第3話 隣の席の少女
「あの、そこ私の席だから退いてもらっていい?」
「へ……?」
俺は間抜けな声を出して目の前の声の主である黒髪の少女を凝視した。
肩にギリギリ届かない長さのいわゆるショートボブと呼ばれる髪型で身長は150センチ前後。
スクールバッグを肩にかけ、ながら読みしていたのであろう小説を片手にこちらを見つめている。
………
昨日席替えしたの忘れてたああああ!!
俺は衝撃の事実を思い出し、心の中で叫んでいた。
その場に氷漬けにされたかのような感覚に囚われながらもなんとか状況の打開を試みる。
待て、どうする?
このままじゃ俺超恥ずかしい奴になる。
今まで頑張って築き上げて来た爽やかキャラ台無しに……!
混雑する思考をなんとか整理するが、中々上手い切り返しが見つからない。
「あ……えーっと……」
窓際の一番後ろという最高の立地で桜を見て格好つけていたのも束の間、俺は昨日の席替えでこの席に座る権利を既に失っていたのだ。
本来の俺の席は奇跡的にもこの席の右隣。
上手い言い訳さえ出来れば傷を浅く済ませることも可能。
俺は低レベルな頭脳をフル回転させ、咄嗟に思いついた答えをそのまま口にする。
「ご、ごめん、俺この席から桜見るのが好きだったんだよね〜! 今退くから!」
我ながらなんてクソみたいな言い訳だろうか。
恥ずかし過ぎて少女の目を直視出来ない。
穴があったら入りたいという言葉はこういう時に使うのだろう。
だが咄嗟に退こうとした俺を意に介さず、少女は思いもよらぬ返事を返した。
「そう、じゃあ気が済むまで座ってていいよ。 一時限目までには退いてね」
凛とした声でそう言い放った少女は俺の行動に特に違和感を抱いた様子も無く隣の席、つまり席替え後の本当の俺の席に座った。
「え……?」
あまりの意外過ぎる展開に五秒程思考が止まる。
なんだこの状況は……
ここは「そこ俺の席なんだけど!」って突っ込むべきか、それとも美少女の席に合法で座れている今この瞬間を喜ぶべきなのか。
ていうかどこから独り言聴かれてた?
そもそもこの娘誰?
同じクラスだったっけ?
唐突に色んな疑問が頭に押し寄せた結果、俺の思考はオーバーヒートした。
俺はうっかり頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出してしまう。
「えーっと……君の苗字って……?」
「……和泉」
和泉と名乗った少女は表情一つ崩さずに黙々と小説を読み進める。
「あ、ああ……そうそう和泉さんだよね! ごめん、ちょっと寝不足みたいで……」
寝不足でこんな朝早くから登校するやつがどこにいるのか。
と自分に追い討ちをかけていると、和泉と名乗った少女はこちらを見向きもせずに鋭利な返答を返した。
「眠いのは別にいいんだけど私の席では寝ないでね」
「あ、ハイ……」
その後、再び教室に静寂が訪れた。
さっきまで涼しげに感じていた風が今はやけに冷たく感じる。
とにかく気まずい。
時刻を改めて確認するが少なくともあと30分はこのままの状態を維持しなければならないと覚悟した方ががいい。
かと言って今すぐ「もう満足したからいいや!」などと言って席を立ってみろ、蔑まされるのは目に見えている。
「まぁ、いっか……」
散々頭を酷使した挙句、俺はもう考えることをやめて窓際の方へと顔を背けた。
情けないが反対側を向く勇気は今の俺には無い。
俺はただ隣の少女が小説のページを捲る音に耳を傾けながら、特に好きでも何でもない桜の樹を遠い目で見つめ続けた。
これが俺と和泉 遥との出会いだった。