かりました」

 手を握り直すと、春華さんは微笑んで。

「春馬」

「なんですか」

「ちゃんと絵、完成させてよね」

「はい」

「約束だからね」

「はい」

「でも、手は抜いちゃダメだからね」

「はい」

「我儘ばかりでごめんね」

「いいんですよ」

 そのくらいの我儘、どんどん聞かせてほしい。

 もっと大きなものでもいい。いっそ宇宙に連れてってとか、それくらい大きなスケールの我儘を聞かせてくれ。ずっと一緒にいるから、叶えるように頑張るから。

「春馬」

「はい」

「ありがとね」

 それだけ言って、ゆっくり目を瞑る。しばらくして規則正しい寝息が聞こえてきた。

 僕は起こさないように手を放して、音を立てぬよう静かに病室から出る。

「あ・・・・・・」

「・・・・・・」

 壮年の男性と鉢合わせする。

 知っている人物だ。春華さんの父親。僕は驚きつつも頭を下げて会釈する。

「こ、こんにちは」

「ああ。こんにちは」

「えっと、あの、春華さん、今ちょうど眠ったところで・・・・・・」

「そうか」

 もしかしたら寝顔を見たことを咎められるかもしれない。何か言われる前に退散しようと「それではこれで」と歩き出そうとしたところで、

「ちょっと待ってくれ」

 そう呼び止められてしまった。

「君――たしか、春馬くんと言ったかな?」

「え、あ、はい。そうです」

「よければ君と話がしたい。どうかな」

「あ、は、はい。大丈夫ですけど」

 思わぬ誘いに困惑しながら僕は頷いた。

 無言の中並んで歩く。いったい何の話をするのだろうか。そうして連れていかれたのは病院の近くにある喫茶店だった。

 席について二人分の飲み物を注文し、

「この間はすまなかった」

 春華さんのお父さんは深々と僕に頭を下げてきた。

「頭ごなしに怒鳴ってしまった。事情は娘と息子から聞いた。君は付き合わされただけだというのに申し訳ない」

「い、いえ、そんな。謝られるようなことじゃないです」

 恐縮しながら僕も頭を下げる。

「僕の方こそ、本当にすみませんでした。何も知らなくて、春華さんを連れ回しちゃったんです。こんなことになるなんて思ってもいなくて・・・・・・」

 前回の件だけじゃない。今回だって僕が原因かもしれないのだ。

「春馬くん」

「はい」

「私は君に感謝しなくてはいけない」

「感謝、ですか」

「ああ。春華は昔から体が弱くてね。人より自由の少ない子だった。それ故なのか我儘も少ない子でね・・・・・・。自分の意思で外出を望んだり、無理しようとしたり、こんなことは初めてなんだ」

「そう、だったんですか」

「意外だったかな」

「正直なことを言うと、その通りです」

 僕の中の春華さんはいつも活発で、自由で、行動的で、その通りに伝えると春華さんのお父さんは「そうか」と一言呟いて笑みを浮かべると、

「それがあの子の本当の姿というのなら、それだけ君は信頼されているのだろうな」

「そうでしょうか・・・・・・」

 秋貴にも言われた言葉だ。

「ああ。君は信頼されているよ。そうでなければ君に遺影を描いてほしいだなんて、春華も言わないだろう」

「あ、ご、ご存じだったんですね」

「先日聞かされたよ。娘から最期の写真はいらないからと言われてね、友人に絵を描いてもらっているんだって。君のことだろう?」

「は、はい」

「ありがとう、春馬くん。娘の我儘に付き合ってもらって」

 もう一度深く頭を下げられてしまう。

「いえ、むしろ僕なんかの絵で申し訳ないくらいで」

「卑下しないでくれ。春華の望んだことなんだから」

「そう言っていただけると・・・・・・」

 認めてもらえたみたいで心が軽くなる。

「・・・・・・そして、勝手なお願いで申し訳ないが娘を頼む。こんなことをお願いするのも残酷とは思うのだが」

「そんな・・・・・・」

 頼まれることもないことだ。

 僕は僕の意思で春華さんと一緒を選んだのだ。

「あ、あの、僕からも一つお願いしてもいいでしょうか」

「ああ、いったい何だろう」

「えっと、その、春華さんのこと、子供の頃の彼女のことを教えてもらってもいいですか?」

「ふむ?」

「僕、何も知らないんです。春華さんのこと。本当は本人に聞くべきなんでしょうけど、話してくれる気もしませんし」

「そうだろうか?」

「はい。自分のことを話したがる人じゃなくて」

「・・・・・・そうか。そうだったな」

 神妙に頷いて、

「わかった。私の話せることなら話そう」

 春華さんのお父さんは頷いて、

「とはいっても、さっき話した通りの子だ。あまり長く語れることはないんだが・・・・・・それでも構わないだろうか?」

「はい、是非お願いします」

 この機会を経て、僕はようやく春華さんのことを知った。

 春華さんのお父さんから話を聞いて、僕が自宅に帰ってきたのは日も沈みかけた時間だった。

 自室に戻り、キャンバスを立てたイーゼルの前に座って、

「・・・・・・春華さん」

 今日の話を思い出しつつ、筆を握る。

 春華さんのご家族、秋貴も含めて、春華さんは大人しい性格の子だと考えていたそうだ。

 我慢強くて、自己主張が少なくて、我儘も言わない子だと。

 思い返してみればその通りだったと思う。

 僕の話は聞いてくれるけど、自分の話なんてせいぜい病院での愚痴くらいのものだ。

 そんな春華さんが、僕に言ってくれた我儘。

 僕は何としてもこの絵を描き上げないといけない。

「これが、僕にできること」

 僕が春華さんにしてあげられる精一杯のこと。

 それを心に刻み込んで、僕はキャンバスと向き合った。


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