勇者機動編
魔王城・会議室
「むむむ、この施設もだいぶ老朽化が……」
唸りながら頭をわしわしと頭を掻く少女、魔王イヴリス。
「しかし魔王様、こちらの神殿も近年整備が行き届いておらず……」
同じように唸りながらいくつもの書類を見比べ、ずれた眼鏡を指先で戻す施設管理部の魔族。
魔族と人族との争いは数えるのが馬鹿らしくなるほどの間続いている。
季節を越えて、世代を越えて。
そうなると必然的に様々な施設も風雨にさらされ戦火にさらされ傷んでくる。重要拠点になればなるほどそれは顕著に表れてくる。
「神導国との国境付近のこの砦は、放棄して新たに作り直すか……」
「それでは、他に割り当てられる予算が……」
いっそのことすべて更地にしてしまおうか、という思いが湧き上がってくるが堪える。
「アリアドネ、アリアドネはいるか!」
………………。
…………。
……。
「やつめ、こういう時には出てこないか」
魔王城・玉座の間
休憩を取るために一時的に会議室を抜けだし、玉座に腰掛け天井を見つめる。
つまらない雑務に雁字搦めにされている魔王の一時の休息。誰にも邪魔されない、この城で唯一の心休まる空間がこの部屋のこの玉座の上である。
この部屋こそが、本当の意味で魔王イヴリスの領地と呼べる場所だ。
魔王の仕事は狭い部屋で限られた予算の分配をすることではない。
魔王の仕事とは、常に魔王であり続けること。人族の恐怖の象徴であり続けること。それ以外の事などに気を使う時間など存在しない。
ただ一つを除いて。
「アリアドネ、アリアドネはいるか!」
「はい、魔王さま。こちらに」
音も無く、まるで最初からそこにい居たかのように現れる。いつも通りの神出鬼没、無駄にパターンを増やしているようにも感じるが。
「……」
魔王はジト……と睨みつける。
「……魔王さま?」
先ほど呼びかけを無視したことなど微塵も感じさせない図太さに、魔王も呆れかえる。
アリアドネの図々しさは今に始まったことではない。
気を取り直して普段の口調ですまし顔の部下に語りかける。
「アリアドネ、人族の勇者の状況はどうなっている?」
「はい、魔王さま。勇者は日々確実に成長しております。健やかで逞しく、幾つかの加護の恩恵により病気になることも御座いません。さらに、先ほど一人で歩くことに成功したことを確認致しました。」
魔王の前に跪いて淡々と伝える。
常に感情が籠っているのかいないのかわからない口調だが、今日は少しだけ浮ついているように感じる。長年連れ添っているからこそ気付く微小な変化。
「ついに自立して行動することが可能になったか。さすがは勇者である、着実に道を進んでいるようで嬉しいぞ。今日は記念すべき日だ、酒を用意してくれ。上等なやつを頼む」
アリアドネと対照的に激しく感情を揺さぶられ興奮を隠すこともない。
いそいそとテーブルとイスの準備を始める。
「はい、直ちに。銘柄など、ご希望がございますでしょうか」
まかせる、とつぶやいて玉座から自前のイスに座りなおそうとした時、ふと違和感を覚える。
今日は、手に調査隊からの報告書を持っていない。
先ほど彼女が、確認した、と言っていたこと。
「アリアドネよ、先ほどの呼びかけを無視した件だが」
声を掛けられた途端にぷい、と目を逸らすアリアドネ。
「おい、目を逸らすな」
先ほどの違和感が確信へと変わる。
「貴様、見ていたな」
魔王は小さな手のひらでテーブルを叩きアリアドネに詰め寄る。
「黙秘致します」
毛の先ほども表情を変えずに答える部下、ただし目は逸らしたままだ。
「私の呼び掛けを無視して勇者を見ていたな」
じとり、と睨みつける。
「黙秘致します。ですが魔王さま、もしここに勇者が初めて歩いた時の映像があると申し上げましたら、如何致しますでしょうか。」
下からの差し込むような視線。心なし口元に笑みが浮かんでいるようにも見える表情でアリアドネが告げる。
「不問にするから早く見せよ。」
目に見えない速度で手のひら返し。魔を統べる者の決断力。
何度か繰り返し記録映像を見た魔王が口を開く。
「さて、アリアドネよ。人が歩みを進めるのにはやはり共に歩むものが必要であると考えるが」
先ほどの映像を思い出し、ニヤニヤ顔の上機嫌で言葉を発する。傍から見れば魔王が悪巧みをしていると感じるだろう。
「流石でございます魔王さま。付け加えさせていただくと、倒れそうな時や道を踏み外した時に、優しく、ふわふわと、もふもふと、包み込む事も必要かと」
ふふん、と鼻をはならしながら
「月を丸飲みにしたと吹聴していた狼がいたであろう。アレの毛並みはペットに相応しい」
「獣人族との戦争になりますので、別の案をお願いします」