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真っ白い夏  作者: 冬野柊
2/8

#1 記憶との再会

 



 一浦由莉奈(いちうらゆりな)が死んだ。

 大学2年の時に俺と一浦由莉奈は恋仲にあった。

 とは言えもう13年も昔の話だ。

 元恋人の死はあまりにも現実からかけ離れていて

 実感が全然湧いてこない。

 勝手に元気に過ごしているものだと思い込んでいた分その衝撃は大きい。

 川越に向かう足取りは決して軽くはなく、隆と俺は、2人してその空気に耐えられないかのように、思い出を語るしか出来なかった。きっと思い出に浸れば、より悲しくなるだけなのに。思い出す、その彩られた思い出の中の彼女はいつだって笑顔だった。もうその笑顔を見ることはない。

 記憶の断片の彼女をもう一度しまいこみ、俺達は川越へと向かう。


 ----

 麻生達は埼京線へと乗り込んだ。

 川越まではおよそ1時間。駅ロータリーに会場からの送迎バスが来るそうだから、おそらく間に合うだろう。

 思わぬ形での旧友との再会だが、卒業後も連絡を取り合っていた麻生と間宮の間には特に気まずさはない。


 車内ではまた、思い出の花を咲かしていた。

 麻生と一浦由莉奈の交際自体は大学2年に始まりその年で終わりを迎えているが、間宮との関係は今も続いている。思い出を話すには余りあるくらいだ。


「由莉奈が死んだなんて、なんか全然実感が湧かない。わからない。どうしていいのか。」

 素直な胸中を吐露(とろ)した麻生耕助の目は何処か虚ろで焦点が合わなくなっていた。

 ははは、と笑うその顔もどう考えても無理しているようにしか見えなかった。

 だがそんな状態の友人が、そんな内容の話をしてくればどうしていいのかわからないのは、間宮隆の方であることは言うまでもない。

「13年も前だけど、思い出しちまうよな。死んでしまったなんて現実に心が追いつかないし、悲しいとかそう言うこともそうだけど、思い出がフラッシュバックしてさ。結局悲しい気持ちになるんだよな。」


 間宮隆の言葉はしっかりと麻生耕助の胸に刺さり麻生耕助は頷くのが精一杯でそれ以上何か、言葉を絞り出すことが出来なかった。

 彼らを乗せた電車は勢いよく走り続ける。

 まもなく大宮だ。彼等が長い時間を過ごした場所でもあり、思い出の地だ。

 その埼玉一のターミナル大宮を抜け、川越まではもう20分ほどだろう。


 しばらくの間、彼等の間には(うるさ)いほどの静寂が流れる。麻生耕助はあの頃を思い出していた。


[あの頃、俺は若かった。今思い返したらそう言うしかない。綻びを修復出来ないまま突っ走ってぶっ壊れた。若気の至りで片していいものなのかな。

 隆が放った言葉は俺の胸に重くのしかかってきた。正にその通りだったからだ。

 由莉奈が死んだ?そんなの現実として考えられないし、考えたくない。13年前に付き合っていた恋人でもあるが、大学の同級生だ。そんな人の死を理解するなんて、キャパシティを越えてる。


 しかし悲しいほどにその事実を知って、あの頃の思い出があれもこれもと思い出され、脳内を埋め尽くしていった。別れて、俺自身13年の間、他の人とも付き合ってきた。この間ずっとこの思い出に(さいな)まれ、彼女を忘れられず俯いていたわけではない。でもそれは、忘れたことにはなっていなかった。記憶の中のフォルダを増やしただけに過ぎなくて、消去なんて出来やしなかった。

 もちろん古い記憶だ。曖昧になってるところは当然あるだろう。

 忘れていた、いや、忘れようとして鍵を掛けたそのフォルダのパスコードが由莉奈の死によって解除されたように、溢れ出す。


 もう一度、鍵をかけるにはどうしたらいいんだろう。そんなものがわかるならとっくにしている。アンロックされた記憶が脳を駆け巡って侵していく。思い出が残る埼玉に来てるのもそれを助長している。

 でも今はまだ、どこかでこの死を信じていない自分がいる様に思う。夢でも見てるかのような、そんな感じ。夢オチは好きではないけどこれはそうであってほしいと、願ってやまない。まずは斎場に行って現実を受け入れる努力をしなくてはいけない。]


「…ごめん!ぼーっとしてた。」

 埼京線が南古谷(みなみふるや)駅に停車した頃、麻生耕助は我に返った。


「いや、いいよ。冷静にいるのも難しいだろう。それより今、南古谷だ。もうすぐ川越に着くぞ。」

 彼等はまもなく、川越駅に到着する。

 そこで待つ現実は間違いなく、一浦由莉奈の死だ。目を覆いたくなる現実が悲しく目の前にあるだけだ。

 それでも先に進むしかない。その現実が自分たちを苛んだとしても。電車は止まらないし、時間は戻らない。

 過去は事実。消えることもない。もし変えられるとしたら未来だ。その未来に一浦由莉奈はいない。もちろん生きていても再び彼等の運命が交わる可能性は極めて低いだろう。でも、それを現実として受け止めるのは容易ではない。


 麻生耕助は蘇る記憶と葛藤しながらそれでも川越の地に降り立った。間宮隆はそれを不安そうに見つめるが彼もまた友人を亡くした1人だ。気持ちの整理などついてないだろう。だがそれでも毅然とした態度で改札を出る。今にも込み上げてきそうな巨大な悲しみに耐えながら。


 改札口には何名か喪服の人が立つのが見える。

 間違いない、彼等の旧友達だ。このような形での再会は彼等も予想していなかったことだろう。

 現実とは時として何故ここまで残酷なのだろう。

 1人の人間が背負うにはあまりに重たすぎる。辛すぎる。それでも生かされた者達はそれを越えていかなくてはいけない。どんなことがあっても。

 川越に辿り着きより一層彼等の足取りは重くなった。


 改札前で待っていたのはやはり同級生だった。

 寺森宗二(てらもりそうじ)と、古内充(ふるうちみつる)の両名だ。彼等2人は麻生耕助や間宮隆とは仲が良く共に行動することも多かった。

 大抵は麻生耕助は間宮隆といることが多かった。彼等の実家の最寄りが共に大宮で、帰る方向が同じだったからだ。

 学内にいるときは4人で行動することが多かった。いわば仲良しグループではあるが流石に卒業後は疎遠になった。

 旧友との再会は喜ばしいことであるのは間違いないのだが、願わくば全員、このような出会い方はしたくはなかっただろう。

「おう、久しぶりだな。」

 これが限界の会話だった。他は4人の顔が物語っている。重苦しい雰囲気が駅構内に漂うのが目に見えるようだった。


 しかし全員今から飲み込みたくない現実を飲み込みにいかなくてはいけない。

 それに対しての覚悟が、今この雰囲気を作り出してるのだろう。各々があの日あの時の記憶を蘇らせ、必死に現実と戦っている。

 そう考えた時、大学生生活4年間でたくさんの、おそらく忘れてしまっているものも含めて、思い出が刻まれていた。

 そのことを4人がどこまで咀嚼(そしゃく)して、今を生きてるかは知らない。

 だが一浦由莉奈の死の報せは彼等の記憶を蘇らせるには十分すぎた。

 川越の空はもしかしてあの時の空に繋がってるのかもしれない、とさえ思える程に。


 麻生耕助は一浦由莉奈と交際をしていた。他の3人よりもその思い出との葛藤は大きいことだろう。

 4人の会話が少し途切れるたび、空を仰ぎあの頃を思い出している。


 4人は最上に急ぐべくマイクロバスが待つ停留所へと歩いた。そこにはバスを待つ喪服姿がまた1人。

 どこか寂しげな背中をしている女性だった。


「ぎりちゃん?」

 間宮隆がそう呼ぶのは片桐葵(かたぎりあおい)。彼女もまた彼等の同級生だ。ぎりちゃんは片桐葵のあだ名であるが、そう呼ぶのは間宮隆だけである。


「間宮君。耕助。寺森に古内君も。久しぶり。」

 元気のない挨拶が響く。元気なわけもない。片桐葵は一浦由莉奈と特に仲が良く、卒業後も関わりがあった1人だ。

 それこそ、麻生耕助の連絡先を知っていた片桐葵が、今回の一浦由莉奈の訃報を知らせた。そこから麻生が間宮、寺森、古内に知らせたのだった。


「耕助、大丈夫?」

 片桐葵は麻生耕助とも学生時代仲が良かった。よく一浦由莉奈と3人で遊ぶことも多かったが、2人が別れて以来勿論それはなくなった。それでも2人でよく飲みに行くような仲であったが、卒業後会う機会は減ってしまっていた。たまに連絡を取ったり会って話すことはあったが、ここ最近は疎遠となっていた。社会人になり各々が仕事に明け暮れている。旧友などそんなものだろう。


「あぁ、葵…。大丈夫というかまだ、実感がないよ。」

 一浦由莉奈の話をするたびにあの頃を思い出し、麻生耕助はその歪な心を元の形に戻そうと必死だった。

 片桐葵はそうだよね、と下を向いて応えた。

 定刻となり、全員がバスへ乗り込みその体を斎場へと運んでいく。


 誰しもが「あの頃」と呼ぶ日々があっただろう。

 その記憶を呼び起こし、辛くなるのは人間の(さが)なのだろうか。

 あの頃にはもう、戻ることもできない。

 やり直すことも到底出来やしない。

 それなのに何故、(すが)ってしまうのだろう。


 変えられないことなんて分かっているのに。


 5人を乗せたマイクロバスが斎場へと到着した。

 5人はそれぞれ受付を済ませて、待合室へと案内された。 


 そこには小塚零(こづかれい)日生栞(ひなせしおり)の姿もあった。葬儀まではまだ時間があった。

 小塚零も日生栞も、久しぶりと挨拶するのが精一杯で、その後は重苦しい雰囲気に全員が飲まれていくだけだった。

 目を合わせ、口角を上げ、他愛もない話をする、そんな当たり前さえできる状況では無かった。

 耐えかねた麻生耕助は無言のまま席を立ち、喫煙所へと向かう。誰を誘うでもなく1人で。


 煙草の煙は何も言わなくても上へ昇っていく。こんな風に嫌な記憶や、受け入れたくない現実ももくもくと、消えていけばいいのに、と自分が持つ煙草から出る煙を見て麻生耕助はそう思っていた。まぁ、それは無理か、と、深く溜息をついた。その吐き出す音が虚しく響く。

 待合室に戻っても重苦しい雰囲気は変わってはいなかった。誰も口を開こうとせずまるで接着されたかのように口を閉ざしていた。何が言いたそうな顔はするものの、口から言語が発される事はなかった。


 永遠より長い数分が過ぎて、葬儀が始まる。

 7人は遂にその現実と向き合う時が来たのだった。


 葬儀会場に案内され各々が御親族へ挨拶をした。

 一浦由莉奈の母親である一浦和子(いちうらかずこ)


「娘の顔、見てやってください…。」

 と、目を潤ませながら言われ、7人は棺のそばへと向かった。

 棺の中で、眠るようにした一浦由莉奈の遺体を見た彼等はようやく、その現実が真実で間違いないことを認識する。

 途端にその真実が脳を侵し、それぞれが涙を堪えた。


 麻生耕助は棺の前からなかなか離れなかった。

 彼にはこの現実が重たすぎたのだろう。

 心のどこかで嘘であってほしいと願っていたが、脆くも崩れ去った。一浦由莉奈は死んだ。間違いなく。

 麻生耕助の目から堪えていた涙が(たが)が外れたかのように溢れ出る。色んなことが思い出され、彼の身体を(むしば)んだ。動けなくなった麻生耕助の肩を間宮隆そっと叩き、その肩を抱いて無理矢理に麻生耕助の身体を動かしてなんとか着席させた。


 葬儀は恙無(つつがな)()り行われたが、麻生耕助はあまり覚えてない。ただ1つ、一浦由莉奈が死んだと言う真実だけが彼の心に深く刻まれた。そしてその現実が徐々に身体の中で溶けていく。


 このまま火葬場へと移動するため再び待合室へと戻った7人。そこに、一浦由莉奈のご両親が訪ねてきた。


「麻生耕助さん」

 一浦和子は麻生を呼ぶ。

 驚いた顔をした麻生耕助はとにかく、はい、と返事を返す。


「これ、由莉奈が生前書き記していた日記帳です。麻生耕助さんの名前が記されておりましたので。あなたに読んでいただきたくて。2008年から、亡くなる直前まで書き記していたようです。どうぞ、読んでやって下さい。」

  そう言って、カラフルな日記帳の束を一浦和子は麻生耕助に手渡した。

「大事に保管していたので、年季が入ってる割に綺麗かと思いますが、私共も読んだのですが、ポッカリ空いてしまってる時期があるようです。多分、2008年の夏くらいですかね。何ページか破かれた跡もあって。見窄(みすぼ)らしくて申し訳ないのですが。」

 そう言い残してご両親は待合室を後にした。


 7人のところに残された、一浦由莉奈の日記。

 意味深に破かれた2008年の夏。一体何があったと言うのか。


「2008年の夏…?」

 麻生耕助がそう呟き、各々が記憶を辿る。

 ここから7人の記憶の旅が始まろうとしている。


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