勇者咆哮編
魔王城・玉座の間
「このあたりに小鬼どもの巣が幾つかあったであろう」
トントン、と詰まらなさと苛立ちを隠さずに魔王は地図をつつく。
「はい、確かに。全体で約5万程度生息していると思われます…」
ですが……と口にしかけるが魔王に口答えなど、と口を噤む。
「小鬼の戦力でどうにかなるとは思っておらん。全滅させてもかまわん、後方の陣を立て直す時間を稼げ」
「畏まりました。しかし小鬼どもが素直に従うかどうか……」
「巣をすべて叩き潰せば怠惰な奴らでも出てくる他あるまい」
苛立ちを抑えきれずに爪を噛む。
愚かであると理解しながらも、増えすぎた魔族を間引くために行われる無謀であり無意味な作戦。
これが世界の法則であり順守すべきシステム。
戦力の拮抗を崩さずに人族魔族双方の数を間引き、一定周期で世界を壊滅させ文化の発展をリセットする。
この世界を存続させるために代々受け継がれてきた人族の王と魔族の王に掛けられた呪い。
傍から見れば、ゲーム板の上で駒を操っているように思えるが自身も盤面上の駒でしかない。
その事実に苛立ちを感じる。
だが、この役割こそが魔王という配役に与えられた絶対厳守の法則。
逃れる方法はただ一つ、死。
常に何者かに監視されている不快感。今この瞬間にも僅かに感じ取れる。
思考の牢獄に囚われそうになる直前、脳内に魔力を流し込み強制的に思考を止める。
脳の一部を焼き切った代償に目、鼻、耳からドロリと血が流れ出す。
「魔王様!如何なされましたか!」
誰かが声を上げているが、現実に戻ったばかりで思考がまとまらない。
「気にするな、先ほどの通りに動け。理解したら下がれ」
ふぅ、と一息ついたと同時に柔らかい布でそっと血が拭われる。
「アリアドネか。すまんな」
「勿体なきお言葉。恐悦至極にございます」
こういう気分の時にはアリアドネの空気のような存在感が心地よい。
しばらくの間、無言でアリアドネの介護に身を委ね、されるがままに身を整えさせる。
人心地付いたところで、いつものように切り出す。
「アリアドネ、人族の勇者の状況はどうなっている?」
幾度も飽きる事なく繰り返されるやり取り。
「勇者は健やかに成長しております。ついに勇者が言葉を発したとの報告を受けております。」
先ほどの死んだ魚のような目からうって変わって、興奮のあまり目からギラリと光が漏れる。
「な、なんと喋ったのか!ゆ、勇者はなんと喋ったのだ!?イヴリス!そうであろう!我の名を呼んだのであろう?な?なぁ?」
邪眼に対する耐性の無いものでは、その輝きを見るだけで体の芯から焼け焦げるほどの魔力の奔流が灼眼の少女から放たれる。
「落ち着いてくださいませ、魔王さま。勇者は魔王さまの名を存じ上げません。部屋の温度が上がりすぎていますのでお気を静めていただけますでしょうか」
見渡すとぐにゃりと溶けかけている燭台が目に映る。直近に配置されていたものは原型を保てず、水溜りのように溶け広がっている。
「なんと……、我の名を知らぬとは。人族の天敵であり、魔族を統べるもの、叡智の深淵であり、魔道を究めし我の名を教えぬとは、人族の教育はどうなっているのだ!」
「はい。いいえ、魔王さま。勇者はまだ言葉を理解する段階におりませぬ故、もちろんまだ文字も読めません」
コホンと咳ばらいを一つし仕切り直しを行う。
「してアリアドネよ。勇者はなんと言葉を発したのだ?」
「まだ、現段階では意味のある言葉は……。だぁ、はぃ、まぁ、などと言葉というよりは音を発している段階であります」
その時、再び魔王の目が見開かれる。
「ダァ・ハィ・マァ……だと!?数百年前に北方で栄えた竜狩りの民族、かの者たちが用いた力を持つ言葉ダァ(唯一絶対の)ハィ(神の力により)マァ(世界を浄化せよ)、まさか初めて発する言葉にこれを選ぶとは……今後が楽しみであるな!」
「偶然でございます、魔王さま」
興奮した魔王の驚愕は、バッサリと切り捨てられた。
「さて、今回は目星がついているぞ。誰かと会話することこそ上達のための必須事項である」
「流石でございます、魔王さま」
「では前回却下された宝物庫の呪いの人形を」
「焼却処分済みでございます」
この世界のバックボーンをのせてみましたが、この設定が生かされることは無いと思います。